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雷鳴の武神  作者: ジュリ
第一部 巡り帰りしもの
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第三十八話 狩人と獲物

 神代において、天空の神々と争った地上の神々を由来とする変身魔術「バーサーク」は、術者を獰猛な獣の姿へと変え、無慈悲な狩人の力をその身に宿すもの。変身可能な生物は、通常一種のみである。

しかし、そんな中でも異能を持った術者がほんの一握り存在する。

彼らの異能は「キメラ」と呼ばれ、複数の生物へ変身を可能とした。


 そして、無法者アーリは「キメラ」による複数の変身を可能とした、狂戦士であった。

変身可能な生物は3種類。その内の一つが空の狩人、鷲への変身。

アーリの腕が翼へと変化し、その足は鋭利な鉤爪を持つ凶器と化した。

しかし、変わらないのは狂気を宿す爛々とした眼光。

彼の目は獲物へと向けられ、狩りの成功への道筋をその脳裏に浮かばせた。


 突如として現れた巨大な猛禽類の姿は、会議堂を逃げ惑う人々の混乱を煽った。

しかし、喧騒の中でも狩人は集中を散らさない。

狙いを定めると翼をはためかせ、驚異的な速さで獲物へと飛び掛かる。

少女がこの強襲に気付いた時には手遅れだった。

彼女の華奢な肩に凶悪な鉤爪が音を立てて食い込んでいた。


「あああああっ!!!」


少女の悲痛な声が、突如会議堂に響く。

それを聞いた怪鳥の嘴が僅かに歪んだように見える。

文字通り少女を鷲掴みにしたアーリは、空中を滑るように舞い上がると、大ホールの玄関口に目を留める。


(あの図々しい程にデカい扉を突き破って脱出する)


そして、素早く判断を下し、扉目掛けて滑空を始めた。


アーリは獰猛で、恐ろしい程の胆力の持ち主だ。

狩りにおいては深く考えずに直感を信じ、機会を見定め即座に判断を下す。

守護者の剣を持つ少女は捕獲した。あとは扉を破って脱出するだけである。

アーリは既に自身の成功を確信していた。


――俺こそが絶対的な捕食者だ


しかし、それは驕りだった。


「うるさい蝿が飛んでいる」


一人の男が呟いた。

男は気高く、選ばれし高貴な血が流れ、吹雪のような激しさと冷たさを持ち合わせていた。

男に取ってみれば、混乱の渦を成す人々も、巨大な翼を持つ怪物も、有象無象に過ぎなかった。

彼が眼中に置くのは、自身の前に立ち塞がり、野望の障壁となり得る力を持つ者のみ。


「やはり、このグラディウスには血の気が多く品の無い無頼の徒が溢れているようだな」


その男――エドワード・レインは、目の前に立つ神話の英雄の如き男を見据えたまま、蝿の飛ぶ方向に手を翳した。


辺りに冷気が走り、人々が体の芯を刺すような寒気を感じたその時だった。


会議堂の扉を目掛けて滑空していた怪鳥の翼が瞬く間に氷に覆われる。

空を駆る力を失った狩人は、己の身に起きた事を理解する間もなく、獲物を掴んだまま地へと叩きつけられた。

そして、呻くように声を上げる。


「一体……何が……!」


体全体が冷たくなって行く。そればかりか、自身に満ちていたはずの魔力の流れが堰を作られたように制限され、変身を保つ事さえままならない。

抗おうと身を捩ろうとするが、体を氷漬けにされて身動きが取れない。

訳も分からぬまま、アーリは鷲の姿から、人の姿へと戻ってしまった。


意識が朦朧とする中、複数の足音が近づいて来るのが聞こえた。

幾人かが、動けなくなったアーリを取り囲み、見下ろしている。


(この俺を見下しやがって)


憎々しげに睨む顔ぶれの中に、見知った顔があった。


「へっ、ご生憎様」


そう言って嘲りの表情を浮かべていたのは、アーリが市街の路地裏で戦った謎の男。


「……っ!!」


アーリは男を睨み、罵詈雑言を浴びせようとした。

しかし、そうする前に男に顔を蹴り飛ばされ、意識を失った。

そして、気絶したアーリを見下ろす男の元に、一人が近づいて来る。


「カイル、知り合いか?」


王太子エドワードは冷たい表情で忠実な配下に尋ねた。

カイルは人目を気にするように周りに目配せした後、エドワードに耳打ちする。


「先程、私の任務を邪魔した男です」


カイルの言葉に、エドワードは顔色を変える事は無かったが、その内心でほくそ笑んだ。

そして再び、饗宴の会場へ迷い込んだ蝿に向かって手を翳した。

すると、それを覆っていた氷塊は瞬く間に消え失せた。


「縛り上げ、クラセナーの館へ連れて行け」


エドワードがカイルへと命じる。

それを受け、カイルがアゼルニア兵に顎で指示した。数名の兵士がアーリを担ぎ上げ、会議堂の外へと運び出そうとする。


「お待ち下さい殿下」


それを遮るように声を上げたのは、グラディウスの守衛魔術士隊の長、マテウス・デュエルハルトだった。

マテウスはローブを靡かせてエドワード達の元へと駆け寄ると、彼らを一瞥し、その傍らに捨て置かれる孫娘を、膝をついて抱き寄せた。


「メリセント、しっかりするのだ」

「う、ううっ……」


鷲に負わされた傷と、さっきの落下の衝撃で意識を朦朧とする孫娘に、マテウスは言葉を掛ける。

その眼を涙で潤み、悲哀に満ちていた。


「殿下が連行せんとするその不届者は、このグラディウスで秩序を乱したのです。この地を守る我らが身柄を拘束し、裁きを下します」


孫娘を抱き寄せて、マテウスが声を震わせた。

そんなマテウスの申し立てを断るように、エドワードが指を振った。


「もっともだ御老体。しかし、そうもいかぬ事情があるのだ」


「それは一体何故ですか殿下!」


「この不届者は当家中の者に対して無礼を働いた事実がある。家中の者への無礼はその主たる私への無礼も同然」


エドワードが冷たい笑みを浮かべる。


「故に、当家にて裁きを下す」


「それは勝手な言い分と言う物!グラディウスにはグラディウスの秩序があるのです!」


エドワードに対して面と向かって抗議できる者がどれ程いるだろうか、マテウスは冷酷な王太子にも怯まずに抗った。


「マテウス・デュエルハルト、孫娘が傷つけられたからと言って熱くなるのはよせ。私情は利益を生まんぞ」


その表情に余裕を浮かべつつも、エドワードが一歩だけマテウスと間合いを詰めた。

マテウスはメリセントを抱きかかえて立ち上がり、真っ直ぐにエドワードを見据えた。


再び、不穏な空気が饗宴の会場を包み始める。


「おやめ下さい!」


そんな中、一人の女人の声が響く。

人波を割ってやって来たのは、エドワードの妻、王太子妃ヴィオラだった。そして、彼女に続くように大商人クラセナーもその姿を見せる。

 ヴィオラは早足でマテウスの元に近寄ると、彼が腕に抱くメリセントの顔を覗き込んだ。


「ひどい怪我だわ……私が治します。この子を床に寝かせて」


ヴィオラは大地の魔術の一種、回復魔術を操る魔術士だ。

何より孫娘の怪我を憂いたマテウスは、ヴィオラの言葉に頷くと、孫娘を床にそっと寝かした。

そしてヴィオラは苦しそうに呻き声を漏らすメリセントの肩に手を翳した。


「母なる大地よ、哀れな旅人に慈悲と恵みを」


魔術の詠唱。メリセントの体が慈母の優しい光に包まれる。

やがてメリセントの呻き声が、安らかな吐息へと変わって行った。


「この子は少し休む必要があるわ。眠らせてあげて」


「それでしたらこの大会議堂にある来賓の間にベッドがございます。少しそこで休むのがよろしいかと」


ヴィオラの言葉に応じたのはクラセナーだった。商人ギルドの所有する大会議堂の事をクラセナーは知り尽くしている。


「それがいいわ」


ヴィオラは頷くと、護衛の兵士にメリセントを丁重に運ぶよう命じ、自身の侍女を付けて来賓の間へと連れて行かせた。


「かたじけないヴィオラ様」


マテウスが深々と頭を下げる。そんな彼の肩に手を置いて、ヴィオラはただ慈愛に満ちた視線を送った。

 

 そんな様子を冷たい表情で見ていたエドワードだったが、再びアーリを担ぐ兵士らに目を向ける。


「さっさと連れて行け」


エドワードは恐ろしい主人であり、その命令は絶対である。その一声に弾かれたかのように、アゼルニア兵が会議堂の扉へ向かう。


「ま、待たれよ!」


それにマテウスが気付き、反論しようと声を上げる。 

しかし、そのマテウスを止める為、クラセナーが目の前に立ち塞がった。


「落ち着かれよ我が友よ。これは――グラディウス商人ギルドの一員としての見解だが……」


自分はあくまでもギルドの一商人であると強調するような言い回し。クラセナーがグラディウスの評議会で自身の意見を述べる時に使う物である。

 商人ギルドの評議会はあくまでも公平な立場によって成り立つ物。しかし、ギルド内においてクラセナー程の富と権威を持つ商人は存在しなかった。


皆、彼の後ろ盾の存在を理解しており、恐れていた。


「その不届者は、王太子殿下に身柄を委ねるのがよろしかろう。明日は格闘祭の運営などで我々も多忙だ、厚かましいかもしれないが、殿下に仕事の負担を肩代わりして貰いましょう」


マテウスや、チラホラと顔を覗かせるグラディウスの商人達を見渡しながら、クラセナーがしたり顔で言った。


「そ、それがよろしいかと」


商人のうちの誰かが、そう口にした。同時に、誰も反論しなかった。


「こんな事は間違っている」


マテウスがクラセナーに掴み掛からんとする勢いで詰め寄る。

しかし、クラセナーは尚もしたり顔のまま意見を述べた。


「我々商人ギルドは力無き民衆の代弁者。そして、その自由意志を守るのがあなた方守衛魔術士隊の務め……これは、掟なのです」


「くっ……」


グラディウスは力無き民の自由の為に造られた都市。そしてそれを守護するという誓いを、デュエルハルト家は先祖代々、神と血脈に誓ってきた。


マテウスにそれを破る事などできなかった。


そして彼が押し黙ったのを見ると、アゼルニア兵達はアーリを担いで饗宴の場から去って行った。


それを悔しげに見送ったマテウスに寄り添い語り掛けるのはヴィオラだった。


「ここは気を沈めて貰えませんか?」


ヴィオラの言葉に、マテウスは微かに笑みを浮かべる。


「ありがとうございますヴィオラ様……大丈夫です、私は孫の元に向かうとします」


「ええ、それがいいわ…」


そうしてマテウスは、肩を落としてメリセントのいる来賓の間へと去って行った。

小さくなって行く老魔術士の背を見送りながら、エドワードは口元を歪ませて、クラセナーに語り掛ける。


「力無き民の代弁者か、面白い冗談を抜かすものだ」


「何を仰いますか、本当の事でございます」


クラセナーが目を伏せて、答える。

するとエドワードはクラセナーを見下ろして鼻を鳴らした。


「貴様には、私が力無き民に見えているようだな」


そう吐き捨てると、エドワードは腹心のカイルを伴い、この場を後にする。

クラセナーは「やれやれ」といった様子で肩をすくめると、それに続いた。

ヴィオラは冷たい目でエドワードを一瞥し、彼に従って、その隣を歩いた。


 一連の騒動に呆然としている人々の間を進みながら、クラセナーが背後から声を掛ける。


「もう饗宴を続けるのもままなりません。ギルドの者たちに、お開きにするよう伝えて参ります」


「好きにしろ」


エドワードが前を向いたまま、そう答えた。

そんな王太子に、クラセナーが進言する。


「こんな状況です。帰り道は酷く混み合うでしょう、殿下もお早目にここを出る事をお勧めします」


しかし、エドワードは首を縦に振らなかった。


「いや、今少し用がある」


思いもしない余興が起こったが、エドワードがこのくだらない宴の場に来たのには他ならない理由があった。

それはレイン家の野望の障壁となり得る者の姿を直に見る事。

 エルガイア王国の王太子バルカの元へ、エドワードの足は向かっていた。



「あの銀髪、お前の方へ向かって来てるぞ」


バルカの傍らでそう教えたのは、クレス・レイオスだった。


「見れば分かるさ」


バルカはワイングラスをクルクルと揺らしながら、アゼルニアの王太子にへ目を向けた。

 銀髪に翡翠の眼。アゼルニア王家の人間を直に見るのは初めてである。こちらに向かって来る男は、気品に満ち、冷厳な印象をバルカに与えた。


「初めましてだな、王太子バルカ殿」


アゼルニアの王太子はバルカの目の前に立つなり、そう呼び掛けた。


「どうも、エドワード・レイン殿」


ただにこやかに、バルカは彼に応えた。

エドワードは秀麗なバルカの顔から、彼の纏う絢爛な衣装に視線を移す。


「見事な衣装だ。まるでエルガイアの富を表すかのような」


「お褒めに預かり光栄です。なんせ派手好きでしてね」


バルカが屈託の無い笑顔を見せた。派手な衣装にも勝る眩しい笑顔だ。


「富は、重要だ。強き兵を養うにも金が掛かる。バルカ殿の衣装やエルガイアの騎士を見れば、貴公の国の豊かさを察する事ができる」


「それはエドワード殿にも言えましょう。金に忠誠を誓う商人…それも自由都市の商人を下僕としている訳ですから、彼を虜にする程の富をお待ちなのでしょう」


「……何だと?」


バルカの言葉にエドワードの顔色が変わった。


「商人とは損得勘定で動く物、それを妾のように侍らすエドワード殿は、商人にとんでもない利益をもたらす金の延棒みたいな物なのでは?」


バルカの放った言葉に、ある者は呆気に取られ、ある者は背筋を凍らし、ある者は怒った。


「……それは侮辱と取られても文句は言えないぞ」


エドワードの目に怒りが宿った。しかし、バルカは気に留めずに続ける。


「クラセナーでしたか?あの商人は"利益を貪る野良犬"だと誰かが申していました。それを従わせるあなたは彼に劣らぬ商売上手ですね」


「何を思って……何を知ってそんな事を言う」


エドワードがバルカに詰め寄る。

バルカは怒りを滲ませる彼の目を覗き返した。


「それとも、商いでは手にできない、別の何かを金の代わりにしているとか」


バルカがエドワードにそう言った瞬間、エドワードは冷たい手でバルカの胸ぐらを掴んだ。

それを見たエルガイアの騎士達が一斉に剣を抜いた。一方でそれに対抗すべくアゼルニアの兵達も駆けつけて、エドワードの為に剣を抜き放った。


血が流れるのだろうか。幾度となく揉め事は起きる。

しかし、これを止めたのはヴィオラだった。


「いい加減にして!」


バルカを掴む夫の手を離そうと、二人の間に割って入る。

魔術学校での一件で暗い気分になり、少しでもそれが晴れると思って饗宴の会場に来てみれば、再び揉め事の連続。

夫の狂った価値観に、ヴィオラは辟易していた。


「これ以上は大国同士の戦争に発展するわ!あなたが手を離せばこの場は収まる。分かるでしょエドワード」


夫に必死の形相で訴えるヴィオラ。

エドワードもこれ以上は己の利にならないと悟っている。

バルカを睨んだまま、その手を離した。


「用は済んだ。帰るぞ」


そして、臣下達に向かってそう言うと、人々を押しのけながら去って行った。兵達は慌ててエドワードの後を追った。


「見苦しい所をお見せしました。お許し下さい」


ヴィオラはバルカに対して、非礼を詫びた。


「はははっ、気にしてません」


バルカは笑って見せた。


「私も行かなくては」


「そうですか。ではご機嫌よう」


あまりにもあっけらかんとしたバルカの様子に、ヴィオラは不気味に思いつつも、大事にならなかったと胸を撫で下ろし、一礼してその場を後にした。


「ふんっ、寛大だな」


一連の流れを静観していたクレスが言った。


「謝って貰った。それで良いだろう」


バルカは本当に何も気にしていない様子だった。

そんな彼に対して、クレスにはどうにも解せない事があった。


「それにしても……何故奴に喧嘩を売った。お前は魔術士でも無いだろう。下手をしたら殺されていたぞ」


例の異国人や三戦帝とは違うのだ。それでも、バルカはエドワードを恐れなかった。

クレスの問いに、笑みを称えてバルカが答える。


「どんな猛獣だろうとも、狩人が狙ったのなら獲物に過ぎないのだよ」


「奴の命を狙っているという事か?殺したいからあえて敵対するような真似を?」


クラスは怪訝そうに眉間に皺を寄せた。バルカのいう事はいまいち要領を得ない。

しかし、バルカは含みのある表情で言葉を続けた。


「狩人は、獲物を恐れない」


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