第108話 殺人剣
冬の荒野。二人の男が向かい合っていた。
「待たせたな」
「待っていましたよ――神崎三郎さん」
言葉を交わす。
互いに目を逸らさない。
風はない。だが、荒野そのものを揺らすような膨大な力の奔流が、戦鬼を中心に渦巻いていた。
「なぜ俺を誘き寄せた?」
戦鬼――神崎三郎が問う。その顔には嬉々とした笑み。
問われた剣聖は、どこか気の抜けたような表情で答える。
「建前は仕事です。本音は……」
少しの間を置く。気の抜けたような表情の中に見える、鋭い刃のような眼光。
「言う必要もないでしょう」
剣聖――ユリウス・ベルナールドはただ三郎を見据えている。身構える様子も無い。
「……ユリウス・ベルナールドよ。答えになっとらんな」
的を射ない答えに、三郎が腕を組み、眉間に皺を寄せる。
「なぜエリカの身柄をそなたが預かっておる。そもそも、そなたは何者としてここに立っている?」
問いを重ねる三郎に、ユリウスは微笑みを見せて、目を伏せる。
「この際、どうでも良くないですか?だってあなた……」
その言葉と共に、ユリウスが視線を上げる。
「私と戦いたくてウズウズしてるじゃないですか」
ユリウスの眼には見えていた。
三郎の放つ異様な魔力の流れ。
それは通常の魔術士の範疇から明らかに逸していた。
「はははっ!お見通しか!」
三郎が高笑いする。
禍々しい程の闘気が荒野を侵食する。
「もはや前置きは不要と見ゆる……始めようか」
青天が俄かに曇り始める。
自然現象の類では無い事は確かだ。
「エリカさん、離れていて」
ユリウスは落ち着き払った声で、背後にいるエリカに声を掛ける。
ユリウスが言い終わる前に、既にエリカは駆け出していた。
鉛色の空が、不気味な音を響かせる。
雲の奥で何かが唸る。
それは、開戦の合図だった。
「天雷」
詠唱。
空が嘶き、轟音が鳴り響く。
強烈な閃光が荒野を照らす。
無数の雷光が、ユリウスの頭上に降り注ぐ。
大地が抉れる音。土地そのものが悲鳴を上げているかのようだ。
神崎三郎の魔術。それは人一人に向けるにはあまりにも過剰な暴力だった。
砂塵が一面を覆う。
余韻。雷の残滓が空気を焦がす。
通常なら、生物は痕跡を残さずに消し炭となる攻撃。
しかし、彼は例外だった。
「凄いですね。こんな威力の魔術は見た事がない」
弾ける電撃を背に、ユリウスが砂塵の中から悠々と姿を現した。
「でも、まだ本気じゃないと見た」
余裕の微笑みが浮かぶ。
三郎はそれにつられるように、口を歪めた。
「友より聞いた通りだ。本当に魔術が効かぬのだな」
「そうなんですよね。なんせ特殊な血が流れてるので」
他人事のように語るユリウス。
そして、嬉々とした表情の三郎に尋ねる。
「で、どうしますか?」
その問いに言葉での返答はなかった。
三郎は愛刀を抜き打ちざまに、ユリウスへと飛び掛かっていた。
火花が散った。
再び生じた間合い。
互いの視線が、それぞれの手に持つ剣へと注がれる。
「黒い刀身か。変わっとるの」
三郎が溢す。
ユリウスが手に提げる身幅の太い刀剣は、一切の光を反射させない程に、暗く染まっていた。
「この剣を作った人は、"光の化身"なんて呼ばれていますが……その人が遺した言葉によると――」
漆黒の闇の中に、影は生まれない。
「故にこれは――"影無き剣"そう呼ばれています」
「よう分からんが凄いな!」
三郎の反応に苦笑いを浮かべるユリウス。
逆に三郎の手に握られた剣について尋ねる。
「その剣……中々の代物では?何というか、不思議だ」
それを三郎は太刀と呼ぶが、そう呼ぶにしてはあまりにも歪だった。
身幅は太い。斬撃に適した反りのある刀身は諸刃となっており、鈍く妖しい輝きを放っていた。
「はっはっはっ!気味が悪かろう!」
三郎が笑う。
「せっかく言葉を濁したのに……」
ユリウスが眉を顰める。
「名を"神裂き"と呼ぶ」
三郎が重心を落とす。乾いた大地にヒビが入る。
「うるさい」
その呟きと共に、三郎が駆け出した。
常人の目には留まらない速度。
ユリウスは一切動じない。
神裂きが振るわれる。
趣向のない一撃。
だが、そこに込められた膂力は凄まじい。受ければ剣ごと両断される。
そう直感させる、真っ向からの斬撃だった。
ユリウスが動く。
大きくではない。半歩にも満たない距離。
刃が空を切る。
直後、ユリウスの剣がその軌道の内側へ滑り込んでいた。
浅い音がした。
「おお!」
感嘆と共に、三郎が後ろに飛びずさる。
だが、それで終わりでは無い。
凄まじい脚力で溜めを作り、前へと弾き出る。
上段からの愚直な一振り。
空を切る。
三郎は止まらない。
振り下ろした勢いをそのまま横薙ぎへ繋ぐ。
力任せですらある一閃。
だが、その速度は常軌を逸していた。
ユリウスは身を低く沈める。
神裂きが頭上を通り過ぎるより先に、その身体は三郎の懐へ潜っていた。
突きが走る。
三郎が首をずらす。
喉を裂くはずだった切っ先が、皮一枚のところを掠めて抜けた。
それでもユリウスは止まらない。
突きの勢いを殺さぬまま刃を返し、斬り上げる。
さらに返す。
一太刀ごとに殺意があり、一太刀ごとに無駄がなかった。
流れは絶えない。
水が高みから低みへ落ちるように、刃は淀みなく三郎へ注がれていく。
火花が散る。
流れは止まない。
黒い刃が線を描く。
三郎は劣勢。
身を捩り、屈め、時に剣で止める。
好機と見て、剣を振る。
誘い。
圧倒的な速度のカウンター。
三郎の着る濃紺色の衣が裂け、赤が滲む。
ここに来て、三郎はようやく後退する。
「はははははっ!どうにもならんな!」
雷のような声で笑う三郎。
「……楽しそうですね」
ユリウスの眼光は依然として鋭い。
神速の剣の交錯。エリカの目にはそれが映っていたが、見えてはなかった。
二人が駆け出し、火花が散り、立ち位置が入れ替わる。
動作に遅れて、音が響く。
(何が起きているの……!?)
直感する。これは人間の概念の範疇で語れる事ではない。
神。
そんな言葉が脳裏によぎる。
だが当の二人は、既にエリカがこの場にいる事すら忘れかけていた。
「お前の剣、無駄が一切ないな」
よく通る声で、三郎が言う。
「剣を振るう時、無駄が生じるはずなどないんですよ」
ユリウスが返す。その眼差しは冷たい。
「少し聞かせてくれよ」
三郎の剣を握る手が緩む。
それを見て、ユリウスが口を開く。
「……剣は、人殺しの道具に過ぎません。そして戦いは命を取る行為に過ぎません」
ユリウスにとって、それはあまりにも単純で、つまらない事実だった。
「血が飛び散り、臓腑が溢れ――誰かが傷つく」
過去の記憶が反芻する。
「命の取り合いに、美徳も大義もあってはならない。剣に、美しいも醜いもあるはずがない」
冬の乾いた風が一筋、荒野に吹いた。
剣を、殺しを飾り立てる必要など無い。
だからユリウスの剣は無駄がなく、最短距離で命に届く。
飾らぬ殺意――
それがユリウス・ベルナールドを剣聖たらしめる所以。
「……なのに、あなたはなぜ笑っているのです?」
剣聖の双眸が細まる。
「いやはや……お前の言う事は尤もだ。俺自身、戦いは美しく、正々堂々とした物でなければならぬと、堅く信じてきた。されど……」
一切の搦手の無い、真っ向勝負。純然たる戦い。
それは三郎の理想だった。
「俺は"戦い"を勝手に飾り立て、その本質を濁していたようだ」
自嘲的な笑み。
「殺し合い――命の取り合いこそが純然たる戦いで、本質だ。それを知っているからお前は強い」
笑みが広がる。
「だが……それを理解した上で、俺はお前との"戦い"を楽しんでいる」
その笑顔に、濁りはない。清流のように澄み切っていた。
ユリウスが剣を構える。
「イカれてますね」
「よく言われる」
三郎が剣を握り締める。
直後、砂塵が舞った。
仕掛けたのはユリウスだった。
水流のような変幻自在の太刀筋。
脱力と緊張の究極のバランス。
攻撃の角度に定型はない。ありとあらゆる方向から刃が走ってくる。
(剣術と言うのみでは、収まらない!)
剣ではない、三郎を取り巻くあらゆる物が、彼の命に迫ってくる錯覚。
それは、森羅万象と戦っているような感覚。
ユリウスの攻撃を受けながら、三郎の胸が高鳴る。
「まさに、術理の極地!」
強引な身のこなしで体を捻じり、影無き剣を躱す。
再び、間合いが生まれた。
ユリウスはその表情とは裏腹に、驚愕していた。
三郎の言う通り、自分の剣は術理の極地に到達している。
ありとあらゆる生物が抗えない理。
だが、それに抗う男が目の前に現れた。
自分の完璧な術理に対応する三郎を見て、ユリウスの中で堅く信じられてきた何かが、風の前の火のように揺らぎ始める。
「……仕方ない」
影無き剣を握る手に、俄かに力が入る。
僅かに落ちる視線。
体の影に漆黒の刀身を隠すように、ユリウスが構える。
この後間を置かずして、剣聖至高の一刀が世界に刻まれる事となる。




