小話 「父と剣」(アラン幼少)
アラン幼少の頃のお話です。
家族の話で、恋愛糖度ゼロです…すみません。
それは、ある夏の日の午後。
ギギィィ ギ、ギ、ギィギィィィ
館の隅から、何かひっかくような音が響いた。
それを聞いて、居間のソファでくつろいでいたソーネット伯ウィリアムと、その妻ソフィアは顔をあげる。
「また、はじまったなぁ」
「えぇ…。毎日励んでいるのですけれど…」
「……上達しないものだねぇ…」
階上の我が子の部屋の方を向いて、二人がため息をついていると…
――バタン!
「お父様、お母様!いいかげんやめさせて!」
勢いづいて部屋に飛び込んできたのは、夫婦の息子…長男ディールだった。
「アランが努力家なのは、知ってる!毎日、毎日、がんばってる、それはすごいと思っているんだ!!でも、もう僕はこの音を聞き続けるのは我慢ならないよ!」
大きな声で続ける。
そんな息子を、ウィリアムはため息をついて迎える。
「ディール…。まずは、いかなる時でもノックを忘れてはいけないよ」
「そんな話をしてるんじゃなくて!」
「ディール、これは基本ですよ、お父様のおっしゃる通りノックからやりなおしです」
「……」
両親にたしなめられた長男ディールはしぶしぶいったん廊下に戻り、ノックをした。
「おはいり、ディール」
その言葉を待ってから、ディールは入室した。
「で、お父様、お母様、本題に入るけど!このアランの楽器の練習をどうかやめさせてよ!もう、僕駄目だ…。それだけでも今年の夏は暑いのに…。可愛い可愛いアランのやることだけど、この音だけは駄目…」
ギギギギギ、ギィギィギィ
鳴り響く音。
「さて…楽師がついて、楽器の練習を始めて何日になるかな」
ウィリアムが呟くと、横からソフィアが指折り数える。
「そうですね…そろそろ三カ月になりますわ…」
「……そうか」
「そうだよ!」
「アランは、毎日、頑張るものだなぁ…」
ウィリアムは感心したように頷く。
「そうだけど、これはいただけないよ!三ヵ月だよ!?それなのに、一音もまともな音がでない、ただのひっかき音が延々と!!」
「まぁ、たしかにそうだな…」
ウィリアム、ソフィア、ディールが階上のアランを思って、天井を見上げる間も、ギギギギィという音は鳴り響いている。
「ここは階下だからましだけど、アランの隣の僕の部屋なんて、最悪だよ!」
そうディールが叫んだときに、コンコンとノック音と「リードです」という声が響いた。
「おはいり」
ウィリアムが言うと、扉を開けて入ってきたのは、もうすぐ8歳となる三男リードだった。
入室し、皆に一礼したリードは、細い指を耳にあてて、スポッスポッと両耳から小さく丸めた布を抜いた。
「……耳栓」
ディールが呟くと、
「はい、兄上の楽器の練習が始まったので」
とリードは表情をかえずに応える。
ウィリアムがそれをみて、
「ディール、おまえもリードを見習って耳栓をしたら、アランの隣室でも耐えられるんじゃないか?」
と、言った。
ディールが「いやだぁ~」と声をあげると、リードがため息をついて父であるウィリアムの方に向き直った。
「父上…それですが、問題が起こりました」
「なんだい?リード」
「アラン兄上の楽器の師が来る時間帯と、私の地理の家庭教師の時間が重なっているのですが…、家庭教師がこの破壊音では、教えるべきことに集中できないとおっしゃいまして」
「……」
「私も耳栓をしたままですと、教師の話が聞こえませんし、かといってはずすと今度は集中できません…」
「……おまえとアランがともに同じ時間に楽師に楽器を習い、共に地理の教師に習えばいいのでは?」
ウィリアムが提案すると、リードは首を振った。
そして、背にかかえていた袋をおろすと中から、弦楽器を取りだした。
弦のついた楽器をしなる弓で弾く楽器で、今、アランが練習しているものと同じである。
そして、おもむろにそれを肩にかまえると演奏しだした。
……柔らかな音色が部屋に広がった。
まるで高音の人の声が歌いあげるような、心地よい響き…。
連なる音の中に、ハッとするような弾ける音も織り交ぜて、飽きさせない展開。
リードのまだ7,8歳の細く小さな肩で支えられているとは思えないほどの、はっきりした音が楽器から響いていた。
軽くサビの部分を弾くと、リードは弾くのをやめて父ウィリアムに向き直った。
そして口を開いた。
「始めたときは良かったのですが、進み具合に差がでてしまい、一緒に学ぶのが難しくなりました」
「…たしかに…この差では、共に学ぶのは難しいでしょうねぇ」
母ソフィアもため息をついた。
「リードの腕の様子だと師に問題があるというわけでもなさそうだしなぁ」
そうウィリアムが呟くと、リードは頷いて言いました。
「アラン兄上は、力が抜けないのです」
「力が抜けない?」
「はい。弓も弦も、まるで剣を握りしめるかのように寸分の力も抜かずに最初から最後まで握りしめつづけます。それでは堅くなる一方です」
「ふむ…。力か…。では、逆に問うが、リードはなぜ力の抜き方を覚えた?」
ウィリアムが問いなおすと、リードは少し考えてから答えた。
「音を奏でるのは、魔術を扱うのと少し似ている気がするのです。」
「ほう?続けて」
「音は見えません。魔術で扱う魔力というものも、目にはっきりと見えるわけではありません。でも、どちらも存在していることはしっかりと伝わってきます」
ウィリアムはうなづく。
音が聞こえるように、魔力もはっきりと感じ取れるというのは、希有な魔力保持者であるリードならではの感受性であり、ウィリアムが魔力を感じ取れるかというとそうではなかった。
だが、口をはさまずにリードの話しに耳を傾ける。
「魔力を扱うときは、呼吸が重要になるのです。吸って吐いて、吸って吐いて…その満ち欠けのような身体遣いと似ているように感じるので、息を吐いて力を抜くように、楽器を演奏するときにも力を抜く時と込めるときを意識するようになりました。そうしているうちに、奏でることと魔力を扱うことが感覚的に似ているように思って、ますます楽器を奏でることが苦でなくなりました」
リードは静かに説明する。
リードの魔力は類いまれなる量と質を持つため、そのリードの感覚をわかちあえる存在はこの館にいなかった。
だが、父であるウィリアムも母のソフィアも、リードと話し、彼の感覚を言葉で説明するように促すことで、少しでもその感覚をわかちあおうとする努力をする両親だった。
リードの話にウィリアムはいったん頷いて、ソフィアを見る。
「なるほどね…。さぁて、アランはなぜ力が抜けないのだろうねぇ…」
夫の言葉に、ソフィアは少し考えてから答える。
「なぜ力が抜けないのかはわかりませんけれど、掴んだらはなさないということは長所でもありますよね?」
「長所?」
「えぇ…。だって、私このまえ、調理をしていたら壁にヌメ虫がいて、キャッと驚いて、手にしていたナイフを落っことしてしまったんです」
「……」
突然の話の飛躍は、ソフィアにはよくあることだったので、ウィリアムも息子たちも黙って聞いている。
……よく怪我をしなかったな……と内心、ウィリアムもその息子たちも思ってはいたのだが。
「ずっと掴んではなさないなら、そうですわねぇ、たとえば剣技をするときなんか、良いんじゃありません?」
たしなみとして、ウィリアムも剣使いは基礎はできたし、ディールも9つを過ぎたころから基礎訓練はしていた。
だがアランはやんちゃで走り回ってばかりいたので、剣を持たせるにはまだ危ういと許可していなかったのだった。
ウィリアムは考える。
しばらくした後、ディールとリード、そしてソフィアに言った。
「アランが音楽をやり続けたいのかどうか本人の話しを聞いてみよう。もしアランが、楽器を続けたいのであれば防音の方法を考え、もし楽器の習得そのものを止めたいと思っているならば、彼には別の師をつけることも考えることにしよう」
この言葉を聞き、ディールは、
「アランは毎日やっているから、音楽が好きなんじゃないの?うまいかヘタかは別にして」
と言った。
その言葉に、ウィリアムは、
「そうとも言い切れんさ。」
と穏やかに微笑んだ。
*************
ひとしきり、ギギギギギィィィィというひっかき音ならぬ…アランの弦楽器の練習音が鳴り響き、そして途絶えた後。
しばらくして、そっとウィリアムはアランの部屋の扉をノックした。
「…はい」
中から小さな返事が聞こえる。
「父さんだ、入れてくれるかな?」
ウィリアムが扉越しに問いかけると、少し間があってから、中から扉が開いた。
そこには、金の髪にきらきらと光を受け、頬にすこし赤みが差したアランの姿があった。
そして、ウィリアムが想像していた通り……アランの碧眼は潤み、このほんの少し前まで泣いていたかのように…赤かった。
その姿を少し見て、ウィリアムはあたたかく微笑みかけたが、アランは自分の姿を恥入るようにうつむく。片側の肩には、弦楽器をずっとあてていたせいか、服に皺が寄っていた。
「アラン、少し、話をしよう」
ウィリアムはアランの部屋に入り、椅子にこしかけた。
アランもウィリアムの向かい側に座る。
「……僕の、楽器の音がうるさいって言いにきたの?」
小さな声でアランが言った。
その言葉にウィリアムは頭を横にふる。
「そういうわけじゃない。ディールは隣の部屋で、少々こまっているようだけどね」
「……うん、知ってる」
「父さんが知りたいのは、アランがどうしてそこまで練習をしているかってことだよ」
ウィリアムはジッとアランを見つめた。
アランは唇をかんだままうつむいていた。
二人の間に沈黙が広がる。
ウィリアムはそのままアランが口開くのを待っていた。
どれくらいたっただろうか。
アランがポツンと小さな声で言った。
「お母様…この前たおれたとき、明るい音楽が聴きたいって言ったでしょう?」
「あぁ、そうだったね」
郊外のこの庭園の美しく緑の多い別邸にうつってから、比較的からだも調子よくすごしてきていたソフィアだったが、いっきに夏の日差しが強くなった頃、久しぶりに貧血を起こして庭先で倒れたのだった。
そうして数日寝込んでいたときのことを言っているのだろう。
たしかに、ソフィアはあの時、気落ちしていたこともあったのか、「なにか明るい音楽を聞いたら元気がでそうねぇ」などと言っていたな…とウィリアムは思い出した。
「それで…か?」
「…今は、お母様元気だけど…また、いつ倒れるかわからないでしょう?そのとき、僕、元気づけたいなって思ったんだ」
「なるほど…」
「でも、習い始めたら、リードばっかりうまくなるし…」
アランはぐっと唇をかんだ。
ひきつったように、唇がゆがみ、そして、小さな赤い血が唇ににじんでいた。
「まぁ、アランもやり続けていれば、いずれは弾きこなせる時期もくるだろうけどね…」
ウィリアムは穏やかに言った。
「ただ、やみくもに頑張ろうとしたりしても、結局は音楽は逃げていってしまうよ」
「…音楽が逃げる?」
アランは、わからないというような目をして父ウィリアムの顔を見上げた。
「そうだよ。もちろん何事も必死に練習する段階というものは、あるさ。楽器もね。ただ、その根底には楽しんだり、そのことを慈しんだりする気持ちもやはり大切なんだよ。そうじゃないと、音楽の方もアランと共にあるのがイヤになるさ」
「僕、楽しむだけの余裕なんて、ないよ…。だって、音がでないんだもん」
アランは哀しそうな目をして言った。
「アラン、お母様の言葉を叶えてあげたいと思うのは素晴らしいと思うけれどね。アランは、自分が苦手とするものを無理に好きになろうとして、お母様の言葉を叶えようとする必要はないんじゃないかな」
「……」
「好きなら、いいんだけどね。でも、好きでもなく……泣きながら、無理やり心を抑えつけてがんばろうとする気持ちが、もしリードに負けたくないっていう気持ちや、お母様を失いたくないっていう気持ちから出発しただけなんだとしたら…」
はっとしたようにアランはウィリアムの顔を見た。
「それは、アランの心を壊してしまうよ」
ウィリアムは、微笑んだ。
アランはその微笑みをみて、ポロポロポロと涙をこぼした。
「ぼ、ぼく、音楽は聴いている方が、す、好きなんだ。ダンスの練習なら厳しくたって楽しいんだ。でも、楽器は…楽器は…」
「うん?」
「楽器は…きらい、だ…」
「そうか」
アランは、また、涙をこぼした。
『きらい』という言葉をふだん、ほとんど言わないアランだったからこそ、この言葉は重いのだとウィリアムは思った。
アランだって、時期がくれば、音楽を奏でる楽しみをおぼえることもくるだろう。
だが、今は想い詰めすぎている。
思いつめすぎて、そして身体全体ががちがちになり、一生懸命にやるしかない、と思っている。
「アラン、世界は広い。やるべきことも、たくさんある。お母様を喜ばせる方法は、いくらだってあるよ」
「……」
ひっく、ひっくと肩をゆらしながら、アランはウィリアムを見つめた。
「まずは、アランが笑顔でいること。それでお母様は何よりも安心する」
「……」
「そして、周囲のものの気持ちや心を気遣うのも大切だが、アラン自身の心も大切にしておくれ。お母様は、アランがアランの心を大切にしていると喜ぶよ」
「ほんと?」
「お母様がね、アランのことを、つかんだものは離さないのは素晴らしいと言っていたよ」
「つかんだもの?」
「そうさ。ほら、マメができても、この弓をはなしていないだろう?楽器を練習し続けている」
「う、ん…」
ウィリアムは、アランの前のテーブルに、懐からだした包みを置いた。
そして、その布をくるくるとほどく。
中から小ぶりの短剣が二つ、出てきた。大人の手よりも少し大きいくらいの長さの、本当に小ぶりの剣。
鞘は細やかな彫の装飾が施されているが、石の飾りはついておらず、その二つの短剣が実用的に使われてきたものというのがわかる代物だった。
「ふたつの剣?」
「あぁ、これは双剣だ。この二つを持って戦う」
「ふたつを同時に?」
「そうだ。フレア国は、基本は一本の剣を使う。実戦にしろ基本剣技にしろ、バスタードソード、もしくは騎乗ではロングソードを使うのが慣例だ。だが、こどもの頃に大ぶりの剣はあつかいづらいし、少年期の体格でバスタードソードやロングソードは実戦向きではない。だから、こどもの内は、大ぶりの単剣の練習も重ねつつも、双剣術を習得しておくのが誰かを守護したい場合には有効なんだ」
「守護…」
「お母様を守るのは、私の役目だがね。おまえもいつか守りたいものができたときのために、訓練をはじめるといい」
「え?」
ウィリアムは、優しくアランに言った。
「楽器の弓を持っていた手を、剣のためにつかってみないか?」
「……いいの!?」
ウィリアムはうなづいた。
アランが二つの剣を見つめていると、ウィリアムは言った。
「まだ、この剣には触ってはいけない。おまえには、きちんとした師をつけよう。剣術の師についた後は、この剣を思い存分つかいなさい。」
アランは、こくんと頷いた。
「おまえが大人になり大きな剣を扱うようになったとしても、それとは別にこの双剣は肌身に離さずもっていられるからね。きっと、アランのことを守り、そしてアランが心身を鍛えるならば、アランの守りたい人のことも守れるよ」
「守りたい人…よくわかんないや」
アランの返事に、ウィリアムは笑った。
「まだわからないものだよ。いずれ、さまざまな出会いをしていくよ」
「うん。……ねぇ、この剣は、お父様がつかっていたの?」
ふと思いついたように、アランがたずねた。
ウィリアムは、アランに眼差しを向けて顔を横に振った。
「いいや。これは、私のおじい様…アランには曾祖父様が幼少のころ使っていたらしいよ。その頃は、いまよりまだ戦乱の色がこのフレア国に残っていたから、もっとこどもの頃から剣術に厳しかったそうだよ」
「そうなんだなぁ」
アランはウィリアムの言いつけどおり、まだ触れずに、ただその碧眼で鈍い銀いろの鞘におさまる剣を見つめ続けた。
「僕、楽器は最初から苦手だったけど、なんだか、これは好きになる気がする…」
「ははは、気がはやいな。でも、そうだなぁ、アランは剣術は合っているかもしれないな。ただ、乗り越えなければならないこともおおいが…」
「うん」
「まぁ、弾けない楽器を三カ月毎日弾こうとすることも、かなりの頑張りだよ」
アランはウィリアムの目を見つめた。
「……うん…でも…」
「なんだい?」
「でもね、僕、楽器もいつか弾けたらいいなぁって思う。今は嫌いだけど。もう。こんなのいやだけど。剣をやってみて、その世界でいろいろ乗り越えて強くなったら、楽器も弾けるようになるかなぁ。くやしいなあ、リード、うまいんだもん」
アランがそう漏らしたので、ウィリアムは笑った、
「いつでも始めるといいさ。案外…そうだなぁ、アランがとっても好きな人ができて、その人と一緒に弾いてみるとがんばれたりするかもな。」
「うん」
「アラン、いつでもやりなおせるよ。その気さえあれば」
「うん、ありがとうお父様。」
――-こうして、アランは剣を初めて手にすることになる。
そして、ソーネット伯の館は「ギギギギィィィ」というひっかき音から解放されることとなった。
ソフィアのつぶやきどおり、アランのつかんだらずっと握り続ける集中力と懸命さ、力を込め続ける一心さは、剣を扱うこどもにとって長所となり……褒められ、手ごたえを感じる中で…アランは伸びていくこととなる。
(その後、楽器を習う機会も数度あったが結局、アランの手は剣を選ぶことになったが。)
これは、まだ騎士団に入団することも考えていない……アランの幼いころのお話。
もちろん、アランが守りたい人とも出会えていない…幼き頃のエピソード。
ウィリアムがアランに渡した双剣は、アラン、大人になった今もずっと肌身離さずもっています。
もちろん、ミカとのデートの際も。
ウェストから脇にかけて剣のホルダーがある想定なのです。今では隠しナイフのような扱いなので、ジャケットの中、シャツに添わせるように身につけているか、ウェストのベルトに隠しホルダーがあってそこにつけてます。
長剣の帯剣とは別に、アランは親から受け継いだものとして双剣をつけている(…双剣は騎士道とは違いますが)設定です。
双剣は、ふつうヨーロッパではあまり見かけないのかと思うんですが、ここは異世界ということで自分の好みで!
ただ、フレア国でも双剣はだれでもあつかったわけではなく、やはり特殊性はあったかと。
まぁ、どうでもいいような、小さな設定です…。




