第八十五話 確執⑤
ジェイドとジェフリー。二人の間に会話は無かった。
今は夜空の下で野営の火の薪が爆ぜる音のみが響いている。
オスカーの館を出た二人は、一路バレーベルクへと向かった。アルベルクとは徒歩であれば1日かかる程の距離であった。
二人は途中で乗り合いの馬車乗るなどしてバレーベルクを目指し、現在はその目と鼻の先まで辿り着いていた。
明朝には目的地には到着するであろう。
この道中、ジェイドの口から事の経緯が語られていた。
恩師マテウスの死の真相、父エドワードの暗殺計画。
ジェフリーが稲妻に打たれたかのような心境となったのは言うまでもない。
とにかく今はメリセントに会わなければならない。二人の意見は一致している。
――しかし、今の彼女が自分達の言葉を受け入れてくれるのだろうか。
そんな不安も一致していた。
互いの胸中を察してか、二人の間には重苦しい空気が漂っていた。視線を合わす事もなく、ただ夜が明けるのを待つばかりであった。
―――――――――――――――――
翌朝、レイン兄弟はバレーベルクの城に到着した。
門番は見知った顔である。小さくお辞儀をすると、特に掛け合いもなく二人を通した。
天気の良い日和である。こんな日はメリセントは中庭で外の空気を吸っているであろう事は容易に想像がついた。
二人が足早に中庭に向かうと、やはりそこにはメリセントがいた。
「ん?ジェイドにジェフリーじゃないか。どうしたの?」
二人に気付いたメリセントが振り返る。
朝日に照らされたブロンドの長い髪を靡かせ、眩しい程の笑顔を見せている。
彼女の姿を見て、ジェイドは胸が苦しくなった。
「よお、メリセント」
直視できず、思わず視線を落とした。
メリセントはジェイドの普段と明らかに違う様子にすぐに気付いた。
「二人ともバレーベルクに行ったはずでは?もう帰ってきたの?」
心配そうな顔でそう尋ねるメリセント。
ジェイドは言葉を喉に詰まらせた。しかし、言わなければならない。
「旅の疲れ?顔色が悪いわ」
「いや、違う」
意を決して、メリセントを見つめる。
それを見て、ジェフリーは何も言わず静かに兄の横に寄り添う事にした。
「メリセント、お前に言っておかなきゃならない事があるんだ」
ジェイドの声はわずかに震えている。
「なに?」
メリセントの表情が曇る。
「マテウス学長……お前のお祖父さんの事だ。学長は……殺された」
「急に何なの?」
不穏な空気を察知したメリセントが眉を顰める。
しかし、ジェイドは言わなければならなかった。
「殺したのは……メリオルド公爵夫人だ。きっとあの時、治療を口実に命を奪ったんだ」
「何を言っているの?」
メリセントの目が見開かれる。
ジェイドは一歩踏み出すと、更に言葉を続ける。
「そして、指示したのは……エルガイアの王太子バルカだ」
「嘘よ。誰がそんなことを」
メリセントが首を横に振る。
「公爵夫人本人の口から直接聞いたんだ!アルベルクの商人の館で、偶然耳に入って来た!」
ジェイドの声が上擦る。
「バルカはお前を手駒として利用するために学長を殺したんだ!これ以上……あいつの言いなりになっては駄目だ!」
「そんな事あるはずない!やめて!」
「いや違う!お前を利用しているだけだ!孤立させ、帰る場所を全部奪って、自分に縋るように仕向けたんだ!」
胸の奥に溜め込んでいた感情が堰を切ったように溢れ出す。
「やめてって言ってるでしょ!ジェイド、あなたは何も分かっていない!殿下の事を何も!」
メリセントの声が高くなる。
「いいや!分かっている!あの男はろくでもない外道だ!」
ジェイドが叫ぶ。
そして、一瞬の沈黙が訪れた。
ジェフリーは兄の横で静かに拳を握り締めた。
怒り、悲しみ、絶望。それらが混ざり合い言葉にならずに胸に沈んでいる。
「ジェイドもういいわ」
沈黙を破ったのはメリセントだった。先程と打って変わって、その声は冷たい。
「あなたは、王太子殿下が嫌いなだけでしょ」
「……っ!」
冷たい刃が胸に突き立てられたような気分だった。
ジェイドは言葉を失う。否定したくても、できなかった。
違う、とそう言いたかった。
「私は殿下を信じている」
言葉を詰まらせるジェイドに対して、メリセントはそう言い切った。
「私を必要としてくれている。私を選んでくれた人を」
ジェイドは崩れ落ちそうになるのを必死で堪えた。
「そうか……だったら、もういい」
その声はもう震えていなかった。感情が、尽きたのだ。
そして、ジェフリーが初めて口を開いた。
「ジェイド、もう行こう」
その声は驚くほどに落ち着いていた。しかし、その瞳には怒りや失望といった感情が渦巻いていた。
ジェフリーの言葉に頷いたジェイドは踵を返す。
メリセントが二人を呼び止める事は無かった。
――――――――――――――
バレーベルク城を出た二人はほど近い湖畔を歩いていた。
ジェフリーはポツリと呟く。
「メリセントは王太子を信じきっている。他を見失ってまで」
「………ああ」
ジェイドが首肯する。その声は深く沈んでいた。
「僕は……」
ジェフリーは言葉を探し、やめた。
怒りも、悲しみも、口にすれば壊れてしまいそうだった。
そして、短くこう呟いた。
「もう、戻れないね」
ジェイドは何も答えなかった。
そして、哀愁の満ちた目を城の方へと向けた。
――もう、戻れないのか
全てが変わってしまった。
一体どうしてこうなってしまったのだろう。
自分は、何を守れるのだろうか。
その答えは見つからない。
そしてジェイドは無意識のうちに、こう呟いていた。
「東へ、向かわなきゃ……」




