第十三話 忍び寄る影
――帝国街道
かつて、アポロヌスとその近隣を含む広大な領域を支配した帝国が存在した。その名も、アポロヴィニア帝国。
帝国は繁栄を極め、その権威の象徴とも言える主要都市と、それを繋ぐ石畳の街道を領土に巡らした。
帝国が滅びてから、整備が行き届かなくなった道は荒れて行き、今では原型を止めておらず歩くのもやっとという地点も存在する。
しかし、幸いにも三郎とジャックの歩くヴェネット、グラディウス間の街道はトルミアの庇護を受け、整備保全がよくされていた。
整備された道は車輪の妨げにならないので、二人の横を商隊や、貴族を乗せた馬車がよく通り過ぎて行く。
三郎は物珍しそうに、そんな馬車を一々目で追っていた。
「何だお前、馬車マニアか?」
三郎を見て、ジャックが不思議そうする。
「いや、日ノ本では馬車なるものを見た事がなかった故」
「へえ、お前の国には馬車走って無かったのか」
最もである。日ノ本には帝国街道のように整備された道はほとんどなく、多くが狭く泥濘んでいた。馬車が通るに適した道があまり無かったのだ。
「都で牛車は見た事あるが……あれは見た事ないな」
忙しげに通り過ぎて行く箱型馬車を指差しながら三郎が言う。
「まあ馬車は勿論便利だけど、もっと便利な乗り物だってあるんだぜ」
何かが近づくのに気付いたジャックがそう言って指を差す。
指の先にあるのは、空。
やがて二人の上空に巨大な物体が現れ、辺り一面に影を作った。
「な、何じゃあれはっ!!!」
三郎の見上げた先には、楕円球にヒレがついた様な…いつか見た鯨のような形の物体が宙に浮いていた。
「飛行船さ」
ジャックも上空に目を向けつつ、その物体の名を教える。
「ひ、ひこ……どんな魔術で空を?」
「あれは魔術だけじゃない、人間の知恵で飛んでるんだ」
ジャックも詳しくは知らないらしいが、アトラニアで採れる魔鉱石やそれを応用した技術をもって、あの船は空を飛んでいるらしい。
「障害物の無い空を移動するからな、多少風向きには左右されるが、馬車よりも何倍も早く移動できる」
飛行船は帝国の時代から存在し、かつて訪れた"賢者の時代"の傑作の一つに数えられている。多くの人数を乗せる事が可能な大型の物と、三人程度が乗り込める小型の物が存在する。しかし、制作に莫大な費用と時間が掛かるので数が少なく、特に大型船は国家が管理する珍しい乗り物なのだ。
「凄すぎる……!」
アトラニアの知恵と技術の結晶に感嘆する三郎。
彼は、まだまだ未知の世界が広がっているのだと改めて実感した。
「てか三郎、お前アトラニアの事全然知らないのによく一人で旅に出ようとしたな……」
そんな未知の世界に対して感嘆に暮れる三郎に、ジャックは若干の呆れを抱いていた。
「はははっ!アトラニアの事を知る前に、三戦帝の話を聞いて熱くなってしまってな。衝動のまま城を飛び出した故……」
そう言って三郎がはにかむ。
「なんつーか….…おもしれー奴だよ、お前」
「そうか?ありがとう!」
「いや、褒めてねぇから……」
戦いの事になると居ても立っても居られない。三郎はそんな男だった。
あと先考えずに今回の旅に出た三郎にとって、こうして知識を共有してくれるジャックの存在はありがたいものだった。
やがて二人の頭上にいた飛行船は遠くの空を目指し、まるで鯨のように宙を泳ぎ去って行った。
その日の夕方、二人は街道沿いの小さな街に到着していた。ヴェネットに比べると殺風景だが、酒場や宿屋も幾つかあるようだ。
「よし、今日はこの街の宿に泊まって行こうか」
街中に入るとジャックが提案する。
「おう、腹も減ってきた事だ。そうしよう!」
三郎がそれに賛成する形で、宿屋を探す事になった。
街の真ん中を帝国街道が貫くようにして走っている。
街道を歩きつつ、それに沿って点在している宿屋を見繕うジャックと三郎。
辺りが暗くなってきた。同じような旅人が、急足で宿屋の中へ入って行く。
「そう言えば、ヴェネットって夜なのに明るかったな」
薄暗くなってきたこの街に比べて、ヴェネットは人の顔を識別できる程に、夜が明るかったのを思い出す三郎。
その疑問にジャックが答える。
「だいたいヴェネットみたいな大都市は星灯石を使った灯りが建物に置かれているからな、その光のお陰で夜道も歩けるのさ」
星灯石、魔鉱石の一種で、夜になると明るい光を放つ性質を持つ。これを建物の壁に作った窪みに供えて置く事で、夜道を照らしてくれるのだ。
また、室内用の灯具としても利用されている場合もある。
「まあ、貴重かつ高価な物だから、こういう田舎町には中々置いてねーけどな」
「ほんと便利な世界だなアトラニアって」
アトラニアの様々な実用品を見て来たのもあって、慣れてきた三郎のリアクションが段々薄くなってきた。
「そんな事より、早く宿見つけねーと日が暮れちまうぜ」
そんな言葉とは裏腹に焦った様子もなく改めて辺りを見回すジャック。
そしてその目に入ったのは一軒の宿。酒場と一体になってる。この手の宿は普通の宿と違って、確実に食事が提供される利点があった。
「よし、あそこだ」
探していた営業形態の宿を見つけたジャックは、やっと飯にありつけると喜ぶ三郎と共に、その宿へ入って行った。
――そして、少し離れた所から、その様子を窺っていた者が二人。
「どうやら奴らはあの宿に泊まるみたいだ」
斜陽が照らす三郎達の姿を鋭い視線で捉えた。
「私達はどうします?ローラさん」
彼らの後ろ姿を睨むローラに対してマリーが尋ねる。
ローラ・アンジュとマリー・ミシュレ。
二人の女騎士は追跡地図で三郎を追い、先程ついにその姿を確認した。
「我々は向かいの宿に泊まろう」
彼らと同じ宿に泊まって、追跡がバレれたら面倒な事になるだろう。そのリスクを避けるべく、向かい側にある小さな宿に腰を落ち着けることにした。
(何だか小汚い宿ね)
マリーが眉を顰める。
ローラの示したその宿は三郎達の入った宿に比べると、小さく古ぼけて見える。
「そんな顔をするな!これは任務だ!」
露骨に嫌な顔を見せるマリーに、ローラが一喝する。
この任務はローラにとって望ましい物ではなかった。ヴェネットを出るまではナイーブになっていたが、始まってしまえばいつものような、厳格で生真面目に仕事をするローラに戻っていた。
「はいはい、分かりましたって」
溜め息混じりにマリーが頷き、ローラに続いて宿に入って行った。
一方、三郎とジャックは、酒場兼宿屋に入っていた。
夕飯時と言うのもあって、店内は賑わいを見せていた。
まず宿の空きを確認するためカウンターまで向かう二人、仏頂面の店主が忙しそうに動いていた。
それに構う事もなくジャックが店主に尋ねると、部屋は空いているらしい。今夜泊まる旨を伝えると、店主が無愛想に頷く。
宿が取れて一安心した二人はそのままカウンター席に座り、食事を済ますことにした。
「食材があまりないんでね、スープとパンしか出せないよ」
注文を受けた店主が、ぶっきらぼうに言う。
「ああ、構わない」
テーブルに頬杖をついて、ジャックが答える。
そうすると店主は慣れた手つきでボウルに味気ないスープを注ぐと、二人の前に出す。そして間も無く、皿に乗ったライ麦パンも提供された。
「どうも」
「ありがとう」
そんな二人の礼の言葉も、次の作業に追われていた店主の耳には入ってなかった。
「忙しそうだな」
他人事なので、どうでもよさそうに三郎は言うと、スープを啜りだした。
「ああ」
ジャックも生返事をすると、ライ麦パンをちぎって口に運ぶ。
そうして二人が黙々と食事を進めていた時だった。
「ねえ、この宿って空きはあるかしら?」
艶を含んだ低い女の声。宿に泊まりたいらしく、店主に尋ねている。
特段気にする事もなく、スープとパンに食らいつく二人。
「いやあ、悪いねお嬢さん。生憎もう空いてる部屋は無いんだ」
二人の時とは違い、太客に媚びる商人の様な声で、店主が女に断りを入れる。
「え〜…残念……」
「すまないねぇ、もうあの旦那さん方が取っちまったもんだからね」
底意地の悪そうな視線を店主が二人に向けるが、話題に出されたジャックと三郎がそちらを向いたので目が合う。
慌てて視線を逸らす店主、そのまま誤魔化すように作業を始めた。
「お兄さん達、ここに泊まるの?」
二人を避けるような店主とは逆に、妖しげな笑みを浮かべて女が近づいて来た。
歳は二人とあまり変わらないであろう、長い黒髪がよく似合う、匂い立つような色気を漂わせた美女だ。涼しげな目元にはあざとい涙黒子がある。
動きやすそうなブーツとズボンを履き、地味な色のシャツの上にはフード付きの埃っぽいケープを纏っていた。
そこら辺の傭兵の様なこの格好では、普通色気など感じるはずも無いのだが、シャツが張り裂けそうな程の悩ましい胸の膨らみは、否応にも彼女の妖艶さを引き立てていた。
「ああ。それがどうかしたかい?」
彼女の足元から顔まで視線を移しつつ、ジャックが微笑みをたたえて訊く。
(おおー美人美人)
三郎は女を一瞥してそう思いつつ、再びパンとスープを忙しなく口に運び始める。
「私、他に泊まれる場所が無くて困ってるの……」
おもむろに、ジャックの隣に座る女。
「それはつまり、部屋を譲ってくれって事か?悪いが無理なお願いだ」
「いいえ違うわ……良ければ一緒に泊めてくれない?」
女はジャックに顔を寄せ、上目遣いをして言った。
「……へぇ」
女の思わぬ頼みに、ジャックは面くらいつつも、
(どーせ、盗賊だろうな)
と冷静に判断した。甘えるようにして自分達に取り入り、眠りについたところで金品を奪い去って行くつもりだろう。
いくら上玉とは言え、簡単に騙される程ジャックは馬鹿じゃない。
「て事は、今夜俺達の相手をしてくれるって意味だよな」
茶化すように下品な冗談を言うジャック。これに嫌気を差して去ってくれるだろうと思ったのだ。
しかし、
「……喜んで」
女は耳朶に響かせるような低い声で囁いた。
(おいおい……)
思わぬ返答に、ジャックは一瞬惑わされそうになるも、
「ズズズッ」
隣で三郎がスープを啜る汚い音を聴き、正気を保った。
その下品な様子に眉を顰める女。
三郎はそのままスープを飲み干し、テーブルにボウルを雑に置くと、意外な事を口にする。
「部屋を間借りさせてやろう。その代わり宿代はそなたに払って貰うというのはどうかな」
「おい、本気かよ」
三郎が女に言った。その言葉を聞き、眉間に皺を寄せるジャック。
「本気さ。こちらは宿代が浮くし、向こうは屋根のある場所で一夜を過ごせる。双方に利があるだろう?」
「いや、そうじゃなくて……」
「旦那は話が分かるね!じゃあ私が宿代を払うわ!」
反論しようとするジャックを遮るように女が三郎に同賛する。そして足早に代金を支払いに向かった。
「おい三郎、あの女の色気にやられちまったのか?」
苦笑いしながらジャックが詰め寄る。
「違うさ。宿代節約できるし、損はないと思ってな」
能天気な様子で三郎が答える。
「あんな素性も分からん奴の隣でぐっすり眠れないだろ」
ジャックが反論する。
「お前はあの者が盗みを働く心配をしている様だが、知っての通り俺は勘が鋭い、寝ていたとしてもあの者が不穏な動きをすれば必ず気付くさ」
確かに一理ある。三郎はジャックの完璧に隠してある魔力を気取る程の勘の鋭さをしている。それを踏まえると問題なさそうだと、ジャックは思えてきた。
「確かに…それもそうだな」
「それにどうせ、今まで何度も素性も知れぬ女を口説いて隣に寝かせて来たのだろう?それと何が違うんだ」
ジャックの性分を見透かすように、三郎が目を細めて口端を上げる。
「なっ……」
痛い所を突かれて、言葉を詰まらせるジャック。
「はははっ!図星だったか!」
大笑いする三郎。それにつられて、ジャックも自嘲的な笑みを浮かべる。
「ま、男二人じゃむさ苦しいしな」
ジャックは女が部屋を使うのを許す事にした。
「一つ残念なのは、お前がいるからあのレディと親睦を深められないって事だな」
「気取りおって……」
そんなジャックのスカした発言に、苦笑いする三郎。
そうこうしている内に、支払いを終えた女が戻ってきた。
「こちらのお兄さんは許可してくれた?」
ジャックの肩に手を這わせ、女が三郎に訊く。
「ああ!」
いつものような濁りの無い笑顔で、三郎が短く答える。
「良かったわ……」
女がジャックの顔を覗くようしてに近づく。どうやら彼女はジャックを気に入ったようだ。
「今夜はくつろいでいってくれ」
女と目を合わせてジャックが言う。ほんの少しの間、二人はそのまま見つめあっていたが、やがて女が視線を外し、二人に感謝を述べる。
「二人の優しさに感謝するわ」
貴族の令嬢のように、恭しく一礼する女。そして色気の滲む声で、自らの名を名乗った。
「私の名はエレナ。以後お見知りおきを」




