第四十話 我が子を思って
――グラディウス 大商人クラセナーの館――
饗宴の場からクラセナーの館へ帰ったエドワードは、憤りを抱えたまま、館の地下牢へと足を運んだ。
傍から見ても機嫌が悪い事は容易に察せられる。彼の側を歩くカイル・グレッグは、先程捕らえたならず者を拷問して憂さ晴らしでもするのかと邪推した。
石壁に囲まれる冷たい小路を進んだ先に、牢の中鎖に繋がれたならず者の姿があった。
エドワードが牢の前に立つと、ならず者がそれに気付き、未だ生気に満ちるその目を向けた。
「魔術が使えねぇ…手錠はドルライの錠石か?」
ふてぶてしい笑みを浮かべて、ならず者がエドワードに問い掛ける。
それに対してエドワードは答える事はなく、代わりにカイルがその務めを果たす。
手に持っていた弩をならず者へ向けると、躊躇いなく引き金を引いた。
放たれた矢は鉄柵の隙間を抜けて、ならず者の体に突き刺さった。
「ぐおおおっ……!!」
目を見開き、苦痛の声を上げるならず者。
その様子に、カイルは僅かに口元を歪ませた。
「殿下に対して無礼な口の聞き方は許されん、ならず者め」
そう言いながら、弩に矢を装填する。
「ならず者じゃねぇ……アーリって立派な名があるんだよ……」
苦しそうに息を切らすならず者が、その名を名乗った。
「そうだったか、飼い犬に名を与えるのは当然と言えば当然か。では、貴様の飼い主は誰なんだ?」
アーリを小馬鹿にして、カイルが尋問を始める。
「へへっ……俺は俺の意思で、俺の為に動いているだけだ」
矢が体に刺さっていようとも、アーリは強気な態度を崩さない。
そんな彼に向かって、カイルは再び弩を向けた。
「誰の指示で動いている?」
「俺は、俺の意思で――」
アーリが言い終わらぬ内に、カイルは引き金を引いた。
空を切る音と共に、矢がアーリの体目掛けて飛んで行く。
「ぐぎゃあああっ!!」
獣の悲鳴が地下牢に響いた。
その様子を、エドワードは冷たい目で静かに見据えていた。
「意外と口を割りませんね」
黙ったままのエドワードに、媚びるような目を向けるカイル。しかし、エドワードは囚人を見据えたまま、呟くように言った。
「時間の無駄だ、殺す」
カイルの背に寒気が走る。
エドワードの目は冷酷な殺意に満ちていた。
(はははっ俺はこんな所で死ぬのか)
弩の矢よりも、深々と身を抉るように突き刺す冷たい殺意を受けて、アーリは死を覚悟した。
そして、エドワードがアーリに向け手を翳した時だった――
「殿下!本国より火急の知らせです!」
地下牢の階段を駆け降りてくる兵士。
エドワードは魔力を練るのを止めて、兵士が手にしていた書状を受け取った。
「何があったので?」
只事では無い様子に、カイルが怪訝な顔を見せる。
そして、書状を読むエドワードの表情に、焦燥の色が浮かぶのに時間は掛からなかった。
「アリスが病で倒れた…!」
エドワードが口走る。
「姫様がですか!?」
カイルが驚愕する。そして、エドワードに渡された書状へと目を通した。
「どう致しますか殿下?」
「決まっている、アゼルニアへ帰るぞ」
冷酷無比な王太子が唯一甘さを見せるのは、妾に産ませた娘、アリスへのみだった。
美しい銀髪に翡翠の目、そして――神の血脈をアリスは受け継いでいた。
「ヴィオラにも伝えろ」
知らせに来た兵士に、伝言を任せるエドワード。
兵士は敬礼すると、すぐさま駆け出した。
「いや待て!」
しかし、何か思いついたようにエドワードは兵士を呼び止めた。
驚いた様子で兵士が振り返る。
「ヴィオラには理由は伝えるな。ただアゼルニアに帰るとだけ伝えよ」
エドワードは命令を訂正した。
しかし、兵士は少し困惑した顔でいた。
そんな彼に代わって、カイルがエドワードに尋ねる。
「奥方に理由を聞かれたら?」
「……貴様が適当に考えて答えろ」
エドワードが冷たい声で言った。
兵士は額に脂汗を滲ませつつ再び敬礼し、地上への階段を駆け上がって行った。
そしてエドワードも支度の為、囚人を放ったままその場から去ろうとする。
「殿下、こいつはどうしますか?」
気が動転しているのか、仕置きをしないエドワードに対して、カイルが言葉を投げる。
「クラセナーに任せよ」
階段を登りながら、大声でエドワードが答える。
「承知しました!」
負けじとカイルが声を張り上げる。
それと同時に、呻き声を漏らすアーリの方へと冷酷な視線を向けた。
「ま、お前はとりあえず眠っときな」
こちらを睨むアーリに対して、矢を装填した弩を向けると、引き金を引いた。
ドスッという、矢の刺さる音が静かな地下牢に響いた。
アーリは声を上げる事もなく、そのショックで気絶してしまった。
その様を見届けたカイルは、「ふぅ」と一息つくと弩を放り投げた。
「さて、俺も支度に掛かるかね」
一方、ヴィオラの元にはエドワードの命を受けた兵士が本国に帰還する旨を伝えに来ていた。
彼女は侍女を連れ、館にあるベランダで秋の夜空をゆったりと眺めていたが、唐突な知らせにそんな余裕も無くなった。
「明日の格闘祭を見届けずに帰るのですか?」
「は、はい……なるべく早くアゼルニアへ戻るとの仰せです」
「それは何故ですか?」
ヴィオラが怪訝な顔を見せる。
兵士は動揺しながらも、務めを果たすべくその口を動かす。
「お、お加減が優れぬようでして……」
「殿下がですか?」
「そ、そうでございます」
肌寒い秋の夜だというのに、額に汗を浮かべる兵士。
ヴィオラは思う所あったが、エドワードから難題でも突きつけられたであろう兵士を不憫に感じた。
「……分かりました。どうせ私は殿下に付き従う他ありません。支度します」
そう言って、侍女に目配せする。
侍女は一礼すると、ヴィオラの居室へと向かって行った。
「あなたもご苦労様。殿下に伝えてきて」
そして、ヴィオラは兵士を一言労い、下がらせた。
兵士は含みのある表情で敬礼して立ち去った。
彼が去ったのを見ると、「はぁ」と溜め息をついた。
少し疲れた。
王太子の妃としての務めを果たそうとすれば、エドワードに振り回されてばかりだ。
そればかりか、夫はヴィオラの息子達を疎んじて、愛を一片も向ける事は無い。
ヴィオラは秋の夜空を見上げて、グラディウスに残る愛息子達の顔を思い浮かべた。
(このままでいいのかしら……)
子供の事を思う程にそんな疑念が頭をよぎる。
しかしそれでも、アゼルニアの王子たる息子達の将来の為、自分が負ける訳には行かなかった。
ひしと拳を握ったヴィオラの髪を、優しい秋風が靡かせる。
「いつかきっと、風向きは良くなるわ……」




