第七十三話 馴れ初め
東域がきな臭い。
商人独自の情報網を持つオスカーはそんな噂を耳にしていた。
そして、それを裏付けるようにエルガイア王国の諜報機関を司るメールデン宮中伯、ダミアン・スレイドからも東域に関する情報提供が求められ、普段は滅多な事がない限り腰を上げない王国最強の騎士、アレクサンダー・スレイドがその東域に派遣された。
新たなる混乱の予兆をオスカーは嗅ぎ取っていた。
そして、それによって得られる自身にとって最良の利益とは――
「三郎さんアンタ……アレクサンダーの首を取れるか?」
アレクサンダー・スレイドの東域派遣や宮中伯に東域の情報提供を求められたのは、国家の機密でもある。
それらを部外者である三郎とジャックに漏らしたのには、オスカーなりの強かな考えがあったからだ。
自分が更なる利益を追求した商売をして行く上で、目の上のたんこぶとなっている存在を消せるチャンスかもしれない。
アレクサンダーにも並ぶかもしれない怪物に、一縷の望みを託す事にしたのだ。
「これは悪魔の取り引きみたいなもんだ。俺が東域に関する情報を漏らした事が上に伝われば、俺は消されるだろう。しかし、情報をアンタらに渡さなければ、俺は今ここで殺されていた。ならば俺に残された道は一つ――今よりも稼げる明日に、俺は賭ける」
これは商人オスカー・アルベルクの命を賭けた取り引きであった。
そんなオスカーの鋭い眼光の宿る目を真っ直ぐに見返して、三郎が口を開く。
「正直、貴殿の思惑には微塵も興味が無い。しかし、情報を教えてくれた事には感謝する。そして俺は、それを無駄にするつもりは一切無い」
三郎の猛禽類のような鋭い目には、爛々とした光が漲っていた。
オスカーはそれを見て、ニヤリと口を歪めた。
「アンタ達との出会いを祝して宴を開きたい。参加してくれるかね?」
「かたじけない……馳走になろう」
三郎とオスカーは固い握手を交わした。
―――――――――――――――――――――――
夕暮れ時――アルベルクの街の武器工房から金床を叩く音も静かになってきた。
それに対して、オスカー・アルベルクの邸宅は祭りのような喧騒に包まれていた。
貴族の城のように広大なオスカーの邸宅の一階には、客をもてなす饗宴用の広いホールがある。
そのホールにて、三郎とジャックをもてなす宴会が開かれた。
アルベルク商会の面々も多く集まり、酒や豪勢な料理が振舞われ、街の娼館から呼ばれた娼婦達が妖艶な舞いを披露した。
「さあさあ!好きなだけ飲み食いしてくれ!」
自らも酒をあおりながら、オスカーが景気の良い声を張り上げる。
「いえーい!!」
「最高だー!!」
「飲みまくるぞー!!」
人々から歓声が上がる。アルベルク商会はこういった景気の良さも売りにしていた。
宴で身も心も満たされれば、商会で働く人々の士気も上がるというものだ。
「オスカーさん、こんなにもてなして貰って良いのか?」
余りの豪勢な宴に三郎は少々戸惑っていた。
オスカーの為にアレクサンダーと戦うのでは無く、ただ利害が一致しただけなのだ。それでこの浮かれようである。
「何さ、宴は嫌いか?」
三郎の戸惑いを他所に、オスカーが上機嫌で尋ねる。
先程までのシリアスな雰囲気がまるで感じられない。
「いや……むしろ好きではあるが」
「じゃあ細かけぇこたぁ気にすんな!今を楽しもうぜ!」
オスカーはそう言うと、手に持っていたグラスのワインを一気に飲み干した。
「ああ……根っからの陽気者なのねアナタ」
三郎はオスカーの人となりが何となく分かった気がした。
しかし、こういう人間は嫌いじゃない。むしろ三郎もそっち側の人間だと言える。
そうなれば、楽しむ他ない。
「よぉし!思う存分飲み食いするぞ!」
三郎はそう言うと、目の前のテーブルに置かれた料理を貪りつつ、妖艶な舞いを踊る娼婦達に野次を飛ばす。
「おう、いいぞ!!もっと見せろー!!!」
滅茶苦茶楽しい。戦いの次くらいに楽しい。三郎はそんな事を思っていた。
楽しんでいるのは三郎だけではない、ジャックも同じだった。既に何人かの娼婦を侍らせて、上機嫌で酒をあおっていた。
「おーい、メイドさん。酒くれー」
空になったグラスを掲げて、近くにいたメイドを呼びつけるジャック。
酒宴の喧騒の中、どこか暗い雰囲気を漂わせたメイドだった。
彼女は俯き加減でジャックの方にやって来ると、トレーに載っていたグラスと、ジャックの持っていた空のグラスを取り替えた。
ジャックはそんな彼女の様子をまじまじと見つめていた。
癖のついた長い栗毛の髪に眠たげな暗い目つき。
酒池肉林の宴には見合わない哀愁を漂わせた若い女だ。
見たところ化粧もしておらず、メイド服もボロボロ。貧乏な家庭から下働きに出されたのだろう。
(地味な女……)
ジャックの好みではなかった。しかし、そんな内心をおくびにも出さずに、ニヒルな笑みを浮かべて見せた。
「ありがとう」
ジャックが礼を言うと、メイドは目も合わさずに軽く会釈してから去って行った。
「はっ……愛想わりーなぁ」
ジャックはそう吐き捨てた後、隣に侍る娼婦の腰を撫でながらグラスの酒をあおった。
人々は思い思いに宴を楽しんでいた。
そして、酒の酔いが強かに回って来た頃、折角の心地よい酔いの回りを吹き飛ばすような事態が起きる。
饗宴の喧騒の中、ホールの扉を蹴破る大きな音がした。
皆最初はその音に見向きもしなかったが、そこから入って来た女の異様な様子を見て、酒を飲む手が止まる。
「何だよ!宴をするなら私にも言ってよ!」
その女は、返り血で赤く染まっていた。右手には反りのついた片刃の剣、左手には東域人と思しき男の生首を提げていた。
「きゃあああ!」
娼婦やメイドが悲鳴を上げた。
しかし、それに一切の関心を示さず、女はオスカーの元にのしのしの近寄った。
「メヌ……どういう状況だ?」
近寄って来た女に、オスカーは呆れ顔で尋ねた。
「それはこっちのセリフだよ!宴をやるなら私にも言ってくれないと!仲間外れなんて酷いじゃない!」
血に濡れた頬をぷくっと膨らませる女――カノスバーのメヌは、オスカーに言い付けられた、東域人への拷問の途中のはずだった。
「拷問はどうした?」
オスカーがメヌに訊く。
「それがさぁ……あの女中々しぶとくてね。色々やっても全然口割らないから、腹いせに仲間の男を斬ってやったの」
メヌが生首をオスカーの眼前に掲げた。
「そうか、口割らねぇか……報告ご苦労。お前も宴に参加しろ」
生首と目を合わせたまま、オスカーが言った。
するとメヌは「やったぁ」と嬉しそうに頷くと、生首を放って酒を取りに走った。
「はぁ……おい誰か、これ片付けとけ」
オスカーは自由奔放過ぎる部下の振る舞いに溜め息を付きつつ、誰かに向かってそう命じた。
とは言え、誰も血まみれの首を触りたがらない。
皆が隣にいる者の事を肘でつついて片付けを促す中、一人のメイドが生首の前に進み出た。
先程、ジャックに酒を運んだ地味なメイドである。
「私が片付けます、旦那さま」
メイドが暗い表情でオスカーに言った。
するとオスカーは目を見開き、首を大きく横に振った。
「だ、駄目だ!お前は触れなくていい……」
前髪に隠れたメイドの目を覗くようにするオスカー。しかし、メイドは彼から目を逸らした。
そして尚も生首を手に取ろうとするメイドをオスカーは制止すると、周りを見渡しながら大声を張り上げた。
「おい誰か!片付けろっつってんだろ!」
するとようやく何人かの商会の男達が前に出て来て、そのうちの一人が首を抱えてホールを出て行った。
首のあった床の部分には血痕が残っていた。メイドはそれを暗い目でただ見つめていた。
そんな彼女にオスカーは何か言葉を掛けようとしたが、どうにも言葉が出てこない。
するとメイドは視線を落としたままオスカーに一言漏らした。
「私に……変な気を遣わないでください……」
そしてオスカーに背を向けると、自分の仕事に戻って行った。
「れ、レイラ……!」
オスカーはメイドの寂しげな背中に向かって呼び止めたが、彼女が何か答える事はなかった。
一方、神崎三郎は今あったひと騒動に目もくれず、酒を飲み、飯を貪っていた。
「うま!うま!」
特に肉料理が絶品だ。大皿に載った巨大骨付き肉を夢中で頬張った。
そして、おかわりの巨大骨付き肉に手を付けようとした時、何者かと手が重なった。
「むむっ」
「なにっ」
三郎が目を向けた先には、同じくこちらを見据える赤い顔の女がいた。メヌだ。
「レディーファーストって言葉知ってる?私に譲れ」
メヌが三郎に言い放った。
しかし三郎は引き下がらない。
「知らん!これは俺の肉だ!」
強引に肉を掴んだ。
「じゃあ今日学べ!これは私の肉だ!」
女も肉を掴んで我が物にせんと引っ張る。
綱引き状態である。
そして、二人の剛腕に引っ張られた巨大な骨付き肉はぶちぶちと音を立てて真っ二つに弾けた。
「うわっと!」
「うわわっ!」
バランスを崩した三郎とメヌが後方に仰け反る。
三郎の背中にドンッという衝撃が走った。誰かとぶつかったようだ。
「ああ、すまん!」
後ろを振り返って謝罪する三郎。そこにいたのは地味な見た目のメイドだった。
彼女の周りにはグラスの破片が散らばっていた。三郎とぶつかった時に、トレーを落としてしまったようだ。
メイドは何も言わずに床にひざまづいて、グラスの破片を拾い始めた。
しかし、手の平を切ってしまったようだ。白く細い指から血が滴っていた。
それでもメイドは何も言わずに破片を拾い続けた。
三郎はそれを見ると、着ている直垂の袖の先を引き裂き、即席の包帯を作った。
「いやぁ〜誠に申し訳ない!怪我を見せてくれ、これを巻いておこう」
三郎は半ば強引にメイドの手を取り、布切れを巻き付けて応急処置を施した。
メイドは明らかに戸惑っていたが、三郎は気にしない。
「血が止まるまでは巻いといた方がいいぞ!あと、俺のせいで散らかったんだ。俺が片付けるよ」
屈託の無い笑顔を浮かべてそう言いつつ、ゴツゴツとした手でグラスの破片を拾い始めた。
「……ありがとうございます」
視線を逸らしながら、俯き加減でメイドは礼を言った。
一方、三郎と肉を取り合ったメヌの方はと言うと――
肉が弾けた時、三郎と同じくバランスを崩して後ろに倒れそうになる。
しかし、何者かがメヌの背中を優しく支えた。
「大丈夫かい?」
メヌの顔を覗き込んでそう尋ねたのは他でもないジャック・レインだった。
「うん……大丈夫」
メヌは気まずそうに言うと、軽い身のこなしで立ち上がった。
「連れが何やら騒いでると思って来てみれば……こんな美しい人と言い争いしていたとはね」
ジャックはニヒルな笑みを浮かべて、返り血に染まったメヌの顔を見つめる。
(何だコイツ……チャラい……)
何の恥ずかしげもなく臭いセリフを吐くジャックに白い目を向けるメヌ。
しかし、ジャックは全く気にしていない。
「連れの代わりに謝るよ。良かったらこれから一緒に飲まない?」
端正な顔をメヌに寄せて口説きに掛かる。
(チャラいが……悪くないかも)
戦闘民族アマゾネスの国では、女性のみで構成された独特な社会が築かれている。
結婚も女性同士でするが、それ故に子を作る事ができない。
そこで子孫を繁栄させる為にアマゾネス達が取る手段は、他種族の男を攫って子種を絞り取るという野蛮な物だ。
しかも攫うのは屈強で戦いに強い男。故にアマゾネスは、強い男を選りすぐる独特な嗅覚が備わっていた。
(この男、強い……それに顔良いな)
ジャックの顔をまじまじと見つめるメヌ。
本来アマゾネスは男の外見は全く気にせず強さのみで良し悪しを測るが、メヌはそんな中でも異端児であった。
強さと同等に見た目の良さをしっかり気にする。
「俺の顔が気に入った?」
メヌと視線を合わせたまま尋ねるジャック。
「悪くない……悪くないね」
凛々しくも端正なメヌの顔に、意地の悪そうな笑みが浮かんだ。
――――――――――――――――――――――――
オスカー邸での酒池肉林の宴は、星の降る夜更けまで続いた。
いつしか皆泥のように眠りにつき、床に寝転がる者やテーブルの上に寝転ぶ者など、寝相は様々であった。
そんな風に人々が寝静まる中、ただ一人で片付けをしているメイドの姿があった。
癖っけのある栗毛の髪を揺らしながら、ただ黙々と片付けを進める。その表情は暗い。
「おい」
そんな彼女に対して、不意に声が掛けられた。
ビクッと体を震わせた後、声の方に振り返るメイド。彼女の視線の先にいたのは、神崎三郎だった。
三郎は今の今まで床に寝転がってスヤスヤ眠っていたのだが、片付けの音で目を覚ましたのだ。
「一人で片付けか?」
寝起きとは思えない冴え冴えとした目を向けて、三郎がメイドに尋ねた。
メイドは黙ったまま頷いた。
「手伝おうか?」
三郎が尋ねる。
彼の言葉はメイドにとって意外だったらしく、少々驚いた様子で答えに窮していたが、
「……いいえ、結構です。お客様の手を煩わせる訳にはいきません」
と、小さな声で断った。
すると三郎は、
「左様か、じゃあ見てるだけにする」
と言って、その場で胡座をかいた。
そんな三郎に対して、メイドは困惑していた。
「み、見てる?私を?」
「ああ、何となく気になるからな」
三郎に深い意図は無かった。水槽の金魚を目で追うように、ただボーッとメイドの働く姿を見ていた。
メイドは気まずい思いのまま片付けを続けた。
そんな折に、三郎がメイドに質問を投げた。
「其方、名は何という?」
メイドが困ったように眉を寄せて三郎の方を見る。
そして、少々口籠った後に自分の名前を口にする。
「……れ、レイラと言います」
メイドの名を聞いた三郎は、「……レイラか」と彼女の名前を復唱した後、自らも名を名乗った。
「俺は神崎三郎!よろしくな、レイラ!」




