第六十六話 強運
グラディウスの難民キャンプ地のある丘の尾根伝いに繋がるもう一つの丘。
そこにはエルガイア王国勢が急造した野営地がある。
丘の頂上には王国勢を束ねる王太子の為の掘立て小屋があり、そこに集まった王太子と側近達が、冷え込む夜の中で暖をとっていた。
「本当に運が良かったと思うよ。難民達のキャンプの近くに野営地を作っておいたから助かったんだ」
エルガイアの王太子バルカはそう言ってケタケタと笑った。
しかし、その護衛達の表情はどんよりと曇り、疲れが見えていた。
「殿下は本当に強運に護られているようですね……」
護衛の一人、メリオルドのライラが、ため息混じりに言葉を漏らした。
詳細は分からないが――つい先程、強大な魔力の衝突が起こり、グラディウス郊外の一帯が焼き払われていた。
その一帯に野営をしていたエルガイア王国勢が無事だったのは、マテウス・デュエルハルトの結界範囲に、この野営地がたまたま含まれていたある。
「結界の中にいなければ、我々は今頃消し炭になっていたでしょうね」
冷静な口調でそう言ったのは、アズラクだった。
「冗談じゃねぇぜ……どこの誰だか知らないが、巻き添えになる方の気持ちを考えてくれってんだ」
今日あった天変地異のような出来事に辟易しながら、竜殺しのジークが項垂れた。
「クレス・レイオスにはブン殴られるし、瓦礫の下敷きになり掛けるし、捕虜には逃げられるし、ライラには嫌味を言われるし……今日は散々な日だぜ……」
思いつく限りの嫌な出来事を並べ立てるジーク。彼は疲れていると思った事を全て口から溢してしまう節がある。
「すまんなジーク。俺が油断したせいで捕虜には逃げられてしまった」
項垂れるジークの肩を叩くアズラク。捕虜を取り逃してしまった事で、アズラクとジークがライラに叱責を受けたのは言うまでも無い。
「まあ気にするな。取り逃す前に奴の目的や正体は聞き出せたんだ。それに、あの捕虜も今頃は灰となってあるだろうしな」
アズラク達のミスを、バルカは気にしていなかった。
野営地から逃げ出した捕虜の男も、魔力の衝突に巻き込まれて死んでいるだろう。
「あの捕虜を思うと、少々気の毒ですね」
アズラクが含みのある表情を見せたが、他の者たちは「こいつ、意外と慈悲深い面があるんだ」と思うばかりだった。
「にしてもよぉ……やっぱり迷惑極まり無いぜ。大方例の異国人かクレス・レイオスが絡んでるだろうがよ。あんな奴らとは一切関わりたかねぇな」
苦々しい表情でそう喚き出したのはジークだ。
彼の言葉に対して、珍しくライラが同調する。
「確かに……殿下も仰っていたが、余りにも次元が違い過ぎる力は、それが味方であろうとも破滅を呼び起こす」
そんなライラに対して、ジークはジトりと目を細めた。
「スレイド家の人間が言える事かよ……」
「何か言ったかジーク?」
ジークの小言をライラは聞き逃さなかった。眉間に皺を寄せて、ジークを睨みつける。
「いや、何でもねぇさ」
ジークは肩をすくめてライラから視線を逸らした。
少々険悪な雰囲気が漂う。そんな空気を変えようと発言したのはエルガイアの商人、ベルバードだった。
「気分転換に、私が魔術学校から借りてきた書物の話でも聞きますか?」
ベルバードが肩掛け鞄から古めかしい書物を取り出した。
「借りてきたって……混乱のどさくさに紛れて掠めてきたんだろ?」
ジークが呆れた様子で言った。
「そのー……崩れる図書館から逃げるのに必死で、書物を持ったまま出てきちゃったんですよね……」
ベルバードは気不味そうな引き攣った笑みを浮かべた。
それを見てバルカは可笑しそうに笑った。
「はははっ、致し方あるまい。折角だし、どんな書物を持って来たか教えてくれ」
「では、東域の悪魔に纏わる書物なんてどうでしょうか?」
ベルバードは気を取り直して、書物の紹介をする。
それにバルカは「面白そうだな」と頷いた。
「ではでは、東域の悪魔についてお話ししましょう。東域には昔からの伝承で……」
意を得たりと、嬉しそうな顔でベルバードが語り出した時だった――
「殿下!客人が参られています!」
野営地の入り口の衛兵が、掘立て小屋に駆け込んで来た。
「どこの誰だ?」
バルカが問う。
すると衛兵の口にした客人の名は、思い掛け無いものだった。
「デュエルハルト家の令嬢、メリセント様です!」
―――――――――――――――――――――
陽が沈み、夜の帷が降りた頃――メリセントは学友のジェイドとジェフリーと共に、エルガイアの王太子がいる野営地を訪れていた。
ある頼み事をする為だ。
秋も深まり、夜は冷え込むようになってきた。
吹きっ晒しの野営地で夜を過ごすバルカの体調を心配しつつも、メリセント自身、焦燥に駆られていた。
そして三人が野営地の衛兵に案内されてやって来たのは、丘の頂上にある掘立て小屋。
メリセントは、高貴で美麗な王太子がこんな所で一夜を過ごす事を思うと、可哀想でならなかった。
「バルカ様……お労しい限りですわ……」
メリセントが呟く。
その可憐な令嬢然とした表情や口調を目の当たりにして、ジェイドとジェフリーは目を丸くしていた。
普段のメリセントは、騎士のような厳しい言葉遣いに、クールな態度がトレードマークだ。
しかし無理もない、バルカの前ではそんなメリセントも年頃の乙女と変わらないのだ。
そして、掘立て小屋の中から王太子が現れた。親衛隊の面々と一緒だ。
「やあ、メリセント。何か用事があるのかい?」
バルカは柔和な表情でメリセントを迎えた。
少し頬を染めつつ、メリセントはここに来た用件を伝える。
「不躾ながら……殿下にお願いがありやって参りました――私の祖父を"アポロヌス一の癒し手"に助けて貰いたいのです!」
メリセントの祖父マテウスは、人々を守る為に老体を酷使して強力な結界を作り続けた。
今日一日で魔力と体力は底をつき、無理が祟ったマテウスは命が危険な状態に陥っていた。
そこでメリセントが頼みの綱としたのは、エルガイア王国の名高い癒し手の存在だった。
「アポロヌス一の癒し手……メリオルド公爵夫人の事か」
バルカは勿論知っていた。魔術、薬学、医療術などのあらゆる知識を持ち併せ、自身も大地の回復系魔術を扱う癒し手。
「荒れ果てたグラディウスでは治療もままならない……だから……だから……うぅ……」
メリセントは理論整然とバルカの事を説得するつもりだった。しかし、祖父の窮状やグラディウスの悲惨な現状を思うと、涙が止まらなくなってしまった。
そんな彼女に変わって口を開いたのはジェイドだった。
「マテウス学長の結界のお陰でアンタ達は助かった。次は、アンタ達が学長を助ける番だ」
不遜な物言い。
バルカの親衛隊の一人が、目を吊り上げてジェイドに詰め寄る。
「王太子殿下に向かって何たる口の利き方だ!」
「まあ、落ち着いてライラ。彼はアゼルニアの王子だ。立場は私とそう変わらない。それに、彼の言う事は尤もだ」
親衛隊の騎士を宥めるバルカ、次いでジェイドの事を一瞥した後、啜り泣くメリセントのそばに寄って、その華奢な肩を抱いた。
「大丈夫、私が公爵夫人に掛け合おう。マテウス殿は我々の命の恩人……必ず救ってみせよう」
メリセントの耳朶に響く、バルカの優しい声音。
「殿下……!ありがとうございます……!」
その優しさに、メリセントは涙が止まらなかった。
そして、バルカはそんな彼女に対して、優しい口調で更に続ける。
「明日の朝、マテウス殿は私達と共にエルガイアに同行してもらう。その時にはメリセントも一緒に来てくれないか?」
「私も……ですか?」
「マテウス殿も家族が近くにいた方が心が安らぐだろうし、君だってマテウス殿が心配なはずだ。それに……」
そこまで言うとバルカは一呼吸おいてから、メリセントの耳元で囁いた。
「それに私は……君と離れたく無いんだ」
その言葉は立ち眩みをしそうな程に、メリセントの脳裏に響いた。
―――――――――――――――――――――
メリセントがマテウスの治療の約束を取り付け、キャンプ地に帰った後、エルガイアの主従達は再び掘っ立て小屋の中で密談していた――
メリセントがエルガイア王国にやって来る。それも護衛としてアゼルニアの王子を連れて。
バルカにとって、出来すぎた僥倖だった。
故に、主従達の間には明るい雰囲気が漂っていた。
「殿下が令嬢の肩を抱いている時、アゼルニアの王子がどんな顔していたか知ってるか?」
ジークがニヤけ面で、アズラクを肘で突く。
「目を見開き、口を開けて、唖然としていた」
その時の王子の表情を、アズラクはそのまま説明した。
「ありゃ相当ショック受けてたぜ。ライラの見立て通り、王子は令嬢に恋しちまってるな」
ジークはそう言って、楽しそうに笑った。
一方のアズラクは、どこか浮かない顔をしていた。
「デュエルハルトの令嬢を介して、それに恋するアゼルニアの王子を操る……果たして上手く行くでしょうか……?」
そんなアズラクの言葉に対して、バルカは曇りの無い笑顔で答える。
「メリセントは私に完全に惚れ込んでいる。一方、アゼルニアの王子ジェイドはメリセントをどうにかして振り向かせたい。
見たところジェイドは単純そうだし、メリセントが望む事をこなせば、自分に気持ちが向いてくるって考えるだろうね」
自信に満ちたバルカの笑顔。
そんな彼の言葉に、ライラが更に付け加える。
「そのメリセントが望む事は、殿下が望んだ事だ。メリセントは繊細で空気が読める。殿下が匂わせればそれを鑑みて行動するだろう」
少年少女の純粋な気持ちを利用したバルカとライラの策謀。巧みな心理工作。
人間の感情は常に揺れ動き、あらゆる面で確証は持てない。それはメリセントだって同じ事だ。
しかし、バルカは彼女を繋ぎ止めておける魅力が自分にある事を、十二分に理解し、尚且つ自信を持っていた。
バルカ・アダマント程、身の程を弁えている人間はいない。
バルカ達の話に静かに耳を傾けていたベルバードは、焚き火の側にいるというのに、底冷えするような感覚に囚われていた。
(殿下には他者がどんな風に見えているんだろう)
野望へと突き進む為の道具か、家畜小屋に飼われる牛や豚か。
それはバルカにしか分からない。
―――――――――――――――――
マテウス・デュエルハルトの窮状は、グラディウスの難民達に動揺を与えた。
グラディウスの英雄は、街の人々にとっての希望の光でもある。
重苦しい空気が流れる中で、メリセントは何とかマテウスの治療先を見つけ、彼と共にグラディウスを離れる事になった。
幸い、グラディウスの衛兵隊や守衛魔術士隊は未だ健在である。難民のキャンプ地が危険に脅かされる事はないだろう。
希望や不安の募る中、メリセントは一人夜空を見上げていた。
「きっと大丈夫……」
これからの事を考えながら、メリセントは自分に言い聞かせるように呟いた。
彼女の目に映るのは、夜空に輝く星々。こんな時だと言うのに、綺麗な星を見ているとあの人の事が頭から離れなくなってしまう。
メリセントは地面に視線を落とした。
「おい、一人で何してんだよ」
そんな時、メリセントに声が掛けられた。
誰かと思って振り向くと、黒髪に翡翠色の目の少年が立っていた。
「なんだ、ジェイドか」
「なんだってなんだよ……」
メリセントの冷たい表情に、顔を顰めるジェイド。
彼はメリセントの隣に立つと、何か言いたげな様子でメリセントの方を見た。
「私に何か用?」
「いや、その……なんつーか……」
いつもの直情的なジェイドらしからない口籠もりよう。
メリセントは訝しげな視線を送った。
「用があるならはっきり言え」
そうせっつかれて、ジェイドはようやく口を開いた。
「お前、あの王太子の事どう思ってる?」
足元の雑草をつま先でにじりながら、ジェイドが尋ねる。
思いもしなかったその質問に、メリセントは驚き顔を赤くした。
「ど、どうって言われても……でも、素敵なお人だと思う……」
メリセントの言葉を聞いて、ジェイドは小さく舌打ちした。
「そうかよ……俺はあんまり生け好かない」
ジェイドは顰めっ面でそう言った。
メリセントは苛立ちを覚えた。
「お前と違って気品のあるお方だ。嫉妬する気持ちも分かる」
ジェイドに対して嫌味をぶつけるメリセント。
それにジェイドが食ってかかる。
「気品のある所に妬いてんじゃねーし!」
そう言ってから、慌てて口を閉じた。
メリセントは訝しげに首を傾げたが、口を抑える膨れっ面のジェイドを見てると、何だか可笑しくなってきた。
「はははっ!変な奴だなジェイドは」
色々な事を考えて気持ちが塞ぎ込んでいたが、親しい友達と話した事で、重い気分が多少和らいだ気がした。
「馬鹿にしやがって……」
そう言ってジェイドがメリセントを睨んだ。
悔しそうな面持ちの彼に対して、メリセントは笑顔を見せて感謝を述べる。
「ジェイド……ありがとう」
「ふんっ!感謝される覚えはない!」
プイッと顔を背けたジェイドはそう言って大股で去って行った。
その様子を呆れ笑うメリセントだったが、去り際に彼が小さく呟いた言葉を聞き取ってはいなかった。
去り際にメリセントの笑顔を見たジェイドは、ひどく赤面していた。
「ちょっと可愛いからって調子乗ってんじゃねーよ……」




