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雷鳴の武神  作者: ジュリ
第二部 契約者の詩
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第106話 人質

 ――ロノド公国首都 ドラヴェル城 牢獄――


 あれから、どの位の時間が経ったのだろうか。

エリカは知る由もない。


湿気を含んだ冷たい石壁。狭い高窓から差し込む陽の光。床に染み込んだ血痕。


ドラヴェル城の牢獄。


エリカは縛り上げられた両手を、天井から伸びる鎖で吊るされ、拘束されていた。

身を捩れば、鎖の冷たい音が石壁に反響する。

目隠しを取られた時には、既にこうなっていた。



 遡る事7日前、血塗れの影によって人質となり、連れ去られてたエリカは目隠しをされ、口に布を噛まされ、行くあても分からずに運ばれた。


しかし道中、猟犬達の会話の内容から彼らの正体と行先を断片的に掴む事ができた。


人々に忌避される暗殺者集団、血塗れの影(クローヴィ・チョール)。彼らは一度態勢を整えるため、その場から一番近い味方の拠点、ドラヴェル城へと向かっていた。


今も猟犬達がこの城にいるのかは分からない。

しかし――あの男がこの城にいる事だけは確かだった。


不意に、牢獄の重たい鉄の扉が開く音が聞こえた。


足音が重なる。


エリカは少し霞む視線を、そちらへと向けた。


「フフフッ……実に良い眺めだなぁ」


「ヴァシーム……!」


鎖に吊るされたエリカへと下卑た笑みを浮かべる壮年の男。

ロノド公ヴァシーム。

エリカの家族を奪い去った、憎むべき男。


「なあ、そうは思わんか」


ヴァシームが付き従ってきた背後の人影に賛同を求める。


「仰せの通りでございます!ロノド公!」


威勢の良い追従の声が牢獄に響く。

大柄。中年の男。

ヴァシーム腹心の魔術士、焦炎のブラト。

そして、その隣には長い黒髪を結い、黒衣を纏った若い女。


「イリーナ……!」


エリカが掠れた声で女の名前を呼ぶ。

イリーナの目はどこか虚だった。エリカの呼ぶ声に反応を示さない。


「おいおい……このロノド公ヴァシーム様を差し置いてこんな女に話し掛けるとはなぁ……」


「不遜極まりないですな!」


ヴァシームが呆れた口調で宣い、ブラトが腕を組んで何度も頷く。


それでも、エリカの視線はイリーナへと送られていた。


「イリーナ……どうして?」


声が震える。拘束されている事を忘れ、彼女へと歩み寄ろうとする。

鎖が揺れる音に混じって、ヴァシームの笑い声が耳をつく。


「はははっ!しょうがない女だ!まあ無理もなかろう、イリーナとは竹馬の友だったと聞く」


ヴァシームが振り返り、イリーナに顔を向ける。

そして、少し間をおいて彼女の腕を掴みを引き寄せた。


「イリーナに触れるな!」


咄嗟に叫ぶエリカ。しかし、ヴァシームはいやらしい笑みを浮かべたまま、イリーナの腰を抱いた。


「そう言われてもなぁ。もう何度もこうして触ってきた」


ヴァシームがイリーナの体に手を這わせる。

粘ついた手つき。イリーナは無抵抗。

エリカは思わず目を伏せた。

しかしもう一度、その眼差しをイリーナに向ける。


「一年前のあの日、あなたは姿を消した。今日までに何があったのか説明して!」


イリーナは答えない。


「お願い……イリーナ……!」


震える声。


ヴァシームに体をまさぐられながら、イリーナが虚だった目をエリカへと向ける。


そこに宿ったのは、怒りだった。


「今更……何をしにきた……!」


ヴァシームが口端を歪めたまま、イリーナを離す。


「一年前、私は戦った!それに比べてアンタどう?アンタは……目を逸らし続けた!」


その言葉はエリカの胸を抉った。

確かに自分は目を逸らし続けた。

そして知らなかった。反抗を試みたイリーナの姿を。


「懐かしいなぁ、一年も前か。このヴァシーム様がロノド公に君臨したあの日だ」


やや甲高い声がエリカとイリーナの間に割って入る。


そう。一年前とはヴァシームがロノド公国へとやって来た日だ。


「教えてやるよエリカ。イリーナに何があったのかを」


ヴァシームがイリーナの肩に手を置いて、語り出した。


 ヴァシームは、ロノドにやって来てすぐに暴政を敷いた。反抗をする者はノーシアから連れて来た腹心のブラトが悉く始末した。


抹殺が行われる中で、ヴァシームはある人物に目をつける。


それは――エリカだった。


前ロノド公の親衛隊でありながら、反乱に加担しない存在。

ヴァシームは興味を惹かれる。何より、エリカは美しい見た目だ。


ヴァシームはエリカを歯牙に掛けようと考えていたが、そんな時に反乱を起こしたのがイリーナだった。


ここで、ヴァシームの興味はイリーナへと移る。

彼はブラトに命じる。


「この女は殺すな」


ブラトはイリーナを打ちのめし、生捕りにした。


それからイリーナは辱めを与えられ続けた。

何日も何日もそれは続いた。


「そんな中で印象的だったのはさぁ、時折この女が呟くんだよ、『エリカ、エリカ』ってなぁ!」


ヴァシームが笑い声を混じらせて言った。

エリカは息を飲み、目を見開いた。


「お前がその内助けに来てくれるとでも思っていたんだろうなぁ!でも、でも……でもでもでもぉ!お前は何もしなかった!ふははははは!」


ヴァシームがエリカの目を覗き込んで笑う。

エリカの瞳が揺れる。


「中々イリーナの心が折れる事は無かったが……逆に言えば躾甲斐があったとも取れる。まあ楽しかったよ」


ヴァシームはそう言ってイリーナの尻を叩いた。

イリーナの表情が僅かに揺らいだ。


「エリカよぉ。イリーナに感謝しな。こいつがいなければ今頃堕ちていたのはお前の方だったかも」


「い、イリーナ……」


言葉が見つからない。エリカは何か訴えるような視線をイリーナに送るだけ。

その間に、ヴァシームが割入る。


「ま、今からお前も堕ちていくんだけどな」


残忍な笑みが浮かんでいた。


「イリーナ!やれ」


そう言って後退りするヴァシーム。

代わりに前に進み出てきたのはイリーナだった。


「なんで……なんで助けに来てくれなかったの……!」


低い声でそう言いながら、イリーナはエリカに手を翳した。


「イリーナ……話を……!」


その直後、青白い光が爆ぜた。


「あ、あああああ!!!」


鋭い衝撃がエリカの体中に駆け巡った。

苦痛に身を捩るが、逃げる術はない。


やがて、電撃が止まる。


「ハァッ!ハアッ!」


呼吸が荒くなる。視界が揺らぐ。


「アンタも味わえばいい、私と同じ苦しみを!」


再び電撃が走る。


「やめてっ!!」


閃光が、牢獄内を眩しく照らす。エリカの悲痛な叫びが響き渡った。


その声を聞いた後、イリーナは魔術を止める。

エリカを睨むその目には、負の感情が渦巻いていた。

しかし、その手は微かに震えていた。


「アンタなんか、アンタなんか……!」


憎々しげに繰り返す。

エリカは何も言えず、ただ呼吸を荒くする。

彼女の衣服が焼け焦げた匂いがあたりに充満していた。


この様子を眺めるヴァシームは劣情を滾らせ、笑みを浮かべていた。


「しかし、猟犬どもは良い土産を持って来てくれたものだ」


「左様ですなロノド公!」


ブラトが両手を合わせて追従の笑みを浮かべる。


「前々からエリカはいい女だと思っていた……よぉし、そろそろお楽しみと洒落込もうかなぁ……!」


ヴァシームはそう言うと、おもむろにエリカの側に近寄る。


「お前も、しっかりと躾けてやるからなぁ!」


ヴァシームの手が、エリカへと伸ばされる。


しかし――止められる。


「あ?」


ヴァシームの手を掴みそれを阻んだのはイリーナだった。


「おいイリーナ。これは何のつもりだ?」


ヴァシームの笑みが引き攣る。目にじわじわと怒りが渦巻く。

イリーナは目を伏せたまま、何も答えない。


「い、イリーナ」


エリカは動揺して、名前を呼んだ。

しかし、それをかき消すように、ヴァシームが自らの腹心に命令を下す。


「ブラトぉ!この不届者に罰を与えるのだ!」


「承知致しましたぁ!」


ブラトが巨体を揺らして駆けつける。

イリーナを羽交締めにしたブラトは彼女をヴァシームから引き離し、石壁に叩き付ける。


「ぐぅっ!」


イリーナが苦悶の表情を見せる。

彼女の髪を掴み、ブラトは残忍な性根の透ける笑顔を浮かべる。


「さぁ、久しぶりにお仕置きの時間だイリーナ」


「やめろ!」


それを見てエリカが叫ぶ。しかし、ヴァシームがその前に立ち塞がる。


「よそ見すんなよ。お前は俺が可愛がってやる」


ヴァシームはそう言って、エリカの服を引き裂く。


「いやっ!」


エリカの悲鳴が牢獄に反響した。


その時――



牢獄を閉ざしていた鉄の扉が開く音が聞こえた。


その場の全員が、音の方を向く。


不気味な程に落ち着いた、ブーツの足音。


「お取り込み中失礼します」


高窓から差し込む光に照らされたその姿は、あまりにも神々しかった。


「お、お前は……」


ヴァシームの声が震える。


「あ、いましたね。ヴァシームさん」


ここに現れたのは他でもない。剣聖ユリウス・ベルナールドであった。

ユリウスはヴァシームの姿を認めると、落ち着き払った様子で、静かに近寄った。


本来ヴァシームを守る役目のブラトは、ユリウスの立ち姿に圧倒され、しばし身動きが取れなかったが、弾かれたようにヴァシームとユリウスの間に立ちはだかる。


「と、止まれ無礼者!このお方は偉大なるロノド公であるぞ!」


「いや知ってますよ。今はヴァシームさんに用があるんです。あなたに用はない」


野良犬でも追い払うかのように、ブラトに対して手を振るユリウス。


「舐めるなよ!」


ブラトは傲慢な男である。故に、ユリウスの態度が琴線に触れた。

ユリウスに掴み掛かる。

しかしその瞬間、ブラトの体は宙を舞い、たちまち石畳みへと叩きつけられた。


「ぐはぁ!」


ブラトの呼吸が止まる。視界がぐるぐると回る。


ユリウスはそんな彼を覗き込み、尋ねる。


「まだやりますか?」


ブラトは完全にキレた。


「許さんぞ!」


即座に立ち上がると、魔力を解放する。

焼き焦がすような熱気が、牢獄内に満ちる。


「この焦炎のブラト様の魔術を受けて焼け焦げろ!」


火炎の球がブラトの掌で生成される。

ユリウスの表情は全く変わらない。


「恐れを成したか!だが謝ってももう遅い!死ね!」


ブラトがユリウス目掛け、火炎を撃ち放った。

炎が音を立ててぶつかり、ユリウスの体を包み込んだ。


エリカとイリーナは眩しい光に思わず目を伏せる。


そして、恐る恐る目を開く。


その先で見たのは信じ難い光景だった。


「無駄ですよ」


剣が鞘から抜ける音。

火炎に身を焼かれたはずのユリウスが何事もなかったように、そこに立っていた。


「馬鹿なっ!」


ブラトが声を上げる。

ブラトは東域でトップクラスの実力を持つ魔術士だ。

ユリウスはその魔術を喰らって、傷一つ負っていない。


「くそっ!」


ブラトが火炎弾を撃ち放つ。

直撃。

しかし、ユリウスは無傷。


そして、一足一刀の間合いに、ユリウスが辿り着いた。


「降り掛かる火の粉は払わないと」


その言葉と共に、剣が振るわれた。


その太刀筋は、誰の目にも留まらなかった。


ユリウスが剣を鞘に納める。


その後、ブラトの首が静かに床に転がった。


「ひ、ひぃいいいいい!!」


真っ先に悲鳴を上げたのはヴァシームだった。

腰を抜かして、床にへたり込む。


ユリウスはそんな彼へと静かに目を向ける。


「少しお尋ねしたい事があるのですが、時間あります?」


ヴァシームはその問いに、過分な程に何度も何度も頷いた。

それを見たユリウスは「よかった」と微笑みを浮かべると、周囲に視線を巡らす。


「ちなみに聞きますけど。あなた、私と戦いますか?」


まず目を向けたのはイリーナ。


蛇に睨まれた蛙のように、イリーナは身動きが取れなかった。


「戦わないなら、帰っていいですよ」


ユリウスは牢獄の出入り口へと目配せする。

イリーナは地面を這うように後退りすると、一瞬だけエリカへと目を向けて、出入り口へと駆け出した。


「イリーナ!」


エリカが名を呼ぶが、イリーナは振り返らなかった。


「で、次にですけど。今ってどういう状況です?」


ユリウスがエリカとヴァシーム交互に視線を送る。

二人は何も答えられない。


「まあいいや、ゆっくり話してくださいよ」


少々気怠そうにそう言うと、ユリウスは壁にもたれかかった。



――――――――――――――――――――



 エリカは、牢獄を出た。

しかし、自由になった訳ではない。

再び人質として連れ去られているのだ。


「ちょっとだけ、付き合ってください」


エリカを抱きかかえて、ユリウスはそう言った。


エリカはユリウスが着せてくれた彼の外套にくるまりながら、その顔を見上げる。


「あ、あの……これは一体、何があったのですか?」


「ん?ああ……彼らの事ですか」


ユリウスは城の回廊を歩きながら、そこら中に倒れている城兵へと目を向ける。


「さっき城にお邪魔した時、斬り掛かってきたのでね」


城内に、人の気配が無い。

原因は言わずもがな。


「本当にあの人と戦うつもりですか?」


床に染みる血から目を逸らし、エリカが新たに尋ねる。


「ええ。仕事なんで」


淡々と答えるユリウス。そこに感情は見えない。


「でも、あの人は……」


「そんなに強いんですか」


歩調を変える事なく、視線を前に向けたまま、ユリウスが聞き返す。


「……」


含みのある沈黙。エリカは何も言わない。


「まあ、どうとでもなります」


ユリウスはそれについて深掘りする事はなかった。


やがて二人は城門へと辿り着く。


「そうだ。手紙はここに置いておきますかね」


ユリウスは抱えていたエリカを降ろすと、懐から一通の手紙を取り出す。

近くに倒れていた城兵の手から剣を奪うと、手紙と共に城門に突き立てた。


「食いついてくれるといいのですが」


そう呟くと、再びエリカを抱え上げる。


「さ、行きますか」


軽い調子で言うと、何ら緊張感のない足取りで城を去って行った。



―――――――――――――――――――――



 ユリウスがエリカを連れ去ってから数刻後――ドラヴァル城の城門前に、少数精鋭の一団が現れる。


神崎三郎一行とトルミア騎士団である。


「一体何が起きたんだ」


ローラが驚きの表情を浮かべて言った。

城門の前には数人の城兵の亡骸が転がっており、門の中から血が流れてきているのが見える。


「仲間割れ?敵襲?」


マリーが首を捻る。


「ここ数日の調査でエリカはこの城に連れて来られているのは確かだ。彼女が無事だといいんだけど」


キリアンはそう言いつつ、城門へと進む。

三郎一行と、騎士団の面々がその後に続いた。


「不謹慎なんだけどよ」


三郎の隣を歩くジャックが口を開く。


「面白い事になりそうじゃねーか?三郎」


三郎はその視線を城門へと注ぎながら、口の端を歪める。


城門に剣が突き立てられていた。

そこに張り付けてあったのは、手紙。


宛名は神崎三郎。


エリカの身を預かっているという内容と、神崎三郎が一人で引き取りに来ると言う条件。

場所は城の南へ進んだ先の荒野。


差出人の名はユリウス・ベルナールド。


「三戦帝か」


猛り狂う雷のように激しい闘志が、神崎三郎の中で弾け始めていた。



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