プロローグ 暗い十字路
月夜の十字路。
月は雲の奥に隠れ、漆黒の闇だけが濃く広がっている。
旅人は立ちすくみ、四方に伸びる道の先を見やるが、何も見えない。
ただ風が木々の枝を揺らし、遠くで獣の唸る声が聞こえるばかりだ。
「迷える旅人よ……」
不意に、甘く妖しい声が闇の中から響いた。それと同時に、月にかかっていた雲が晴れてゆく。
旅人が振り返ると、月明かりに照らされた吟遊詩人の姿の男がそこに立っていた。
古びたリュートを抱えて、足音一つ立てず、静かに旅人の元に歩み寄る。
詩人の眼には月の光より冷たい輝きが宿っていた。
その表情には微かな笑みが浮かんでいる。
「闇夜の十字路に立つ者よ、足元の影を見てごらん――
風が唸り、樹々が囁いている――」
男はリュートをかき鳴らすわけでもなく、ただ低く甘美な声で続ける。
「道は幾重にも枝分かれし、
どの先も君が本当に望む物ではない――
だが私の指先一つで、
全ての迷いは君の望む旋律へと染まる――」
旅人は思わず足を止めて聴き入っていた。
その声に耳を傾ければ傾ける程、闇は深く、風は重く、道は見えなくなる。
心の奥底に知らず知らずのうちに恐怖が忍び寄っていた。
「迷える旅人よ、私と秘密の約束をしよう――
約束を守れば君の望む行き先が見えて来る――
でも、もし違えれば……」
詩の余韻が闇を揺らす。
旅人の鼓動が速まる。
振り返っても何も無い、しかし道の先には何かが待っている気配が確かにあった。
月夜の十字路に、誘いの旋律が静かに流れていた。




