第十六話 グラディウス
日が昇って、一番に目を覚ましたのは三郎だった。
その巨体を勢いよく起こして、太刀を手に取る。
「さあ!朝だ!」
よく響く声。それを聞くまでもなく、三郎が起き上がる音だけでジャックとエレナは目を覚ましていた。
「うるさい」
「いやいや、自分でデカい声出しといてうるさいはねーだろ、三郎」
三郎の大ボケに笑う事もなく、機嫌悪そうにジャックが言う。
「朝から元気ね……」
ベッドから身を起こしたエレナが何か気不味そうな表情で呟く。
「そうか?」
三郎がそれを拾って聞き返す。エレナは三郎と目も合わせず、髪を手でときながら俯く。
エレナは昨晩の事もあり、三郎を警戒していた。
今まで幾つもの死線を潜り抜けてきた。そして、その経験で培った戦いの腕にも自信があった。
そんな自分が蛇に睨まれた蛙のように気圧され、戦慄を覚えた。
エレナは神崎三郎の計り知れない異様さを恐れていた。
しかし、当の三郎は昨晩の事を全く覚えてないかのような振る舞いを見せていた。
「エレナ、腹減って元気ないんじゃないか?朝飯食いに行こう」
空腹だと朝から元気が出ないのは当然だ。三郎はエレナにそう提案する。
どう答えるか迷い、エレナが口籠もっていると、
「どうせお前が腹減ってるだけだろ」
既に身支度を終えたジャックが、苦笑いして三郎に言う。
「あ、バレた?」
頭に手を当てて、三郎が気恥ずかしそうにする。
「とりあえず、飯が食えるか聞いてみようぜ」
何だかんだジャックも腹を空かしているようだ。
「そうだな、そうしよう」
三郎が意を得たりと頷く。
「エレナ、君も一緒にくるかい?」
朝食をとる流れになり、ジャックが気を遣ってエレナを誘った。
「じゃあ、そうするわ…」
そこまで食欲は無かったが、ここは誘いに乗る事にした。
そして三人は部屋をでて、一階の酒場まで向かった。
酒場に降りると、昨晩宿に泊まっていた他の客がテーブルを囲み、朝食をとっていた。
三人も店主に注文して、昨日と違って空いていたテーブル席に座った。
程なくしてチーズの乗ったパンが運ばれてきた。昨晩の献立よりも質素な物だった。
「ま、無いよりマシさ」
ジャックはそう言うと、ゆっくりと食事を始める。
「そうだな!」
飯を前にした三郎は大きく口をあけて、パンにかぶりつく。祖国の米も美味かったが、アトラニアのパンという食べ物を三郎はそれなりに気に入っていた。
「美味いな」
咀嚼しながら喋る行儀の悪い三郎に、エレナは冷たい一瞥をくれた。そして自身も運ばれてきたパンを口に運ぶ。
どこにでもあるような、何の変哲もない味。
味わうまでもなくパンを飲み込むと、三郎とジャックに質問を始める。
「ねえ、宿を出たら二人はどこを目指すの?」
「俺達はグラディウスを目指している」
ジャックが答える。パンに齧り付きながら三郎も頷いている。
(グラディウス……!)
エレナにとって思わぬ僥倖だった。
彼女の目的は三郎の太刀を奪う事である。しかし、狙っているのはそれだけではなかった。
――グラディウスにも我々が狙う
"神代の遺物"を持つ者がいる
組織の調査により、それは確実だ。現に組織の人間が一人、グラディウスに送られているのだ。
(このままコイツらに同行すればグラディウスで仲間と連携を取ることができる)
三郎は侮れない相手だ。もう一人の仲間と協力して、"アレスの双剣"を奪取する。エレナはそう決めた。
「え!実は私もグラディウスに向かっていたの!」
嘘。三郎を追跡するのが本来の目的。
「へぇ、そうだったのか」
ジャックはその言葉を疑う様子も無かった。
「せっかくこうした縁があったんだし、良かったら一緒にグラディウスまで向かわない?」
甘えた調子の声でエレナが言う。
「まあ、俺は構わないが」
三郎に目配せしながらジャックが答える。
ジャックは同行を許可するだろうと思っていた。問題は三郎の方だ。
口いっぱいに頬張ったパンを咀嚼しながら、ジャックに視線を返す三郎。特に返答は無い。
そしてジャックから視線を外すと、エレナに目を向ける。
物を射抜くような強い目力だ。昨夜のあの異様な恐ろしさの余韻をエレナはまだ感じていた。
やがてパンを飲み込んだ三郎。
「いいぞ」
視線を外さないで微笑み、短く了承した。
「あ、ありがとう」
何を考えているのか分からない三郎の表情。エレナはその答えにホッとしつつも、同時に嫌な不安感も覚えた。
やがて食事を終えた三人は酒場を後にして、グラディウスを目指して街を出た。
そして、三郎の動きを追跡地図で確認したローラとマリーもその後を追って街を出る。
ローラの予想通り、三郎は帝国街道をグラディウス方面に進んで行った。
また、遠目に見える三郎と傭兵の男の他に、女が同行している事にローラ達は気付く。
「なんか人が増えてる…」
街道を歩く三郎を尾行しながら、マリーが呟いた。
格好からして恐らく女の傭兵のようだ。
「神崎の考えがよく分からない」
ローラが首を傾げる。見ず知らずの人間になぜ同行を許すのだろうか。よっぽど警戒心に欠けているのだろう。
「あの女も道案内で雇ったんですかね?」
マリーが推測する。
「二人も案内が必要か?」
「……確かに」
結局、どういった経緯で三郎の同行者が増えたのかはグラディウスである事件が起こるまで、二人が知る事はなかった。
――カロビニア王国 グラディウス――
三郎とジャックがトルミアのヴェネットを出てから20日後、ついにグラディウスに到着した。
ヴェネット同様に巨大な城壁で囲まれた歴史ある都市だ。一行を歓迎するかのように開け放たれた市門を潜り抜けると、人通りの多いその古い街並みが目に入ってくる。
「ヴェネットに似ているな」
グラディウスに入った三郎がそう口にした。
「そりゃそうさ、同じ帝国が造った都市だからな」
ジャックが吸っていたタバコを指に挟んでから弾いて捨てると、そう答えた。
――グラディウス
アポロヴィニア帝国の繁栄を今に語り継ぐ歴史ある城郭都市。街全体の作りとしてはヴェネットによく似ているが、大きく違う点がある。
それはこの街の支配者は王ではなく、大商人たちのギルドであるという事だ。
アトラス王国とトルミア王国の国境近くにあるグラディウスは交通の要衝としても知られている。さらに都市の東側にはアトム川という巨大な河川が流れており、交易物資を船で運ぶのに適している。
そういった理由により交易で栄えたグラディウスは、次第に商人達が富の力を持つようになり、諸侯の支配から脱した自治都市として機能していた。
「そんな事より、例の格闘祭の会場はどこにある?」
三郎にとってグラディウスの歴史などはどうでもいい事だった。彼は既に、三戦帝との戦いを前にして胸を踊らせていた。
「本当にあのクレス・レイオスと戦うつもりなのね」
エレナは三郎達との20日間の旅の中で、彼らがグラディウスに向かう理由を聞いていた。はっきり言って無謀な事だと、そう思っている。
しかしそれはエレナにとって良い方向に転ぶ可能性があるのだ。
(もし神崎がクレスに負けて再起不能になってくれれば、あの剣を容易に奪えるかもしれない)
三郎が戦おうとしているのはあの三戦帝の一人だ。
例え三郎が強大な力を秘めていても、流石にクレスに及ぶはずも無い。
「ああそうだ!俺は早く三戦帝と戦いたい!」
エレナの謀と心中など知る由もない三郎。子供のように淀みの無い笑顔でそう言った。
「ふふっ、応援してるわ」
本心ではない。クレスと戦い早く斃れて欲しい、それがエレナの胸中だった。
「大会の受付は会場となる闘技場でやっているはずだ。とりあえずそこに向かおう」
気が逸る三郎に、ジャックが落ち着いた口調で話す。
「そうなのか!詳しいなジャック」
「まあ、何度か観に来た事があってね」
そう言いながら遠目に見える特徴的な建造物を指さすジャック。それこそが格闘祭の会場となる闘技場だ。
「それでは早速向かうとしよう!」
三郎がジャックの指し示す方向へ人混みの間を縫うように駆け出した。
「おい!待てよ!」
急に走り出した三郎を慌てて追おうとしたジャック、しかしエレナがいた事を思い出す。
(あいつを追いかけて走ったらエレナが着いてこれずにはぐれるな)
どうにせよ闘技場に行けば三郎は見つかるだろう。今無理に追う必要はないと判断した。
「ま、ほっといても大丈夫だろ」
三郎の方を指差して、エレナに言った。
「……!」
唖然とするエレナ。無理もない、三郎は彼女が目で追えない程のスピードで走り去ったのだ。
(何が起こったの?)
衝撃的な理解し難い事だった。三郎だけではない。ジャックはエレナの視界から消えた三郎の動きを認識しているのだ。
(神崎だけではない…この傭兵も底知れない何かを秘めている!)
警戒すべき者は三郎だけではない事を、エレナは今理解した。
「どうしたんだエレナ?怖い顔するなよ」
そんなエレナに対して、軽薄そうな笑みを浮かべるジャック。
(まあ、普通は見えるはずも無いよな)
三郎もそうだが、ジャックも常識を超えた実力の持ち主だ。エレナがそれなりの力を持つ者だと見抜いていたが、同時に自分達の領域には及ばない事も分かっていた。
「そうだ、その辺のレストランにでも入って一休みしようぜ。三郎はあとから追っかけよう」
いまだ唖然としたままのエレナに対して、気を引くためにジャックが提案する。
「あ、うん……」
状況を理解しきれないまま頷くエレナ。そしてジャックのエスコートを受けながら、近くにあったレストランへと一緒に入っていった。
――グラディウス 円形闘技場前――
一方の三郎、先程は遠目に見えていた闘技場まで既に到着していた。
円形の巨大な闘技場は4階建てで地下にも施設がある。外壁はアーチが積み重なったようにできており、内部は多くの人を収容できる観客席が備わっている。
その闘技場の入り口らしき場所の前に何やら人だかりができている。きっと格闘祭の受付をしているのだろう。
そして、注目を受けながらその人だかりの中を抜けてきた者がいた。
三郎の大きく開かれた眼は、人々同様その男に釘付けになった。
男は、他の人々の存在を打ち消してしまうような、凄まじい覇気を放っていた。
その巨岩の如き筋骨隆々とした肉体は、彼が纏う古代の重装歩兵のような鎧の上からでも存在感を隠し切れておらず、その屈強さは神話の巨人を人々に思わせた。
背中に大剣を背負っており、獅子のような怒髪を靡かせ、鷲のような鋭い眼光を放ち歩くその姿に、誰もが圧倒された。
三郎は魔力など読まずとも、その男の内側から滲み出す静かで、それでいて燃え上がるような、鋭く洗練された気魄を感じ取っていた。
そんな男の名を人々は知っていた。
アトラニア神話の創造神の一人に数えられる雷の神。
その血脈を継いだ戦いの申し子。
三郎は思わず頬を緩めた。しかしその眼光は鋭く、異様な形相を見せていた。
そして、闘志の籠る低い声で三戦帝の一人の名を呟いた。
「見つけたぞクレス・レイオス」




