第四十三話 思い通りにはならぬ
――円形闘技場 地下――
けたたましく鳴る銅鑼や管楽器の音は闘技場の地下まで聞こえていた。
しかし、それすらも遮るような大声を出して、子供のように駄々をこねる大男がいた。
「頼むよ!こうして大事な太刀までこの倉庫に預けたんだ!それにほら、トランクスだって持っているだろ!」
「だからといって出場者と認める訳には行きません……"神崎三郎"なんて名前、エントリー表に書いてないんですから」
地下で闘技者の管理をする衛兵は、駄々をこねる大男に対して、出場できないという道理を繰り返し説いていた。
格闘祭に出場する闘技者には幾つか義務がある。
その内に、格闘祭は武器の使用が禁じられている為、闘技場地下の倉庫に武器を預ける事――そして、エントリーの際に配られる指定のトランクスを着用して試合に出るという事項がある。
大男はどちらもクリアしている。しかし、そもそもエントリーしていないのであれば、出場などできる訳がないのだ。
「格闘祭は伝統的で格式高い重要な祭事です。きちんと手続きを踏んでないあなたが出られる訳ないでしょう!」
「ちぇっ!ケチだな!」
子供のように拗ねた面を見せる大男、神崎三郎は一縷の望みに掛けて闘技者に紛れてみたのだが、エントリー表に名前が無いのが露見して、結局出場する事は叶わなかった。
「そんな……ケチって言われても……」
「ああ!もういいよ!客席に戻る!せめて太刀を返してくれ!」
三郎が指差すのは、鍵が掛けられた、分厚く大きな倉庫の扉。その中に三郎愛用の太刀がしまわれている。
しかし、三郎の要求にまたも首を振る衛兵。
「いいえ駄目です。盗難などの危険を防止する為、格闘祭が終わって闘技者が戻るまで倉庫は開けない決まりになっています」
「ええい!もう分かった!分かったわい!」
責任感に満ちた衛兵の、規律に則った素晴らしい対応。
我が儘な大男は遂に観念し、踵を返して去って行った。
――円形闘技場 3階観客席――
アリーナの中央で、年老いた神官が何やら言上を述べている。きっと天空の神々に捧げる神聖な文言なのだろう。
しかし、きっと天へと届くのは、割れんばかりに響き渡る、熱狂に浮かされた人々の歓声の方だろう。
ジャックは頬杖をついて、大きな欠伸をかいた。
未だ闘技者たちは入場すらしていない。
こんな誰も聴いていない神官の言上など時間の無駄に違いない。
「嘆かわしい事だ……神官の神聖な言上を耳に入れず、騒ぎ声を上げるとは」
熱狂の渦の中で、信心深い女が一人いた。
ジャック達と共に観戦に来ていた、トルミアの騎士ローラだ。
「……ほんとそうですよね。馬鹿みたいに騒いじゃって
神様に失礼ですよ」
ローラの言葉に頷き眉を顰めたのは、同じくトルミア騎士のマリー・ミシュレだ。
しかし、ローラはマリーの言葉に対して意外そうな顔を見せる。
「ミシュレ、お前がそんな殊勝な考えを持っていたとは……」
「私だって伝統と誇りを重んじるトルミア騎士団の一員です!馬鹿にしないでくださいよ……」
困り顔でマリーが反論する。しかし、そこには今までローラに対して吐く言葉に含んでいた棘が無かった。
「あ、ああ……そうだったな、すまんミシュレ」
いつもと違う妙な違和感を感じて、珍しくローラがマリーに謝った。
「……ミシュレ、ですか……ローラさん、なんで私の事マリーって呼ばないんですか?」
立て続けに、思いもよらぬ質問が飛んできた。
「いや何でって、お前はマリー・ミシュレだろ?」
戸惑いながらローラが答える。マリーの様子が何かおかしい。
「違います!私はファーストネームで呼んで欲しいんです!ミシュレなら他にもいます、私の父や母、それに兄だってミシュレです!」
マリーが顔を赤くして喚く。家名で呼ばれている事が気に食わないらしい。
ローラは、基本的に部下の事を家名で呼んでいる。マリーに限った事ではない。
しかし、そんな事はマリーだって知っていた。
「これからはミシュレって呼んでも返事しませんから」
そう言ってそっぽを向いたマリー。
ローラからしてみれば訳が分からない。なぜ部下に名前の呼び方を指定されなければいけないのか。
「おい、ミシュレ。なに訳の分からん事を言ってるんだ。
昨日の神崎の儀式で頭がおかしくなってしまったのか?」
ローラは少し心配になってきた。席を立ち、そっぽを向いたマリーの顔を覗き込む。
しかし、マリーはさらに顔を背ける。
「おいミシュレ」
「………………」
「……はぁ……おい、マリー大丈夫か?」
「!!!……大丈夫です!」
マリーの空気感に飲まれたローラは、ため息混じりにそのファーストネームを呼んだ。
呼ばれたマリーは頬をポッと赤く染め、笑顔で返事を返した。
なんじゃこれ。
「そういえばジャック、神崎はどこに行ったんだ?」
何だか気まずい。
機嫌良さそうにこちらを見つめるマリーから視線を逸らしたローラが、姿の見えなくなっていた三郎の行方をジャックに尋ねた。
「んー?さあね。あいつの事だ、その内戻ってくるさ」
「そのうちって……」
昨晩は三郎達の泊まる宿の部屋を間借りして、一夜を過ごした。その流れで、今日格闘祭を一緒に観戦する事になったのだ。
三郎追跡の任務を預かる身としては、本来なら彼との接触は控えたい所だったが、その行動パターンを学べる良い機会とポジティブに捉え、行動を共にしようとした。
それに今、三郎は何かの陰謀に巻き込まれ、命を狙われている状況だ。
事の次第を確かめたいローラにとってはある意味良い機会かもしれない。
しかしその三郎は、気付けば姿をくらましていた。
今にでも追跡地図を広げて、三郎がどこにいるか確認したいローラだったが、そんな事をすればジャックに任務の事がバレてしまう。
やきもきしながら、再び席に腰を下ろすローラ。
そんな彼女に、ジャックが不思議そうな目を向ける。
「何?三郎の事がそんな気になるの?もしかしてあいつの事好き?」
そんなジャックの言葉に、ローラは苦虫を噛み潰したような顔を見せた。
「そんな訳無いでしょ…….!あんな野蛮人……ほんとそういう事言うのだけはやめて……」
露骨に出る不快感。三郎の事は相当忌々しく思っているらしい。
「なんか、ごめん」
ジャックは苦笑いを浮かべるしかなかった。
――そして、噂をすれば、である。
「おおっ!ここにおったか!」
渦巻く歓声の中でも耳が拾う、重厚な声が聞こえた。
ジャック達が目を向けると、そこには三郎の姿があった。
「よく俺達のいる場所が分かったな」
「勘が働いたのさ」
異様に鋭い三郎の勘は、人を探す時にも役に立つ。
今日のように大勢の人々が集まる時であっても例外ではない。
「ま、どーせ戻ってくると思って、席は取っておいたぜ」
ジャックは三郎がやって来る事を何となく予見していた。
自分の隣の席に置いておいた荷物をどけて、三郎に座るよう促す。
「おお、流石!気が利くの!」
そう言ってから三郎はドカッと席に腰を下ろした。
そうして隣に座った三郎にだけ聞こえる声で、ジャックが
訊く。
「なあ、お前ってローラにやたら嫌われてるみたいだけど……どうしたんだ?彼女の許嫁でも寝取ったのか?」
「馬鹿を言うな……確かにローラの想い人は男前だが、そっちの気は全く無いわい」
三郎が顔を顰める。
そんな三郎に対して、ジャックは質問を続ける。
「ローラの想い人か…そういや昨日もそんな話してたけど、あんな綺麗な女性を虜にするとは……一体どんな男なんだ?」
「気のいい男さ、親切で嫌味の無いトルミアの騎士」
キリアンの爽やかな笑顔を思い出す三郎。
アトラニアに来て初めて触れた親切はキリアンから受けた物だった。
「な!ローラ!キリアン殿はいい男だよな!」
別に意地悪するつもりは無かった。ただ共感を求めて、三郎はローラに話を振った。
しかし、ローラは茶化されたと勘違いした。
「ばばば馬鹿っ!急に何を言い出すんだ!」
顔を真っ赤にするローラ。キリアンの事となるといつもこうである。
「ははっ!よっぽど愛してんだな、キリアンって人の事」
ローラの様子を見たジャックが、口端を上げた。
「あ、あ、アイシテル……!?べ、別にそんなっ!」
さらに顔を紅潮させるローラ。
隠しているはずのキリアンへの想いが何故こうも容易く他人に漏れてしまうのか理解できていなかった。
そして更に、理解できない事がもう一つ。
「もう!さっきからうるさいわよ!」
突如、ローラ達に向かって怒鳴り声を上げたのはマリーだった。
三人がポカンとした表情を見せる。
「え?どうした?ミシュ…じゃなくてマリー」
ローラが尋ねる。
「別に……」
しかし、それに答えずマリーはアリーナへと目を向けて押し黙ってしまった。
(ほんと何なのこの子……)
さっきからマリーの感情の振り幅に若干引いてるローラ。
これ以上変な刺激しない方が良いと感じ、口を閉じた。
三郎とジャックもローラと同じく黙った。
そうして4人は、何とも言えない空気の中静かにアリーナの方に目を向け、格闘祭の始まりを待った――
――円形闘技場 特別観覧席――
装飾の施された革の椅子に腰掛け、アリーナの方へ真っ直ぐ目を向けるエルガイアの王太子、バルカ。その隣に席を設けて貰ったメリセントは彼の端正な横顔に見惚れていたが、王太子がふとこちらを向いた為、我に帰る。
「どうしたメリセント、私の顔に何か付いているか?」
キョトンとした顔で尋ねるバルカ。そんな何気ない表情一つも、愛おしく思えてしまう。
「い、いえ…何でもありません」
自分では照れているのを隠しているつもりだが、本当に隠せているのだろうか。
そんな平静を取り繕う少女の目を見つめ返すバルカ。
青みがかった彼の目は、メリセントの心の内を全て見透かしているようにも思えた。
「近くで見て気付いたが、君の目はとても美しいんだね」
そう言ってバルカが微笑んだ。
メリセントは、自分の心臓の鼓動が聞こえてきそうだった。
「で、殿下のお美しい瞳には敵いません…」
そう口にした後、この返しで合っているのかと少し不安になった。この言葉でバルカの機嫌を損ねたらどうしよう、と。
しかし、バルカは嬉しそうに笑った。
「はははっ、参ったな」
良かった、機嫌を損ねる事は無かった。
むしろ彼の笑顔が見れて幸せであると、メリセントは思った。
しかし、思わぬ人物の機嫌を損ねている事に、メリセントは気付いていなかった。
「殿下、神官による神聖な言上の最中です。私語は慎まれた方がよろしいかと」
バルカとメリセントの和やかな会話に口を挟んできたのは、バルカの護衛を務める女騎士、ライラだった。
「おいおい、殿下に失礼だろライラ」
そのライラを嗜めたのは、同じくバルカの護衛、ジークだ。
しかし、威圧感のある大男ジークにもライラは怯まなかった。
「他国の者が多くいる公の場で、殿下が神聖な伝統を軽んじる姿を見せれば、それは殿下ご自身の名誉に傷をつける事になる。真の忠臣は、然るべき時に主君を諌めるものだ!」
「うっ……」
堂々と反論をする。
その様子に気圧されたジークが口籠る。
「ライラの言う事にも一理ある。そうだな、ジーク」
そう言ってジークの肩をポンと叩いたのは、アズラクだ。
彼もまた、バルカの信頼厚い護衛の一人だ。
(ちっ、この女…単なる嫉妬で口を挟んだ癖によ……)
内心でジークは舌打ちした。
ライラはバルカとそういう関係にあり、バルカが自分以外へ甘い言葉を囁くのが許せなかったのだろう。
だが、そもそもバルカがメリセントに色目を使うという策を立てたのはライラ自身である。
それでは何とも身勝手だ。
「アバズレが……」
隣り立つアズラクにだけ聞こえる小さな声で、ジークが吐き捨てた。
アズラクはそれを聞き流し、再びジークの肩をポンと叩いた。
「まあまあ、そうカリカリするなよライラ。今回は大目に見てくれ、ほら神官の言上ももう終わるだろう?」
厳しい表情のライラに声を掛けたのはバルカだ。
白い歯を見せ、柔らかい笑みを浮かべている。
そんな笑顔を見せられたら、ライラも引き下がる他ない。
「……今後はお気を付けてくださいませ」
「ああ、忠告感謝するよ」
そんな主従の会話が行われる中、神に捧げる神官の言上は終了した。続けて、グラディウス市民を代表し、商人クラセナーが闘技者の入場を高らかに宣言する。
「さあそれでは、皆々様ご覧あれ!勇猛な闘技者達の入場です!」
先程から鳴り響いていた銅鑼のリズムや、管楽器のメロディーが変わり、より勇壮な音色を奏でる。
そして丁度、特別観覧席の真正面に見える巨大な扉が、軋む音を立てて開かれた。
扉の向こうの暗い闇の中から現れる屈強な闘技者達の列――
本来なら、それが観客の目に映るはずだった。
扉が開かれ、中から現れたのは巨大な一人の男だった。
まさに神話に描かれた神々を思わせる、隆々とした筋肉を纏い、獅子の立髪のような怒髪を靡かせ、アリーナの中央へ歩を進める。
そして、男は何かを片手に持って引き摺っている。
男がそれを引き摺って一歩、また一歩と進むたび、赤い雫がアリーナの砂に垂らされて行く。
男が引き摺る何かとは、気を失い血を流す人間だった。
それに観客が気付くのに、そう時間は掛からなかった。
歓声が、どよめきに変わる。
「これは一体どういう事だ……」
アリーナ中央にいたクラセナーもすぐに異変を察知した。
そして、動揺する彼の元に一人の衛兵が駆けてきた。
地下で闘技者の管理をしていた衛兵だ。
「く、クラセナー殿、ご報告があります…!」
衛兵の額には、その焦燥を表す汗が浮かんでいた。
「何が起こったのか言いなさい」
クラセナーは衛兵を落ち着かせるように、ゆっくりとそう尋ねたつもりだったが、少し声が上擦ってしまった。
「じ、実は先程地下で闘技者同士の諍いが起こったのです」
こちらへ向かって歩いて来る闘技者の方を肩越しに見て、衛兵が答える。
「諍いを起こしたのは……あの大男と、無残にも引き摺られているもう一人だな」
クラセナーも横目で二人の闘技者の方を見る。
すると、異様な気魄を放つ大男が、引き摺ったいた男を軽々と持ち上げ、クラセナー達の方に向かってそれを投げた。
「なっ何をする!」
二人は後退りしてそれを避けると、足元に転がった男の顔を覗いた。
「この闘技者は確か…岩砕きのアミール……!」
無惨に横たわる男は、名の知れた傭兵だった。
「そいつは控えの間で喧嘩を売ってきてな。失せろと言ってと失せなかった。だから一発ガツンと、な」
唖然とする二人に聞こえた低く、太い声。
察しは付いていたが、今目の前に立つ大男の仕業だった。
彼はどこか冷めた目をして、クラセナーと衛兵を見下ろしていた。
「そ、それで他の闘技者は?」
クラセナーが衛兵に尋ねる。
蛇に睨まれた蛙のように身を固めた衛兵がそれに答える。
「こ、この闘技者を恐れて…皆、棄権しました……」




