アルベルトザックはしずしずと婚約破棄を伝える
すみません。シリアスなものばかり描いていたので、衝動的に書いてしまいました……。
いつもお世話になっている皆さまへ。
ホワイトデーなので、私なりの甘いマカロンをどうぞです。
(甘さはかなり控えめです)
本当に申し訳ない、コレットとのこの婚約はやはりなかったことにさせて欲しいんだ……
それはとても静かに、私に伝えられた。
婚約破棄って、こんなに静かなものだったっけ?
そもそも、やはりって何?
初耳なんですけど?
彼の屋敷にあるプライベートガーデンで、マカロンを口に運んだ私の第一感想は、そんなものだった。
お茶を飲んでいる時じゃなくてよかった……。
本当にそう思った。
伯爵家の次女である私は、侯爵家四男、アルベルトザック、通称ザックの婚約者だった。ザックとの出会いは侯爵家へと納税する父の付き添いだった。たぶん、私の嫁ぎ先を決めるための顔売りの一環でもあったのだと思う。
だけど、難しい話の間は何もすることがなくなるので、庭を散歩させてもらっていたのだ。
そこで絵の具まみれの彼に出会った。
何をしているの?と近づく私に、彼が慌てて「近づかないで。ドレスに付くと取れないから」と、両手を突き出したのが、初めまして。
実はその手も青い絵の具まみれで、どちらかと言えば、その手が一番危険だったということを、今もザックは知らない。びっくりして目を丸くしている私に、驚いた表情の彼は、すぐに俯いてこう言った。
「ごめん、空を描いてたんだ」
だから彼の広げた手が、青色だったんだと、妙に納得していたけれど、それっきり、その時はそれで終わり。
彼もそれ以上私に興味はなかったようだし、彼が見つめる先にはキャンバスしかなかったし。
邪魔してはいけないと思ったから。
だけど、そんな風に男の人に気遣われることが初めてで、優しい人なのだろうなと思ったのが、ザックへの第一印象だった。
それから、父が侯爵家へ訪ねる際にはついて行くようになって、庭の散歩の度に彼に会った。
彼の琥珀の瞳はいつも澄んでいて、淡いはちみつ色の髪はほんの少し癖毛でフワフワしていて。
きっと柔らかそう。
いつか触ってみたいなって、風に流れる彼の髪を眺めて思っていた。
彼の名前を知るようになり、お互いにおしゃべりするようになって、彼の隣りに座って、キャンバスに描かれた絵を共に見て笑いあえる頃には、いつかこの人の横に……なんて夢を見るようになっていて。
そんな私に、父が尋ねた。
「コレットは、アルベルトザック殿をどう思っているんだい?」
よく分からなかったけど……。
なんだか恥ずかしくて、なんとも……と言いたかったけど。
それも言えずに黙って火照ってくる顔を下げてしまった。
きっと、父は何も答えられない私を見て、なんて残念な娘だろうと思ったことだろう。
だけど、その後から私自身が侯爵家に招待されるようになって、絵の具まみれの服以外のザックにも会うようになると、こうして彼と一緒にマカロンとお茶をいただくことも多くなってきた。
ザックと一緒にいただくマカロンは、どんなマカロンよりも美味しかった。
マカロンを食べていたのは、たぶん私だけで、ザックはただ笑顔でおしゃべりをするだけ。
だけど、たぶん、ザックも楽しんでくれていたんだと思っていた。
だって「僕の分もどうぞ」って彼のマカロンを私のお皿に入れてくれたんだもの。
美味しい物をくれるんだもの。きっと、彼だって。
そんな風に思って、私も喜んでいた。
キャンバスに描かれる絵はいつも違っていた。
花の絵や昆虫の絵、父母の肖像を頼まれたことや、お義姉さまと姪御さまの散歩の様子を描いてみたことなど。
いつか、私の絵も……。
そんな風に思ったけれど、やっぱり言わなかった。
だって、絵に描いた私がかわいくなかったら嫌だもの。
私は、ただただ彼を知ることが子どもみたいに楽しくて、ずっと彼のお話を聴いていられると思っていた。
彼は私を不思議なものを観察するようにじっと見ながら話をしていたけれど、帰り際には「今日も来てくれてありがとう。楽しい時間だった」と穏やかな微笑みで私を安心させてくれていて。
また来ようって思えて……。
だから、ザックが「君は何の絵を描いてほしい」と尋ねてきた時は、迷わずに「ここで食べるマカロン」と答えた。
この楽しい時間をずっと覚えていたいと思ってだったのに、盛大に笑われたことはまだ納得いってない。
それから、なぜか正式に両家顔合わせというものをとって、私たちは婚約者同士になった。
盛大に笑われた後だったのに、とても不思議な順風満帆。
問題なのはふたりとも家を継がない、ということだけだった。それは生活基盤がないということだから。
まだ若い私達は単なる令嬢で令息。
だけど、別にそれでも構わない。一緒に働こう。
そんな風に、ふたりで言っていたところだったのに。
それだって完全な夢物語でもなかったわけだし。
彼は、絵画の腕を認められて、宮廷画家への道があったし、私も一応、姉の嫁ぎ先で子守りのお仕事をもらっていたし、たぶん、生活は出来るはず……なのだ。
それに、一応、爵位はなくても伯爵令嬢と侯爵令息には変わりない。
家族との関係も悪くないから、仕事先だって口を利いてもらえるはずだし……。
それなのに、いったい何が起きたのだろう。
どうして突然、婚約を白紙にしようと思ったのだろう……疑問しかない。
「理由をお聞かせいただいても?」
とてもしおらしく項垂れている彼に、優しく声をかけてみるが、同じ言葉を発するだけ。
「本当に申し訳ない……」
「ですから、理由を」
とにかくこのままじゃ、この美味しいマカロンすら食べられないまま、ふたりの関係が終わってしまう。だから、時間をおいてもらおうと思ったのだ。
「その、一度わたくしも考える時間をいただけませんか?」
だけど、そう、彼にはこういうところがあるのだった。勝手に思い込み、勝手な解決に持って行こうとするところ。そんなところは、私が彼を嫌う箇所。
他は、特に、欠点という欠点は……
あげ連ねれば、たくさんあるのはあるのだけれど。
「あぁ、だけど、僕の意志はもう変わらないよ」
私はマカロンをパクリと口に放り込み、扇子でその咀嚼を隠しながら、思考をめぐらせた。
甘い木イチゴのジャムが口の中に香り、ふわっと広がる。
それなのに、なんだか美味しくない……。
なんだろう、甘さが喉に痞えてしまう。
少なくとも私の他に女の影はなかった。
となれば、私の方に問題があるのかしら?
しかし、これと言って喧嘩をしたことも思い出さない。
最新の大きな喧嘩は、……。
あぁ、確か、一ヶ月前の私の肖像画事件。
あれは、私が彼のモデルになった時だ。ちょっと恥ずかしくて、むすっとしてしまった。
もちろん、ヌードではない。
ほんの少し悲しそうな表情をしたザックだったが、約束だったからと言って、私をモデルに絵をかき始めてくれた。
『貴婦人の嗜み』というタイトルで、私が、今みたいにマカロンを食べている姿を描いてくれたのだ。
だけど、その摘まんだ桃色のマカロンを唇に触れるか触れないかの角度で止めたまま、おおよそ半時。じっとしていた私の限界がやってきたのだ。
もちろん、キャンバスを挟んだ先で私を真剣に見つめている彼は、とてもカッコよかったのだけど。
だけど、甘い物を欲する私の口が、思わず……。
「あぁ、もうコレット、動くなって言ってるじゃないか」
最初は穏やかだった彼なのに口調が荒ぶった。まるでその時だけ、身分差を見せつけられるような、そんな雰囲気を見せられた気になってしまった。
だから、私も言い返してしまったのだ。
「なによっ。すごく疲れるのよっ。そっちは好きな絵を描いてるから楽しいかもしれないけど」
でも、その後、とびきりの美人に仕上げてくれていたから、仲直りしたと思っていたのに、違っていたのかしら……。
扇子ごしに彼を見つめる。
「もしや、モデルのことで?」
はっと息を呑む彼が見えた。
図星のようだった。
「あの時は悪かったと思っていますわ。ザックが真剣に取り組んでいることも知っていますし」
「真剣に取り組んでいるからこそモデルの件は……えっ、あの時?……あぁ、あの時か。いや、あれは、僕も悪かったから……。コレットを綺麗に描き上げたくて、つい。本当に悪かったと思ってる」
そう……なの?
でも、さっき、モデルということに反応したわよね?
「モデルの誰かを好きになったと言うことですか?」
「まさか。どうして僕がコレット以外を好きになるの?」
さらに謎が深まってしまった……
他に好きな子もいないのに?
じゃあ、どうして……
彼の申し訳なさそうな表情を見つめる。
琥珀の瞳に淡いはちみつ色の髪。
ほんの少し癖毛でフワフワしていて、とっても気持ちいい触り心地の……
私の婚約者。
どうしてそんな顔で見つめるの?
「きっと画家を目指す僕は君に相応しくない……」
――私は、画家を目指すあなたに相応しくないの?
それって、ずばり、単に私が嫌いになったってこと?
えっ、なんで?
嫌われちゃったの?
ザックの言った『やはり』……はもしかしたら、あの時の悲しい表情の時に決めていたことだったってこと?
思わず扇子を膝の上に落としてしまうくらいのショックが私に襲いかかる。
……あのたった一場面で全部決まっちゃってたってこと?
ちょっと、むすっとしただけじゃない……。
だって、恥ずかしかったんだもの。
「えっ、大丈夫?」
私の気持ちなんてまったく分かっていないザックの声に、声なき言葉を自分の瞳で訴えた。
大丈夫じゃなくしたのは、ザックあなたでしょう?
そんな想いが視界を潤ませると、さらにザックが慌てだした。
「えっ、どうしたの? 理由を聞かせて」
理由が聞きたいのは私の方なのに、ザックが紳士そのもののようにして、私のそばにかけより膝を付く。
その手には、落ちた扇子が愛おしそうに載せられていて。
そんな扇子を拾うんじゃなくて……。
だって、侯爵家と繋がると思ってすごく頑張ってマナーだって磨いたし、口調だって変えてみて……。
全部ザックのせいなのに。
なんで私を捨てるのよぅ。
涙で歪んでしまった景色すらもう見ることが出来なくなって、手の甲で涙を払いながら、子どものように泣いてしまった。
「だって、ザックが婚約を破棄するだなんて言うから」
「えっ? だって……」
えっ!
理由を聞いた私は、怒りながらも安堵の涙を流して、彼をもっと困らせてやった。
「そんなこと……ザックのお父様に言って別の物に変えてもらいなさいよ……」
最初は家格を利用したくないとか言っていたザックだったけれど、渋々、了承してくれて、父親に相談したそうだ。
父親を通して得た試験官長の返答がこれ。
『じゃあ、この題材で私を唸らせたら、合格させてあげよう』
だから、私たちの慎ましやかな新居には、レーシーなマントを着た5種5匹の犬と半裸の男という恐ろしくカオスな絵画が飾られているのだ。
「まさか本当に宮廷画家試験のお題を変えてもらうとは思ってなかった」
「だって、君がそう言ったから」
その年のお題が『ヌード女性』
真面目な彼が婚約破棄を考えた理由だった。そして、与えられた題材があの絵だ。
タイトルは『愛の果てに』
彼が言うには多種多様な犬の散歩を満足させるために、日々鍛錬を怠らずムキムキになってしまった、単なる文官男の愛の形らしい。
身に纏うものはレースのみのある意味ヌードな犬たちを見て、ザックが言った。
「きっと、ヌードだけの方が時短で描けたと思うけどね」
でも、後悔はないかな。
そんな風にきっとザックも思っている、今ではそう思える私。
「でも、君のおかげで動くものもけっこう平気で描けるようになったよ」
「えへへ」
照れ笑いで自分の我がままを認めた私は、そんな彼に凭れかかって彼と笑い合っていた。
試験官長さん、実はこの課題と一緒にその婚約者の肖像も課題として提出するようにと言っています。
ザックが提出したのはマカロンを頬張るコレット。
短期間で寝ずに二枚仕上げたザックです。
たぶん、これが評価されていますが、コレットは元より、ザックも知らない真実です。














