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雷鳴の武神  作者: ジュリ
第二部 契約者の詩
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第90話 狩りの前触れ

 森は湿り気を帯びた沈黙に満ちていた。

木々は密集し、地面は苔と腐葉土に覆われ、踏む度に水を含んだ音がする。

人の手が入っていない。それだけで土地そのものが拒絶してくるかのようだった。


そんな東域の深い森の中に、トルミア騎士団の潜伏地はあった。


――ドレヴァ公国 とある森――


 昼下がりとは言え、足元を照らすのは木漏れ日ばかりで森の中は薄暗い。


トルミア騎士団副長ローラ・アンジュは、眉間に僅かに皺を寄せて、慎重に一歩一歩進んでいた。

彼女の先を行くのは美しい金髪を肩まで伸ばした男。森の重苦しい空気感に似合わず、鼻歌を歌う彼の足取りは軽かった。


(隣歩きたい……)


できる事なら本当にそうしたい。ローラはそんな事を考えつつ、至って真面目に任務にあたっていた。


「団長の隣歩きたぁい!なんて思ってるんですか?」


ローラの内心を見透かす形で茶化す言葉を投げたのは、トルミア騎士団一番隊隊長、マリー・ミシュレである。


「ば、馬鹿者!なに訳の分からない事を!」


動揺するローラに苦笑いするマリー。

相変わらずわかりやすい上司である。


そんな二人の会話に対して、先頭を歩いていた男が振り返る。


「やっぱり、二人とも仲良いんだね」


トルミア騎士団団長、キリアン・ユローは爽やかな笑顔を見せながらそう言った。


「別に仲良くないですから!」


「そんな照れなくていいんですよローラさん」


キリアンの言葉に首を振るローラを、マリーは尚も茶化した。


「ったく……やっぱりお前を連れてくるんじゃなかった」


ローラが呆れ顔で呟く。

三人は今、野営の為の補給をするべく、近くの小さな街へと向かっている最中だった。無論、身分は偽ってだ。

行商人キャラバンの人員という立場をとる事にした三人は軽装備。腰に剣も帯びていない。


「まあまあ、和やかなのはいい事さ。こっちの人達に不必要な警戒感を与えない」


笑顔をたたえてキリアンが言う。

もっともである。


 トルミア騎士団の十数名の精鋭は現在、東域の不穏な動きを調査する為に、極秘で同地に潜入していた。

彼らの潜入を手引きしたのはアポロヌスに恭順の意を示したヴャルガ公国である。

現在はそのヴャルガの南方に位置するドレヴァ公国にて、潜入調査中なのである。


「下手に堅苦しく出ると向こうも警戒する。ちょっと砕けた感じの方が、色々と話を聞き出せたりするもんさ」


「流石!団長は柔軟性に富んでますねぇ」


キリアンの言葉にマリーが頷く。その悪戯っぽい視線はローラに向けられている。


「クソガキ……!」


ローラの指先はワナワナと震えていたが、キリアンの手前、何とか怒りを収めた。


 

 そうこうしている内に森を抜け、物資を補給する為に目指していた小さな街に到着した。

それなりに広い十字路沿いに、商店や家屋が立ち並んでいる。


三人は物資を買い漁りつつ、街の様子をそれとなく見て回った。

特に不審な点は無い、穏やかな街並みである。

外では元気よく子供達が遊びまわり、それなりに活気もある。


「戦争は一応決着しているからか、人々の表情もそれ程暗くはないですね」


呟くように、マリーが言った。

キリアンとローラは特に返事をしなかった。


仮初の平和だ。東域が再び蜂起すれば、このような平穏は露と消えてしまうだろう。


この街の人々は今何を思って、生活を送っているのだろうか。

ローラが硬い表情を浮かべたままそんな事を思っていた時、ふと子供達の歌声が耳へと運ばれてくる。


 

 暗い十字路 暗い十字路

 囁き声が聞こえるよ

   

 ひとつふたつの願い事

 約束の詩が聞こえてくるよ

   

 名前を呼んだら山羊が顔出す

 約束破れば夜風が連れ去る


 暗い十字路 暗い十字路

 秘密の約束 逃げられない



歌は風に溶けるように終わった。

無垢な子供達の声、明るい旋律。

よくあるような童歌。


しかし、どこか奇妙な雰囲気にローラは眉を顰めた。


それを奇妙と思ったのはキリアンとマリーも同じだったが、キリアンは表情には出さず、マリーは「変な歌」と呟くばかりであった。


「さ、買い物も済んだ事だし、皆んなの元に戻ろうか」


キリアンがこの場の雰囲気を切り替えるように、明るい声音でそう言った。

ローラとマリーはただそれに首肯し、三人は街を後にする事に決めた。


背後で、子供達の笑い声が弾ける。

先程の童歌でもまた歌い続けるのだろうか。

振り返って確かめる者はいなかった。



―――――――――――――――――――



 陽が傾き始めた頃、三人は野営地に帰ってきた。

焚き火は小さく、煙も少ない。

枝葉に隠れるように配置された見張りの影が、夕闇に溶け込んでいる。


三人は背負っていた荷を解いて、仲間達に配り始める。


それらが配り終わった後、キリアンは焚き火の側に静かに腰を下ろした。

革袋から水筒を取り出し、水を一口含んだ。

その仕草はいつも通り穏やかだが、意識は周囲に向いている。


(静かだ……)


風はある。森の中だ、遠くに獣の気配もある。

それなのに何か欠けているような、そんな違和感があった。


「団長。どうかされました?」


そう尋ねたのはローラだ。キリアンの表情の変化に対してはことの他目敏い。


「今夜はいつもより警戒を強めておこう。僕も見張りに加わる」


「え?団長がですか?いいえ!団長はお休みください!」


ローラはキリアンを気遣い首を振った。


「いいや、なんて言うか……静か過ぎるんだよ」


キリアンがそう言った次の瞬間――


「てきしゅ………!」


見張りの叫び声が響く、しかし言い終わらない内にその鮮血が舞っていた。


「敵だ!」


キリアンが声を上げる。

この場にいる者全員がすぐさま臨戦態勢を取る。


複数人の黒い影が木々の間を飛び交う。それに応戦する形で、騎士団の面々が剣を振るう。


劣勢。キリアンはすぐにそう判断した。

反射的に魔力を練る。しかし、それがベストな行動ではないとすぐに悟る。


(目立つのはまずい……!)


本気を出せば敵は一掃できるかもしれない。しかし、ここはさっきの街とあまり離れていない。

戦いの目撃者を作る恐れがある。


「ここから撤退する!動けない怪我人を運ぶ者とそれを援護する者に別れろ!」


まさに鶴の一声。キリアンの命令に対し、団員達は的確に動く。約半数が重傷者を助け、残りがそれの盾となり戦った。


「僕の周りに集まれ!」


次にキリアンはそう命じる。周りから黒い影に圧迫される形で、団員達がキリアンの周囲に固まり始めた。


(目立つ魔術は使えないけど、これならきっと)


キリアンは、魔術を発動する。

分厚く重い気流の壁が彼らの周りをドーム状に覆い始める。

この壁は、襲撃者の攻撃を悉く弾いた。


「このまま全速力で森を抜ける!隊列を組め!」


そうして縦隊を組んだ騎士団はキリアンを先頭にして駆け出す。

魔力を察知される危険を減らす為、最低限の魔力で作られた気流の壁は長い間持たない。


今は、迅速に撤退する事が最良の選択だった。



―――――――――――――――――――――



 やがて、トルミア騎士団は安全圏とみなせる地点まで辿り着いた。

欠員はいないが、重傷者が三名。無傷の者は半数にも満たない。


「一体あれは何だったんだ」


わずかに息を切らして、ローラが言った。

突然の襲撃、そしてぬかるんだ地面。ローラにしてみても普段の実力を出し切ることが叶わなかった。


「私も魔術使いたい所でしたけど……」


マリーが口惜しげに言う。彼女の魔術は炎。潜入という現状を加味して、目立ちかねない魔術の使用を控えていた。


「死者はいなかった……不幸中の幸いだよ」


ふっー、と息を吐いてキリアンが言った。

何とか逃げ仰る事ができただけでも儲け物といった所だろう。


 この急襲は予期できなかった。おそらく、森を熟知する者による襲撃と見ていいだろう。


「とにかく不気味だ。奴ら途中から無理に追うのをやめた感じだった」


ローラが言う。敵は森を知り、闇でも目を利かせていた。

土地勘のないこちら側を追いかけ続ける事など容易だったはずだ。


「それでも追って来なかったという事は」


マリーが息を飲み込む。


「どうやら僕たちは()()()()()ようだね」


キリアンの顔にいつものような笑顔は無かった。


「東域側が、遂に仕掛けてきた」


彼のその言葉にこの場の空気がより張り詰める。


 東域の影が血の匂いを嗅ぎつけ、トルミア騎士団へと迫っていた。



――――――――――――――――――――



 闇の満ちる森の中、光の届かぬ場所で声が交わされていた。


「今回の襲撃はここまでだ」


「勿体無い。きっともう少しで殺せたぜ?」


「どうだろうな?あの金髪碧目の男、中々の手練れと見た」


「それに初めから殺すつもりは無い。今回は泳がせた。ここに落ちている備品から、奴らの正体もおおよそ検討がつく」


「じゃあこれからどうすんのさ?ジワジワと嬲り殺しか?いいねぇ……」


「とにかく、一度()()に報告だ。行くぞ」


そうして闇が音もなく閉じる。

森は再び静寂に包まれた。何かが低く息を潜めているような気配を残して。


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