第六十一話 案ずるべきは
崩壊した都市を、夕陽が照らし始めていた。
500年の歴史を誇る自由都市は、つい今朝まで美しい石造りの街並みを悠久の時を経て現存させていた。
しかし、それも今となっては遠い昔の景色のように感じられた。
「これからどうなるんだろう……」
ジェフリー・レインは地べたに膝を抱えて座り込み、哀愁に満ちた目でグラディウスの街を眺めていた。
ジェフリーが今いるのは、グラディウス郊外にある丘陵地の一画。
ここにはグラディウスの崩壊から逃れた市民が身を寄せ合い、難民キャンプ地となっていた。
キャンプ地にはマテウス・デュエルハルトが結界を張っている。夜間に熊や狼などの獣から人々の安全を守る為だ。
ジェフリーは丘の上から、結界越しに崩壊したグラディウスを眺めていた。
父であるアゼルニア王太子、エドワードの怒りを買い、不本意ながらグラディウスの魔術学校に送られてきたジェフリーだったが、それでも兄や学友らと共に過ごした良い思い出の詰まった大切な場所である。
ジェフリーの胸中に、虚しさや悲しみが渦巻いているのは当然の事だった。
そんな思いで、小さくうずくまるジェフリーが遠い目を街に向けていた時、ドタバタと丘の斜面を駆け降りてくる足音が聞こえた。
その足音の主が誰なのか、ジェフリーには見当がついた。
「おーい!ジェフ!緊急事態だ!」
大声でジェフリーを呼ぶのは他でも無い、双子の兄のジェイドだった。
グラディウスが瓦礫の山と化している今以上に驚くべき事態など他にあるのだろうか。そんな風に思いつつ、兄の方を振り返るジェフリー。
「どうしたのジェイド?」
ジェフリーの翡翠色の目に映る兄の顔には、焦りと――怒りが滲んでいた。
「街を破壊した蛮族の男がキャンプに現れたんだ!きっと良からぬ事を考えてるに違いない!ジェフリーも俺に加勢して皆んなを守ってくれ!」
蛮族の男、闘技場で暴れ回っていた例の異国人の事だろう。
ジェフリーは空気を歪めるような強く恐ろしい佇まいの異国人の姿を脳裏に浮かべた。
「……」
恐怖で言葉が出てこなかった。
異国人の恐ろしさは形容し難い異常性、理不尽な狂気だ。
ジェフリーは本能的に恐怖を抱いていた。
しかし、そんなジェフリーの気持ちなど構わず、ジェイドは弟の腕を掴んで無理矢理立ち上がらせた。
「ほら、いくぞ!」
ジェイドは多分、ジェフリーが怖気付いている事に気付いていないのだろう。ただ真っ直ぐな正義感と情熱で動く彼は、他者も同じような正義感や情熱を持っていると信じている。
ある意味、ジェイドも理不尽さを持つ人間ではあるが、彼のそんな性格に勇気を駆り立てられるものまた事実である。
「分かった、着いていくよ」
ジェフリーは力強く頷くと、ジェイドと共に皆の元へ向かった。
―――――――――――――
人々の視線が、ジャックの隣に立つ大男に注がれていた。
人々の目に浮かぶのは、紛れも無い恐怖だった。
たった数刻の出来事。500年の歴史を、大男はたった数刻で消し飛ばした。
大男の名は神崎三郎。人々の恐れ慄く姿を気にも留めず、退屈そうに大欠伸をかいている。
しかし、ジャックは違った。
「全く……呑気な野郎だぜ」
三郎の気の抜けた姿に少々苛立ちを覚えた。
自分の方は気が気でも無いというのに。
「……やっぱり気まずいな」
ジャックの後ろで、居心地が悪そうに呟いたのはローラだった。彼女の言葉にマリーも小さく頷く。
ジャックは彼女らの方を振り向いて、顰めっ面で賛同する。
「分かるよ、その気持ち」
ローラ達は怪訝そうな顔をしていた。
ジャック達四人がやって来たのは避難したグラディウス市民のキャンプ地だった。
ローラはマテウスに難民の受け入れ先確保を約束し、その報告を主君に伝える為、これからトルミアに向かおうとしていた。
その前に一言挨拶をと、ここへ訪れていた。
キャンプ地を訪れるのはローラたっての希望だったが、三郎といるとどうしても、人々から負の感情が籠る目を向けられてしまう。
しかし、王との交渉で鍵を握るもの三郎である。
だから彼女は三郎と共にキャンプ地へ来たのだ。
そんなこんなで、成り行きで一緒にキャンプ地に来たジャックであったが、ある不安を抱えていた。
その不安とは、ジャックの正体を知る人物がこのキャンプ地にいるという事だ。
ジャック・レイン。アゼルニア王の落胤にして、"三戦帝"に数えられ、"炎の亡霊"の異名を持つ強大な魔術士。
その三戦帝ジャックは、三戦帝全員と戦いたいと渇望する神崎三郎と行動を共にしている。
これまでの三郎の戦い振りを見れば、当然身の危険は感じていた。
しかし、それでも彼と行動するのには理由があった。
ジャックは自分を含めた三戦帝を狙う三郎の隣に立ち、他に変え難いスリルを感じていた。
死と隣り合わせのスリル――人生において、それでしか得られない刺激があるのだ。
そして、刺激。それはジャックが人生を楽しむ上で不可欠な物。
三郎と行動するのはこれ以上にない遊戯だった。
だからこそ、三郎に正体がバレてはならないのだ。
そんなジャックがこの状況を不安視する理由。それはこのキャンプ地にいるマテウス・デュエルハルトはジャックの正体を知る人物であるからだ。
別にローラのキャンプ地への同行を断れば良かったかもしれない。そうすればマテウスと顔を合わせる事はなかっただろう。
しかし、それはジャックの遊び心が許さなかったのである。
ひたすらにスリルを求め生きるのがジャック・レインという男なのだ。
――そして、遂にマテウス・デュエルハルトがジャック達の元に姿を見せた。その隣には彼の孫である少女の姿もあった。
マテウスの視線はまず三郎に向けられた。それに次いでローラへと視線を向ける。
「なにか御用でしたかな?」
単刀直入にマテウスは尋ねた。
三郎を押しのけて前に進み出たローラが答える。
「我々はこれより、トルミアに向けて出発します。そのご挨拶にと伺いました」
「これはこれはご丁寧に……」
マテウスが恭しく頭を下げる。しかし、顔を上げた時その目には鋭い眼光が宿っていた。
「しかし、その者をキャンプ地に入れるのはお控え頂きたい。皆が怖がっていますので」
その者、三郎の事である。ローラとしてもそれは承知の上であった。
「配慮にかけた事はお詫びする。しかし、この男を王との交渉に利用する旨も伝えておこうと思いまして……」
ローラは礼儀として交渉の方法をマテウスに伝えておこうと考えていた。しかし、マテウスの反応は意外なものだった。
「トルミア王との交渉は全てお任せ致します。貴女に我々を思う気持ちがあるのでしたら、その男をここから連れ出して頂きたい」
これは優しさだとローラにはすぐ分かった。マテウスが一番に考えているのは、グラディウス市民の安寧である。そして、三郎と共にいる事で市民から向けられる負の感情を否応なく受けているローラへの配慮でもあった。
「……ではこれで失礼する。良い報告を期待していてください」
ローラがそう言うと、マテウスはわずかに笑みを浮かべて一礼した。ローラの考えは間違っていないようだった。
そんな様子を見ていたジャックだったが、一安心していた。マテウスは自分の事を忘れているようだからだ。
彼と最後に会ったのは11年も前の事だ。その間自分も歳をとっている。気付かないのも無理はない。
「さあ、帰るぞ」
ローラが言った。
特に問題が起きる事もなく、マテウスへの挨拶は済んだ。
(なんか一悶着あっても良かったんだが……)
この期に及んで、ジャックはつまらなそうな顔をしていた。正直な所、トラブルを期待していた。
そんな風にジャックが贅沢にも物足りなさを感じる中、4人がギャンプ地を去ろうとしていた時だった。
「おい待て!」
それは4人――いや、4人の中の一人を呼び止める声だった。
ジャック達が声の方を振り向くと、そこにいたのは黒髪と銀髪の少年がこちらを睨み立っていた。
夕陽が差し込むその目は翡翠色に輝いていた。
翡翠の目の奥から感じられるのは湧き立つ怒りと正義感。
二人の少年は周りの制止を振り切って、ジャック達の元へと進んで来た。
そして二人は破壊の元凶、神崎三郎の前に立ちはだかった。
「どうした?童ども」
相変わらず能天気な様子で三郎が尋ねる。
一方、戦意の滾る様子で黒髪の少年が強い口調で答える。
「ただで帰れると思うな……!俺はここで皆んなの仇を取る……!」




