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雷鳴の武神  作者: ジュリ
第二部 契約者の詩
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第86話 災厄来たる

 その土地には、深い緑の森林と静かな青い湖、――そして土地に縛られた血と(まじない)が根を張っていた。

 

東域――かつて800年間に渡って繁栄を誇った大帝国アポロヴィニアの支配に反抗し、現在も帝国の継承勢力であるアポロヌス連合と戦争状態にある。

 東域とはアポロヌス側の呼称であり、その地に住む人々は自らの土地を"ノーシア"と呼んでいた。

ノーシアは幾つかの小国に分かれており、公と呼ばれる在地領主が国を治めていた。

 彼らは土地を愛し、風習を重んじ、外敵へは一切の容赦をしなかった。


 そんな土地に今、とある災厄が足を踏み入れようとしていた。



――アポロヌス東端 リューラン王国の東域国境――


 アルベルクを出発した飛行船が着陸したのは、かの街を発って3日後の事だった。

 畑は放置され、道標は雨風に削られたまま。そして遠目に見える場所から、川のせせらぎが小さく聞こえていた。そしてその更に奥には、深い森林地帯が広がっている。


 ここはアポロヌスから東域へと侵入できる、数少ない()()()である。

まともな街道は通っておらず、農道と思しき小道が何本か走っている。


「あんたらは言ってみれば密入国者だ。まともなルートから東域には入れんぜ」


船を降りた5人に向かって、舵取りが声を掛けた。


「言われずとも、知っておる」


この場の物々しい雰囲気に似合わぬ明るい声で、一人が答えた。

神崎三郎である。


「こっちもあまり長いできん、そろそろ出航する。気をつけてな」


船の上から辺りを見回した舵取りはそう言うと、そそくさと操舵室に戻った。

 程なくして、飛行船が宙へと登って行く。


神崎三郎をはじめとする5人の旅人は船を見送る事なく歩き出した。


「すぐそこに見える小川に掛かる橋を越えたら、東域です」


そう口にしたのはベルバードだった。彼は商人という仕事柄、交易に関わってくる国境線について詳しかった。


「地面がぬかるんでいるな」


ジャック・レインが顔を顰める。川向こうは湿地となっているようだ。


「道も細いし、おまけに湿地帯ときた。こっから大軍を動かそうとは思わないかもね」


ジャックと腕を絡めて歩くのはアマゾネス、カノスバーのメヌだ。彼女の指摘する通り、軍事行動に向いた土地ではない。厳重な関所が無いのもそのせいかもしれない。


「でも、油断は禁物です。()()は侵入者に対してことのほか過敏ですから」


案内役エリカは、そう言いながら無意識のうちに腰の剣に手をかけていた。

この剣は、ジャックがエリカに買い与えた物である。

奴隷ではあるが、彼女が刃向かってこない事をジャックは見越していた。

元より、刃向かってこようが制圧するのは容易い事であるのだが。


「やっぱり元騎士ってだけの事はあるな。身のこなし、警戒心共に素人ではない」


三郎が感心した様子で言う。

だからと言って、エリカの緊張が解ける事は無い。

自身も東域人である。故に、この土地に住む人々の気性ついてよく知っていた。


やがて、一同は森林へと足を踏み入れる。

所々に水が溜まっており、踏み出せば靴が沈みそうだった。

入り組んだ森林、陽を受けて鈍く光る湿地帯。霧が低く漂い、土地そのものが彼らを拒んでいるように感じさせた。


(ノーシアだ)


エリカは懐かしさよりも先に、胸の奥が軋む。

血と裏切り。奪われたものの記憶が湿った空気と共に蘇る。

少し歩くと、開けた場所に出た。背の低い草木が茂り、見通しが良い。

しかし、目には見えない緊張感がそこに漂っていた。


「もしかして……誰かが……!」


エリカが言い終わらない内に、反対側の森の奥から大勢の人間の気配が動いた。


「何者だ!止まれ!」


低い怒号。弓が引かれ、槍と剣が構えられる。

在地の武装勢力だ。

侵入者の存在を感知し、彼らは早急に集結していた。


「ど、どうすれば」


ベルバードの背中に冷たい汗が流れる。

それはエリカも同じであった。

エリカが真っ先に目を向けたのは、在地勢力の先頭に立つ、面妖な風体の男。

巨大な雄鹿の頭蓋を頭に被り、毛皮をあしらった長衣を纏っている。その手には古木を削って作られた杖が握られていた。


「間違いない……大巫(グランドオラクル)だ……!」


魔力とは違った異様な気配。彼が操るのは呪術。

エリカは東域でも屈指の実力者が立ちはだかっている事を直感した。


「気をつけて!あの者は――」


エリカが警戒を促す前に、三郎はいつもと変わらない様子でただ前進していた。


三郎は制止を聞かなかった。

故に頭蓋骨を被った男は三郎を敵と判断した。

男は唸るような呪を唱えると、血液の滲む護符を地面に投げ、その上に杖を突き立てた。


――直後、森が揺れ出した。まるで生きているかのように。

静かに聳えていた古木が大蛇のようにうねり始め、一点に集結し始める。やがてそれは巨大な雄鹿の姿へと変貌した。


「――血樹変生(けつじゅへんせい)深緑(しんりょく)王角(おうかく)


鹿の頭蓋骨の奥に光る眼は殺意を持って三郎を睨んでいた。

しかし、それを見返す三郎の目には嬉々とした感情が宿っていた。


「面白い、神降ろしの呪術か!久しぶりに見たぞ」


その瞬間、世界が白く染まった。


雷。


空からではない、三郎の周囲から無数の稲妻が弾けるように広がった。

木々を裂き、水面を叩き、沼を蒸発させた。

湿った大地が災いし、雷は逃げ場なく走った。


しかし、その指向性は絞られている。三郎の前に立ち塞がった大巫と在地勢力を白い閃光が包み込んだ。


音が、遅れて来る。


轟音、爆ぜる木々、焦げた肉の匂い。


眼前に広がっていたのは、焦土であった。

先程まで存在していた深緑は、一瞬の内に姿を消してしまった。


 ベルバードはかつて見た商業都市グラディウスの姿を思い出し、目の前の光景から思わず目を逸らした。


 エリカは立ち尽くしていた。


「大巫を一瞬で……」


水と森、そして大いなる呪いの力――それに守られているはずの東域の地が、瞬く間に雷に蹂躙された。

恐る恐る、三郎の方へと目を向けるエリカ、その目に映るのはただ能天気に笑う、怪物の姿だった。


「湿気が多い故、よく手伝うな」


軽い調子でそんな感想を述べる三郎。


(この人と一緒に、私はノーシアを歩くのか)


恐怖と奇妙な安堵が同時に胸に湧いた。


一方で、この状況を楽しんでいる者がいるのも確かである。


「へぇ!あんた凄いんだね!」


三郎に駆け寄って肩を叩いたのはメヌだった。


「旅の始まり、景気がいいじゃん!」


そう言って高笑いするメヌ。

そして、ジャックもまた不敵な笑みを浮かべていた。


「今回の旅も退屈しなさそうだな」


「肩慣らしにはなった!早うアレクサンダー・スレイドと戦いたいなぁ!」


灰と蒸気が立ち上る中、三郎は笑い声を響かせて、再び歩き出した。


 湖は静まり、森は何も語らない。

伝令はなく、警告も届かない。

東域はまだ知らない。自分達の森に災厄が足を踏み入れた事を。


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