第四十一話 不貞腐れんなって!
――グラディウス 小路の宿屋――
夜も更けた頃、宿のベッドに寝転がったジャックは、天井のシミでも数えながら眠りにつこうかなどと他愛も無い事を考えていた。
部屋の反対側に備えてあるベッドでは、旅の友人、神崎三郎が浮かない顔で寝転び、天井を見つめていた。
そんな彼を横目に見ながら、ジャックが語り掛ける。
「明日は朝から格闘祭だぜ?眠らねーのか?」
「はっ、俺は出場せぬがな」
吐き捨てるように三郎が言った。
意外にもこの男は、格闘祭にエントリーができなかった事を今になって思い返し、悔やんでいるようだった。
「ふっ、意外と気にしいな奴だな」
そんな三郎をジャックは鼻で笑った。
それが気に障ったのか、三郎はベッドから身を起こすとジャックを睨みつけた。
「俺は三戦帝と戦う為にわざわざこの地へ足を運んだのだ!それが叶わなかった口惜しさをお前は理解できんのか!」
三郎の大声は隣の部屋まで響いている事だろう。
ジャックはそれに顔を顰めた。
「うるさい奴だ……今になって悔やんでも仕方ないだろ。これはきっと運命ってやつだ、今回は諦めろ」
「いいや、運命とは己が手で切り開くものだ」
三郎はジャックの諫言に首を振ると、巨体を揺らして立ち上がり、おもむろに部屋の窓際に近寄って勢いよく窓を開けた。
「クレス・レイオス!俺と戦ってくれー!!」
雷のような声で三郎が叫んだ。
それに驚きつつも、ジャックが窓から顔を出した三郎を部屋の中に引っ張り込み、すぐさま窓を閉めた。
「お前気が狂ったのか!?」
「ふんっ、よく言われるわい」
動揺して詰め寄るジャックに対してそっぽを向く三郎。
それを見て、三郎が癇癪を起こすガキのようにジャックは思えてきた。
「まあ、大声を出したら多少気が晴れた。もう寝る!」
ジャックが呆れる中、三郎はそう言うと再びベッドに勢いよく寝転がった。
しかし、木製のベッドは使い古され脆くなっていた。三郎の巨体によるダイブに耐えきれず、音を立てて壊れてしまった。
木っ端に埋もれ呆然と天井を見つめる三郎。
それを見て、ジャックは思わず大笑いした。
しばし呆然としていた三郎も、つられるようにして笑い声を上げた。
そんな愉快な二人組の部屋の扉を叩く音がした。
騒ぐから遂に苦情が入ってしまったかと、笑いを堪えながらジャックがノックに応じて扉を開ける。
しかし、そこにいたのは思いもよらない人物達だった。
「すまんが、部屋を間借りさせてくれ」
どこか気不味そうな面持ちで立っていたのは、ローラ・アンジュだった。
そして彼女に肩を借りる形で支えられているのはマリー・ミシュレ。衣服はボロボロで、体のあちこちに生傷が見られる。
「一旦休ませてくれない?」
疲れ切った顔のマリーがそう言うと、有無を言わさずローラが部屋へと押し入って来た。
そして、ジャックが使っていたベッドにマリーを座らせた。
「おいおい、一体どういう事なんだ」
美しいレディの来訪はこの上なく嬉しい事だが、状況が状況である。ジャックは軽く戸惑っていた。
それは三郎も同じだった。壊れたベッドから脱出すると、戸惑いを隠さずにローラ達に問い掛ける。
「何があったのだ、その負傷…それに何故ここに我らがいると分かった?」
「ミシュレの傷は無頼の徒に襲われたせいだ。宿の場所は夕方貴様らと会った時に覚えていて、たった今近くを通った時、貴様の顔が窓から見えた。それで部屋も分かった」
ローラが淀みなく答えた。
「しかし、トルミアの騎士にこれ程の傷を負わせるとは……よっぽどの手練れに違いないな」
ジャックが痛手を負ったマリーをまじまじと見つめて言った。マリーはその視線を受けて、少し頬を赤らめた。
「手練か……戦いて〜」
戦闘欲求が高まっていた三郎は、手練れと聞いて虚空を見つめたまま呟いた。
「いや、ミシュレを襲った者は既に私が始末した。そんな事より回復用のポーションを持っていないか?旅人なら備えているはずだろう?」
呆けた面の三郎は無視して、ローラはジャックに尋ねた。
「ポーションねぇ……俺は怪我しないから普段持ち歩かねーんだよな」
ジャックが肩をすくめる。
何とも命知らずな男である。ローラは呆れ顔で溜め息をついた。
そんな彼女にジャックが聞き返す。
「てか、君達は持ってないの?ポーション」
「持っていたが、荷物を置いていた宿が火事で焼けた。私たちの荷物も身に付けていた物を除いて今頃は灰になってるだろうな」
ローラが頭に手を当てて答えた。
こんな夜更けに店を開けている薬師や癒し手はいない。しかし、マリーの手当てを諦める訳にもいかない。傷が悪化してしまう恐れがあるのだ。
そんな頭を抱えるローラに対して、マリーが声を掛ける。
「ローラさん、私大丈夫ですよ……多分」
ローラを気遣い、ぎこちなく笑って見せた。
しかしそれでも、ローラは上官として彼女を放って置く訳には行かない。
「何かできることはないか」
そう呟きながら思案していた時だった。
「俺なら傷を治せるやもしれん」
唐突に口を開いたのは三郎だった。
そんな彼に、訝しげな視線をローラは送った。
「貴様は大地の魔術士ではないだろう。雷で傷を癒すなど聞いた事がないぞ」
尤もである。三郎は雷の魔術士、回復魔術など持ち合わせているはずがない。
しかし、三郎の考えは違った。
「魔術を使うのでは無い。陰陽道の呪術を使うのだ」
「おんみょーどー?じゅじゅつ?」
ローラが首を傾げる。それはジャックもマリーも同じだっ
た。三人が知らぬもの当然、日ノ本にのみ伝わる術を三郎は使おうとしていた。
「俺も専門ではないが、友人の陰陽師から聞き齧った呪術がある。それを使えば、その程度の傷はすぐに癒えようぞ」
そう言うなり、三郎がおもむろに傍らの剣を手に取った。
そしてそれを抜き放つと、壊れたベッドの木片を何やら形作るように削り出した。
「お、おい。何をしているんだ……?」
「うるさい」
ローラの問い掛けを撥ね付けるように遮った三郎だったが、ハッとした様子でローラの方へ向き、自身の行動の説明を始める。
「今作っているのは人形だ。これをミシュレに見立てる。そして――」
その言葉に続けて、剣を床に突き立てた。そしてそのまま剣を引きずって、床に傷を付けて行く。
「ちょっと、そこどいて」
前に立っているローラに手を振り、どくように言った。
ローラが顰めっ面で彼の行手を空ける。
すると引き続き、ギリギリという音を立てて剣を引く三郎。どうやら床に何か大きな模様を描いているようだった。
「これは何をしてんだ?三郎」
不可解な彼の行動に、目を丸くするジャック。
「六芒星を描いている」
アトラニア人には聞き慣れない言葉だった。
三郎は切先を凝視しながら、床いっぱいにその六芒星を描き終えた。
「えーと……確か他に必要なのは……」
剣を杖のように立てて、顎に手を当てる。
「……先に呪文だったかな?いや方角を定めてから――」
ぶつぶつと独り言を呟き出した。何か考え込んでいるらしい。
それを見ていたマリーが、近くに立っていたローラの袖を引いた。
「ローラさん……これ任せていいんですかね?」
ローラが振り向くと、明らかに不信そうな目を三郎に向けたマリーがいた。
ローラも三郎がうろ覚えの術を試そうとしているのではないかと、不安に思えてならなかった。
「おい神崎!本当に大丈夫――」
「あっ!思い出した!」
ローラが問いただそうとした時、三郎の頭に閃きが走った。
「北ってどっちかな?」
三郎が訊く。
「俺から見てお前のいる方向だ」
それにジャックが答えた。
すると三郎は「ありがとう」と礼を言って、先程拵えた雑な人形の頭部を北側に向けて、六芒星の中心においた。
その後、剣を手にしたままマリーの元へと床を踏み鳴らして近寄った。
「な、何よ……」
抜き身の剣を手にした巨大な偉丈夫を前にすれば、誰しも気圧されるだろう。マリーは不安げに、三郎の顔を見上げた。
その偉丈夫の顔には屈託の無い笑みが浮かんでいた。
「御免」
その一言と共に、三郎は剣を振り上げた。
尤も、その太刀筋はマリーやローラの目には映らなかった。
気づいた時には、三郎は剣をさやに納めていた。
そして三郎は身を屈めると、マリーの傍らに落ちる何かをつまみ上げた。
「それ何?」
「これはお前の髪の毛」
三郎は剣を使ってマリーの髪を僅かに切り取っていた。
彼の言葉に驚いたマリーが、自慢の金髪に手を当てる。
「案ずるな、髪型が崩れる程切ってはおらぬ」
「それ本当でしょうね!ローラさん変になってませんか?」
確かに、マリーの頭を見ても違和感は無い。
しかし、そういう問題なのだろうかとローラは首を傾げた。
「まあ、そんなに違和感は無いけど……」
ローラがそう伝える。
するとマリーはぶつぶつ小言を並べつつも、多少は安心した様子だった。
「で、その髪をどうするんだ?」
そして気になるのはマリーの髪の使い道である。ジャックは興味深そうに三郎に尋ねた。
すると三郎は得意げな顔をしてジャックを見ながら、髪の毛を人形の上に添えた。
「これで、呪術の媒介が完成した」
三郎曰く、人の形を模した物に術をかける者の体の一部を添える事で、呪術は成り立つらしい。
「そんな事するなら、人形なんて使わず最初から本人に術を掛ければいいんじゃねーのか?」
「いや、確かにそう思うのだが……俺も理屈はよう分かっとらん」
「お前それ……本当に大丈夫かよ……」
三郎のやっている儀式がどうも胡散臭く思えてならない。
ジャック、ローラ、マリーの三人はこの時点で三郎は当てにならないと察していた。
しかし、そんな彼らの冷たい視線などつゆ知らず。
三郎は人形の横に立って、それを見下ろした。
「さあ、仕上げと参ろう!」
威勢よく宣言すると、両手を組んで中指と人差し指をピンと立てた。
「臨・兵・闘・者・皆……皆、の後は…えっーと……そうだ……陣・烈・在……ざい……えっと……前!」
「あんた本当に大丈夫なのそれ!?」
あまりにも稚拙な術の詠唱に、それを掛けられるマリーが不安と怒りの混じった大声を飛ばした。
そして、自分の身に何が起きるのか戦々恐々としていたが、しばらく待っても何も起こらない。
部屋の中に静寂が訪れた。
皆の脳裏に"失敗"の二文字がよぎる。
――しかし、それを認めたく無い男が静寂を破る。
「キエエエエエイ!!!」
三郎が鶏のような奇声を上げる!
振り上げた手には青白く光る電撃――それを足元の人形にドンッと叩きつけた!
電撃を浴びた人形が強い光を放つ!それに応じて床に描いた六芒星も青い光を帯びる!
だが、それだけではない――
「きゃあああっ!!!」
術の媒介の影響を受け、マリーも同じく光に包まれていた!
あまり心地良いものではないらしく、悲鳴が部屋中に響いた――
「ミシュレー!!!」
マリーが雷に焼かれたと思い込んだローラがその名前を絶叫する!
「おいおい!どうなってんだこれ!!」
動揺、好奇、愉快!様々な感情が入り混じるジャック!
「おらぁぁぁ!見たか!どんなもんじゃーい!!!」
変なテンションで叫ぶ三郎!
阿鼻叫喚の様相を呈する部屋だったが、やがて三郎が生み出した光が徐々に弱まって行った――
儀式は終わった。
狂気に包まれていた部屋には、秋の夜に相応しい平静がようやく訪れた。
「一時はどうなる事かと思ったよ……」
床に胡座をかくローラの顔には、安堵と疲れが見えていた。
「……ありがとう、助かったわ。本当に治るなんて思ってなかった」
未だ信じられないといった様子のマリーが、毛布に包まりながら小さな声で言った。
「はははっ!治って良かったな!」
先程よりも明らかに顔色が良くなったマリーを見て、三郎が嬉しそうに笑った。
三郎が行使した呪術は、本来の手順や内容とは掛け離れていたが、奇跡的に成功の因果が成立し、マリーの傷を癒し、体力を回復させていた。
「それにしても、陰陽道ってやつは面白いもんだな」
ジャックは相変わらず三郎の使った妙な術に興味を持っていた。
しかしそれは正確に言うと陰陽道の呪術では無い。三郎うろ覚えの紛い物だ。
それでも三郎は、一流の使い手であるかのように胸を張っていた。
「まあ、傷病の治癒など陰陽道の一部に過ぎん。他にも様々な事象に効果のある呪術があるのさ」
「例えばどんな?」
「うーん…例えばかぁ」
ジャックから好奇の目を向けられた三郎は、先程使用して黒焦げになった人形を手に取った。
しばし人形を見つめていたが、呪術を使う宮廷の雑事の一つを思い出す。
「恋愛成就とかかな!公家の娘が陰陽師に頼む事もしばしばあるそうな」
恋愛の一言に反応したのはローラだった。
伏せていた顔を上げて、三郎の方に目を向けた。
それに気付いた三郎と視線がぶつかった。
「ふっ……お前にピッタリやもしれぬな」
ローラに想い人がいる事を三郎は知っている。
敬愛する騎士団長の顔を頭に浮かべたローラは、ポッと頬を赤く染めた。
「ななな何を言って……!」
動揺するローラを尻目に、三郎は再び剣を抜くと手近にあった木片を手に取って人形を削り始める。
「このように、人形を二つ用意する」
「べ、別に教えてくれなどと頼んでいない!」
俄かに説明を始めた三郎に対して、本心とは裏腹な言葉を吐くローラ。
それを受けて、三郎が押し黙る。
ローラが口を尖らせて目を逸らす。そうして束の間黙っていたが――
「つ、続きは……どうするんだ……」
と、尋ねた。
三郎が口端を上げる。
「知らね。この呪術については詳しく教えて貰ってない」
興味がない術の使い方など、三郎がわざわざ聞いているはず無かった。
「貴様!期待させるんじゃない!!」
ローラが顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「おーおー、怖い顔するなよ。キリアン殿に嫌われるぞ」
「だ、黙れ!!」
三郎が茶化して、ローラがキレる。
そんな様子を見ていたジャックだが、詳しい事情を知らないので、ポカンとした顔をしている。
「なあマリー、これはどういう事なんだ?」
不毛な言い争いをする二人に顔を向けたまま、事情を知ってそうなマリーに尋ねる。
しかし、返答はない。
ジャックが気になって、マリーの方を振り向く。
「………」
そこには不機嫌そうに眉を顰めるマリーの姿が。
「どうかした?」
「別に……」
怪訝な顔のジャックに無愛想に答えると、毛布を被ってベッドに横たわった。
(何で不貞腐れてんだ?)
ジャックは不思議に思いつつも、面倒臭そうなので放っておく事にした。
そして、今だに言い争う三郎とローラの方へ声を掛ける。
「おい二人とも、傷ついた姫様がお眠り遊ばされる。
俺らも静かにして、もう休もうぜ」




