第九話 暇つぶし
――ヴェネット城の近くの宿屋――
巨大な獣が鳴くような音を耳にして、男は目を覚ました。
「居眠りしちまってたみたいだ」
大きくあくびをしてベッドから体を起こすと、部屋の中を見渡しつつ、黒い短髪の頭を掻いた。
「ふっ、もう帰ったらしいな」
目鼻立ちの整った男らしい顔にニヒルな笑みを浮かべ、先程まで隣にいたはずの女がすでに去っていた事を知る。
ベッドから降りると、鍛え上げられガッシリとした筋肉質な体に、味気ない地味な衣服を纒う。
「騒がしいな」
懐から取り出した紙タバコを咥えると、人差し指を近づけた。すると指先からマッチのように火が生じ、タバコの先端を焦がした。
部屋のベランダに出ると、欄干にもたれかかって通りの様子を見下ろす。
街には警鐘の音が響き、人々が逃げ惑っている。
「グオオオオオオオオオオ」
そして何よりも大きく響く咆哮。
タバコをふかしながら、建物の隙間から垣間見える城壁の方に目をやった。
「へぇ、ドラゴンか」
城壁に鉤爪をめり込ませ、鋭い牙を見せながら夜空に咆哮する怪物がそこにはいた。
(親父が昔飼ってたな)
煙を口から吐いて、ふと思い出していた。そんな時、
「お客さん!お逃げなさい!ド、ド、ドラゴンが!」
ドタバタと木の床を踏み鳴らし、宿の主人が部屋のドアを開けた。
「ああ、その方がいいかもな」
男は金貨を一枚取り出すと、宿の主人に向かって指で弾いた。取りこぼしそうになりながらも、主人がキャッチする。
「宿代だ」
「いやいや!こんなに受け取れません!」
宿代で金貨一枚は釣り合ってなかった。
「気にすんな、荒稼ぎしてあり余ってんだ」
そう言い残すとベランダから飛び降り、城の方から逃げてくる人波に逆らって歩き去った。
――ヴェネット城 城壁――
三郎は今、レミロフが呼び出した巨大なドラゴンと対峙していた。
「この怪物、一体どこから湧いて出たんだ…?」
その異形もさることながら、何もない闇の中から湧いたこの怪物に、疑問を持たざるを得なかった。
「へっ!ドラゴンを見てビビっちまったようだな!」
城壁の上から三郎を見下ろして、レミロフが嘲笑う。
「一つ聞きたい。どうやってそいつを呼び出した」
三郎が好奇心から尋ねる。
「この力の種は明かせねぇな。そういう約束でね」
レミロフが答える。そしてさらに、
「まあ言える事としちゃあ俺は指笛一つでドラゴンを呼び出し、自由自在に操れる魔術を使うって事だ」
自慢げにそう語った。
「ドラゴンって言うのか、そいつは」
「そうだドラゴンだ。この凶暴な怪物に今からてめぇは八つ裂きにされるって事だ」
おもむろにレミロフが三郎を指差す。
「さあ!奴をぶっ殺せ!」
「グオオオオオオオオオオオオ」
咆哮と共に、目を光らせたドラゴンが三郎目掛けて飛び掛かった。衝撃で城壁の一部が粉々になって飛び散る。
その刹那、三郎は既に愛用の太刀に手を掛けていた。
「今宵は特にうるさいな」
脚で溜めを作ると、太刀を抜き放ちながらドラゴンの口に向かって飛び掛かる。白刃が、大きく開かれたドラゴンの口から尾の先まで一刀両断し、熱を帯びたその血液や臓物を散らした。
そして三郎はその勢いのまま城壁の上へと飛び乗り、レミロフと対峙する。
「ば、馬鹿なっ!!!最上級モンスターのドラゴンだぞっ!!」
信じられなかった、信じたくなかった。大国の軍隊がいくつかの師団をもって狩れるか狩れないかという強大なモンスターを、三郎は一刀のもとに斬り殺した。
「思ったより硬くなかったな」
着ている直垂の袖で挟むようにして太刀の血を拭う。
「次はお前だ」
そして、鋭い切先をレミロフに向けた。
「ま、まだ終わっちゃいねぇ!」
恐怖に足をすくませながら、レミロフが再び指笛を吹く。
「グルルルルル」
唸り声を上げながら、新たに闇の中からドラゴンが出現した。
「芸がないな」
吐き捨てるように三郎が呟く。これ以上この男との戦いで得られる物は無さそうだ。
「おい!神崎!」
「あんた!これ一体どういう状況!?」
城内から叫ぶように名前を呼ばれる。ローラとマリーだ。
「今取り込んでいる」
ドラゴンから目を離さずに、二人に返す。
「へへへっ!良いところに雑魚が二人!」
彼女達に気付いたレミロフが、もう一度指笛を吹く。
「グオオオオオ」
城壁の内側にもう一体ドラゴンが現れる。
「一体どうなっているんだ!?」
突如現れたドラゴンに驚きつつも、ローラが剣を構える。
「くそっ!これでも喰らえ!」
マリーが両手を広げてドラゴンのほうへ向けて伸ばす。
たちまち火球が生じ、撃ち放たれた。
火球はドラゴンに直撃したが、その分厚く硬い鱗は火傷一つ残すことすら許さない。
「ちぃっ!全然効いてない!」
マリーが舌打ちする。
二人を視界に捉えたドラゴンがジリジリと間合いを詰める。
「ふははははは!!こっちに構ってばっかだとあのかわい子ちゃん達が餌になっちまうぜ!!!」
レミロフの下卑た笑い声が響き渡る。
だが三郎は特段焦った様子もなく、ちらっと壁の下を見る。そして――
「そうとも限らないぞ」
軽い調子で、レミロフに言う。
突如としてローラとマリーに近づくドラゴンに向かって烈風が吹いた。それは怪物の硬い鱗に覆われた体を切り裂いて行く。
「僕の大切な部下に、手を出さないでくれるかな」
「キリアン団長!」
二人の窮地に駆けつけたのは、王立騎士団団長キリアン・ユローだった。
「グオオオオオ」
体に傷を負わされたドラゴンが、怒りの咆哮を上げる。
キリアンがそれにものともせず、剣を抜いて駆け出す。
「――剣に宿りし風の流れよ、トルミアの敵を薙ぎ払え」
魔術の詠唱。そしてキリアンが剣を大きく一閃する。
闇を切り裂く音と共に刃のような鋭い風が吹き、ドラゴンの首を切り落とした。
「さ、二人とも怪我は無いかい?」
晴天の日のそよ風のように爽やかな笑顔で、キリアンが尋ねる。
「は、はい」
惚れ惚れとした様子で、ローラが頷く。
(この人、やっぱりとんでもない魔術士だ…)
マリーは感嘆すると共に、一抹の悔しさを抱いていた。
「な、なにぃーー!!またドラゴンがぁぁ!!」
悲鳴のような叫び声をレミロフが上げた。
「お前には過信があったようだな、レミロフ」
三郎が鋭い眼光を放ちながら、ドラゴンとレミロフに一歩一歩と近づく。
その異様な殺気にあてられて、ドラゴンが後ずさる。
(こうなったら!)
ドラゴンが二体も屠られ、窮地に陥ったレミロフは瞬時に判断するや否やドラゴンの背に飛び乗った。
「空までは追ってこれないだろ!」
ドラゴンが翼をはためかせ、空へ飛び立つ。その強烈な風圧で辺りのものが破壊され、舞い散る。
「まずい!逃げられる!団長、どうしますか!?」
ローラがキリアンに問い掛ける。
「いや違う!」
キリアンがそう言い放つと同時に、空に飛んだドラゴンの口から強烈な威力の火炎が3人に向かって放射される。
「まずい…!」
とっさに魔術を使って自分達の周りに気流の壁を作るキリアン。間一髪、火炎攻撃は防ぐ事ができた。
キリアンの魔術は"風の魔術"
放出した魔力で自分の近辺の気流を操り、風を起こす。
応用すれば今のように気流の壁を作る事も可能。
「これでは反撃できない…!」
絶え間ないドラゴンの火炎攻撃に防戦一方のキリアン。
少しずつ気流の壁にヒビが入っていく。
「団長!私達を守る為に…?」
ローラの問い掛けに僅かに笑みを見せるだけのキリアン。
ドラゴンの攻撃はキリアン一人なら躱わす事ができただろう。しかし反応しきれなかったローラとマリーを守る為、
キリアンは踏み止まった。
「さあさあ!まずはトルミアの騎士を丸焦げにしてやるぜぇ!」
レミロフのその言葉に応じるように、ドラゴンの吐く炎が一層強くなる。
「もうやめだ」
三郎がため息混じりに言った。
直後、夜空に暗雲が立ちこめる。そしてその狭間には稲光が走った。
「空が急に……」
レミロフが不吉そうに曇天を仰ぐ。
――天雷――
低い声で三郎が詠唱する。
雷雲が強い光を放つと辺りに轟音を響かせながら凄まじい稲妻を落とした。
稲妻はレミロフとドラゴンに降り注ぎ、城壁の麓まで閃光を走らせた。
断末魔の声を上げる間も無く、レミロフとドラゴンは焼き焦げながら地に落ちた。
稲妻の落ちた城壁の一部は熱と衝撃で消し飛び、隙間から市街地と城を囲む環濠が見えていた。
「丸焦げになったのはお前の方だったな」
城壁の上から敵の亡骸を見下ろして、三郎が吐き捨てた。
そして、城壁から飛び降りると唖然とした様子のキリアン達のもとへ駆け寄った。
「いや〜すまんな!壁、壊してもうた」
気まずそうに顔を引き攣らせて、三郎が謝る。
「……いや大丈夫。助けてくれてありがとう」
愕然とした表情のまま、キリアンが逆に感謝を述べる。
「奴は一対一の戦いを汚した。少し頭に来てな」
三郎にとって戦いとは儚く、美しい物だった。
今まで三郎が戦って来た者の多くは、ただひたすらに強さを追い求め、戦いにおいてその名を鳴らした強者ばかりであった。
戦いの為に多くを犠牲にして鍛錬を重ね、ひたすらに技を磨いた。長く厳しい修行の日々、それに比べれば本番と言える戦いなど一瞬の出来事に過ぎない。
戦いという一瞬の為に、全てを懸けるのだ。
戦いを通じて表される彼らの生き様は、純然で儚く美しかった。
しかし、レミロフは違った。卑怯にも他者を巻き込み、美しく在るべき戦いを汚した。そもそも三郎は最初の内にレミロフの力量を見抜いており、戦うに値しないと思っていた。それを踏まえて、三郎は彼に怒りを抱いたのだ。
「故に殺した」
その言葉には冷徹な怒りが込められていた。
戦いその物に対する愉悦と執着。三戦帝と戦いたいと言う三郎の言葉を思い出しながら、ローラは彼に恐怖すら覚えた。
(やはりとんでもない力を秘めていたか……!)
一方キリアンは、自分の目に狂いがなかった事に安堵すると共に、やはりこの男を野放しにはできないと再認識した。
「あんた、一体何者なの…?」
三郎に投げられたマリーの声は僅かに震えていた。
「俺は戦うのが好きな、しがない旅人さ」
そう言って三郎は、返り血に濡れた顔に笑みを浮かべた。
そしてこの一部始終を見ていた者が他にもいた。
高く聳える監獄塔の屋根の上、闇に浮かぶ赤い眼光。
――人間の中にも我ら魔族にとって障害となり得る者がいるようだな……
男は憎しみを顕にして、顔を歪ませた。
「ルシフ様……いい暇つぶしになりましたか…?」
背後から声を掛けられる。不気味な瘴気を漂わせた何者かが佇んでいた。
「ああ分かっている、そろそろ戻らないと魔王に怪しまれるからな」
男は苛立ちを隠さず、強い口調で言葉を返す。
――俺はいずれ魔王となり、この人間界を滅ぼしてみせる
二つの黒い影は闇の中へと消え去って行った。
そして――
環濠の縁に腰をおろし、城壁がなくなった部分から三郎たちを見据える者がいた。
「ふっ、いい暇つぶしになったな……」
咥えていたタバコを指に挟み、濠に捨てる。
「さてと。酒場にでも行くかな」
その男はゆっくり腰をあげると、踵を返し街の方へ歩き出す。
――あんな芸当ができる奴が他にもいたとはね
これからアトラニアで起きるであろう何かに男は期待せずにいられなかった。
一方、三郎達のもとにシュレイツ王を始めとする城内の人々が集まり始めていた。
「何という事じゃ……」
現状の有様に、王が言葉を失う。
「王様、ごめんなさい…」
三郎が顔を引き攣らせ、気まずそうに言った。
「おぬしが…これをやったのか……」
厳しい表情のまま、三郎に早足で近寄る王。
(やっべー!めっちゃ怒られる!)
しかし、三郎に対する王の言葉は意外なものだった。
「三郎よ、トルミアの為にこの力を使って欲しい!」