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雷鳴の武神  作者: ジュリ
第一部 巡り帰りしもの
35/99

第三十三話 口は災いの元

 隣の部屋の扉が開く音がした、続いて廊下を歩くブーツの音がして、遂にはコンコン、と扉を叩く音がした。

 壁に耳を当てて、隣の部屋の音に神経を尖らせていたマリーは、隣人の思わぬ行動に動揺した。


(居留守をつかうべき…?でも、さっき部屋に入る時の音を聞かれてたら変に怪しまれる)


ここは応答して、扉を開けるしかない。

「はい」

マリーは気合いを入れるべく威勢よく返事をすると、扉の近くまで寄る。


(もしかしたら、こいつらの正体を暴けるかもしれない)


それから「ふぅっ」と息を吐くとゆっくり扉を開けた。

その先には、微笑みを讃えた妖艶な美女が佇んでいた。何故か彼女のシャツのボタンの幾つかが開かれており、その悩ましい胸元に思わずマリーは視線を持って行かれた。


「…何か?」


目を合わさず、マリーが問い掛ける。

すると女は少し戸惑ったような顔を見せた。


「あっ、女性でしたのね…やだ私ったら…」

「へ?」


思いもよらない女のリアクションに、マリーがポカンとしていると、女はそのまま話を続けた。


「実は私、夫と隣に泊まっているんですけど…彼忙しくって全然私を相手にしてくれなくて…」


耳朶に響く甘く艶やかな声でそう言いつつ、扉を抑えて部屋の中へとゆっくりと入って来る。

言い表し難い雰囲気に飲み込まれ、マリーが後退りする。


「それで私、寂しくなってしまって…」

「え、いやその…私にどうしろって!」


女が部屋の扉を閉める。そして、マリーとの距離を詰めて行く。女の体から香る花のような甘い匂いがマリーの鼻腔に侵入した。


「それで、他の殿方に寂しさを埋めてもらうおうと思ってここへ来たんです…」

「いいい、いや私女ですけど…!」


酷く動揺するマリーに女が近づき、その腰に手を回す。


「…でも私、女性も好き」

「はっ!?いや、ちょい待って!」


マリーはこの異様な流れに抵抗するべく、女を押し返そうとする。

しかし、なぜか腕に力が入らない


「あ、あれ…?」

「どうしたの?受け入れてくれるの?」


無きに等しいマリーの抵抗。女がマリーの背に手を沿わし、抱き寄せる。


(お、おかしい!体が言う事を聞かない!)


マリーはされるがままだった。そして気付く、これが罠であるのだと。

そして女はマリーの後頭部に手を添えると、顔を寄せて唇を重ねた。


「!!!!!」


マリーに今までにない衝撃が走る。

視界がぼやけて頭が働かない。どんどん体の力が抜けて行く。

しばらく女はマリーに口づけしていたが、頃合いを見て唇を離した。


「はぁ、仕上げ完了」


そして溜め息混じりにそう言うと、壁に向かってマリーを突き放した。

踏ん張る力も無くし、マリーは壁にぶつかり、そのまま腰を落とした。


「な、なにを…した…」


マリーが苦しげな掠れた声で、女に問う。


「身体麻痺に自白剤、そんな所かしら」


先程の甘い声とは打って変わって、低く冷たい声音で女が答えた。


「麻痺は体臭(におい)を嗅がせれば済むけど、自白剤はキスしなきゃいけないから面倒なのよね」


女は気怠そうに言うと、部屋の片隅にあった椅子をマリーの前まで引っ張ってきて、自身はそれに腰を下ろした。


「とりあえず聴くわ、あんたは何者?」


腕を組みながら、女がマリーに尋ねる。


「…と、トルミア…き、騎士団、ま、マリー…ミシュレ…」


マリーの意思とは相反して、勝手に口が動く。

(どうなっているの…!?)

自白剤。それを自らの口に含み、キスをした時に飲ませたとでも言うのだろうか。


「トルミア騎士団…!大層な名前が出たわね…」

騎士団の名前を耳にして、女の顔色が変わる。


「そのトルミア騎士がなぜここに?」 

「お、王命で…か、神崎三郎…追跡…の任務…」

「神崎…!?」


女は神崎三郎の名に対して、やはり反応した。

ぼやける意識の中、マリーは女の正体を探る事を諦めていない。


「なぜトルミアの王が神崎を追うの?」

「か、神崎の力を使って…アポロヌスを…と、統一する為…神崎の力を…お、恐れ…監視…する為…」


マリーの言葉を聞いた女の口端を上がる。


「神崎自身の力を恐れての事ね…買い被りのような気がするけど。それにアポロヌス統一だなんて…面白い事聞いたわ」


そう言って女は高笑いする。

その様子を悔しそうに睨むマリーであったが、今は一切体が言う事を聞かない。

しかし、呟きに等しい女の次の一言を、マリーは聴き逃さなかった。


「…神代の遺物の事は知らないみたいね」

(しんだいの…いぶつ?)


聞いた事の無い言葉。神崎と何か関係があるのだろうか。

マリーの内心でそんな疑問が反芻する中、女の尋問は続く。


「神崎暗殺の話は聴いていた?」

「き、いて…いた」

「やっぱりね…」


女はマリーに神崎暗殺の件を聴かれていた事を知る。

そして、椅子から立ち上がると部屋の中を見渡す。


「荷物が二人分あるわ。仲間がいるのね?」

「い、いる」

「仲間も話を聴いていた?」

「き、聴いて…いた」

「その仲間は今どこ?」

「し、しら…ない」


実際マリーはローラが今どこにいるのか知らなかったのだが、その「知らない」という一言で、女の様子が変わる。


「は?何いってんの?」


低い声、そして鋭い眼光が走る。

女は大きな足音を立てながらマリーに詰め寄ると、その首を掴んだ。


「自白の毒を飲まされてんだろうがぁ!!知ってる事何でも喋るはずだろうがぁ!!知らないってどういう事だ!!!」


その美貌を歪ませ、突如として怒鳴り声を上げる女。

片手でマリーの首を掴んで締め上げながら、彼女の体を持ち上げた。


「…がはぁっ!!」


マリーが苦悶の表情で、掠れた声を上がる。

尋常じゃない力で首を締められ、気管が圧迫されていく。


「答えろよっ!!」


ミシミシと骨や肉の軋む音がする。マリーは抵抗もままならない。

万事休すか、そう思われた時だった。

突如、女がその手を緩めてマリーを放した。


「ゲホッ!ゲホッ!」


激しく咳き込みながら力なくその場に崩れ落ちるマリー。


「やだ、私ったら毒を回し過ぎたみたい…」

急にしおらしい調子になって、女が言う。


「今のは私の聞き間違いよね…私の魔術、便利だけど厄介な所もあって…一定の時間を過ぎると自分の衝動や感情に作用しちゃうのよね」

「なにを言って……」


女がその魔術に関する話をしている時、マリーは自分を犯していた違和感が消えている事に気付く。


「だからそろそろ尋問もお終いね。毒が効いてる内に聴くわ。仲間は今どこにいるの?」

女は平静を取り戻しつつ、再びマリーに尋ねる。


「……なぃ」

マリーが蚊の鳴くような声で何か言った。


「聴こえないわぁ」

その声を聞き取ろうと女が床にヘたれ込むマリーに近寄り、口元に耳を寄せた。


その瞬間、マリーは女の胸ぐらに掴み掛かった。


「なっ!」


マリーに回っていた毒が切れていた事に女は気付く。

そしてマリーは女の耳元で声を張り上げる。


「知らねぇっつてんだろ!!!」


女を掴んだマリーの両手から豪炎が立ち登る。

炎は勢い凄まじく、瞬時に女を包み、その身を焼いた。


「ぎゃあああ!!!」


女の悲鳴が響き渡る。これではタダで済まないだろう。

また至近距離で自身の魔術を使ったマリーは半ば自爆のような形となったが、衣服が少し焼き切れる程度ですんだ。


 通常魔術士は、自身の魔術の反動でその生命に危険が及ばないよう、無意識下で体に魔力の壁を張っている。

その壁に使う魔力は、攻撃に使う魔力を大幅に超えており、多くの魔術士は無意識の内に、消費する魔力の大半を自身の防御に振り分けている。

これはある種のリミッターのような物で、人間の防衛本能の為せる技である。


 そしてその見えない壁が、今回マリーを救った。


「あれ、案外平気じゃん!」


マリーは自爆覚悟だったが、相手にのみ攻撃が効いているのを見ると、すぐさま部屋の扉を蹴破り、廊下に出た。

そして、隣の隣の部屋の扉を勢いよく開ける。

部屋の中には客の男が二人。

急に扉を開かれた男たちはひどく驚いていたが、マリーは気に留めず、部屋に入ると、男二人を引きずり出す。


「火事よ!早く逃げて!」


マリーが怒鳴る。そして彼女の背後には立ち上る煙と炎が見えた。

男達は驚きの声を上げて脱兎の如く階段を駆け降りる。

マリーもそれに続いて階段を降りると、一階に住む宿の主人へ避難するよう知らせに向かった。


しかし、それは叶わなかった。

一階の主人の居住区には凄惨な光景が広がっていた。


「……何これ」


部屋の壁や床、至る所に血痕がこびりつき、家具は散々に破壊され、生命の気配が微塵も感じられ無かった。


その場に立ち尽くすマリー。

しかし、放心している場合では無かった。

突如、大きな音を立てて一階の天井が崩れ落ちて来た。

そして瓦礫の上に立っていたのは、炎に焼かれたはずの女。

その衣装は焼け焦げているが、彼女自身の身体には火傷一つ見られなかった。


「…!?」


驚愕するマリーに対して、自身の余裕を表すかのように、微笑みを浮かべる女。


「死んだとでも思った?まあ、ちょっとだけ熱かったけどね」

女はそう言うと、血痕が残るこの部屋を見渡した。


「ったく…あのケダモノめ。無駄に散らかしやがって」

「これはあんた達がやった訳?」


悪態をつく女に、マリーが低い声で問い掛ける。


「私が連れにやらせたの。拠点に部外者がいると色々面倒だし消えてもらったわ」


長い黒髪を手で梳かしながら、女が答えた。


「なんの罪も無い人を…あんた達は!」

マリーが拳を握り締める。


「それと、あんた達トルミアの騎士は私達の計画を知ってしまった訳だから、勿論死んでもらうわ」


女が瓦礫の上からマリーを見下ろして言った。


「トルミアの騎士に対して随分な物言いじゃない」


怒りを含んだ口調のマリーが両手を広げて前に突き出す。

それを見た女はその残忍な性根の透ける冷たい笑みを浮かべた。


「へぇ、やる気満々ね」

「余裕ぶってると怪我じゃ済まないよ」


女の嘲笑に対して、マリーの心中は穏やかでは無かった。

それを表すように、彼女の両手の前に火球が生じる。


「くらえ!」


その声と共に、女に向かって火球が放たれる。

しかし、女は余裕の表情を崩さない。

「この程度?」

女はそう言うと静かに目を閉じた。 

そしてマリーの放った火球が、轟々と音を立てて女に直撃した。

炎は女のみならず、足元の瓦礫をもあっいう間に飲み込んだ。炎に包まれた女の姿は既に見えなくなっていた。


「どんなもんよ!」


燃え盛る炎に向かってガッツポーズをするマリー。

しかし次にその目に飛び込んで来たのは信じ難い光景だった。

今度こそ、その身を焼かれたはずの女が、ゆっくりと炎の中から姿を現した。

そして、その全身を植物の蔦らしき物が折り重なって覆っており、その姿はまるで、甲冑を纏った騎士のようだった。


「そんな!」


マリーが驚嘆する。

先程よりも出力の高い攻撃をまともに喰らったはずなのに、女は全く堪えていない。

その秘密は彼女が纏う植物の鎧にあった。


「これは防火耐性にとっても優れた、珍しい植物なの」


女が鎧となった蔦を撫でる。


「私は大地の魔術士。植物の種子を取り込む事でその植物の特性を発現させ、操る事ができる」


大地の魔術は、大地に芽吹く植物の力を操る魔術。これを操る多くの術士が、植物の種子などを体内に取り込み、その特性を体現する事ができる。


「成る程ね…さっきの毒も植物由来って訳か」

マリーの額に汗が滲む。

 

魔術士の家系出身のマリーは、自身が扱う炎の以外の魔術の知識も当然頭に入っている。

そんな数ある魔術の中で、炎の魔術と相性が良く、制し易い物が大地の魔術だと思い込んでいた。


(どうやって戦えば…!)

 

しかし、術者と実際に対峙した事で、その厄介な汎用性と戦いで発揮される応用の容易さを体感する事になった。


「じゃあ、こっちも反撃させて貰うわ」


そして遂に女が攻勢に出る。

女が腕を覆う蔦を伸ばし、硬くしなやかな鞭を作り出す。

そして焼け焦げた瓦礫の山からマリーに向かって飛び掛かり、その鞭を一閃した。

空気を裂く鋭い音と共に、鞭がマリーを襲う。

マリーはその初撃を間一髪躱した。

しかし女の攻撃は止まない、再び鋭利な音を立てながら鞭を振るった。

一度目の攻撃で鞭のリーチを見切っていたマリーが、反撃を見越してギリギリの距離でそれを外す。

はずだった。

鞭を振るった瞬間、女は蔦を成長させ、そのリーチを伸ばしていた。


皮膚を裂く強烈な音が響く。


「ぐあっ!」


加速した鞭の先端で強烈な一撃を喰らった。マリーの表情が苦痛に満ちる。

そしてマリーが怯んだ隙を女は見逃さない。蔦の鞭を自由自在に伸縮させ、攻撃の距離感を変え続ける。

その絶え間無い連続攻撃にマリーは対応仕切れず、次々に傷を負って行く。

そして、問題は物理攻撃によるダメージだけではなかった。


(おかしい…!体が言う事を効かなくなっている!)


勇敢なトルミア騎士であるマリーは痛みに音を上げるような軟弱な戦士ではない。


高名なトルミア騎士団の名を知る女は、それを踏まえた上で鞭に隠し味を加えた。


「毒が効いてるみたいね」


女は蔦の鞭に、神経に作用する植物の毒を滲ませていた。

いくらトルミア騎士に気高い精神が宿っていたとしても、

毒が神経を犯してしまえば、動く事もままならないだろう。


(くそっ!油断した!)


マリーは敵の思わぬ魔術性能に焦り、冷静さを欠き、最初に喰らったはずの毒による攻撃の警戒を忘れていた。

毒のせいで体に力が入らず、マリーはその場に倒れ込む。


しかし女は容赦なく、地に伏したマリーに対して鞭を浴びせ続ける。


「あはははっ!トルミアの騎士も大した事ないのね!」

「ぐっ、ぐあああ!」


マリーはただ苦悶の声を上がるしかなかった。

そして、女は頃合いを見て鞭を振るう手を止める。


「あらあら、だいぶ火が強くなって来てるわね」


マリーの魔術によって建物に着いた火が勢いを増し、既にこの場を覆い尽くさんとしていた。


「じゃ、そろそろ終わりにしましょ」


女は鞭を伸ばしてマリーの腕を縛り付けると、そのまま彼女の体を宙に吊し上げた。


「最後は自分のつけた火に焼かれて死になさい」


女が冷たく微笑む。

炎に赤く照らされたその顔はさながら地獄の悪魔のようだった。


(わ、私はまだやらなくちゃいけない事があるのに…)


幼い頃から夢見てきたトルミア騎士団の団長の座。

それを掴み取ってミシュレ家に栄光を飾り、父や母に喜んで貰いたかった。

両親の顔を思うマリーの目には涙が浮かんでいた。


「バイバーイ」


そして、女がマリーを燃え盛る炎の中に放り投げようとした時だった――


閃光のように白刃が煌めき、女の伸ばす蔦の鞭を切り裂いた。

宙から落ちてゆくマリー。赤い髪の女騎士が、それを優しく受け止める。

朦朧とする意識の中、マリーはその騎士の名を呼んだ。


「ろ、ローラさん…」

「すまない、野暮用があって集合に遅れた」


マリーの窮地に駆けつけたのは他でも無いローラだった。


「あーあ、良い所だったのに邪魔が入っちゃった」


女が眉を顰めてぼやいた。

その女に対してローラは只、鋭く真っ直ぐな視線を注いだ。

女は突き付けられた鋭利な眼光に抗うように、ローラへ問い掛ける。


「あ、あんたがこのか弱いトルミア騎士のお仲間ね」


それを受けて、ローラは床に倒れているマリーに目を向ける。


「ご、ごめんなさい…正体、明かしちゃいました…」

「拷問か?」

「い、いえ…毒、です…」

「……そうか」


涙目になり、苦しそうな声で答えるマリーに対して、ローラは静かに頷いた。

そして、再び女の方へと向き直る。


「あんたも私とやる気なのね?ま、私達の秘密を知っちゃったんだし、二人まとめてあの世に送ってあげるわ。トルミアのお嬢さん」


激情を煽るような女の言葉。

しかし、ローラはそれを一笑に付した。


「それはお互い様だろう?貴様も私たちの秘密を知ってしまった。悪いが口を噤んでもらう」


ローラが両刃の剣を構える。炎に照らされた刃が血を浴びたように赤く光っている。


「あははっ、口を噤んでもらうですって?面白いわね!どうやって黙らせるのかしら!」


女がローラを嘲笑う。

しかし、ローラ冷静沈着な態度を崩さなかった。


「教えてやろう」


人が口を噤む時は三つある。

一つは眠っている時。もう一つは他者の話を聞いている時。

そして――


「死んでいる時、だ」


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