第七十二話 怪物の行方
オスカー・アルベルクはアポロヌスの西方にある、交易都市国家の出身である。
両親は都市国家の郊外に住む農民だった。オスカーは商人達の贅沢な暮らしに憧れ、独学で商売について学んだ。
初めは都市の商人の使いっ走りだったが、類稀なる商才を発揮して独立を果たす。
そして、様々な道のりを経てアトラニア1の武器商人に成り上がった。
独立後オスカーはアルベルクに拠点を移し、姓をアルベルクと称した。
果てしない財力を持って権勢を振るい、その影響力はエルガイア王国の中枢にまで及んだ。
しかし、オスカーの富への欲求は尽きる事は無かった。
更なる利益を求め、アポロヌスと敵対する東域との密貿易を始めた。
最初は上手くいっていた。王国の高官へは賄賂を渡すか、弱みを握る事で、見て見ぬ振りをさせた。
しかし、この横暴がある男の目に留まった。
その男が自分の前に現れた日の事を、オスカーは生涯忘れる事は無いだろう。
苦い記憶を脳裏に浮かべながら、オスカーはあの日の事を三郎とジャックに語り始める。
「あれは事故だった……俺の部下が密貿易を隠蔽する過程で、アレクサンダーの親族に怪我を負わせた。アレクサンダーは激怒した。彼は俺たちの前に現れると、部下を金床で叩き殺した、それも何人もだ……」
アレクサンダー・スレイドは、オスカーの部下が動かなくなった後も、跡形が無くなるまで叩き続けた。
現場となった武器工房には、すり潰された人肉が散乱し、血の匂いが充満していた。
「魔術士や半神の血脈を持つ部下だっていた。しかし、あの男には全く歯が立たなかった。あの男に歯向かえば、待っているのは凄惨な死に様だ」
当時の惨憺たる光景を思い出し、オスカーが苦々しい表情を浮かべる。
この惨殺事件は、アルベルク商会の人々にトラウマを植え付けた。
しかし、アレクサンダーの恐ろしさは圧倒的な力のみではなかった。
「事件の後……アレクサンダーは俺の密貿易の罪を明るみにする事はなかった。代わりに、一族への忠誠を誓わせた」
「王国ではなく、スレイドの一族にか?」
オスカーの言葉に、ジャックが首を傾げる。
「ああそうだ。あの男は圧倒的な武力を用いて俺の首根っこを抑え付けた。今ではアレクサンダーの兄、宮中伯ダミアンが自分の仕事にこの商会を利用している」
「アレクサンダーは商会とあまり関わりが無いのか?」
「まあ……言ってしまえばそうだな。だが、ダミアンに対して俺達が何か粗相をすれば、アレクサンダーが俺達を殺しに来るのは間違いない」
アルベルク商会がスレイド一族を恐れる理由、それはアレクサンダーが自身の一族への無礼に対して、異常な程に過敏である所にあった。
それを踏まえて、ジャックは冷たい笑みを浮かべて三郎にある作戦を耳打ちする。
「スレイド一族の誰かを殺せば、アレクサンダーを戦いの場に引き摺り出せるかもな」
しかし、それを三郎は真っ向から否定した。
「それはならん!俺がやりたいのは一切の混じり気がない純然たる戦いだ!勝負に関係ない弱者を巻き込むのは気に食わん!」
三郎が強い口調で言い放った。
その言葉を受けて、ジャックは三郎に問い返す。
「じゃあ何だ?アレクサンダーの屋敷の扉をノックして、白昼堂々戦いを挑みに行くのか?」
「おう!そのつもりだ!」
ドンと胸を叩いて頷く三郎に対して、ジャックは目を細めた。
「……アレクサンダーがクレス・レイオスみたいなバトルジャンキーだとは限らないぞ」
尤もである。大概の人間は、何かの目的を果たす為に戦うのであって、戦いそのものを目的として戦う人間などそうそういる訳では無い。
そして、ジャックの言葉を裏付けるように、オスカーが言葉を付け足す。
「アレクサンダーは面倒事と目立つ事を嫌う。あの男が重い腰を上げるのは大抵自分の一族が絡んでいる時だけだ。
国王の近衛兵でありながら城に上る事はほとんど無いし、城下の屋敷もいつも留守にしている」
普通なら絶対に許されることでは無い。しかし、誰も彼を縛ることができないでいた。
国王の権威でさえも、アレクサンダー・スレイドは無視できた。それは一重に、類を見ない彼の戦闘力があるが故の事だった。
「てことは……アレクサンダーは基本的に行方知れずって事なのか?」
ジャックが怪訝な面持ちで尋ねる。
「ああ、そうだ基本的には、な……」
オスカーは含みのある言葉で返した。
三郎はジャックと顔を見合わせた後、前のめりになってオスカーに訊く。
「その言い草だと、貴殿は何か知っているように思えるが」
「……アンタらは運が良いな。偶然だが、少し前にアレクサンダーから手紙が届いた」
オスカー宛に届いたアレクサンダーの手紙。
そこにはアレクサンダーの兄ダミアンの命令に絶対に従う事を念押しする旨が書かれていた。
「何故そんな内容の手紙をわざわざ送ってきたのか、俺は不思議でならなかった。でも手紙を読み進めて行くと理解できた。アレクサンダーは暫くエルガイアを留守にするから、俺が変な気を起こさないか心配だって事がね」
「何だと!?」
三郎が驚いて席を立ち上がる。遥々エルガイアにやって来たのに、アレクサンダーはこの国にいないという。
「まあ落ち着け三郎さん。何も行方不明って訳じゃない。律儀にも行き先が書かれていた。どうにもアレクサンダーの一番上の兄からの頼みらしくてな、一族の頼みならと、そこに向かったらしい」
驚く三郎を宥めつつ、オスカーがアレクサンダーが向かった先を教える。
「アレクサンダー・スレイドは今――東域にいる」
「東域ねぇ……」
東域と聞いて、三郎はイマイチピンと来ていない様子だが、ジャックからしてみれば思い出深い土地でもある。
「でも……何故東域に?」
「国の思惑は読めないが……俺独自の情報網によると東域諸国が戦争の準備を始めてるって噂だ。それに関する任務だと思うぜ」
商人特有の耳の早さだった。
そして更に、混乱の予兆を裏付けるが如く、王国の諜報局から情報提供の依頼が来たことをオスカーは語る。
「アレクサンダーから手紙が来たすぐ次の日、王国の諜報員がここに来てな、東域方面の交易ルートで異常が無いか聞かれた」
オスカーが国家の機密とも言える情報を漏らした所で、ジャックが口を挟む。
「おいおい、ちょっと待ちな。そんな事まで喋って良いのかよ?俺達はアレクサンダーの居所しか訊いてないんだぜ」
しかし、オスカーは「今更そんな事か 」といった様子で、自身の思惑を語る。
「こいつはもう命を助けられた恩返し云々の話じゃねぇ……需要と供給が一致した取り引きの話だ」




