第三十四話 女騎士
騎士、かつては戦場を馬で駆る高貴な身分の貴族を指して使われたが、現代では生まれに問わず、その功績を讃えられた者に与えられる名誉の称号となった。
そしてトルミア王国の騎士になる事は非常に難しく、それを名乗る者の武勇はアトラニアでも屈指の物だと言われている。
しかし今――
「私を殺す気?笑わせないで」
精鋭無比として知られるトルミア騎士を前にしても、エレナは己の強さを疑う事はなかった。
おそらく敵は魔術士ではない。手に持った剣を頼み、挑んで来るつもりだろう。
しかし、エレナは炎すら防ぐ強固な鎧を身に纏っている。
斬られる恐れなど無い。
「あんたもそこに転がっているガキと同じようにボロボロにしてあげるわ」
ローラに斬られた蔦の鞭が再生して行く。
エレナが腕を振り上げると、鞭は生きているかのように勢いよく蠢き、遠い間合いからローラ目掛けて空を裂き走った。
――しかし、ローラはその鋭い一撃を物ともせず見切り、飛んで来た鞭を片手で防ぎ、掴み取った。
「…遅いな」
その一言と共に、力を込めて鞭を引っ張った。
鞭は植物の鎧と繋がっており、鎧はエレナと同化している。
「うあぁっ!!」
エレナはローラの剛力によって体を宙に浮かし、彼女の剣の間合いへと瞬く間に引き寄せられた。
手綱のように鞭を操りながら、ローラは鋭い切先をエレナへと向ける。
「やっ、やめっ!」
そして、エレナが抗う間も無く、向けられた剣へと吸い込まれるようにして、串刺しになった。
鎧の内側から滲み出た血が剣を伝い、炎で照らされた床に滴り落ちる。
「がはぁっ!なぜ…私は鎧を着ているはず…!」
「どんなに堅固な鎧でも、隙間は必ず存在する」
猛烈な鍛錬によって得た剣術の妙技。ローラは植物の鎧に垣間見えた、腹部にある僅かな隙間を見抜いていた。
その隙間に、寸分の狂いなく剣を突き立てた。
そしてローラは血を払うように剣を思い切り振るって、エレナを炎の中へと放り投げた。
ゴウッ、という音と共にエレナが火炎の中に攫われる。
それを見届けたローラは剣を鞘に納め、マリーの方へと歩み寄る。
「この建物はじきに炎に包まれる。今のうちに脱出するぞ」
「えっ……」
呆気に取られたマリーを軽々と抱き抱えると、脆くなっていた壁を蹴破り、ローラは建物の外に出た。
建物の外には既に野次馬が集まっていた。
突如建物の中から現れたローラ達に人々は驚きつつも、心配そうに声を掛けてきた。
「あ、あんた達大丈夫かい?」
それに対してローラは冷静な態度で返答する。
「私達は問題無い、火消しを呼んであなた方も早くここから離れて」
火事の中でも落ち着き払ったローラの対応に感化されたのか、人々は避難もかねて水の魔術を操る火消し人を呼びに走って行った。
ローラに抱えられながら、マリーは彼女の凛とした表情をじっと見つめていた。
(やっぱりこの人は強い…)
マリーがローラの戦っている姿を見るのは今回で二度目であった。
一度目は、半年前に起こった東域戦争の最中であった。
敵部隊の奇襲を受け、味方側が窮地に陥っても、周りを鼓舞しながら、ローラは次々に敵を倒して戦った。その活躍もあり、思いがけない助太刀が入るまで味方は持ち堪えた。
その他の局地戦でもローラはその類稀な強さを持って、数々の戦功を挙げた。
マリーはその強さを間近で見ていた。自身と彼女の力の差は心の奥底で理解していたのだ。
だからこそ、敵愾心を顕にして、不遜な態度を取り続けた。
ローラを畏れ、その力量の差を認めてしまえば、自信を無くし、自分の志す騎士団団長への壁である彼女を超える事など叶わない。
だからこそ、彼女を敬愛する自分の心を認めたく無かった。
ローラの腕の中、マリーは悔しさで涙を滲ませた。
ローラはそんなマリーを燃え盛る建物から離れた道端にそっと降ろすと、優しく肩に手を置いて言葉を掛ける。
「私が来るまでよく持ち堪えたな。お前は立派なトルミアの騎士だ」
堪えていたマリーの瞳から、遂に涙が溢れた。
ローラはしなやかな指でマリーの頬に伝う涙を拭った後、
静かに立ち上がって、背中を見せた。
「少し待っていろ、すぐに片をつける」
そして、再び剣を抜き放つ。
ローラが剣を向ける先には、先程火の海の中に打ち捨てられたはずのエレナが俯きながら立っていた。
長い黒髪を乱し、不気味な気迫を放っている。
しかし、その体には火傷やさっき負ったはずの刺し傷すら見られなかった。
「よくもやってくれたわね……お陰で回復にかなり時間使っちゃった」
夜風に黒髪が靡く。その隙間から見えたのは憎悪に満ちた鋭い眼光だった。
「それにぃ…普段と違って強引な治癒だったから、薬草以外にも、激毒の力も頼る羽目になったわ……」
エレナの白くしなやかな四肢が急激に発達する。
それだけでなく、その体幹部の筋肉もみるみる内に肥大化して行く。
「グオオオオ!!!てめぇは絶対に殺してやるぞっ!!!」
獣のような太く低い声で、エレナが咆哮する。
全身の筋肉や骨格が異常に発達したその姿は美しく妖艶な美女とは程遠く、まるで鬼のようだった。
エレナは通常、ダメージを負った際には、取り込んだ薬草の特性を操り傷を回復させる。
しかし、ローラに致命傷を負わされた結果、植物の鎧の特性が解除されてしまい、その上で火の海に放り込まれた。
通常の回復方法では助からない、火炎の中でエレナは薬草の回復術と併用して、身体能力を向上させる特性を持つ毒草の力も使い、強引に自身の代謝を活性化させた。
この狂気的な魔術の行使は良薬を毒物へと変え、エレナを怪物に変貌させるだけではなく、残酷な衝動をも増大させたのだ。
しかし、恐ろしい怪物となったエレナを前にしても ローラがたじろぐ事は無かった。
鋭い剣の切先をエレナに向け、握り込んだ柄を右頬に添わせるようにして構えた。
研ぎ澄まされた刃と騎士の集中力は一心に敵へと向けられ、体から立ち昇る闘気は剣を構えるローラを猛牛のように錯覚させた。
それに対して、エレナは自身を鼓舞するかのように雄叫びを上げると、固く握った拳を地面に殴打する。
石畳が割れる凄まじい音の後には、巨大なクレーターができていた。
「なんてパワーなの…!」
エレナの様子を見ていたマリーは彼女の持つ驚異的な力に戦慄した。
次いで、憂いを含んだ眼差しをローラへと向ける。
ローラはただ静かに剣を構え、勝負の一瞬を待っていた。
そして遂に、エレナがその剛腕を叩きつけるべく動く。
驚異的な筋力が生み出す隼のようなスピードで、一直線にローラ目掛けて飛び掛かる。
「ウオオオオオ!!」
絶叫と共に、拳をローラへと振り抜く。
しかし、その場所にローラの姿は無かった。
すれ違う形でその身を躱していたローラが、エレナの拳が石畳を叩き割ったと同時に、体勢の崩れた彼女の首を狙って剣を振り下ろした。
血飛沫が舞う。
しかしエレナの首は繋がっていた。間一髪で、身を逸らした為、切先が首筋を僅かに掠っただけだった。
エレナは体を無理な体勢から捩って、振り下ろされたローラの剣に向かって拳をぶつけた。
金属音が響き渡る。ローラの剣をエレナは叩き折ったのだ。
ローラはすぐさま距離を取って、再び間合いを作る。
そして、静かに敵を見据えた。
「やってくれたなっ!クソ女がぁっ!!」
エレナは血が流れる首筋を抑えて、ローラへ怒号を浴びせる。
しかし、憤怒の感情を滲ませながらも、その口を歪ませて笑った。
「だがテメェは剣を失った!戦いようが無いなぁ!」
ローラは武器を失った。
剣技を使わないなら、トルミア騎士であろうと最早相手にはならない。エレナはそう考え、勝利を確信した。
ローラが刀身の折れた剣を捨てる。
「仕方ない、貴様の本領でやってやろう」
しかし、その闘志は未だ折れず。
「舐めるなよ!!叩き潰してやるっ!!」
エレナが丸腰となったローラに向かって突進する。
そして間合いに入ったとなるや、拳を振り翳して大振りのフックを撃ち放った。
「ローラさんっ!!!」
ローラの窮地を見たマリーが悲鳴に近い声でその名を叫んだ。あの一撃を喰らえば凄惨な結末を迎えるだろう。
しかし、それは杞憂に終わった。
「甘かったな」
ローラは顔色一つ変えずに、自身の腕でガードを作り、エレナの剛腕を受け止めていた。
同時に、もう片方の手を硬く握り締めて拳を作った。
「パワーなら自分が勝ると確信した。それが貴様の敗因だ」
そして、ガラ空きとなったエレナの懐目掛け、渾身の一撃を叩き込んだ――
「ッッッッッ!!!!」
声にならない悲鳴を上げ、血反吐を吐きながらエレナが吹き飛び、やがて地面に叩きつけられる。
衝撃的な打撃のショックでその心肺は停止して、エレナは絶命した。
トルミア騎士団副長、ローラ・アンジュ――
史上最年少で騎士団の一員となり、多くの戦功を上げた女騎士の戦いは、その半神の血脈を示す圧倒的な物だった。
(なんて強さなの……凄い…!)
ローラの強さを再び間近で目にしたマリー。その目には憧憬の光が浮かんでいた。
そんな彼女に、戦いを終えたローラが歩み寄る。
「立てるか?」
負傷したマリーに手を差し出すローラ。
「は、はい…何とか」
その手を掴んで、マリーが立ち上がる。
マリーの痛々しい姿を見たローラはそのまま彼女に肩を貸した。
そして、エレナの亡骸の元へ近づく。
死によって魔術の効果が切れ、元の姿に戻っていたエレナを見下ろす。
「……戦士に安らかな眠りがあらん事を」
ローラは敵であっても、戦いに散った者への敬意を忘れなかった。
そして、
「人が来ないうちにここから離れるぞ」
マリーにそう言うと、目についた狭く暗い路地へ向かって歩き出す。
「あっ!待って!」
その時、何かに気づいたマリーは慌ててローラを止める。
エレナが倒れている近くに何か落ちていた。
それは林檎の果実程の大きさで、微かに怪しい光を帯びている。
「これは…」
「奴らが使っていた例の水晶か」
それは紛う事なき、古の水晶だった。
何かの役に立つかもしれないと思った二人はそれを拾った後、人目につかぬよう、夜闇の中路地へと入った。
どこか休める場所を探し歩きながら、肩を貸すローラにマリーが頬を赤らめて言う。
「……ローラさん、ありがとう…ございます」
「……気にするな」
ローラは素っ気なくそう返した。
――グラディウス 大会議堂――
ローラとエレナの戦いが始まっていた頃、ある黒い影が闇夜を蠢いていた。
古代からグラディウスの政策を議論するのに使われてた石造の大会議堂の大きな屋根の上から、建物の中へと入って行く人々の様子を眺める影。
ならず者、アーリである。
現代において、この大会議堂は商人ギルドの所有物となっており、彼らの合議の場として用いられるだけでなく、街の外からの来賓をもてなす為、饗宴の会場としても利用されていた。
そして、格闘祭の前夜祭という事も兼ねて、貴族を招いた饗宴が開かれているのだ。
アポロヌス各地の王族が集まるこの会場には、グラディウスの衛兵が配備され警戒にあたり、異様な空気感が漂っていた。
そして、自分の標的となる人物もこの饗宴に姿を見せるとアーリは踏んで、この地に先回りしていた。
「水晶は全てお見通しさ」
アーリが持つ水晶の光が強さを増す。
標的がこの場所に姿を現した。神代の遺物の一つ、守護者の剣を所有するメリセント・デュエルハルトである。
ちょうど今、彼女はグラディウスの重鎮である祖父のマテウスに連れられて大会議堂の正門を潜っていた。
標的を見定めて、アーリが舌舐めずりする。
「さあ、狩りの始まりだ」
一方、自分が狙われているとも知らず大会議堂へと祖父と共に赴いたメリセントは、古からこの地に立ち、自由都市の象徴とも呼べる建物を仰ぎ見た。
「どうかしたかの?メリセント」
じっと大会議堂を見つめる孫娘に、マテウスが尋ねた。
「お祖父様、私はこのグラディウスを守る騎士になりたい」
メリセントが曇りなき目で答える。そして、
「お祖父様みたいにね」
と、微笑みを称えて続けた。
「ほっほっほっ!なれるさ。わしの孫じゃからな」
自由都市グラディウスはかつて帝国の皇帝直轄領として繁栄した。
帝国が滅んだ後は自分達で自由を守る為、市民は富と知恵を駆使して自治権を守り、今ではアポロヌス各国からも認められた自由都市として栄えている。
市民による自由。それを可能にした中には、グラディウスを守護する魔術士の活躍もあった。
その中心となったのは、伝説の魔術王アーサーを祖とする名門デュエルハルト家である。
かつて自由を掲げるこの都市にやって来たデュエルハルトの人間は、この都市の人々と親交を深め、グラディウスの守護者としてこの地に住むことを決めた。
そして代々、守衛魔術士隊の長として、他国の侵攻やモンスターの襲撃からこの都市を守ってきた。
マテウスも数々の防衛戦で活躍し、歴代当主の中でも、祖先である魔術王アーサーの再来とまで言われる実力者だった。
そしてその強さを讃えた一国の王より、騎士の称号が送られた事があった。
早くに両親を亡くしたメリセントは祖父の背中を見て育ち、自身もグラディウスを守る誇り高い騎士になりたいと願うようになった。
二人が訪れたのを見て、会議堂の玄関口を見張る守兵が、一礼し、扉を開く。
「さあ、中に入りましょう」
そして、メリセントが偉大な祖父と共に会議場の中へ足を踏み入れようとした時だった。
けたたましい馬蹄の音が響く、少し気になってメリセントがそちらを向く。
大会議堂の正門へと向かって駆けて来たのは栗毛の駿馬。
それを乗りこなすのは黒い甲冑に身を包んだ若い女だった。
当然衛兵が正門の前でそれを制止し、女に問い掛ける。
「貴殿の名と要件を伺おう!」
馬を落ち着かせながら、女が衛兵に答える。
「私はエルガイア王国の騎士、メリオルドのライラ!
主である王太子バルカはもう間も無く到着する!」




