第88話 東域の公王
東域、またの呼び名をノーシア。休戦中とはいえ、依然としてアポロヌスとの関係は緊張状態にある。そんな中、ノーシア諸侯らの間に衝撃的な知らせが入ってくる。
ノーシアの存亡に関わる事態。それについての緊急会議が、ある場所にて行われていた。
ノーシア連合の盟主、ノーシア大公の居城である。
――ノーシア ヴァルグリム城――
ノーシア大公の居城は巨大な原生林と、幾つもの湖沼を見下ろす高台に築かれている。
原生林は敵の視界を遮り、冷たい湖沼は天然の堀の役割を成していた。
そんな城の大広間、ノーシアの主だった諸侯が一同に集結している。
厚い石壁、天井から吊るされた獣脂の灯り。
空気は重く、誰もが言葉を選んでいる。
最初に口火を切ったのは、白髪混じりの老公だった。
「ベルザン公国は……本当に凍土と化したのか」
その言葉に頷いたのはまだ若い別の公である。
「斥候の知らせが入った後、私も国境まで馬を駆りましたが……間違いありません」
若い公はベルザン公国の隣国の領主である。
その目にはハッキリとした恐怖が浮かんでいた。
「一体どうすれば……次は私の国が……」
声を震わせる若い公。
広間の空気が風に揺れる灯火のように揺れ始めた。
「原因は、エドワード・レインだ」
ノーシア大公、ヴォルフラムはこの会議にて初めて口を開いた。
老境に差し掛かりながらも衰えを感じさせない威厳。血を思わせる深い赤と黒の長衣を身に纏い、灰色がかった黒髪は短く整えられ、深く刻まれた皺は長年の思考と決断の数々を物語っていた。
そして、その大公が口にした名は、この場にいる者全員が知っていた。
「アゼルニア人め……!不戦協定を破ってくるとは」
誰かが憎々しげに言った。
「おそらく、アゼルニアの独行独歩であろう。この所アポロヌスは一枚岩とは言い難い」
また別の誰かが言う。
「ノーステミアとリューランとの国境に大巫を配備したは良いものの……まさかアゼルニアが海を越えて攻めてくるとは」
「我々は愚かだった」
皆、口々に言葉を述べる。
苛立ち、恐怖、自嘲。様々な負の感情が渦巻く中、ノーシア大公ヴォルフラムは落ち着いた様子で言葉を続ける。
「そのノーステミア方面から何者かが侵入した」
大公の言葉に、一同は驚嘆の声をあげる。
「まさか、大巫を倒したのか?」
「そんな馬鹿な!彼らはノーシア最強の呪術師だぞ!」
混乱が強まる中、太公は依然として落ち着き払っている。
「いや、彼らが戦闘したという情報は入っていない。おそらく、その目を掻い潜って国境を越えてきたのだろう」
大公は言う。
斥候の知らせによると、何者かが組織的に動いた痕跡が国境付近にて散見されるとの事だ。
「アポロヌスは仕掛けて来ている。アゼルニアの件も、彼の国の独行とは断定できない」
大公の言葉に、諸侯は絶句する。
そんな一同の顔を見渡し、太公は低く威厳のある声で続ける。
「故に、手を打った」
「手、とは?」
老公が皆を代表して尋ねる。
「まず、止めねばならんのはエドワード・レインだ。かの男を討つ為に、傭兵を一人雇った」
大公が答える。
「傭兵……とてもエドワードを止められるとは思えない」
「我々はあの男の恐ろしい力を目の当たりにしている」
「たった一人で、一体どうやって奴を討つのだ」
広間に再び騒めきが広がる。
それでも大公は誰も咎めず、淡々と語り続ける。
「雇ったのは――アポロヌスにて三戦帝と呼ばれる男だ」
時間が止まったかのように、広間が静まり返る。
三戦帝――ノーシアの敗北を決定づけたと言っても過言ではない、戦場の帝王。
「奴らは敵のはずでは……」
「それは先の戦争までの話……あくまでも奴らは傭兵だ。戦争が終われば次の雇い主を探す」
それが偶々、ノーシア大公だっただけだ。
そして、一同が言葉を失う中、大公はもう一つの問題に対しての策を語る。
「正体の分からん潜入者に対しては――猟犬を放つ」
「何と……!」
「猟犬どもを放つとは……」
「……おぞましい」
猟犬。その正式な呼称は誰もが口にするのを憚った。
彼らは、それ程までに恐ろしい存在なのだ。
「先の戦争で、多くの兵を失った。そして現在は軍備を秘密裏に再編している。故に表立った攻勢は仕掛けられん」
大公はそう言って、一呼吸置く。
「ならば搦手を使い、敵を排除する」
その目には冷厳な光が宿っていた。
氷雪の恐怖。
見えざる敵。
まだ点に過ぎない。しかし、それらが繋がった時、ノーシア全土が戦場と化す恐れがある。
大公が立ち上がり、諸侯を見渡す。
「危機は目下にある。備えよ」
灯りの揺らめきの中、誰も言葉を返せず、ただ頭を垂れるばかりであった。




