第93話 余興の前座
――東域 ノーシア大公国、とある宿場町――
昼下がりの宿場町は冬の冷たい空気に包まれていた。
ノーシア大公国の首都ヴァルグリムから程近いこの町は、街道を行き交う行商人や旅人の休憩地として栄えている。冬場でも人の往来は途切れず、荷を下ろす車輪の音や商人の呼び声が、冷たい空気の中に響いていた。
神崎三郎とその一行は東域出身エリカの道案内でアポロヌスと東域国境からノーシアまで到達していた。
そしてこの宿場町には、ベルバードが所属するアルベルク商会に通じる現地商人が商いを展開している。
三郎達は、現地商人からアレクサンダー・スレイドの足跡を辿る情報を得るためにここに来た。
時として、商人の目と耳は国の斥候部隊を凌駕する。
交渉と情報収集はベルバードの役目だ、商人の間では彼も中々顔が利く。
それに、見慣れない風体の者が固まって歩き回ると、不要な混乱を招く恐れがある。
他の四人は目についた街外れの宿に入り、ベルバードの帰りを待つ事とした。
三郎、ジャック、メヌ、エリカの四人は特にやる事もなく、宿の一室にて待機することになった。
部屋には簡素な暖炉があり、火は入っているものの、冬の冷えを完全に追い払うには心許ない。
窓の外からは人々の話し声や馬の嘶きが聞こえ、町はいつも通りの営みを続けているようだった。
三郎は椅子に座り、ぼーっと天井を見つめる。
ジャックは湿気を含んだベッドに腰掛け、煙草をふかす。
メヌはそんなジャックの肩に頭を乗せて持たれた掛かっている。
エリカは窓際に立ち、穏やかな喧騒に賑わう街の様子を静かに眺めていた。
特に会話は無い。
そんな時、心底つまらなそうな顔をしたメヌが口を開いた。
「暇過ぎるんだけど。何とかしてよ」
誰に言う訳でもなく、そう言った。
偶々、その言葉に顔を向けたのはエリカだった。その為、メヌは目を細めてエリカに言葉を投げる。
「アンタ東域人でしょ?呪術とかいうやつで何とかできないわけ?」
それに対し、少し困った様子をエリカは見せる。
「私は呪術師じゃないので……」
「あっそ」
メヌは冷たくそう返して、ジャックの背中を指でなぞる。
ジャックは少々気怠そうな面持ちで煙草を指で弾いて暖炉に捨てると、三郎に話し掛ける。
「なあ三郎、数日前に国境で呪術師と遭遇した時、神降ろしがどうのこうの言ってたよな?ありゃどういう意味だ?」
何気なしにそう話しを振った。
三郎は一瞬目線だけをジャックに送り、再び天井を見やる。
「うむ。あの鹿頭呪術師の使っていた術はおそらく縁神使役の術だ。俺の祖国にも似たような術がある故な」
「そういや以前、"おんみょーどーの呪術"がどうのこうの言ってたな。それの類か?」
ジャックの言葉に再び目を向ける三郎、今度は前のめりに座り直して、言葉を返す。
「左様。東域呪術の根本は俺の祖国の物と同じように見える。祝詞を唱え、護符を貼る。式神を使役する、祖霊や縁のある神を降ろす。要するに力の借用だ」
淡々とした口調。講釈じみているが、押し付けがましさはない。
三郎の言葉に、エリカが振り返る。
「あなたの国でも呪術を?」
「おう。まあ、少々印象は異なるがな」
三郎が頷く。
「祖国――日ノ本の呪術は学問に近い。祝詞や護符で組み上げられる。才能も重要だが、何より積み重ねが物を言う世界だ」
三郎の言葉に、ジャックが面白そうに眉を上げる。
「へぇ……興味深いな」
それに応じて三郎が話を続けようとした時、廊下から足音が聞こえてきた。
間もなく扉が開き、冷気と共にベルバードが姿を現す。
外套についた霜を軽く払いつつ、室内を見回した。
「アレクサンダーの足取りが掴めた」
一同の視線が、ベルバードに吸い込まれる。
「おお!それで、かの者は何処に!」
椅子から勢いよく立ち上がった三郎がベルバードに掴みかかる。
ベルバードは少しだけ恐怖を滲ませつつ、得た情報を語り始める。
「ベルザン公国に向かっているらしい。ここからずっと南だ。どうやら戦場に用があるみたいだ」
「戦場?南で何が?」
エリカがやや不安そうな面持ちで尋ねる。
ベルバードがエリカに顔を向ける。
「アゼルニア軍が東域に侵攻してるらしい。どうやら彼の標的はアゼルニア軍みたいだ」
アゼルニア。その言葉にジャックは眉を動かしたが、何か言葉を発する事はなかった。
否応にも、冷たい眼差しを浮かべる兄の姿が脳裏によぎる。
(……まさかな)
一方で、アゼルニアになど微塵の興味を向けない様子の三郎は興奮気味で声を上げる。
「なれば良し!ベルザン公国とやらに向かおうぞ!」
しかし、ベルバードは首を振る。
「今すぐは駄目だ。明日の朝、行商人の一団が南に向けて発つ。僕らはその護衛として紛れ、ベルザンを目指す」
目立たないのが目的だ。それでいて堂々と街道を行ける。
「ほら、君もアレクサンダーとの戦いに邪魔が入るのは不本意だろ?密かに移動して、ベルザンにて堂々と戦ってくれよ」
宥めるように、ベルバードが言う。
三郎はベルバードを掴んでいた手を離し、顎に手を当てる。
「ふぅむ。それもそうだな」
納得した様子だった。
ベルバードは額に滲んだ脂汗を拭いつつ、一同に告げる。
「という訳で、今日はここに一泊する」
そして再び、暇が訪れた。
各々が黙りこくる中、沈黙に飽き飽きした様子のジャックが何か思い出したかのように口を開く。
「そうだ。三郎、さっきの話の続き聞かせてくれよ」
呪術に関する話題を三郎に振った。
先程よりも深く椅子に腰掛けていた三郎が、待ってましたとばかりにそれに応える。
「よかろう。まず、日ノ本の呪術は学問として体系化されている……という所まではいいかな?」
「ああ」
「しかし、ここへ来て目にした呪術は……何と言うか感覚だとか土地との深い繋がりが先に立つといった印象だ。上手くは言えんがな」
しかし、三郎の感覚は正しかった。
それを裏付けるように、エリカが言葉を挟む。
「多分、合ってます。東域では血縁と土地の習わしを重要視します。私の故郷でも、巫が頻繁に儀式を行なっていました」
儀式。即ち、土地との交わりを深め、神に対して自身がその土地に属する人間である事を証明する機会。
「なるほど、合点がいった。推し量るに、こちらの呪術は契約だ。血と土地を媒介にして、代償を払って力を借りる」
「代償……」
三郎の言葉に、エリカの表情が曇った。
それでも三郎は淡々と続ける。
「日ノ本、陰陽道の呪術は理論を構築し、理屈をもって式神を従わせる。もしくは縁を辿り、因果を持って縁神や祖霊の力を顕現させる。一方で、東域は理屈抜きにして、代償を支払って力を借りるのだろう」
「……ロノドでも、儀式の後に体調を崩したり、最悪死に至る巫も少なくなかった」
その事実は、三郎の推察に対する紛う事なき裏付けだった。
「血生臭いな」
ジャックが軽薄な笑みを浮かべて呟いた。
三郎は視線を窓の外に移す。
「土地に馴染み、血を示し、儀式を重ねる。それで初めて“力を貸すに足る存在”だと認められる。言うなれば、東域呪術はその土地に生きた証明だ」
三郎の言葉をいつしか興味津々に聞き入っていたベルバードは、何やら帳面にペンを走らせながら、口を開く。
「安易に外部の人間が手を出せるものではないって感じか……」
「で、あろうな。人の営みから切り離せぬ、術そのものより、そこに至る“関係”が本体だ」
――――――――――――――――――
昼下がりの宿場町は、いつもと変わらぬざわめきに包まれていた。
乾いた冬の空気の中、商人の呼び声と馬の嘶きが混じり合う。
その端で、異物を見つけた者がいた。
外套のフードを目深に被りは路地の奥、陽の当たらぬ場所に立っている。
影に隠れたその姿は、通り過ぎる者の目に留まらない。
留まったとしても、記憶に残らない。
――匂う。
それは血ではない。
敵意でも、殺意でもない。
もっと根源的なもの。
この土地に属さぬ力の気配。
"猟犬"は、ゆっくりと首を傾げた。
「ケヒヒッ……見っけ」
表情は読めない。しかし、その声音はこの男の気分の高揚を充分に伝えていた。
手に持っている血文字の護符から視線を移す。
その先には街外れに立つ、小さな宿。
男は片手を上げた。
合図だった。
路地の奥から甲冑の音を鳴らしつつ、屈強な戦士の一団が姿を見せる。数は50人に及んだ。
「囲め、ボンクラども」
低く見下した口調。
戦士達の間にピリついた空気が一瞬で広がる。
しかし、怒鳴り声を上げる者は一人もいない。
「なぜ?」
戦士の一人が眉間に皺を寄せて尋ねる。
「獲物だ」
猟犬は静かに答えた。
――――――――――――――――――――
一方、宿では三郎の呪術談義が続いていた。
東域の話から、三郎の祖国の魔術、呪術についての話題に移りつつあった。
ジャック、ベルバードは興味津々といった様子で、前のめりになって聞き入り、エリカは何か物憂うような表情を浮かべ、耳を傾ける。
一方、メヌは。
「ふぁあああ」
退屈そうに大あくびをかいていた。
しかし、そんな事は気にせずに彼女の隣に座るジャックは三郎の話を半ばまとめる。
「――つまり、アポロヌスで魔術が体系化され、学術的細分化が進んでいるように、日ノ本では呪術が体系化され学問として浸透してるって事だな」
「左様。俺も陰陽道についてほんの少し聞き齧ってはいるが、正直言って性に合わん。そもそもかなり遡った代の祖先が色々やらかしておって、神崎家は呪術が体に馴染まんのだ。神降ろしなんかは特にな」
そこまで言って口を噤み、視線を天井に向けた。
三郎は簡易的な祝詞呪法を知っている。しかし、戦闘向きではない。
「じゃあさ、日ノ本では魔術ってどんな扱いなんだい?」
急に黙った三郎にそう質問したのはベルバードだった。すぐに何か書き記せるようにペンを構えている。
ベルバードの言葉に応じて、三郎が再び口を開く。
「魔術……日ノ本では妖術だったり神通力なんて呼ぶのだが――何も研究はされていない」
三郎はそう言って、膝の上で頬杖をつく。
「そもそも魔術を使う者がかなり少ないし、何よりも禁忌として扱われておる故……アポロヌスに来た時は少々驚いた」
「驚いたって……こっちの台詞だぜ。お前みたいなイかれた魔術士見た事ないぜ」
ジャックが呆れた様子で笑みを浮かべる。
事実、三郎の魔術は常軌を逸している。アポロヌスの先進的とされる魔術の範疇に、彼は収まらない。
「まあ、俺も魔術自体に細工を施しておる。こっちの魔術とは、ハッキリ言って別物かもしれんな」
三郎は神の血を引く。故に魔術も神力のそれに非常に近い。
しかしこれに加えて、彼はとある趣向を凝らしていた。
「細工ってなんだ?」
ジャックが好奇心に満ちた目で尋ねる。
「"法術"の要素を組み込んでいるのさ」
三郎はそう言った後、窓の方に視線を向けた。
三郎の話を退屈そうに聞いていたメヌも同じように窓の外を目を向けていた。
その眼光はやけに鋭かった。
先程までの穏やかな喧騒が消えていた。
遅れて異変に気付いたのはエリカだった。
彼女は窓の外を覗いて、青ざめる。
「ノーシア大公の戦士団だ……!」
東域にて名高い、勇猛さと精強さを兼ね備えた大公直属の戦団。赤と黒の甲冑がその印だった。
その戦士達が、宿を包囲していた。
三郎達は侵入者。居所がバレたのだ。
「呪術だな」
能天気な顔をして三郎が呟く。
「くっ……どうすれば」
ベルバードが頭を抱える。事が穏便に済まないであろう事は、ここにいる面々を見れば想像は易い。
そして、問題児の一人がおもむろに立ち上がった。
「退屈だったし、ちょっと運動してくる」
大きく伸びをした後、軽く首を回したメヌはそう言い残して部屋を出て行った。
「ちょっと……!」
「おい、メヌ!」
エリカとベルバードは戸惑った様子だったが、三郎とジャックは彼女を止める素振りを見せなかった。
「三郎。話、続けて」
ジャックは足を伸ばして座り直すと、そう言った。
三郎もそれに応える。
「法術とは御仏の教えを源流とし、僧侶どもが使う術だ」
法術は理を扱う。経を唱え、理を定め、力を通す。
「正直俺は僧ではない故、詳しい事は知らん。だが簡単に言うと、経を唱える事で強大な力が付与される」
「ん?それって……」
「うむ。こちらで言う魔術の詠唱みたいなものだ」
三郎がそう言うと同時に、外が騒がしくなった。
激しい金属音と叫び声。明らかに戦闘を示す音だった。
しかし、雨音を無視するが如く、三郎は話を続ける。
「そもそも日ノ本には魔術を詠唱する概念が無かったのだ。祝詞や経はあるのに、だ」
そこで三郎は体に馴染まない"呪術の祝詞"ではなく、"法術の経"に目を付けた。
「概念を作った……って訳か」
「まあ、言ってしまえばそうなる。魔術を放つ前に経を詠み、出力を底上げし、放つ。これによって技の質は格段に向上した」
三郎の術は、魔術と法術の合わせ技。
そして――
「法術の利点はそれだけではない、応用が効くって所もそうだ」
外で鈍い破裂音が響いた。
そして、壁が揺れる。
エリカとベルバードは戦々恐々とした様子だが、三郎はいつものように能天気な様子で話し続ける。
「簡略化だ。本来の経文から一部の要素を取り抜き、詠唱自体を縮めた上でもある程度の出力を保てる」
「そういやお前の魔術の詠唱って極端に短いな。」
ジャックは三郎が戦う際に唱える魔術の詠唱を思い出していた。
三郎の短い詠唱は、強力な魔術の出力を保ちつつ、隙を生まない。
その種は魔術そのものではなく、法術というアポロヌスには無い技術にあった。
「アポロヌスには魔術詠唱の技術はあるが、逆に詠唱を簡略化する技術なんてない」
ジャックが言った。
詠唱を簡略化してしまったら、詠唱をする意味など無くなってしまう。
長い詠唱の中で魔力を鋭利にするからこそ、その真価は発揮されるのだ。
――それを踏まえて、ジャックの中で一つの疑問が湧いてくる。
「……だったらよぉ。お前の言う"経"ってやつを簡略化しなかったら……どうなるんだ?」
ジャックが問う。
「……源正詠唱か。まあ"神来法術"程ではないが、中々の大技だ」
そう言った三郎はその鋭い眼光を窓の外に向けた。
外が静かになっていた。
地面には血が滲み、勇猛かつ精強であったはずの戦士達の骸が転がっていた。
その中で、相対する二人の人物がいた。
一人はメヌ。
もう一人はフードを目深に被った男。彼が全身から発するのは異様な程の殺気と――呪力。
「ちょっと〜!助けてくんない?」
メヌが眼前の男から目を逸らさずに軽い調子の声を上げた。
三郎の口が笑みで歪む。
「ちょうど良い、余興といこう。源正詠唱の魔術を見せてやる」




