第八十話 出発準備
――エルガイア王国 商業都市アルベルク――
前日のどんちゃん騒ぎの余韻とも言うべきか、アルベルクの街では商会の人々が二日酔いである事を隠さずに、少々辛そうな面持ちで仕事に励む様子が見られた。
神崎三郎は時よりすれ違う顔見知りとなった商会の面々と挨拶を交わしつつ、ジャックと共にとある場所へ向かっていた。
冬の昼下がり。陽が出ていても以前より明らかに空気の冷たさが増していた。そして、檻や鎖が風に揺れて鳴る鉄の音は、一層に冷たい無機質さをかき立てていた。
三郎とジャックがやって来たのは他でもない奴隷市場である。
この市場の一角には、商品である奴隷達を監禁する牢獄がある。そんな牢獄の入り口で二人を待っていたのは、アルベルク商会の用心棒であるアマゾネス、メヌであった。
「今朝ぶりねハニー」
三郎というより、ジャックの姿を見たメヌが挑発的な視線を彼に向けて手を振る。
「ハニーってお前……」
ジャックは少々面食らった様子だ。
しかしメヌはそんな事を気にせず、ジャックの腕に絡みつき、顔を寄せる。
「人間は恋人の事をハニーって呼ぶんでしょ?」
そう言うと、ジャックの頬に口付けをする。
そんな二人のやりとりを見て、三郎は呆れた顔を見せる。
「ったく……誠に手が早い奴よのぅ、ジャック」
昨晩、宴の途中にジャックとメヌが二人で姿を消した事を三郎は知っている。
同じベッドで朝まで過ごしていたであろう事は容易に想像がつく。
「話は早い方がいいのよ」
呆れ顔の三郎にジャックが何か答える前に、メヌが悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「こいつは参ったな」
ジャックはいつもの調子が狂ってしまったようだ。懐から取り出したタバコを摘む動作がどこかぎこちない。
「もうっ!照れちゃって可愛いんだから!」
そう言ってジャックへと更に密着するメヌ。
三郎この二人に白い目を向けつつ、いい加減に本題へと入る。
「まあいいや。そんな事より、例の案内役の様子を見ておくようにオスカー殿に勧められた。俺たちと行動できない程衰弱していたら困るでな」
―――――――――――――――
昨日、アルベルクを訪れた三郎はオスカーに取り引きを持ち掛けられ、それに乗る。
内容はアレクサンダー・スレイドの暗殺。
そしてそのターゲットは現在"東域"に向かっており、三郎は彼を追跡する必要があった。
その旅路の出発準備を今朝から進めている最中なのだ。
暗殺の依頼料よろしく、少々の金はオスカーが工面してくれたので、旅に必要な食料等を買い揃えた。そしてもう一つ必要になって来るのは見知らぬ土地を歩く為の案内人だった。
「丁度昨日東域人を沢山捕らえたから、そん中から言う事聞きそうな奴を連れて行きな」
オスカーはそう言った。
東域は現在きな臭い状況にある。そんな中でアポロヌスから来た異国人が歩き回れば厄介な事になりかねない。
故に、アポロヌスから逃げ帰って来た東域人とその護衛をする傭兵という格好をとる事で、少しでも警戒されないようにする作戦を、三郎達は立てたのだ。
――――――――――――――――
半地下にある薄暗い牢獄。生気のない目をした商品達が、狭い牢の中に三、四人閉じ込められている。
ジャックと腕を組みながら歩くメヌに案内され、牢獄の一番奥にある牢の前に連れて来られた三郎。
「この者らのどちらが案内人か?」
三郎が指差す牢の中には、傷だらけでうずくまる茶髪の女と、手錠をかけられ怯えた目をして縮こまって座る黒髪の女がいた。
「そっちの倒れてる方」
メヌが答える。それに対して三郎は目を丸くする。
「えっ!?どう見ても案内できそうにないだろ!」
当然、まだ元気そうな黒髪の女が案内人だと三郎は思っていた。
「そっちの黒髪は商品としてここに閉じ込めてんの。商品は流石に持ち出し禁止よ」
茶髪の女は昨日の騒動の首魁である東域人だ。
牢の数が足りなくて仕方なく商品用の牢に閉じ込めているらしい。
「いやいや……いくら何でもこんな状態じゃ俺達の旅に連れて行ける訳ないでしょ」
ジャックが哀れそうな目を東域人に向けながら口を挟む。
そんな彼に対して、メヌは鋭い目を向ける。
「何?この女が可哀想って言いたいの?」
「え?まあそれもあるけど、それ以上に足手まといになるし…………」
「今それもあるって言った!!!!!」
メヌが急に金切り声を上げた。
そして組んでいた腕を振り解き、ジャックを突き飛ばした。
呆気に取られた様子のジャック。そんな彼の胸ぐらを掴んだメヌが更に喚き散らす。
「他の女に優しくするな!!!」
「はぁ!?な、何を急に……」
ジャックの理解が追いつく間もなく、メヌは聞き取れないつんざくような金切り声を上げ続ける。
ジャックは青ざめた顔で三郎に視線を向ける。
明らかに助けを求めている。
それに対して三郎は薄ら笑いを浮かべる。彼の頭の中には自業自得という言葉が浮かんでいた。
見境なく女を引っ掛けて来たジャックは、ついに地雷を踏んでしまったのだ。
このままジャックの青ざめた顔を眺めているのも悪くなかったが、流石にこのままだと話が進まないので、仲裁に入る事にした。
「と、とりあえず落ち着け!」
二人の間に割って入るがメヌは尚も絶叫している。
「どうするのだジャック!」
責任を取れよと言わんばかりの強い視線を送る三郎。
ジャックは面倒臭そうにため息をついた後、咳払いをして真っ直ぐにメヌを見つめる。
「落ち着いてくれハニー!」
ジャックが一喝する。
「えっ……」
するとメヌがきょとんとした顔で押し黙る。
そんな彼女に近づいたジャックは優しく肩を抱くと、真夏の陽射しのような熱い視線をメヌの瞳にぶつける。
「俺が世界で愛しているのは君だけだよハニー」
そう言ったあと、メヌの耳元に顔を寄せ低い声で囁く。
「本当に君は綺麗だ」
その一言で、猛獣のように吊り上がっていたメヌの目尻がトロンと下がり、口元が柔らかく綻ぶ。
「へっ、えへへへ………私も愛してるよハニー」
何だか下品な笑い声を発するメヌ。
どうやら嵐は過ぎ去ったようだ。
(馬鹿だろこいつら)
三郎は真冬の夜のような冷たく暗い視線を二人に向けつつ、本筋へと話を戻す。
「それでだな……案内人は怪我のない者にしてくれぬか?他の牢には商品ではない者はいないのか?」
「いないわ。昨日捕まえた奴ら皆んな体格もよくて高く売れそうな男ばっかりだから、お頭もタダでは連れて行って欲しくないみたい」
メヌがジャックに抱きついたまま答えた。
その言葉に対してジャックはニヒルな笑みを浮かべた。
「はははっ……あの狸親父め、俺らを誑かしやがったな」
―――――――――――――
オスカーは確かに奴隷市場の牢獄から東域人を見繕って連れて行っていいと言っていた。しかし、タダで良いとは一言も言っていない。
何故ならそこに囚われる東域人は商会の所有する商品だからだ。
その中で唯一商品ではないのは東域の情報を吐かせる為にメヌが拷問を加えた茶髪の女のみ。当然案内人には適さない。
そうなれば、三郎達が取るべき手段は一つ。
金を払って奴隷を購入する事である。
オスカーが何故このような罠を仕掛けたのか。
それは昨日、三郎とジャックに脅迫された際に、巻き添えを食った娼館の女たちが原因である。
オスカーが彼女たちを不憫に思い、その仕返しをしたのではない。理由は金だ。
昨日倒れた娼婦達は娼館でも指折りの稼ぎ頭だった。
彼女達はまだ体調が優れず床に伏せっており、その分娼館の稼ぎは減ってしまっている。
その分の埋め合わせは、三郎たちに奴隷を買わせる事で補填できると踏んだのである。
やられたらやり返す。オスカーの実に強かな計算であった。
――――――――――――――――
「抜け目のない強欲商人だぜ」
ジャックはそう言いつつも、少々感心していた。
「まあ、買うしかないなら仕方あるまい」
三郎はあまり理解できてないが、こうなってしまえば仕方ない事だと切り替えた。
「それでお客さん、どれを買うの?」
商売人よろしく、牢獄を見回しながらメヌが口角を上げて尋ねる。
三郎とジャックの視線は自然と、ある囚人の元に集まった。
先程から目の前の牢に入る黒髪の女である。
「他の東域人は皆丈夫そうだが、気性が荒いだろう。そいつは臆病そうだし、丁度いい」
三郎が言った。
その言葉にジャックも頷く。
「変に反抗されると面倒だしな。脅しの効きそうなのが良いだろう」
二人の言葉に満足そうな笑みを浮かべるメヌ。
「じゃあ金貨10枚頂戴いたしまーす!」
「はっ!?金貨10枚!?高っ!」
思わず叫ぶジャック。
「ええ、そうだよ。ホントは王都にある貴族御用達の娼館に高額で売る予定だったんだから、その位はするわよ」
メヌが口端を上げる。
従順な案内人に適してるのはどう考えてもこの黒髪の東域人しかいない。これもまたオスカーの策略の内なのであった。
「チッ……まんまと罠に嵌められぜ」
舌打ちするジャックを尻目に、メヌが牢の扉を開けて、黒髪の女を外に引き摺り出す。
「高いけど、中々の上玉だし高値がつくのもしょうがないわよ」
メヌが女を繋ぐ鎖を手にしながら言った。
その言葉に対して、脊髄反射的に女たらしジャックの体が動く。
「本当だ。かわいい」
女の顔を覗き込んでそう口に出した。
瞬間、再び嵐が吹き荒れる。
「おいっ!!!!!今何つったぁ!!!!!」
メヌが絶叫する。そしてジャックの胸ぐらを掴んだ。
再び青ざめるジャック。その視線は勿論三郎へと向けられる。
(こいつマジで馬鹿か)
三郎は無表情だ。ジャック・レインは救いようの無いクソ野郎であると思い知った。
「ジャックよ、支払いは頼んだ。先に帰る」
「えっ!待ってくれよ三郎!」
ジャックに助けを求められたが、三郎は踵を返して歩き出した。痴話喧嘩の仲裁は専門外なのである。
しかし、帰ろうにも帰る事ができない状況へと事態は変化していった。
「てかさぁ!そこに突っ立てるお前!よくも私の男を誑かしやがったな!」
理不尽にも、メヌの怒りが東域人の女へと飛び火した。
女はメヌの怒声にたじろぎ、メヌの眼光に恐怖した。
「ひぃっ!!」
「お前からぶっ殺す!!!」
恐怖で腰を抜かした女に対して、ジリジリと詰め寄るメヌ。
女は藁にもすがる様子で三郎達に助けを求める。
「た、助けて!」
旅の案内人の危機。助けないわけにもいかなかった。
「メヌ!落ち着け!」
とりあえず三郎が二人の間に割って入る。そして、ジャックに対して「何とかしろ」と言わんばかりに鋭い視線を送る。
ジャックは青ざめた顔のままため息をついた後、咳払いをしてそっとメヌの背後に近寄る。
「待ってくれハニー」
ジャックが背後からメヌを抱きしめ耳元で囁く。
「さっきのは……その……ちょっとした冗談なんだ。世界で一番かわいくて美しいのは君だよ」
その時、三郎が正面から見たメヌの顔は甘味な蜂蜜のようにとろけていた。
「へっ……えへへへっ……私もハニーの事世界一かっこいいと思ってるよ」
メヌが鼻に掛かった高い声で言った。
三郎は冷たい表情で閉口した。東域人の女も同じように閉口していた。
「とりあえず支払いしていい?」
ジャックがメヌに甘い声で尋ねる。
「えへへ、まいどありぃ……」
メヌが甘い声で答えた。
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色々とあったが、何とか東域の案内人を得た三郎とジャック。
まだ仕事があるというメヌと市場で別れ、金貨10枚で買った女と共に三人でオスカーの館へと帰っていた。
何とも言い表し難い空気の中、三郎が女に尋ねる。
「そなた、名は何と申す?」
怯えた様子の女が、目を伏せたまま答える。
「エリカ……」
親交はある程度深めた方がいいと思っていたジャックもエリカに対して質問をする。
「なぜこの場所に売られちまったんだ?」
エリカは口籠もりつつも、小さい声で答える。
「戦争中、敵に囲まれて降伏したら……」
そのまま奴隷商人に売られてしまった。そんな所だろう。
「ま、大人しく道案内さえしてくれれば殺したりしねぇさ」
お喋りするような気分でもないか、と彼女の雰囲気を読み取ったジャックがさっさと会話を切り上げた。
そんな彼を三郎は肘でつつく。
「……上手くいくかな?」
三郎の問いにジャックは首を傾げる。
「さぁね。でも敵国の人間に故郷の道案内なんて気が乗る訳ないだろうし、油断はできないだろうな」
ジャックは三郎に耳打ちした。
それが聞こえていたのかどうかは分からないが、エリカが口を開く。
「私は……裏切りませんよ」
「え?」
その芯のある声音に、三郎とジャックの視線がエリカの方に向かう。
そして、エリカは二人が思いもしなかった言葉を口にするのであった。
「東域の国なんて、滅んでしまえばいいんです」




