第101話 追う者たち②
東域の静かな夜明け前。既に星の光は弱まり、遠くの山影が微かに視認できる。
トルミア騎士団は焚き火を囲んでいた。
怪我人も少なく無い。しかし、彼らの目は一切死んでいない。
アポロヌス最高峰の実力を持つ彼らの根底にあるのは、責務を全うする為の強い意志と信念。
厳粛なれど悲観はせず。
有益な情報を必ず祖国へと持ち帰るという強い責任感がこの場に満ちていた。
そして、これを指揮するのはキリアン・ユロー。若き騎士団長である。
戦闘能力、知性。そして指揮官としての器。
彼ほど団長に相応しい人物は他にいない。
だがキリアン自身、騎士団団長という立場に完全に慣れた訳ではない。
先の東域戦争の際、前任の団長レオポルド・ラダンは敵との一騎打ちの末、大きな怪我を負った。
それによってレオポルドは団長を辞任、騎士団も辞め、軍を抜けた。
人望厚く、皆に慕われる実力者であった。
そんな彼に、後任として指名されたのが、当時副長であったキリアンである。
自分には過分な立場であると、キリアンは一度断った。
しかし、騎士団の面々、そして何よりも、憧憬の対象であったレオポルドの再度の頼みがあって、キリアンはこの役目を引き受けた。
引き受けたからには、やり遂げなければならない。
トルミアの騎士として、一人の男として。
そして今、大切な部下の命を一手に預かり、キリアンは東域にいる。
任務の完遂と部下の命。どちらも守り抜く。
柔和な表情の奥に、強く固い決意が存在していた。
「団長、少し休まれては?」
焚き火に照らされたキリアンの美しい横顔を見つめ、ローラが声を掛ける。
ここ数日、キリアンが休んでいる所をローラは見ていない。
常に警戒し、先頭に立ってその働きを示していた。
「大丈夫だよ。僕の事は気にしないで」
ニコリと笑みを称えてキリアンが答えた。
(あああ!!!かっこいい!!!好き好き好き!!!)
キリアンの笑顔に心の中で悶えつつ、あくまでも冷静を取り繕うローラ。
「団長が……そ、そう言うのでしたら」
顔を少し赤くして、ローラが頷いた。
「……それにしてもアゼルニア軍の動き、なんか妙じゃないですか」
二人の元にやってきた人影、マリーだ。
他の団員との話し合いが済み、こちらの輪に入る。
「今日までで集めた情報だと、数週間は東域南部で行軍を止めてる事になるんですよね」
近場にあった石に腰掛けて、マリーが言った。
「補給の問題か、東域の呪術師に手こずっているか……」
ローラが顎に手を当てる。
「あのエドワード・レインがですか?」
マリーが目を細めて、ローラに言葉を返す。
「冷血の王太子、エドワード・レイン」
かの男の異名を呟くキリアン。
その意味を誰もが知っていた。
アゼルニアはレイン王朝の正統なる後継者。氷の魔術を操る神の末裔。
先の東域戦争の際にも、電撃的に東域へと攻め入り、結果的に今回の侵攻の為の橋頭堡を築いた。
当時、侵攻を受けた東域の一国は、重要な地点のみを除いて全て氷漬けにされた。
そこに生命の気配は無くなっていた。
「はっきり言って、とんでもない曲者だ。個人的な意見だけど、エドワードは三戦帝に引けを取らない実力をもっているだろうね」
そう言うキリアンの表情は険しい。
その男が何に手こずると言うのだろうか。
「とにかく、現地に赴くのが手っ取り早いでしょう。この目で確認して、情報を掴む」
ローラが焚き火に小枝を投げ入れる。
パチリと火が爆ぜた。
それを眺めたローラは再びマリーへと目を向ける。
「で、例のバーサークの魔術士……アーリの容体は?」
「ずっと眠ったままですよ。起きる気配もない」
マリーの率いる一番隊の隊員がアーリの様子を監視している。簡易的な手当てを受け、拘束された状態のアーリは依然として昏睡状態にあった。
「あのまま死んでもおかしくないかも」
マリーが軽い調子で言った。
「ま、その時はしょうがないさ。できる事なら彼から色々聞き出したい所なんだけどねぇ」
キリアンが頬杖をつき、焚き火に小枝を投げ入れる。
「ふぁああ……そうですね」
大きく欠伸をかいて、マリーが頷いた。
ローラがそれをジトりとした目で見遣る。
「はしたない……」
「別に良くないですかぁ?」
面倒くさそうに返すマリー。
二人のしょうもない言い合いが始まろうとした、その時だった――
風が止んだ。と言うより、空気の流れが歪んだ。
気流を操る風の魔術士は、他者よりもそれを掴む感覚に優れている。
「全員、戦闘体制!」
キリアンの号令。休んでいた者達も弾かれたように立ち上がり、剣を抜き放つ。
「団長!丘の麓から何者かがこちらに向かってきます!」
見張りの騎士が、キリアンに知らせる。
――直後、その騎士の背中から血飛沫が舞った。
「ぐぅっ……!」
「ロズ!」
地に伏した騎士の名を呼び、キリアンが駆け寄る。
彼を抱きかかえ、暗闇に走った"閃光"を睨む。
薄い光が山の端から差し込んで来た。
朝日が照らしたのは、電撃の残滓を払う、黒衣の女剣士。
「……少し外した」
女の表情は冷たく、読めない。
「うおおおおお!」
少し反応を遅らせ、騎士達が剣を翳して女に斬りかかる。
しかし、彼らの視界から女が一瞬にして消えた。
キリアンだけは、その閃光を目で追っていた。
間合いを抜けて後退した女。そしてその背後より、数人の黒い人影が姿を見せる。
先頭に立つのは長身の男。その青白い顔は一切の感情を削ぎ落としたかのようだった。
「夜明け前、眠気も強いはずだ。しかし、当てが外れたようだ」
低く冷たい声音。その男は殺気立つ騎士達を見渡してそう言った。
そして次に、背後に控える老人の名を呼ぶ。
「ミロシュ、やれ」
「御意」
黒衣の老人は短く答える。
手に持っていた杖を湿った地面に突き立て、懐からナイフを取り出し、指先に当てる。
赤血が、杖を伝って大地に滲んだ。
「血樹変生・緑神将兵――」
流れる血に込められた呪いは、大地に根を張る樹木へと伝播する。
巨大なブリキが動き出したかのような異様な音が響き出す。
呪いを込められた樹木は命の形を変えて、兵士となって将に従う。
「樹の兵よ敵を狩れ」
騎士団を取り囲んだ兵士に老人が命じる。
「防御陣形!全員固まれ!」
同時にキリアンが命令を飛ばす。
騎士達が迅速に動く。
しかし、それを阻害するように雷光が瞬き、騎士達の間を駆け巡る。
朝日が鮮血を照らす。
だが、雷光は時を置かずに止む。
鋭い金属音と共に、黒衣の女の前に立ち塞がった一人の騎士。
「なかなか速いな」
ローラ・アンジュ。不敵に笑みを浮かべ、女に語り掛ける。
「……!」
女の表情が揺らぐ。
しかし、すぐに鋭い殺意をローラへと向ける。
女の魔力が増幅し、電撃が爆ぜる。
「おいマリー!"あれ"を出すまでどのくらいかかる!」
女と対峙しつつも、ローラは背後のマリーへと大声を上げる。
「15……いや10分!」
マリーはそう返し、片膝をついて地面に手を置いた。
彼女の周りに仄かな火が灯り、地面を焦がす。
既に、この場は戦場と化した。
防御陣を組む騎士団に、ゆっくりと樹木の兵士が迫る。
――そして、防御陣の外に立つキリアンは、敵を率いる長身の男と対峙する。
剣を抜き放ち、切先を向けるキリアン。その双眸の奥に揺らめくのは、"怒り"だった。
「君、見覚えがある」
キリアンが低い声で言った。
「奇遇だな。俺もだ」
男が両手を突き出して構える。その口端が僅かに引き攣る。
東域の因縁は、流れる血と共にしがらみを強めて行く。




