第四十六話 ここからが本番
三郎がアリーナに降り立つ少し前、円形闘技場の観客達の間には熱狂と驚嘆の渦が巻き起こっていた。
英雄クレスの魅せた電光石火の一撃は、竜殺しのジークの顎のみならず、観客の心をも撃ち抜いていた。
「流石だな、三戦帝って呼ばれるだけの事はあるぜ」
観覧席から英雄と竜殺しの戦いを見ていたジャックは、沸き立つ他の観客に比べると、至って冷静であった。
「凄い……竜殺しの嵐のような攻撃の間隙を見抜き、的確な一撃を入れたんだ……」
ローラが感嘆する。圧倒的なパワーを振り翳すジークに対して、クレスは圧倒的な戦闘技術と冷静さで凌駕した。
「一体何が起きたの……!?」
唖然とした様子なのはマリーだった。高名なトルミア騎士団の魔術士である彼女の目を待ってしても、戦いの動きを捉える事は不可能だった。
神の血を引く男達の戦いは神速の出来事、マリーと同じく多くの観客が、何が起こったのか理解していなかった。
しかし、事実として晒されたのは、竜殺しのジークが地に伏して、英雄クレス・レイオスがそれを見下ろしていたという事。
英雄譚の一節に書き加えられるであろう今日の戦いを目にした人々は、勝利した英雄の姿にただ熱狂し、彼を讃えた。
そして、他者と同じく歓喜を味わいつつも、他者とは違った思いを抱いた男がいた。
「我慢ならぬ!!」
目に焼き付いたのは三戦帝の神がかった華麗な一撃。
己の血潮が熱くたぎるを感じた神崎三郎は、着ている直垂を、おもむろに脱ぎ始めた。
「おいおい、何してんだ三郎」
ジャックが三郎を見て、驚いた顔をする。
「分かるだろ?戦って来るんじゃ」
そう言って褌一丁になった三郎。直垂の下から現れたのは、ゴツゴツとした岩肌のような屈強な肉体。
当然周りにいた観客らも動揺している様子だ。
「――っ!!急に貴様は何をしているんだ!公衆の場だぞ!」
ローラは三郎の見事な肉体に息を飲んだが、すぐに彼を嗜めた。
「ひ、品がないわよ!この野蛮人!」
マリーは裸になった三郎を直視せず、目を逸らしながら非難の声を浴びせた。
しかし、彼女らの声など一切気に留める様子もなく、三郎は昨日貰った試合用のトランクスを履いた。
「似合ってるかな?」
腕を組んで、キメ顔を作る三郎。
「まあ、中々似合ってはいるが……」
突飛な三郎の行動に戸惑いつつも、ジャックが答える。
英雄にも劣らない、勇壮で堂々たる姿である。
「似合ってる」と聞いて、満足げな笑顔を浮かべた三郎は、そのままジャックにある頼みをする。
「ジャックよ、俺の直垂と――それからこの首飾りを預かっておいてくれ、とても大切な物なんだ」
三郎が首に掛けていた首飾りを外して、ジャックに手渡す。
金属のような質感のそれは、不思議な形をしており、中央に緑がかった石のような物が組み込まれていた。
「何だこれ?」
「それは父より授かった"鍵"じゃ。失くすんじゃないぞ」
念を押すように顔を寄せて、三郎が言う。笑顔だが、重い圧力をジャックは感じた。
「まあ、預かっとくよ……てか、本当にあいつと勝負するつもりなんだな」
「無論さ!その為にここへ来たのだから!」
三郎がアリーナの方に向き直る。そこでは倒れた闘技者が担架で運ばれて行き、クレスが次なる挑戦者を求めて特別観覧席に雷声を上げていた。
「待っておけ、俺が参る」
彼の声に答えるように、三郎が呟く。目を輝かせ、口元には笑みが浮かんでいた。
「どうなっても知らないからな」
ローラが目を細める。三郎がとてつもない力を秘めている事は、ローラだって分かっている。
しかし、相手がクレス・レイオスとなれば話は別だ。
「まあ、せいぜい頑張って」
ローラと同じく、マリーも三郎に冷たい視線を送った。
「面白い試合を期待してるぜ」
一方で、ジャックは楽しげに笑っていた。
ジャックは分かっていた、この大男の持つ力を。
「では行って参る」
ジャック達に笑顔を見せると、三郎は客席から大きく跳躍して、アリーナへと降り立って行った。
彼の周りの席の人々の間に、どよめきが起きる。
「おいあんた!彼は何者なんだ?」
客の一人が、ジャックに尋ねた。
それにジャックが答える。
「神崎三郎、俺の友達さ」
――円形闘技場 特別観覧席――
そして今――アリーナに降り立った三郎を目にして、好奇の視線を送る者がいた。
「あの男、クレスに挑むつもりなのか」
無謀とも言える英雄への挑戦に、バルカは思わず笑みを浮かべた。
しかし、そんな突飛な行動をする者は、バルカは嫌いでは無い。
「何やら嬉しそうですな」
バルカに語り掛けたのは、大商人クラセナーだ。
「それはそなたも同じではないのか?戦う者が無ければこの格闘祭は成立しない」
格闘祭の裏事情を見透かすような口振のバルカに、クラセナーは一瞬眉を顰めたが、すぐに媚びた笑みを作り直した。
「仰せの通りです殿下。英雄の戦う姿を少しでも長く見る事が叶えば、天の神々も機嫌を損ねる事はありますまい」
「ふふふっ、まるでクレスの戦いを神が望んでいるような言い草だな」
もはやこうなってしまえば、クラセナーは英雄の戦いのみをこの格闘祭の頼みとしていた。
英雄への生贄が現れ、英雄が生贄を喰らい、観客が熱狂の声を上げる。それで格闘祭は成立するのだ。
「殿下のご友人でもある英雄クレスに勝てる者など、このグラディウスには間違い無くいないでしょう」
そう言って、クラセナーが僅かに頭を下げた。
それを横目で見た後、バルカは再びアリーナに立つ挑戦者へと視線を向け、微笑した。
「さて、それはどうだろうな」
――円形闘技場 2階観覧席――
「あっ!あの男って!」
宙を舞って突如としてアリーナに現れた大男。彼に見覚えがあったジェイドは、双子の弟ジェフリーの袖を引いた。
兄の指差す先にいる男の姿に、ジェフリーも見覚えがあった。
「魔術学校で父上に戦いを挑んだ人だ……!」
昨日、魔術学校での一件。異様な魔力を迸らせ、父エドワード・レインに対立した妙な格好の大男。
今は闘技者用のトランクスを履き、英雄クレス・レイオスと対峙している。
「まさかこんな所で再び目にするとは……」
思いもしない挑戦者の登場に、マテウス・デュエルハルトも目を丸くする。
魔術学校では事情聴取しようとした所、目にも留まらぬ速さで逃げられてしまった。
(わしが結界魔術を発動する間も無く逃げ仰たあのスピード……只者ではない)
大男の異常性に、マテウスは気付いていた。
さらに大男は、あのジャック・レインと行動を共にしていたのだ。
そんな謎多き男の姿に目を凝らすマテウス。
アリーナの中央に立つその堂々たる体躯は、まるで鎧のように厳しく、クレスにも引けを取らない大きさだ。
「これは……どうなる事やら」
マテウスが呟く。
何か未曾有の事態が起こりそうな、そんな予感が彼の中でしていた。
そしてそれは、マテウスだけではなかった。
「どっちが勝つだろう……?」
ジェフリーがジェイドに尋ねた。好奇と不安が混じるような胸中だった。
ジェイドはアリーナに立つ二人をただ見ていた。
対峙する二人の男の姿は、神々しさすら感じられた。
少しの間黙ったままだったジェイドが口を開き、ジェフリーの問いに答える。
「……分からない。でも、ここからが本当の格闘祭の始まりになるだろうな……何となく、そう思うんだ」




