第103話 乱入
立ち上る煙幕。まだ熱の冷め切らない、戦場となった丘。
トルミア騎士団は、迅速な動きで斜面を下っていた。
先頭に立つのはキリアン。表情は厳しい。まだ戦いは終わっていない事を誰よりも理解している。
その後に続くのはローラだ。肩に担ぐのは未だ昏睡状態にあるアーリ。
「重くないの?」
ジェイドが若干呆れた様子でローラに尋ねた。
「この程度、大した事はない」
アーリは貴重な情報源になり得る。放っておく訳には行かなかった。
そして、ローラとジェイドの後に続くマリーとジェフリー。
「ジェフリー君は可愛いから、魔術のコツ教えてあげるね〜」
「あ、ありがとうございます」
軽口を叩くマリーと赤面するジェフリー。
彼らの後に騎士団員が続く。
怪我人は増えている。しかし、彼らの闘志は折れていない。
一重に、"キリアン・ユローの本気"に抱く絶対の信頼が、彼らの活力を激らせていた。
――そして、丘の上から騎士団の動きを眺める暗い影。
血塗れの影。ノーシアの猟犬。
マリーの強力な魔術を受けながらも、彼らは無傷でいた。
その理由――
「よくやった、ラザール」
ヴォロドの短い賞賛に、ラザールは僅かに頭を垂れる。
ラザールの張った"結界"が、爆炎を弾いていた。
騎士団が撤退する中、ラザールはボグダンを伴い、ヴォロド達の元へとやって来ていた。
そしてヴォロドは冷たい表情を浮かべたまま、静かに命令を待つ猟犬達に言葉を告げる。
「本気でやる」
この場にいる誰もが、その緊張と恐怖を滲ませた。
「ラザール。俺と敵の頭領を"円"に閉じ込めろ。徹底的にやる。ミロシュは引き続き樹兵で敵に圧力を掛けろ。ボグダンは可能な限り"溜め"を作れ。イリーナは敵の撹乱を続けろ」
矢継ぎ早な命令。猟犬達はただ黙ってそれを耳に入れる。
そして一呼吸置き、ヴォロドが口を開く。
「全力だ。全力を出す。貴様らも――」
その鋭い視線がイリーナに向く。
「仕損じるな。後は無い」
イリーナの背中に冷たい汗が伝った。
――――――――――――――――――――
丘から少し離れた平原。遮蔽物は無い。
逃げる事も隠れる事もできない。
待っているのは、正面衝突。
「望む所さ」
しかし、それは戦場において最高の衝突力を誇るトルミア騎士団の本領。
キリアンは、無意識のうちに笑みを浮かべていた。
剣を抜き、視線を遠くに送る。
やがてその目に、黒衣の猟犬の姿が映った。
彼らの内、前に進み出てきたのは猟頭、ヴォロド。
「一騎打ちかい?いいね」
キリアンが言葉を投げる。
「結局はこうなってしまったよ……始める前に聞きたい、お前の名は?」
ヴォロドが口端を歪めて尋ねる。
「トルミア騎士団団長、キリアン・ユロー。君は?」
剣を構えながら、返す。
「血塗れの影……猟頭、黒狼のヴォロド」
手を広げ、ヴォロドが構える。
二人の殺気がぶつかる。
それが、合図となる。
「呪陣・地縛円界……」
ヴォロドの後方で、ラザールが呪いを唱える。
既に、護符は並べられている。
猟犬達は、二重三重の予測を立て、あらゆる場所を戦場と見立てる。
キリアンとヴォロドの周りを円が囲む。
「俺たちだけの闘いだ、キリアン」
「受けて立つよ、ヴォロド」
円陣が完成に近づく。
魔力が、呪力が昂る。
二人の背後に控える騎士と猟犬。それぞれも臨戦体制に入る。
戦意が、平原に満ちる。
―――――――――――――――――――
焼け焦げた丘の上。樹兵の残骸と、微かな血の匂い。
その中央に立ち、戦場になろうとしている平原を見下ろす者がいた。
羽飾りのついた帽子。色彩鮮やかな衣装。腕に抱えるのは古びたリュート。
「なんて甘美な匂いなんだろう」
少し掠れた優美な声。
「さあ、もっと……もっとだ!赤い色で地を染めて、剣をぶつけて音を奏でるんだ!」
笑い声を混じらせて、吟遊詩人が高らかに叫ぶ。
――しかしその笑い声が、途端に消え失せる。
吟遊詩人の視線は、向かい側、平原を見下ろす小高い台地に向けられていた。
「……君は本当に」
吟遊詩人が目を伏せる。そして、帽子を目深に被り直して、踵を返した。
「何者なんだよ」
―――――――――――――――――
戦いが始まろうとしていた。
アポロヌス最強格、トルミア騎士団。
東域の最高戦力、血塗れの影。
双方にかつてない緊張が走る。
視線がぶつかり合う。
二人の頭領を囲む円は完成に近づく。
両者の戦意が、極限まで高まった時――
異変が起きる。
この場にいる、一定以上の実力を持った者達が、一斉にある場所へと目を向ける。
平原を見下ろす位置にある、小高い崖の上。
そこに立っているだけで、大気を歪ませるような異様な気迫、闘気、魔力――
「……!!!」
「……おでましか」
「な、なんで!」
「嘘でしょ!」
「どうして……!」
「何故お前がここにいる!!」
戦場を見下ろす異分子。
その面を狂気的な笑みで歪ませていた。
「おうおう!祭りがやっとるではないか!」
戦鬼、神崎三郎。
戦の匂いを嗅ぎつけて、戦場に姿を現した。
「さて、どうするか。混ぜてもらおうかな」
三郎が笑みを浮かべたまま独りごちる。
「お前やっぱすげーな。本当に戦ってるじゃん」
三郎の背後から声を掛けたのはジャック・レイン。
「まあ、俺の勘はやたらと鋭いからな」
三郎達はアレクサンダー・スレイドの足跡を追い、ベルザン公国を目指していた。
その道中、三郎が急に喚き出す。
「戦の匂いだ!」
弾かれるように走り出した三郎をジャック達が追いかけた。
そして、一行の目に写ったのは、今まさに衝突せんとしている二つの勢力だった。
「にしても、まさか顔見知りと出会うなんてね」
ジャックがニヒルな笑みを浮かべる。
「なに?あの女と知り合いなの?」
ジャックの肩に腕を回して詰め寄ったのはアマゾネスのメヌ。
「ま、まあちょっとだけ」
顔を引き攣らせるジャック。
その様子を呆れ顔で眺めるのはエリカとベルバード。
そんな仲間達の様子は無視して、三郎は平原に見える顔見知りに、言葉を投げる。
「おーい!キリアン殿!助太刀が必要かな?」
低いが、重く、よく通る声。
キリアンは僅かに考える素振りを見せた後、笑顔を浮かべて答える。
「ああ!お願いするよ!」
その言葉にいち早く反応したのはヴォロドだった。
「ラザール!円を解け!標的を変える!」
いつになく、焦りを見せるヴォロド。
ラザールは即座に従い、円を解除。
それを見たヴォロドは素早い動きで後退、間合いを作り直す。
そして、その時には既に、三郎とジャックは平原に降り立っていた。
(速すぎる!!!)
ヴォロドが目を見開く。
明らかに、常軌を逸した存在。
猟頭の焦りは、猟犬達に伝播する。
「り、猟頭……!」
ラザールの表情に動揺が見える。
「地縛円界の準備を続けろ……!他の者も備えろ!」
異様な空気だった。
目の前に現れた男達は、今までに感じたことの無い感情を呼び起こす。
否。ヴォロドは知っている。
ヴァルグリム城。混沌とした大広間。
一瞬で場を支配した。"剣聖"の姿。
「三戦帝……!」
それに匹敵する、恐ろしいまでの迫力。
脂汗が滲む。視線が釘付けになる。
ヴォロドは命を捨てる覚悟を決めた。
一方。現れただけで戦況を一変させた男達は、実に能天気な様子で、旧知の者らと言葉を交わしていた。
しかし、彼らの間にある空気は決して穏やかではない。
「神崎!テメェ何しに来た!」
ジェイドが吠える。
神崎三郎。グラディウスを壊滅させた元凶。
「通りがかりじゃ。暇を潰そう思ってな」
耳をほじりながら三郎が答える。
「逆に聞くが、何を揉めとるんだ」
三郎の視線はキリアンに移る。
「……詳細は後で話すよ。それより今は」
「敵をぶっ飛ばせばいいんだろ?」
ジャックが会話に割り入る。
キリアンが、その言葉に頷いた。
「なんだジャック。珍しくやる気だな」
少し驚いた様子で、三郎が目を見開く。
「ま、たまには運動しなくちゃな。体が鈍っちまう」
そう言ってストレッチを始めるジャック。
彼を見ながら三郎は目を細める。
「うーん。俺が戦いたい所なのだが……」
そう言いつつも、三郎はジェイドの方に一瞬視線を巡らした。
翡翠色のその目には、あからさまな憎悪が宿っている。
しかし、三郎は僅かに口角を上げる。
「よかろう。ここはジャックに任せた」
三郎が、澱みない笑顔で言った。
「始まってしまうぞ」
前に進み出るジャックを見て、ローラが生唾を飲んだ。
あの男の力をローラは知っている。
そしてそれはマリーも同じだ。
「ここにいたらマズいんじゃないですか!」
マリーが慌てる。
しかし、俄かにジャックが振り返って、軽薄な笑みを見せる。
「安心しな。レディの服に灰はつけないよ」
――そして、進み出るジャックの姿を認めたヴォロドは、瞬時に判断し、ラザールに命じる。
「ラザール。ボグダンとあの男を円に閉じ込めろ」
「猟頭、それは」
「本領だ」
ヴォロドの言葉に、ラザールは頷く。
また、事の重大さをまだ理解していないボグダンが前に進み出る。
「消し飛ばせばいいのかい?」
ボグダンが尋ねる。
ヴォロドは静かに頷いた。
そして、平原の中央で、両者が合間見える。
「よぉ、おデブちゃん。アンタが俺の遊び相手?」
「デブって言うな!」
ジャックの煽りにボグダンが怒った所で、ラザールの呪術が発動する。
円が急速に拡大する。
壁ができる。否、空間そのものの歪み。
二人を囲んだ円は、内側から外の様子が見えるが、明らかに異質だ。
言うなれば、時空間の隔絶。
「呪陣・地縛円界"本領"」
ラザールの地縛円界、本領。
通常とは異なる手順を踏み、血や護符の仲介を省略。土地の霊力を直に出力し、絶対不可侵の領域を形成。
さらに、この空間の脱出に"条件"を付与する事で、対象を完全に現世と隔絶された空間に閉じ込める。
そして、今回付与された条件。
「最高出力の攻撃の放出だ」
円界の中で、ボグダンがほくそ笑む。
ボグダンはラザール同様、土地の霊力を媒介なしに出力できる稀有な才能の持ち主。
彼の呪術は"呪光玉壊"――呪いを可視化された光として顕現させ、それを敵へと放つ。
ボグダンは一撃のみにおいて、その攻撃力は東域最大最高を誇っていた。
「つまり、この空間の条件は俺にとって最高だって事だ」
ボグダンの頭上に巨大な光球が形成される。
しかし、この空間に立っているもう一人はジャック・レインである。
それは、ボグダンにとって生涯最悪の不幸となる。
「なるほどねぇ。このしみったれた場所から出る為には最高級の攻撃を出さなきゃならん訳だな」
ジャックは依然、軽薄な笑みを浮かべたままだ。
「だったら、お見舞いしてやるよ」
俄かに青い豪炎が立ち昇った。
外界と隔絶された空間の中に、異常な熱気が溢れる。
地面は焼け焦げ、次第に溶け出す。
明々とした光が結界の中に満ちる。
ジャック・レインの"詠唱魔術"は、超高温の青い炎を神の力へと昇華し、一極集中させた漆黒の高エネルギー体。
その漆黒は深淵の闇の如くありつつも太陽の如く燦々と照り輝き、灼熱の魔力を解き放っていた。
「遍く生命よ、断罪の火焔に焼かれ、黒き灰燼に帰せ」
詠唱。
ジャック・レインは人差し指の先に黒い焔を灯す。
今より放たれるのは、炎や魔力の概念を超えた、神の一撃だった。
「滅却」
黒い光が爆発した。
それは呪いの光球を飲み込み、結界内の万物を焼き溶かした。
そして条件は達成され、円界は消滅する。
黒煙の中より姿を現したのは、ジャック・レインただ一人。
三郎を除いて、誰もが息を呑んだ。
円界内の状況は、外からも視認できる。
ジェイドは、改めてジャックの魔術を目の当たりにして、思った。
(俺が到達すべきは、あの領域)
無意識的に、そう感じ取っていた。
その様子を横目で見遣る三郎は、微笑みを浮かべていた。
一方、ボグダンの敗北を突き付けられたヴォロドは、驚きを見せながらも、既に次の一手を模索していた。
戦場にくまなく視線を巡らす。
(なにか……なにかないのか!)
その時、耳に入ってきたのは、知った名を呼ぶ甲高い声だった。
「イリーナ!」
ヴォロドは鋭い眼光を崖の上に送った。
若い女。驚嘆と悲しみがその表情から読み取れる。
彼女が呼んでいるのは、他でもない部下であるイリーナの名前だった。
「知り合いか」
イリーナに尋ねる。
イリーナは少し間をおいて、崖の上に釘付けになっていた視線を、ヴォロドへ向ける。
「旧友です」
「そうか。攫ってこい。失敗は許されない」
イリーナが答えるや否や。ヴォロドは冷たい声で命じた。
「……御意」
一瞬の躊躇い、困惑。しかし、すぐに猟犬の顔に戻る。
イリーナは身構え、魔力を増幅させる。
雷光が輝き、辺りを焼き焦がす。
「大いなる天の光よ、空を裂き、地を削れ。雷音よ世界に響き渡れ」
魔術の詠唱。
一気に増幅された雷電。
イリーナが選んだのは攻撃力ではなく、速度。
刹那、青白い光が瞬いた。
空を裂き、地面を削り、雷光が駆ける。
この場にいる殆どの者が反応に遅れた。
そして、イリーナは一瞬で崖の上に到達。
若い女、エリカを確保する。
「えっ」
何かを意識する間もなく、エリカは猟犬達の元へと運ばれた。
イリーナがエリカの首筋に冷たい刃を当てる。
人質。敵の動きが止まった。
「一緒に来てもらう」
「い、イリーナどういう事?説明して!」
だが、その声は届かない。
「イリーナ。上出来だ」
ヴォロドが無表情で言葉を落とす。
イリーナは何も答えなかった。
「ラザール、結界を」
ヴォロドは視線をラザールに向ける。
息を切らすラザール。本領を使う消耗は大きい。
たが、それでも――ラザールは呪いを唱える。
直後、巨大な歪みが空間を断絶する。
歪みの向こう側を見据えるヴォロド。やがて踵を返して、この場去って行った。
「うわっ!少々気を抜いてもうたわ!」
三郎が頭をかいて大声を出す。
エリカが連れ去られた。彼女は大切な東域の案内人である。
「どうするよ三郎」
どこか楽しげな様子のジャックが尋ねる。
そんな折、崖の上にいたメヌとベルバードが二人の元にやって来る。
「すまない!何もできなかった」
ベルバードが謝罪する。
三郎はすぐにそれを遮った。
「いやいや、そなたは何も悪くない」
「で、どーすんの?エリカ、探しに行くの?」
気怠そうに割り入ったのはメヌだ。
「まあ、そういう流れになるな」
三郎が腕を組んで答える。
そうして四人が話し込んでいると、騎士団の面々がこちらへと近づいて来た。
「新たな問題が発生ってとこかな」
キリアンが口火を切る。
「そうだ。あの娘は東域人で、ここらの土地に詳しい」
案内人がいなくなるのは、三郎にとってかなり都合が悪い。
しかし、キリアンにとって、この状況は好機を掴むチャンスでもあった。
「三郎殿、ここは一つ協力しようよ」
既に空には太陽が昇っていた。
朝日が照らす道の先に待っている出来事は、まだ誰にも予測できない。




