第四話 ヴェネット
アトラニア、世界の西方にある広大な地域。
肥沃な土地が広がり、人口も多い。また高度な文明も築かれており、ここに住む人々の生活水準はこの時代の他の文化圏より抜きん出ていた。
アトラニア各地には様々な勢力が存在しており、エルフ、ドワーフ、アマゾネス、魔族などの亜人と呼ばれる人間以外の種族も暮らしている。
そんな中でも一大勢力を誇るのが、11の王国からなる連合体「アポロヌス」である。
――1281年 トルミア王国、王都ヴェネット郊外――
「なんつー大きさだよ…」
数キロ先だというのに、木々の間からその都市を囲う石造の城壁が見え隠れしていた。騎士団の隊列と共に馬の背に揺られながら、三郎はその建造物に見入っていた。
「かつて存在した帝国の主要都市でもあったヴェネットは
500年前よりあの偉大な城壁によって守られてる。尊い歴史の形を残す格式高い都市なのだ!」
声を高らかにして、ヴェネットなる都市の自慢をするのは三郎の隣で馬を進める女騎士。名をローラ・アンジュ。
「うるさいな」
三郎が呟いた。
数時間前、三郎はローラ率いる王立トルミア騎士団と思わぬ邂逅を果たした。
三郎が砂浜を彷徨っている時に見つけたあの男、実はトルミア騎士団が何ヶ月も追っていた敵国のスパイだったのだ。しかもかなりの手練れだったらしい。
騎士団は中々その足取りを掴めずにいたが、執念の捜索でついに潜伏場所を発見。トルミア北部の海辺にあるスパイの隠れ家に突入した。しかしスパイは幾人かの騎士を斬って逃亡。その先で遭遇したのが三郎だった。
それがスパイの運の尽き、三郎にぶちのめされ騎士団との交渉材料に使われた。
(おまえのお陰でこの世界の事が色々聞けた。ありがとよ)
隊列の後方で、手錠をかけられたまま馬に乗せられているスパイを肩越しに見る。項垂れていた。
妖術使いに対して手錠など意味があるのかと先程三郎はローラに問うたが、その力を制限する特殊な素材でできているらしい。
それとアトラニアでは妖術の事を「魔術」と呼ぶ。
この道中、三郎はローラからこの異国の地について色々と教えて貰った。アトラニアの文化、情勢などについでだ。しかし、どうにもローラがトルミア贔屓をしている節があった。あまり当てにし過ぎるのは良くないかもしれないと三郎は感じた。
そして言葉が通じる理由。それはこの地で取れる薬草などを煎じて作る薬「翻薬」によるものだった。一度飲めば知らない言語を聞いても理解し、相手にも自分の言語が伝わるようになる代物だ。
異なった言語を使う民族が多数存在するアトラニア。他国との外交の際、言語の壁を無くす事ができる翻薬はかなり重宝されている。
王国の要職でもある騎士団副長のローラはこの薬を飲んでいた。
「おい!聞いているのか神崎!」
「え!なに!?」
目前に迫って来た城壁に見入っていた三郎が、ローラの怒鳴り声に振り向く。
「いいか、トルミア王国はアポロヌス4大国の一つに数えられ…」
トルミア自慢はまだ続いていたようだ。生返事をしながら
ヴェネットの城壁に目を向けた。
巨大な城門に向かって隊列は進んで行く。騎士団に気づいた門番がトルミア式の敬礼をしている。
(かような大きな城を持つ国が、このアトラニアにまだまだ存在するというのか…)
城門をくぐり抜けると、美しい街並みが広がっていた。
道は石畳で整備されており、複層の家屋が立ち並んでいる。木造の物が多いが、家屋の中には石造りの物もあった。広い道から細い道が幾つも分岐しており、網の目のように道が街中に広がっていた。
昼下がりの街は賑わっており、人々は道沿いの店で買い物や食事を楽しんでいる。
そして、遠目に見えるのはこの街の支配者である王の住まう城塞だ。
「なんと巨大で荘厳であろうか」
三郎が城を見て驚嘆する。
「当然だ、我らが偉大なるシュレイツ王の住まう城だ」
ローラ達トルミア騎士団の主人にして、トルミアを統べる王の名はシュレイツ・レギオン。善政王と呼ばれ、臣下は勿論民衆からも慕われている。
「見ろ!王立騎士団だ!」
その隊列に気づいた市民が声を上げた。それに続いて他の市民から歓声が上がり始める。
それに応え、ローラは笑みを湛えて手を振りながら馬を進める。
王立トルミア騎士団、トルミア建国より存在する伝統的な王直属の部隊で、厳しい訓練でふるいにかけられた精鋭で構成されている。
アポロヌスでも屈指の強さを誇り、トルミアが勝利した戦いでは、必ずこの騎士団の活躍があった。
その精強さと格式の高さからトルミアの誇りであり、民衆から絶大な人気があった。
市民からの歓声を浴びながら街を進み、騎士団は王城の門前に到着した。
王の居城は環濠と石壁に囲まれ、守られていた。
ローラは濠の途中まで架けられている橋の袂まで馬を進め、城壁に立つ見張りの兵士に名乗る。
「トルミア騎士団副長ローラ・アンジュ、罪人を捕らえ帰還した!」
胸壁から顔を覗かせた兵士が彼女を確認すると、騎士団が帰還したと壁の内側に合図を送る。その後すぐに、低い重厚な音を立てながら跳ね橋が降ろされた。これが濠の橋と繋がり、城内へ入れるようになった。
「こんなでかい跳ね橋見た事ないぞ…」
アトラニアに来てから驚きの連続である。少しの疲労を感じながら、三郎は騎士団と共に橋を渡った。
城内に入ると、皆馬を降り始めた。三郎もそれに倣って下馬する。
スパイである男も騎士によって強引に馬から引き下ろされていた。
「やあ、皆んな。任務お疲れ様」
そこへ一人の男が現れる。金髪を肩まで伸ばし、目鼻立ちのはっきりした整った顔に、爽やかな笑みを浮かべている。羽織っているマントにはトルミア騎士団の紋章があしらってある。
「キリアン団長!」
ローラを始めとする騎士達が敬礼をする。
「え、誰?」
三郎がローラとキリアンとかいう男の顔を交互に見る。
それに対してローラが答える。
「この方はトルミア騎士団団長、キリアン・ユロー様だ」