第102話 騎士と猟犬
血塗れの影――ノーシア大公直属の暗殺部隊。
彼らは本来、東域の権威であり象徴とも言える巫に匹敵する実力を誇る。
しかし、巫になるには実力は勿論、その理性、品位、教養――即ち人間性も重要視される。
血塗れの影の面々は、それらを持ち合わせず、ただ力のみを持って敵を葬る、残忍な殺し屋達。
東域の人々はその名を忌避し、俗称――猟犬と呼ぶ。
その猟犬を束ねるは、猟頭と呼ばれる指揮官。その名はヴォロド。
巫の中でも特に優秀な者に与えられる称号大巫の候補として選ばれるも、その道を蹴り、血塗れの道を選択した。
ヴォロドは今、トルミアの最高戦力キリアン・ユローと対峙している。
「君、見覚えがある」
キリアンの青い眼に怒りが灯る。
数ヶ月前の記憶。東域戦争。目の前に立つ男は、自分の目の前で前任の騎士団長レオポルドを再起不能に追い込んだ。
「奇遇だな。俺もだ」
ヴォロドが両手を前に突き出して構える。
口端を僅かに上げたヴォロドは更に言葉を続ける。
「お前が邪魔しなければ、あの騎士は楽に死ねていた」
その言葉に、キリアンは一瞬目を見開いたが、すぐに冷静に言葉を返す。
「団長はまだ生きてるよ。あの人かなり丈夫なんでね」
「そうか……中々の強者だった」
ヴォロドの虹彩の色が変化する。
「後釜の、お前はどうかな」
血の濁ったような赤黒い眼でキリアンを見据える。
ヴォロドの周りの大気が、捻れるように揺らぐ。
「――地神顕開」
短く、呪いを唱える。
キリアンは、その荒ぶる戦い振りを記憶している。
彼が剣を構えたと同時にヴォロドが駆け出す。
速い。
硬質化した拳を躊躇いなくキリアンの剣にぶつける。
衝撃。
キリアンの体が僅かに、地面に沈む。
ヴォロドは立て続けに打撃を繰り出す。
速く、鋭く、重い。
一方的な展開、そう見えた。
しかし、キリアンの表情は静かで、柔らかさすら感じさせた。
ヴォロドが腕を振りかぶり、強烈な一撃を狙う。
その刹那、突風が吹き荒む。
身を抉るような鋭い風は、ヴォロドの体を一気に押し返した。
地面に叩きつけられたヴォロドはなんとか受け身を取り、体勢を立て直す。
再び身構えるヴォロド。
彼を見据えるのは、冷厳な青い瞳。
「普通なら風穴が空いてる所なんだけどね」
風刃の騎士、キリアン・ユロー。
疾風の如きその剣技が間も無く披露される。
―――――――――――――――――――
一方、トルミア騎士団を取り巻く戦況は、楽観視できないものとなっていた。
迫り来る樹木の兵団。
動きは遅い、しかし――
「うおおおおお!」
騎士の一人が樹兵に切り掛かるが、止まらない。
刃が木に食い込む。しかし、切り倒すには至らない。
樹兵が、腕と化した枝で、騎士を振り払う。
間一髪、地面を転がって騎士はそれを避ける。
ジリジリと、騎士団は後退する。
「くそっ!このままじゃアイツらに押し込まれて圧死してしまうぞ!」
「隊長!まだですか!」
騎士の一人が隊長と呼んだのはマリー・ミシュレ。
彼女はこの樹兵に対する逆転の一手を放つ準備をしていた。
「……待って。集中してる」
いつになく、冷静な声音。マリーは静かに目を伏せて、魔力の波動を操作している。
「……ええ!待ちますとも!」
無防備となっている彼女を守る為、騎士達は諦めずに剣を構える。
――しかし、いつまで持つか。
一抹の不安が皆の脳裏によぎる。
樹兵が音を軋ませて、ゆっくりと迫る。
その時だった。
俄かに、冷気が漂う。
樹兵の足元が凍りつく。
その直後、少年の声が戦場に響いた。
「悠久の雪原すら熔かす熱き血潮よ、烈火となり我が敵を滅せよ……!」
魔術の詠唱と共に、豪炎が放たれる。
地面を、空気を焼き焦がし、炎が巡り、樹兵を焼き払った。
「遅かったじゃない、王子様……!」
マリーが口角を上げる。
「悪い!寝てた!」
「僕達も戦います!」
ジェイドとジェフリー。二人の王子が、窮地の中で参戦する。
――――――――――――――――――
戦場に巡るのは、閃く雷光。
雷速の魔術士イリーナは、持ち前の速度を持って疾駆し、手に握る剣で鋭い一撃を見舞う。
それが彼女の戦闘スタイル。イリーナの動きについて来られる者は、敵にはいない。
はずだった。
電撃を纏わせた剣を、赤髪の女騎士に振るうイリーナ。
女騎士は、その一撃を軽々と受け止める。
「速いが、重さがない」
鍔迫り合いに持ち込み、イリーナを弾き返す。
イリーナは空中で身を捩り、着地。再び剣を構え直す。
(この女……私の動きが完全に見えている!)
歯を軋ませるイリーナ。
見据える先の女騎士は重厚な気迫を放ち、静かに剣を握っている。
「どうした?休憩か?」
女騎士、ローラ・アンジュが良く通る声で言い放つ。
「まだ見えているのなら……」
イリーナの周りで電撃が爆ぜる。そして、重心を落とし、低く構える。
「更に速くするだけ……!」
走り出し。
最高速度。
雷光が瞬く。
味方である樹兵諸共切り崩し、ローラに迫る。
(この速度なら目で追えない!)
ローラとの間合いが詰まる。
その時――視線がぶつかった。
「見切られた……!」
イリーナの剣が振るわれる。
ローラは身を捩り、それを躱す。
完璧なタイミング。ローラの蹴撃が、イリーナの胴を捉えた。
「ぐはぁっ!!」
呼吸が止まる。そして、弾き飛ばされる。
樹兵に衝突し、その場に伏せるイリーナ。
「雷の魔術――悪く無い。でも……」
ローラの脳裏に、異国から来た戦闘狂の姿がよぎる。
「あれを見た後だとねぇ……」
苦々しげに呟いた。
――――――――――――――――――――
樹木兵団の停滞。イリーナの戦闘不能。
その間でも突風は止まない。
ヴォロドはキリアンの攻勢を凌ぎながらも、戦況を俯瞰していた。
「よそ見は禁物」
疾風怒濤。超速の剣技。キリアンの振るう剣は、通常では考え難い異様な速度を見せていた。
風刃が、ヴォロドの皮膚を掠めた。
ヴォロドは流れる血を認め、それを拭う。
「魔力の増幅を体内で抑制、開放……身体能力を向上させているな」
「ご名答!」
キリアンが春風のように涼やかな笑みを見せる。
魔力を身体能力の向上に流用する技術はあまり知られておらず、難易度が高い。
更に、キリアンは魔術の属性を応用し、"風の速度"を身体で再現させている。
常識的には考えられない離れ業である。
「悪いけど、仕留めに行くから」
剣の切先を、ヴォロドの喉元に定める。
「……来てみろ」
ヴォロドが無表情で言った。
風が、走った。
最短距離で、間合いを詰める。
(取った……!)
勝利の確信。
しかし次の瞬間、キリアンの身体が止まり、宙へと浮き上がった。
ヴォロドが静かに手を翳す。
空気が歪み、キリアンが地面に叩きつけられる。
はずだった。
キリアンの体は、僅かな"空気の隙間"を保ち、宙に浮かんでいた。
「ふぅ、危ない危ない」
風の魔術士は気流を操作する。
キリアンは空気のクッションを作り、衝撃を和らげていた。
再び立ち上がり、剣を構えるキリアン。
その姿を見て、ヴォロドは微かに胸を躍らせていた。
「面白い」
無意識に、口角が上がる。
「こっちは全然面白くないよ」
キリアンの眼光は鋭い。
「面白い、が。こっちも仕事で来ている。そろそろ片付けに入る」
ヴォロドの顔から笑みが失せる。
彼はおもむろに、手を掲げた。
それが、合図だった。
突如として、爆音が轟く。
キリアンが音の方を向く。強い光。樹兵諸共、地面が砕け散っていた。
間髪入れず、再び爆音が鳴る。
目で追う。爆発地点ではない。
キリアンが探したのは"発射地点"。
そしてその目が捉える。少し離れた小高い丘の上。
何者かが光球を形造り、こちらへと撃ち放って来ている。
「まずい!ローラ集合だ!」
キリアンは咄嗟に駆け出す。その先には防御陣形を取る騎士達。
彼の声を聞き、ローラも駆け出す。
彼らの前に立ったキリアンは、魔力を開放。
大きな気流のドームを作り、皆を囲む。
直後、気流の壁に強い衝撃が走った。
「いつまで持つかな」
光の玉が降り注ぐ中、ヴォロドは無表情で風のドームを見据える。
猟犬の狩りは佳境に差し掛かっていた。
――――――――――――――――――――
主戦場から数百メートルの距離。
小高い丘の上から、それを見下ろす二つの人影。
「ラザール。腹減った」
頭上で巨大な光球を形造る恰幅の良い男。隣に控える黒衣の若い男に声を掛ける。
「殲滅の後だ。ボグダン」
ラザールと呼ばれた若い男は、端的にそう返した。
「りょーかい」
気怠そうに吐き捨てた恰幅の良い男、ボグダンは、指を振り、頭上の光球を撃ち放った。
時を置かず、標的となる向こうの丘に着弾。爆音が響いた。
「ラザール」
「なんだ」
「再装填だ」
―――――――――――――――――――
しばらく続いていた爆音が鳴り止んだ。
風のドームはまだ耐えているが、いつまで持つかは分からない。
「厄介だね。呪術ってやつは」
キリアンは額の汗を拭う。
「一体どんな仕組みなんだよ」
ジェイドが微かに見える外の様子に目を凝らす。
再び、樹兵が動き出していた。
「アイツらもずっと湧き出てくる」
僅かに恐怖を滲ませるジェフリー。
「接近戦は樹木の兵士。遠距離からは光の球。かなり練り込まれた戦術だ」
剣を鞘に収めたローラが冷静な口調で言う。
「どうしますか、団長」
キリアンに指示を仰ぐ。
彼は少し押し黙り、顎に手を当てる。
そして、口を開いた。
「今、遠距離からの攻撃は止んでいる。でもいつ再開されるか分からない。更に樹木の兵士が迫って来ている」
その言葉に、ジェフリーが身を震わせる。
「で、どうすんのさ!」
ジェイドが叫び声に近い声で、キリアンに訊く。
それでもキリアンは至って冷静に答えた。
「大丈夫。こっちの切り札はまだ取ってある……ね、マリー」
柔和な表情と爽やかな声音。視線の先に映るマリーは、得意げな笑みを浮かべていた。
「ええ。準備は万端ですよ」
―――――――――――――――――――――
「装填の時間でしょうか」
鳴り止んだ爆音。遠くに見える丘の上を見遣って、ミロシュが言った。
彼の隣に立つのはヴォロド。ただ静かに、風のドームを見据えている。
「次で終わりだろう」
そう言って、ドームから視線を外す。
次に目を向けたのは、砕けた樹兵の傍らに倒れるイリーナの姿だった。
ヴォロドはゆっくりとした足取りで彼女の元に向かい、見下ろす。
まだ生きている。
確認すると、彼女の長い黒髪を無造作に掴み、強引に持ち上げた。
「ぐっ……ううう」
呻き声を上げるイリーナ。
「やはり、器では無いようだが」
冷たく、低い声。ヴォロドの目に残忍な光が宿る。
「ま、まだやれます……」
掠れた声。苦悶の表情を見せながらも、イリーナは答える。
「なら、示せ」
髪を手放すヴォロド。イリーナは力無く地面に跪いた。
「さて、トルミア人はどう出るかな」
ヴォロドが振り返る。
風のドームが、解除されている。
その中で、紅く、熱を帯びた強い光が戦場を照らしていた。
ミシュレ一族の魔術は特殊である。
古代より続く高名な魔術士の血統。その中で紡がれて来た魔術は格式高く、威力は絶大。
集中と大きな溜め。それを成した上で唱える、魔術の詠唱。これら一連の流れを持って、"切り札"は発動する。
マリーの足元に淡い光が灯る。円を描く魔術紋様が、地面の上をゆっくりと広がっていく。
やがて、彼女は目を開いた。
「燃え盛る血潮よ、地を巡る紅蓮の炎よ。我が呼び声に応え、牙を剥け」
魔術の詠唱。
地面が、赤く脈打った。
次の瞬間、轟音。
爆炎が地を裂いて噴き上がる。
火柱が幾重にも立ち上がり、迫り来ていた樹兵を一瞬で飲み込んだ。
燃え上がる炎はそこで終わらない。
炎は地面を走り、渦を巻き、巨大な形を成していく。
――竜。
紅蓮の火がうねり、長大な胴を描き、咆哮するように火竜が旋回する。
それが目に映った直後、ヴォロドも火の中に飲まれる。
衝撃と共に炎が四方へ広がり、樹木兵団を一気に薙ぎ払った。
静寂。
燃え残った火が、ぱちぱちと音を立てる。
その中央で、マリーが肩を回した。
「ま、こんな感じよ」
いつもの軽い調子。
ジェイドとジェフリーは言葉を失う。
「す、すげぇ」
「なんだよこれ……」
絞りでた言葉は驚嘆。圧倒的な火力だ。
「ちゃんと見習いなさいよ、王子様」
マリーがそう言ってウィンクする。
ジェイドとジェフリーは無言のまま何度も頷いた。
そして、間をおかずにキリアンが号令を飛ばす。
「今の内に煙幕に紛れて丘を下る。目指すのは……あの開けた平地だ」
火炎の爆ぜた後、煙幕が漂う僅かな隙間を見て、キリアンが指をさす。
すぐさま、騎士達が隊列を組む。
「で、でも待って。あんな開けた所じゃ敵の良い的になるんじゃ」
ジェフリーが声を上げる。もっともだ。
遮蔽物が無い場所で、あの光の球が降り注げば、逃げ道はない。
不安げなジェフリーに対して、キリアンはただ優しい笑顔を見せた。
「大丈夫」
「大丈夫って……」
そう言われても不安は募る。
そんなジェフリーに言葉を掛けたのは、ローラだった。
「ここだと狭すぎる。私達も巻き添いを喰らうからな」
「え……どういう意味ですか?」
ローラの言葉の意味を訝しむジェフリー。
そんな彼の肩に手を置いて、マリーが笑みを見せる。
「団長が本気を出すのよ。それだけ」
「本気って……」
「どういう事だよ」
ジェイドもマリーの言葉に食いついた。
当のキリアンは既に隊列の先頭に立ち、剣を翳している。
「続け!丘を駆け下る!」
血塗れの影とトルミア騎士団。
彼らの戦いは次の局面に移ろうとしていた。




