第105話 惑う煙
トルミア騎士団と血塗れの影の戦闘は思いもよらない結末を迎えた。
戦闘狂、神崎三郎の乱入。
血塗れの影猟頭ヴォロドは、かの男の異様な闘気と、ジャック・レインの見せた圧倒的な火力を前に、即時撤退を決断。
敵勢力の内から無防備な弱者を迅速に見極め人質とし、戦場から退却を成功させた。
一方、神崎三郎一行とトルミア騎士団は、ベルサン公国へ向かうという目的の一致と、それに案内人エリカの存在が必要だという解釈の一致から、行動を共にする事となった。
しかし――曲者揃いの両者の足並みが、簡単に揃うはずもなかった。
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――ロノド公国 とある廃村――
血塗れの影との戦闘から既に5日が経過していた。
トルミア騎士団と神崎一行は連れ去られたエリカを追っていたが、その痕跡を辿るのは至難の業である。
そして今、この歪な集団は寂れ切った廃村に野営を敷き、しばしの休息を取っていた。
5日前のあの日、キリアンは三郎に協力を提案した。
ローラやマリーから伝え聞いていた三郎の"勘の良さ"と、トルミア騎士団の卓越した哨戒能力が組み合わされば、エリカの捜索はそれぞれが単独で行うよりも、容易に進むはずであると。
しかし、誤算だったのは、三郎達の足の速さだった。
多くの怪我人を抱え、万全時よりも行軍速度が大きく劣る騎士団に対して、三郎達は剛健そのもの。
動きの遅れる騎士団へ、三郎は急かすような視線を常に送っていた。
そんな彼に、キリアンはしばしの休息を提案する。
三郎は無表情で頷いた。
夜。依然として東域の風は冷たく、疲労の溜まる騎士達の体に容赦なくぶつかり続けていた。
焚き火の周りで暖を取る部下達に向けるキリアンの視線は、どこか憂いを帯びていた。
(やっぱり、厳しかったか)
視線の先を変える。
もう一つの焚き火の側で退屈そうに伸びをしているのは神崎三郎だ。その周りの仲間達は何やら他愛もない会話を繰り広げている。
二つの集団の雰囲気はまるで違う。
疲労の壁。
足並みが揃わないのも頷ける。
(僕の判断は正しかったのか?)
キリアンの中で、決断が揺らぐ。
三郎らと行動するメリットは、敵の襲撃を回避できるという点である。血塗れの影は、彼らを明らかに危険視している。
しかし"士気"という点で見ると、三郎達の気の抜けた雰囲気と余裕が騎士団に与えるのは、決して良い影響ではない。
「アイツら、緊張感のかけらもないぞ」
「この状態でよく腑抜けた会話ができるな」
「馬鹿にしているのか?」
現に、騎士達から不満を露わにした声が漏れ聞こえて来ている。
不満は伝播し、やがて亀裂へと変わる。
キリアンが憂いていたそんな時、よく通る低い声が野営地に響いた。
「よーし!そろそろ出発しようぞ!」
三郎だ。
余裕綽綽といった様子で立ち上がって、誰に言うともなく声を上げる。
騎士達が、眉を顰める。
キリアンはこれ以上の不和を避ける為、行動を起こさねばならなかった。
「三郎殿、ちょっといいかな?」
三郎に劣らないよく通る声。
キリアンが、三郎の元へと歩み寄る。
「何かな?キリアン殿」
「今日はここで夜を越したい。ここの所皆んなまともに眠れていないから」
キリアンが単刀直入に述べた。
近くで見る三郎の威圧感は凄まじい。彼にそんな気がなくとも、その肉体と独特な空気感は、見る者を圧倒する。
「いやいや、あれからもう5日も経っておる。朧げだがエリカの足取りも掴めそうだし、とっとと先を急いだ方が良いだろう?」
三郎が一歩前に進み出る。笑顔だ。しかし、先程よりも声が低い。
キリアンの背丈は三郎にやや劣る程度だが、彼はキリアンよりも何倍にも大きく見えた。
だが、キリアンは引かず、一歩前に進み出る。
「三郎殿が急ぐ気持ちはよくわかるけど、騎士団団長として、部下達の疲労は無視できない」
「……」
三郎が黙る。笑顔。しかし、眼の光が変わる。
「……もし、無理だというならこっちは単独で動く事にする。でも考えてみて。幾ら君の勘がよかろうと、より正確な足取りを辿るには僕らの斥候が必要なはずだ」
キリアンの眼光が鋭さを帯びる。
「それとも、闇雲に探し回るかい?もう5日も経っているけど」
三郎はキリアンの言葉を黙って聞いていた。
その表情から思考は読み取れない。
そして、しばし沈黙を続けた後、その口を開いた。
「一理ある。分かった。今宵は休み、明日出発しよう」
笑顔で頷く三郎。
「ありがとう。三郎殿」
キリアンと三郎は握手を交わした。
その後、三郎は調子の良い声で騎士団の面々に声を掛ける。
「各々方!今宵はぐっすり休まれよ!警備はこの神崎三郎が承る!」
そう言って自身の胸をドンと叩く三郎。
「俺は寝ないぜ。アイツは油断ならない」
遠目に三郎を見据えてそう言ったのはジェイドだった。
しかし、彼の肩をポンと叩いてジェフリーが首を振る。
「今は無理する時じゃないよジェイド」
更に、それに賛同したのがローラとマリーだった。
「まあアイツの世話になるのは癪に触るが、今日の所は休むとしよう」
「そうよ!今日くらい肩の力を抜いとこ!」
三人に宥められ、ジェイドは軽く溜息をつく。
「……分かったよ」
兎にも角にも、キリアンの交渉の甲斐あって、不協和音が広がる事態は防がれた。
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野営地の外れに、そこを見下ろせる小高い丘がある。
キリアンは丘の上から野営地を見下ろして、敵襲の警戒に当たっていた。
三郎に交渉した手前、自分まで休みを取るような真似はできなかった。
しかし、疲れが溜まっていることは否めない。
キリアンは無意識のうちに懐から煙草を取り出していた。
煙草を咥えた後、マッチを探すが見当たらない。
どこかで落としてしまったようだ。
仕方なく、一服を諦めようとしていた時だった。
「火、いるかい?」
不意に掛けられた声。
隣に立っていたのは、人差し指に火を灯したジャックだった。
「驚いた。僕に気取られず背後を取るなんてね」
キリアンは苦笑いしながら、煙草を差し出す。
「まあ、相手が悪いさ。気にすんな」
ジャックは軽口を叩きつつ、煙草に火をつけた。
その後、自身も煙草を咥え、煙を蒸した。
「にしても意外だな。アンタが煙草だなんて」
ジャックが言う。
キリアンは煙を静かに吐いた後、自嘲的な笑みを浮かべる。
「意外か……ま、煙と共に色々と吐き出せたら最高なんだけどね」
「高名なトルミア騎士団団長ともなると、重圧はひとしおだろうな」
冗談混じりにジャックが言って、フッと煙を吐く。
その言葉に、キリアンは僅かに頷いた。
「迷ってばかりさ。今の自分の判断は正しかったのか、もっと良い選択肢はなかったのか……ってね」
そもそもキリアンは、騎士団団長の座に着いた事を、自分の中でまだ消化しきれていなかった。
責務は全うすべきだと理解しているし、そうするつもりだ。
しかし時折、貫くべき自信が揺らぐ。
「正直、人を斬るのは好きじゃない。人の感情を煽って利用するだって嫌さ。でも、僕はトルミアの騎士として生きる事を決めた」
キリアンは優しい。幼い頃は虫すら殺す事が出来なかった。
しかし、生家は高名な軍人貴族の家柄。強く、時に冷徹になる事をキリアンは強いられた。
それに対して、疑問はない。国への、王への忠誠心だけは決して揺らぐ事は無い。
しかし、生来の性格がキリアンを時折迷わせる。
「僕は弱虫なんだよ」
煙草を蒸す。キリアンの憂いを帯びた視線は野営地に向けられていた。
ジャックはキリアンの話を黙って聞いていた。
いつしか、煙草は短くなっていた。
「弱虫ねぇ……そんな事無いと思うぜ」
ジャックはそう言って、煙草を指で弾いて捨てる。
「少なくとも、三郎に面と向かって反論できる奴はそうそういないと思うよ」
ジャックが微笑みを浮かべる。
キリアンは少し驚いた様子で彼の方を見ていた。
「ま、考え過ぎんなよ。アンタは強い」
キリアンに視線を返すジャック。その言葉に嫌味や皮肉は一切含まれていなかった。
彼の声を聞いて、キリアンはそれを強く確信した。
「ありがとう、ジャック」
キリアンの顔に、そよ風のような爽やかな笑みが戻った。
「じゃあ俺は一眠りしてくるわ」
ジャックは手をヒラヒラと振って踵を返す。
そんな彼を、キリアンは咄嗟に呼び止めた。
「あ、待って!」
「ん?」
ジャックが振り返る。
「あの、さ。僕が煙草吸ってる事、皆んなには……特にローラには内緒にしておいてくれるかな?」
「え?なんで?」
「ローラって煙草の匂い嫌いだからさ」
苦笑いのキリアンは懐から香水の入った小瓶を取り出して、服に振りかけた。
「あー……そういう事ね」
含みのある笑みを浮かべたジャックは「任せとけ」と頷き、この場を去って行った。
彼の背を見送ったキリアンは再び、野営地の方へと向き直る。
(僕には守らなきゃならないものが沢山ある)
東域の夜は長い。
若き騎士団長は、その碧い眼を静かに夜の闇に向けた。




