第三十五話 饗宴の客人
グラディウスの商人ギルドが主催する、格闘祭前夜の饗宴。アポロヌスの各地から王族や貴族が招かれ、豪勢な食事と酒が振舞われた。
無礼講の立食会、とは言ったものの各貴族間では、それぞれのパワーバランスに応じた緊張感が流れ、暗黙の了解が為されており、専用の席が用意された者もいればそうでない者もいる。
さらに、大国の王族の周りには常に護衛の兵が着いて回った。
大国アゼルニアの王太子であるエドワードも、その例外では無い。
護衛の騎士に囲まれながら、白銀の王太子は自身の為用意された席に座り、冷厳な目で会場を見渡していた。
(つまらん奴らばかりだ)
翡翠色の目に映るのは大国の王族にへつらう小国の諸侯。それに気を良くして踏ん反り返る大国の王族。
少し離れた所にあるアポロヌスの盟主、アトラス王国の王子の席の周りでは、かの国の権勢に恐れを成す諸侯が、ご機嫌伺いに執心している。
力を恐れ、それに平伏し、平和に浸かりきる為に弱者の立場に甘んじる。
しかし、その弱者達が跪くアトラスの王子ですら、エドワードに取ってみれば有象無象の弱者に過ぎない。
「力に屈して抗うことを忘れた者……それに囲まれ自身が頂点に立つ人間だと思い込む者……実につまらん」
エドワードが独りごちた。
そんな彼の言葉に対し、傍らに立つ商人クラセナーが口端を上げる。
「それは真に力を持つ者だけが抱ける贅沢な退屈ですな、殿下」
皮肉とも媚を売ったとも取れるクラセナーの物言いに対して、エドワードが冷ややかな目を向ける。
「貴様はどっちだ?クラセナー」
「私は殿下にお仕えする、しがない商人に過ぎません」
そう言ってクラセナーが僅かに頭を垂れる。
それを見たエドワードは「フンッ」と鼻で笑うと、手元にあるワインをいつものような冷たい表情で口に含んだ。
慣れ親しんだ深く芳醇な味わい。エドワードの頬が僅かに綻ぶ。アゼルニア特産のワインだ。
エドワードはワインを好んで飲む。しかし、その銘柄に関してはこだわりが強く、好き嫌いが激しい。
今回、王太子の機嫌を損ねないよう、クラセナーは饗宴で振る舞うワインをエドワードが愛飲するアゼルニアの物にするよう根回ししていた。
「相変わらず、いらん気遣いをしてくれるな」
エドワードがワインの香りを楽しみながらグラスを揺らす。
「わざわざアゼルニアから取り寄せて下さったのね、お気遣いありがとう、クラセナー殿」
尊大な振る舞いのエドワードとは対照的に、柔らかい物腰で感謝を述べたのは、エドワードの隣に座る彼の正妻、ヴィオラだ。
「勿体無いお言葉でございます」
クラセナーが恭しく一礼する。
エドワードに欠ける人当たりの良さや社交性をヴィオラは補い、いつも彼を支えていた。
もっとも、エドワードはそれに対して何の感情も抱いてない。
氷雪の如きこの男は、常にレイン家の果たすべき大いなる野望と、その繁栄のみを考え生きている。
この饗宴の場にわざわざ足を運んだのも、野望と繁栄の障壁となり得る者達の器量を窺う為であった。
――武を持ってアポロヌスを統一し、
神力を持って繁栄を悠久とする
今年の格闘祭に招かれたのはアポロヌスに属する11カ国だが、うち2カ国は招待を断っており、集まったのは他9カ国の王族、もしくは王族代理の有力貴族だった。
エドワードから見て、集まった中で存在感のある国は二つあった。
一つはアポロヌス連合の盟主、アトラス王国。
その代表としてグラディウスに訪れていたのは、第二王子であるルイゼル。
周りには妾を侍らせたルイゼルは、ご機嫌伺いにくる小国の者達に対していい気になり、調子よく振る舞っている。
甚だ脆弱。
王子の様子から見るに、アポロヌス一の軍事力を誇ると言われるアトラス王国も平和ボケに犯されているようだ。
しかし、腐ってもアポロヌスの盟主。今見ても明らかなように、その権威にすがり、付き従う小国は存在する。
(ルイゼルは愚かだが、アトラスの名はまだ健在だ)
実際に戦争となれば油断はできないだろう。
そしてもう一ヶ国。未だ姿を見せないその国の人間をエドワードは待っていた。
「いや〜中々美味いもんが揃ってますな」
ワイン片手にどこからともなく現れたのは、エドワードの側近、カイル・グレッグだ。
先程、任務に失敗し傷を負って帰ってきたとは思えない振る舞いだ。
「このワインなんていつもアゼルニアで飲んでいる物よりもずっと美味い」
そう言ってワインの入ったグラスをクルクルと揺らすカイル。
「…これはアゼルニアのワインでございます」
クラセナーが若干気不味そうにワインの産地を伝える。
「おや、そうでしたか…失敬」
グラスのワインに向かって謝るカイル。
そんな間抜けな調子のカイルに対して、ヴィオラが優しく声を掛ける。
「サー・グレッグ、もう傷は痛みませんか?」
「心配は無用です。奥方さまの魔術のお陰ですっかり良くなりました。ありがとうございます…」
アーリとの戦いで負傷したカイルを治したのは他でもないヴィオラだった。
主人であるエドワードの手前、その妻であるヴィオラにてずから治癒してもらうのは気が引けたが、カイルの遠慮を聞かずに、ヴィオラは彼を助けた。
そして、冷酷なエドワードもカイルの失敗を許していた。半神の血脈を持つ者は珍しく、その戦闘能力は代え難い物だ。
それに、陽気で飄々としたこの男を、エドワードは内心気に入っていたのだ。故に他の部下と比べてもカイルの振る舞いには融通を利かせていた。
「ふっ、調子の良い奴だなお前は」
カイルの振る舞いに対して、笑みを見せるエドワード。
それを見たクラセナーがわざとらしく目を剥いて見せる。
「殿下の頬を綻ばせるとは…カイル殿は殿下の懐に潜り込める数少ないお人ですなぁ」
「いえいえ、殿下がお優しいだけですよ」
一方のカイルは忠誠を誓う主人を敬ってそう返した。
そんなやり取りを見て、ヴィオラが一言、
「そう、他人には優しいんですよ。殿下は」
と、ため息混じりに呟いた。
「……どう言う意味だ?」
エドワードはそれを聞き逃さなかった。
手に持っていたワイングラスを、ドンッと音を立ててテーブルに置き、ヴィオラを睨む。
「分かっているでしょう?」
エドワードと目を合わせず、静かにワインを口に運ぶヴィオラ。彼女がいつも思うのは、双子の息子たちへの愛だった。
しかし、夫にはそれが無い。
冷たく、ひりついた空気が流れる。
(あーあ、いつもの夫婦喧嘩の流れだこれ)
夫婦間の険悪な雰囲気が溢れる中、カイルがこの状況が何とかならないかと考え出した時だった――
ホールの大きな扉が開け放たれ、守兵が新たに饗宴にやってきた客人の名を告げる。
「マテウス・デュエルハルト様……そして、エルガイア王国王太子殿下のご到着です!」
エドワードの鋭い視線が、新たな客人の方へと向けられる。
グラディウスの重鎮、マテウスに導かれるように現れたのは漆黒の甲冑に身を包んだ騎士の集団。
そして彼らを率いるのは、何とも秀麗で、気品と英気に満ちた若い男。金糸や銀糸を織り込んだ絢爛な衣装を纏い、堂々と饗宴の場へと足を踏み入れる。
「エルガイア王国王太子バルカ・アダマント、只今参上した」
力強く、よく通る声が大会議堂に響いた。
皆の耳目がエルガイアの王太子バルカの元に集まる。
そして、その傍らに立つのはメリセント・デュエルハルト。
人々の視線はバルカの方へ向けられているとは分かっているが、自分も同じように見つめられているようで、何だか気恥ずかしかった。
そんな彼女の心中を見透かすように、バルカが微笑みながら語りかける。
「こういうのは目立った方がいいんだ」
そして、後ろに控える配下の騎士団に顎で合図を送った。
騎士達が隊列を変える。
それによってできた道を、隊列の後ろにいた男がゆっくりと進む。
「それともう一人、私の友人を紹介したい」
バルカが再び注目する諸侯らに向かって声を上げる。
王太子バルカの友人、それはここにいる誰しもが思いもしない人物だった。
そして、王太子の友人がその隣立つ。
筋骨隆々とした巨岩のような肉体、獅子の立髪を思わせる怒髪、鷲の如き鋭い眼光。
まるで、神話の神を彷彿とさせる佇まい。
鎧を纏い、無骨な大剣を背負ったその傭兵の名は三戦帝の異名と共に、アトラニアに轟いていた。
「友人の、クレス・レイオスだ」




