第四十七話 禁忌たる所以
かつて栄華を極めたアポロヴィニア帝国の高度な文化を今に残す都市、グラディウス。
長きに渡ってアトラニアに君臨した帝国の文化は時代を追うごとに洗練され、技術は高い水準に達した。
その名残となる数々の建造物を、グラディウスでは見る事ができる。
中でも代表的な物と言えば、やはり円形闘技場であろう。円柱やアーチ、石細工を施した荘厳な闘技場では500年以上に渡り、天に捧げる格闘祭が催されてきた。
そして、その祭りを見守るのはグラディウス市民や、各国の貴族だけでは無い。
中央アリーナを囲む観客席の間に建てられた、闘技場全体を見下ろす巨大な石像と祭壇。
祀られているのは、"戦いと栄光の女神"パルディオン――
パルディオンの石像は高さ50mに及び、女神の威光とそれに対する人々の畏れを表しているかのようである。
そして今、戦いと栄光の女神の眼下にて、二人の神の末裔による戦いが、幕を開けようとしていた。
――円形闘技場 アリーナ――
向かい合ったその異国人は、笑顔を浮かべていた。
純真無垢な子供が友と戯れている時のような、汚れのない眩しい程の笑顔だ。
「よろしいか異国の人、格闘祭において――武器の使用、魔術の使用、そして殺し。これらは一切禁じられている」
「ああ、承知しておる」
祭りの規則を確認しに来た商人の言葉に、異国人は頷く。
しかし、その視線は一切逸れない。
猛禽類の如き双眸から放たれる鋭利な眼光は、今より戦う事となる、クレス・レイオスにのみ注がれていた。
「神崎、といったな。何がそんなに可笑しいんだ」
クレスが異国人――神崎三郎に問うた。
「楽しみで仕方ないんだ。お前と戦うのがな」
英雄を前にして尚、緊張や恐れといった感情は一切見られない三郎。
目の前の男の笑顔に、クラセナーは例えようのない不気味さを覚えていた。
「それでは、ご武運を……」
ここからさっさと離れたいという衝動。そう一言残して、対峙する両雄の元から立ち去る。
クラセナーは自身の奥底で恐怖の細波が立っているという事に、まだ気付いてはいなかった。
本当に些細な違和感。虫の知らせとも言うべきか。しかし、それを本能的に察知した恐怖であるという事を理解していないのだ。
そしてそれは、クラセナーのみでは無い。
この会場にいる者殆どが、アリーナの中央を固唾を飲んで注視していた。
「なあクレス、俺からも一つ質問だ」
三郎が笑みを浮かべたまま、クレスに訊き返す。
「何がそんなに可笑しいのだ」
雷の神の末裔にして、東域戦争の英雄――大いなる戦いの求道者は、親から玩具を与えられた子供のような純真無垢な笑顔を浮かべていた。
「やっとあんたと戦えるからだ。神崎三郎」
――そして遂に、戦いを合図する銅鑼の音が響いた。
「そうか、お互い様だな――嬉しいよ」
先に仕掛けたのは三郎だった。地面を蹴って、一直線に間合いを詰める。
余りにも単純な初動、その考え方だけ見れば先程クレスに倒されたジークと大差無い。
しかし、三郎が違ったのはその圧倒的なスピードだった。
(こいつ!速い!)
クレスの反応が一瞬遅れた。
三郎の放った剛拳が、英雄の頬を掠めた。
「ほほう、間一髪躱したな」
すぐに後ろへ下がり、距離を取ったクレス。手の甲で、その頬を拭った。
「面白い」
その顔には不敵な笑みが浮かぶ。
神崎三郎が竜殺しのジークと圧倒的に違う点、それはスピード。
ファーストコンタクトで、クレスは三郎の驚異的な身体能力を看破した。
「さあ!まだまだ行くぞ!」
再び、三郎がクレスに襲い掛かる。大きく踏み込んで一気に間合いを詰めると、猛烈な勢いでパンチを繰り出し続ける。
それに対して、クレスは防戦一方だった。
――円形闘技場 3階観覧席――
「なんて事だ、あのクレスを押しているだと……!?」
ローラは、思いもよらぬ三郎の優勢に驚きを隠せなかった。
驚異的なスピードを持って、クレスに反撃の機会を掴ませず、ひたすら攻撃を続ける三郎。
クレスは何とか、ガードやステップ、ボディーワークを駆使していなし続けているが、アリーナの壁際に近い所まで押されていた。
「もしかしてこのまま……」
ローラが息を呑む。しかし――
「このままだと、三郎は負けるな」
ローラの脳裏によぎった三郎の勝利を、真っ向から否定するその言葉。
「どういう事だ、ジャック」
「クレスは三郎の動きを観察してんだよ」
ジャックの面には、軽薄な笑みが浮かんでいた。
――円形闘技場 アリーナ――
「うおおおおお!!!」
雄叫びを上げながら、暴風雨のような連撃をクレスに浴びせる三郎。
クレスは剛拳の降る嵐の中で、静かにその眼を光らせていた。
――そろそろ慣れてきたな
荒れ狂う嵐の中一瞬見えた晴れ間を、クレスは見逃さなかった。
三郎の驚異的なスピードの打撃。しかし、大振りで粗っぽい物だ。
そして、散らしがなく、一点にクレスの顔面目掛けて打つパンチのみである。
神の血脈による、一線を画した身体能力。そして、祖国の軍隊に在籍していた時に学んだ徒手格闘術。
これらを併せ持つクレスにとって、スピードに目が慣れればカウンターを取る事など造作もなかった。
三郎の直線的な攻撃に対して僅かに頭を逸らして躱すと同時に、自らの拳を敵の顔面に叩き込んだ。
華麗なクロスカウンターだった。
それをもろに喰らった三郎は吹き飛ばされ、反対側の壁際に叩きつけられた。
アリーナの石壁が割れ、凄まじい音が響いた。
――3階観覧席――
「ははっ、完全に見切られたな」
ジャックは膝を叩いて笑っていた。彼の思った通り、クレスは嵐のような三郎の攻撃の中で、確実にカウンターを叩き込む絶妙な機会を見定めていた。
そして遂に放ったその一撃は、三郎のスピードをタイミングで上回り、見事命中した。
「一体、何が……」
「起きたって言うの……!?」
ローラとマリーは呆然としていた。クレスの放った驚異の一撃は、半身の血脈であるローラですら目に捉える事ができなかった。
「クレスのクロスカウンターさ、これを狙ってわざと三郎に攻撃させていたんだ」
呆然とする二人にジャックが教える。
「そ、そうだったのか……」
ローラが驚きの表情を浮かべたまま、ジャックの方に顔を向ける。
(この男……私でさえ捉えられなかったクレスの一撃を見切ったというのか……!?)
クレスの一撃もさる事ながら、ジャックはその一撃を看破していた。
(一体、何者なんだ)
ローラは新たに、ジャックへの疑念を抱かずにはいられなかった。
しかし、そんな彼女の内心など知る由も無いジャックは、既にアリーナへと視線を集中させていた。
――アリーナ――
「こんなもんじゃないだろう!」
アリーナを囲う石壁にめり込む三郎の耳に、重厚でよく響く声が聞こえてきた。
「無論さ」
三郎はそう呟くと立ち上がって、アリーナの土を踏みしめる。そして、ゆっくりと首を回した後、再び好敵手へと眼光を向ける。
三郎はこれまで、その圧倒的な身体能力と、神にも等しい莫大な魔力のゴリ押しで数々の戦いを勝ち抜いてきた。
そこに"技"は無く、ただ正面から"力"をぶつけるのが三郎の戦い方だった。
それで充分だったのだ――今までは。
しかし今、三郎の前に立ちはだかるのは、三郎に匹敵する身体能力を持ち、三郎を上回る戦闘技術を備えた神の末裔。
久しく忘れていた"不利"という立場。
三郎は窮地に立たされていた。
だがそれでも、神崎三郎は笑っていた。
「こうでなくてはならぬ」
クレスから一切目を逸らさずに、大股で距離を縮めて行く。
それに応えるように、クレスも三郎の元へと歩み寄る。
二人の歩くスピードは段々と早くなり、いつしか駆け出し、遂にアリーナの中央で激突した。
「うおおおお!!!」
裂帛の気合いと共に、三郎がパンチの連打を繰り出す。
この時クレスは、先程よりも三郎のスピードが上がっているのに気づいた。
「まだギアを上げるってのか!面白い!」
しかし、クレスとて同じ。先程よりも動きのキレは増し、三郎の攻撃を紙一重で躱し続ける。
「だがな!同じ事の繰り返しでは俺には勝てんぞ神崎!」
クレスが再びクロスカウンターを狙う――
ヘッドスリップで三郎のパンチを躱し、自らの一撃を三郎の顎に叩き込む――
ガツン、という確かな手応え。しかし、俄かに生じた違和感。
クレスのカウンターは確かに三郎を捉えていた。
しかし、三郎はクレスの拳を額で受け止めていたのだ。
「なにっ!」
クレスが驚いたのも束の間、その隙に三郎がクレスの鳩尾に剛拳を叩き込む――
クレスの巨体が、衝撃で吹き飛んだ。
「ぐうっ!」
クレスは何とか体勢を整えると、再び猛烈な打撃を浴びせに来た三郎の攻撃を捌く。
しかし、今の一撃のダメージは大きく、クレスのディフェンスは精彩を欠いた。
三郎が腕を大きく振りかぶり、絶大な一撃を狙う。
その瞬間クレスは目の前に、神話に登場する山の如き巨人の姿を錯覚した。
咄嗟に大きく横へ転がり、三郎の正面から逃れた。
その直後。ブンッという剛腕の振るわれる音が聞こえた。
偶然にも、三郎がパンチを打ったのは女神パルディオンの巨像の眼前だった。
女神は三郎を見下ろし、その一瞬闘技場に静寂が訪れた。
しかし、女神の石像諸共、その静寂は崩れ去る。
突如として轟音を立てながら、50mを超える巨像が砕け散ったのだ。
円形闘技場に、人々の悲鳴が響いた。
クレスは驚愕した。
無惨にも破壊された女神像の前に立つ男へと、その目を向ける。
――触れずとも、この男の打撃の衝撃が石像に伝わり、それを粉々にしたのだ
戦慄の一撃を神崎三郎は放った。
それにより尊き神の偶像は破壊され、人々は悲鳴を上げた。
そして、理解した。この異国人は危険な存在であり、恐れるべき者なのだと。
本能的に察知していた違和感を、たった今理解したのだ。
人々の悲鳴が飛び交い、混乱が生じる。石像の破片が飛び散り、観客席に被害が出ていた。
それに恐怖し、逃げて行く者もいる。
――もし、今のが自分のいる席に直撃していたら、と
一瞬にして恐怖が渦巻いた闘技場の中で、それでも三郎は笑っていた。
「はははっ!次は当てるぞ!」
クレスに向かって、拳を突き出す。
「ガキみたいな笑顔だな」
額に汗を浮かばせ、クレスが吐き捨てる。
三郎は純真無垢な子供ように、この戦いを楽しんでいる。一対一、正々堂々、真っ向からぶつかる純然たるこの戦いを。
今、三郎の目に映るのは強大な英雄の姿のみ。
まるでこの世界に自分とクレスしかいないかのように。
――戦いが始まれば、他を一切顧みる事は無い。体の奥底から放たれた愉悦に身を委ね、暴れ回る。
そしてクレスはそんな人物を三郎以外に、一人知っていた。
ある王国の軍隊をたった一人で相手取り、ひたすらに血を浴びながら敵を殲滅し、国を焦土に変えた男。
「神崎、お前は俺と同類だ」
クレスが言った。
この10年間、ひたすらに良き戦いを求め、強き者を探して旅を続けてきた。
旅の中で、自身を満たしてくれる戦士とはどんな者なのだろうかと常に考えていた。
そして今日、その答えは見つかった。
自分自身だった。自分のような純然たる求道者こそ、自分の好敵手に相応しいのだと。
「俺は、お前と戦う為にグラディウスに来たのかもしれない。今日、運命が俺に微笑んだのだ」
クレスが拳を握り、静かに身構える。足のスタンスを広くして、重心を落とす。ガードは高く、その隙間から鋭利な眼光を覗かせていた。
「それは俺も同じだ。お前と戦う為に、グラディウスへ来たのだ」
三郎が拳を握る。そして――顔の前でガードを作り、足のスタンスを広げて、やや重心を低く落とした。
これはクレスに似た構え、徒手格闘術を知る者の構えと言えた。
「猿真似はおすすめしないぜ」
クレスがそう言って鼻を鳴らす。
しかし、三郎の楽しげな表情の奥には、圧倒的な自信が潜んでいた。
「問題無いぞクレス。素手の戦は段々分かってきた故な」




