第七十七話 雑談
ロボスブルクの港地区――港湾に程近い通りにある塀に囲まれた大きな建物は、アルベルク商会に勤める者の駐屯地である。
その一室で、ライラは何気なしに昔の事を思い出していたが、部屋の扉が開く音で我に帰る。
「待たせたね、お茶を持ってきたよ」
ライラをもてなす為にヴェルンドがお茶を運んで来た。
亜人種であるエルフのヴェルンドは、アルベルク商会で長らく働いていた。
「ありがとう……いい匂いがするな」
ライラの手前に置かれた赤茶色のお茶。立ち上る湯気が、その香りを漂わせる。
「西方で採れたハーブを使って淹れたのさ。飲めばリラックスできると思うよ」
ライラの正面の席に座りながら、ヴェルンドが言った。
エルフはハーブや薬草についての知識が豊富である。故にヴェルンドはこうしたハーブティーをよく作った。
ライラはハーブティーを一口含んだ。
僅かな苦味と爽やかなハーブの香りが鼻腔に満ちた。
「……美味しい」
「そう言ってもらえて嬉しいよ」
言葉通り、ヴェルンドは嬉々とした笑みを浮かべた。
そして二人はいつものように、取り留めもない世間話を交わし始める。
「ヴェルンド、近頃商会は忙しそうだな」
ティーカップをテーブルに置くと、ライラが言った。
それに対してヴェルンドが頷く。
「ライラも知っての通り、東域に関する情報が色々飛び交っていてね……メールデン伯爵にもそれを伝えなきゃいけないし……正直俺というよりも、お頭やベルバードが大変そうだよ」
アルベルク商会は特権と引き換えにエルガイア王国の諜報機関と協力体制を築いている。そして、実際に国とやり取りをするのは、商会の長オスカーと、商会NO.2の地位に立つベルバードである。
「相変わらず叔父上に頭が上がらない様子だな」
ヴェルンドの話を聞いて、ライラが微笑した。
ライラの言う叔父上とは、メールデン宮中伯ダミアン・スレイドの事である。
ダミアンはライラの父親の弟だ。
「そりゃ"スレイド"だもの。皆んな名前を聞いただけで震え上がるさ」
ライラに対してヴェルンドが言った。
するとライラは眉を顰め、その表情が曇る。
「あ、ごめん」
ライラの様子を察して、ヴェルンドが気まずそうに謝る。
"スレイドだから特別"といったニュアンスの話は、ライラの機嫌を損ねる事を、ヴェルンドは知っていた。
ライラ自身、スレイド一族だからといって、特別扱いされる事や忖度される事を嫌っていた。
スレイド一族であるが故の葛藤があるのだ。
ライラはおよそ5年前に騎士に叙任されると、王太子の親衛隊に加わった。
バルカの期待に応えたい一心で務めに励むライラ。
そんな中で、自分の力ではどうしようもできない壁が立ちはだかる事があった。
諦めるか――しかしそれではバルカの期待を裏切る事になる。
それだけは避けたかった。
その時ライラが使ったのは"スレイド"の名だった。
一族の名前の力を借りれば、壁は容易に壊すことができた。
バルカの期待に応えられた喜びの反面、自分だけの力を証明したくて騎士になったのに、結局一族の力に頼ってしまった事に対する自己嫌悪に陥った。
そして、ライラがそれに頼らざるを得ない状況は、今日に至るまでに幾度となく訪れた。
理想と現実の矛盾は、ライラの心を歪な物に変えて行った。
「気にするなヴェルンド……」
自分に対してどこか怯えた目を向けるエルフに対して、ライラはどこか暗い表情で言った。
その口端には冷たい微笑が浮かんでいた。
「……あ、ああ!そうだ!ライラの方もやっぱり仕事が忙しいのかい?」
二人の間の空気を変えようと、ヴェルンドが話題を切り替える。
するとライラはハーブティーを一口飲んだ後、近況について語り始める。
「正直中々の忙しさだ……ここの所想定外の事が多々起きている」
「想定外?例えば?」
「一つは、メリセント・プロウスの事だ」
かつての名をメリセント・デュエルハルト――
2ヶ月前、王太子バルカは敵情視察とメリセントとの接触を図る為にグラディウスへと赴いた。
しかし、この時はメリセントをエルガイア王国に連れ帰る予定は無く、それでも彼女を連れて帰れたのは様々な要因が偶然重なった事による、まさに幸運と言えるものだった。
「あのメスガキ……じゃなくてメリセントを予定よりも大幅に早く連れ帰った事で、国内の情勢は目まぐるしくに変化した。だから私たち親衛隊の仕事もおのずと……な」
小さく溜息をつきつつ、ライラが言った。
バルカの信頼厚い王太子親衛隊の面々が、彼の謀略の為に奔走しているのは、ヴェルンドも知っていた。
「聞く所によると親衛隊の主力メンバーがアレクサンダー様に付き添って東域に向かったそうだね。本国不在メンバーの仕事の皺寄せがライラの方に来ているって感じか」
ヴェルンドの言葉に、ライラが頷く。
「ジークとアズラクだ。奴らは曲者で扱い難いが、優秀な兵士である事に違いはない」
親衛隊の長という立場であるライラにとって、二人分の人手不足はかなりの痛手だった。
「ここ最近はずっと働き詰めだった……でも、バルカ様……じゃなくて殿下が私に気を遣ってくれて、本日休暇を賜った。本当にありがたい話だよ」
王位継承権に関する騒動の事後処理に奔走していたライラだったが、昼夜を問わないその働き振りを見たバルカが、自分を心配して休暇を与えてくれたのだとライラは語る。
それが偶々今日なのであった。
「君が疲れているのを察してくれた訳だ……殿下はお優しいんだね」
ライラから話を聞いたヴェルンドが言った。
確かに今日のライラからは疲れから来る気の緩みのような物を感じる。
しかし、そんな自分自身の様子にライラは気付いていないようだった。
「バルカ様は……本当に優しい人なの……はぁ……」
ライラは愛する王太子の顔を思い浮かべて溜息をついた。
バルカの話をしていたら何だか彼に会いたくなってきていた。
惚けたように虚空を見つめるライラ。
そんな彼女に対して、ヴェルンドは目を細めつつ話を続ける。
「国王陛下が病に伏せる今、王太子殿下は継嗣として摂政を務められている。そんな殿下を支える君たち親衛隊の苦労が伝わって来るよ」
「そうだろう?私達は大変なんだ……」
ヴェルンドの追従に口を歪めたライラは、再びハーブティーを口に運んだ。
いつしかティーカップは空になっていた。
「……じゃあ私はそろそろ失礼するよ。やらなきゃならない事を思い出した」
ティーカップを置いたライラが席を立った。
「え?もう帰るのかい?まだゆっくりしてて貰って良いんだけど……」
「気遣いは無用だ。お茶、美味しかったよ。ありがとうな」
短い滞在だった。
ヴェルンドはライラに気を遣ったが、ライラは丁重に断った。
なのでヴェルンドはライラを駐屯地の門まで見送る事にした。
「で、これから何を?」
ライラの帰り際、ヴェルンドが尋ねた。
ライラは嬉々とした楽しげな表情を浮かべ、ヴェルンドに答えた。
「王城に行く。王太子殿下に報告せねばならない用事を思い出したんだ」




