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雷鳴の武神  作者: ジュリ
第二部 契約者の詩
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第99話 猟犬

 雷は、低く唸ったまま消えない。

砕かれた護符の残骸が砂に埋もれ、円は歪み、崩れ、もう機能しない。


雷の魔術士イリーナは、それを見下ろし――視線を上げた。

目の前で、混合獣が嗤っている。


「真っ向勝負といこうぜ」


猪のような剥き出しの牙、巨大な鉤爪。四足の下半身から継ぎ接ぎしたかのように生える狼の上体。

双眸は鷲のように鋭く、血走っていた。


イリーナは直感する。

ここから先は純粋なる魔術戦。

援護の無い一対一。


背筋に冷たい汗が流れる。

イリーナは静かに剣を構えた。


「……!」


その刹那、雷が地を這う。


空気が裂けた。


雷光は一直線ではなかった。

幾重にも折れ、重なり、空間を焼きながら奔る。


混合獣、アーリが踏み込む。地面は奪われない。力は削がれない。


だが――速い。


左肩が裂ける。腿が焦げる。脇腹を深く抉られる。

血が噴き出る前に、また新たな傷が増える。


「……遅い」


イリーナの感情の無い声。

しかし、アーリは笑う。


「だったら、詰めるだけだ」


跳ぶ。

岩を蹴り、幹を踏み、軌道を強引に折る。


雷が追う。

肉を焼き、骨を震わせる。


それでも、距離は縮む。


あと一歩で、牙が届く。


イリーナが初めて大きく踏み込んだ。

雷が脚に絡みつく。爆ぜる。

衝撃でアーリの視界が揺れる。


互いの間合いが、完全に重なる。


鉤爪と雷刃が激突する。


轟音が響き、砂塵が舞った。


―――――――――――――――――


戦場から少し離れた岩陰。風下。


黒衣の男が、膝をついている。

その名はラザール。

戦場を支配した"円"の構築者。


戦場と共鳴し、砕かれた札。その残滓を指先で拾う。


「……歪みは三点。再結合は可能」


空中に見えない線をなぞる。

岩肌に刻まれた薄い紋様が、淡く瞬いた。


砂の下で、埋もれた護符がわずかに震える。


イリーナの手には、戦いが始まる前に、密かに平原に配置された護符と同様の紋章が刻まれている。

敵を中心としてイリーナが動き、護符の位置を整える。ラザールはそれを確認し、術を発動。敵の動きを歪めた上で、仕留める。


猟犬の狩りの手段。


そして今、円は崩れている。だが、完全には消えていない。


「まずは外周から……」


直後、雷が轟いた。

指先が止まる。

戦場の雷が、異様に濃い。


イリーナが本気を出している。

その全速に、アーリが喰らいついている。


ラザールの眉間に、わずかな皺が寄る。


「……早い」


修復は急がねばならない。

完全な円が戻れば、あの獣を沈める事ができる。


指が再び動く。

砂が、わずかに持ち上がる。


――その時。


影が伸びた。

ラザールの指先が止まる。

背後に鉄のように固く冷たい気配。


呪力の波もない。足音もない。

ただ――“在る”。


ラザールがゆっくりと振り向く。


そこに、男が立っていた。


長身。黒衣。無表情。


「……いつの間に」


ラザールの声は低い。


驚愕は無い。だが、緊張は走る。


男は戦場を一瞥する。

雷と獣が激突している。


「修復の必要はない」


静かな声。命令でも、叱責でもない。

ただの事実。


ラザールは一瞬だけ目を伏せ、

指を離した。


砂が落ちる。


円は崩れたまま。

男は戦場へ向かって、歩を進めた。


――――――――――――――――


雷が爆ぜる。

イリーナの刃が、混合獣の肩口を深く裂く。


血が噴く。それでもアーリは退かない。


「速ぇなぁ!!」


踏み込む。牙が迫る。

イリーナが最短で喉を貫こうとした、その瞬間。

彼女の視界の端に、黒が入った。


雷が、わずかに乱れる。


アーリの爪は、確かに振り抜かれた。

だが――衝撃は、横から来た。


視界が反転する。地面が、背中を叩きつける。呼吸が奪われる。

何が起きたのか、理解が追いつかない。


ただ一つ。


立っている。黒衣の男が、間合いの中心に。


「誰だテメェは!!」


アーリが目を見開いて叫ぶ。それはまさに獣の咆哮だ。

対して、黒衣の男は何も言わない。面に感情すら浮かばない。


「下がれ、イリーナ。お前は遅い」


冷たく低い声。

イリーナは一瞬だけ目を伏せる。


逆らわない。

剣を納めて、無言で距離を取る。


アーリは血を吐きながら、顔を上げる。


(……見えなかった)


踏み込んだ。届いたはずだ。だが、身体は地にある。


男は構えていない。ただ立っているだけ。


「獣か」


アーリを見据えるその眼光は暗く、鋭い。


「かかって来い」


短く、言った。


アーリは笑う。


「かわい子ちゃんと遊んでたんだけどなぁ!混ざりたくなったのかぁ?」


獣のような唸り声が混ざる。この男は殺さなければならない。邪魔者だからだ。


そして、黒衣の男目掛けて飛ぶ。巨大な鉤爪が振るわれた。



―――――――――――――――――――



数日前―― ヴァルグリム城に警鐘の音が鳴り響いた。

否、それすらも掻き消す雷鳴が。


ノーシア大公は諸侯が集まった会議の後、自室に籠り姿を見せない。

大公の甥、ロノド公ヴァシームは酒と女に溺れ、緊急事態へ対応する能力は皆無。

事情により城に残っていた若き公、アーヴェルは狼狽えるばかり。


しかし――

怒号。ざわめき。椅子の軋み。城内を支配していた喧騒、

それらすべてが一つの足音で途切れる。


広間に、一人の男が立っていた。


装束は質素、しかしその体躯や、彼の纏う"剣気"はその場を圧倒した。

男は白銀に近い金髪を揺らして場を一瞥し、静かに口を開く。


「仕事ですか?」


三戦帝の一人、ユリウス・ベルナールド。

格が違う。

剣聖と呼ばれる男の威厳は、戦いに疎い者達も本能で理解できた。


「あ、あなたは?」


アーヴェルは薄々勘付きつつも、場を支配する男に尋ねる。


「ユリウス・ベルナールド。ノーシア大公殿下に雇われた傭兵です」


意外にも柔らかい声音で、男が名乗る。


視線が集まる。空気が沈む。


アーヴェルが一歩進み出た。


「……私と共に、領国へ向かって欲しい」


懇願だった。誇りも体裁もかなぐり捨てた声。


「些細は大公より聞いているはずだ!エドワード・レインを止めねばならない!」


アーヴェルが声を上げる。


しかし、ユリウスは口を結び答えない。

ただ、見ている。


沈黙。


その沈黙を裂くように、別の気配が差し込んだ。

扉が開く。


血を思わせる赤と黒の長衣を纏った老境の男。

ノーシア大公ヴォルフラムが姿を現す。


その歩みはゆるやかだ。

だが、場の温度が変わる。


普段とは違う。


何が、と問うことはできない。

ただ、違う。

誰もが直感する。


そして、その背後に黒衣の影。

血塗れの影(クローヴィ・チョール)、猟犬たち。

誰も声を上げない。


大公は言葉を飾らない。短く、命じる。


ヴォルフラムは広間を一瞥する。

視線が走るだけで、場が整列する。


「決は出ている」


低い声。逆らう余地はない。


「アーヴェル」


名を呼ばれ、若き公が背筋を伸ばす。


「直ちに領国に帰れ。ベルナールドを連れて行け」


短い命令。


「冷血の王太子、エドワード・レインを止めろ」


視線が移る。


「ユリウス・ベルナールド」


一瞬の間。


「先程、衛兵から報告を受けた。レインを退けた後、地形を変えた魔術士を探せ」


説明はない。命令だけ。


「承知しました」


口角を僅かに上げて、ユリウスは静かに頷く。


そして次に、


「ロノド公ヴァシーム」


「は、はいぃっ!」


ロノド公が酒の匂いを纏った身を強張らせる。


「領地に戻れ」


失望の混ざる冷たい視線と共に吐き捨てられた言葉。

反論は許されない。


「すすす、直ぐに帰ります」


ロノド公は視線を合わす事すらできない。


そして最後に、大公の視線は背後の猟犬達に向けられる。


「ヴォロド、血塗れの影は引き続き異分子の狩りを続けよ」


その命令に、猟犬の先頭に立っていた長身、黒衣を纏った男が僅かに目を伏せた。


彼は前に出ない。膝も折らない。

ただ、僅かにに目を伏せた。


それは礼ではない。服従でもない。一瞬の、思考。


――この男は選んでいる。


大公は命じる。

命じながら、選別している。


従う者。使える者。捨てる者。


ヴォロドは理解している。


そして――


俺もそうだ。俺は、この道を選んだ。


目を上げる。感情はない。

大公はそれ以上、何も言わない。


命令は成立した。


―――――――――――――――――――――


砂煙が、ゆっくりと晴れる。


混合獣の鉤爪は、届かなかった。


アーリは地に伏している。

片腕は折れ、肋は沈み、呼吸は浅い。


黒衣の男は、立っている。


構えはない。息も乱れていない。


イリーナがそれを見ている。その目の奥には、畏怖が渦巻いていた。


(やはり、殺さないのか)


"猟頭"と呼ばれるその男は、戦いで圧倒的優位に立ちながらも、獣を殺さない。


猟頭は視線を落とす。


「……立てるか」


アーリが血を吐き、笑う。


「は……殺せよ」


その言葉に対して、猟頭は小さく首を振る。


「殺さない」


アーリは目を血走らせて、猟頭を睨む。


「舐めるな!俺は負けんぞ!」


血反吐を吐いて叫ぶ。


「ここから去れ。それとも、まだ続けるか?」


猟頭は、ただ見下ろす。


(畜生っ!!)


既に、アーリは選択権を奪われていた。

ここから去るか、殺される事なく、痛ぶられるか。


アーリは本能で動く。

転がるように離脱。

ありったけの魔力を絞り、翼を生やす。


猟頭は追わない。


いや、歩き出す。


一定の距離を保って。


その後を、イリーナが追う。しかし、直後に膝を折って蹲る。

腹部の異常な痛み。アーリとの戦闘で負った傷は深く身を抉っていた。


猟頭が振り返る。

丁度、ラザールもこの場に駆けつけていた。


「奴を泳がせつつ追う。ついてこい」


猟頭が二人に命じる。

ラザールは何も言わず、蹲るイリーナに視線を送っていた。

猟頭は「ふっ」と鼻を鳴らすと、手のひらをイリーナへと翳した。


その瞬間、異様な音と共に、イリーナが苦痛の叫びを上げる。


「う、うあああああっ!!」


骨が歪み、肉が捩れ、血が体内へ逆流する。

そして間も無く、イリーナの腹部の負傷は傷跡を残して完治していた。


「フーッ……!フーッ……!」


大量の汗を滲ませて、息を荒くするイリーナ。

見下ろす猟頭の目に感情は浮かばない。


「奴を、泳がせつつ、追う。ついてこい」


もう一度、命令を下した。


「……御意」


ラザールは額に脂汗を滲ませ、首肯する。


「……御意」


息を切らしたまま、イリーナが立ち上がる。


猟犬の追尾が始まった。


―――――――――――――――――――――



アーリは空を駆けていた。しかし、万全時の速度には遠く及ばない。飛行の高度も然程無い。


猟犬達は、確実に彼を視認して追う事ができた。

血の匂いが細く続く。

一定の距離を保ったまま、猟犬たちは進む。


猟頭が口を開く。


「奴は我々の追跡対象では無い。しかし、興味深い」


足取りは変わらない。前だけを見る。


「我々の標的はトルミア騎士団。他の猟犬が正体を掴んだ。今頃、襲撃を掛けているはずだ」


イリーナは無言。表情も動かない。


「奴は我々の追跡対象では無い。しかし、興味深い」


猟頭は同じ言葉を、繰り返す。

そこに感情はない。事実の確認のように。


「かといって地形を変えた魔術士とも違うようだがな」


その時、ラザールが低く問う。


「……ユリウス・ベルナールドはエドワード・レインへ対応し、返す刀で件の魔術士までも相手取ると」


わずかに息を吸う。


「可能ですか?」


猟頭は歩みを止めない。


「可能だろう」


断定。迷いはない。それ以上の言葉もない。


しかし、知っている。

ヴァルグリム城で、確かに目にした。


ユリウス・ベルナールド。

異質。

明らかに別次元の存在。


(絶対に敵に回してはならない)


しかし――


(血が昂る)


猟頭、ヴォロドの口角が僅かに上がった。

ラザールはそれを目に捉えた。背筋が冷たく強張った。


その時、俄かに野鳥の鳴き声と羽ばたく音、そして、森の木々が折れる音が耳に入る。


「森に、落ちたようです」


イリーナの視線は遠くに見える森林へ向けられていた。


「墜落したな。力尽きたかな」


猟頭が無表情に戻る。

そして、命じる。


「生死を確認しに行く」


その言葉に二人の猟犬が小さく頷いた。


曇天の隙間から、赤い光が差し込んでいる。

既に、陽は傾いていた。

黒い猟犬達の狩りは、続く。



――――――――――――――――――――



薄暗い。湿った空気が肌にまとわりつく。

視界はぼやけ、自らの血の匂いが鼻腔に満ちている。


(ここはどこだ……)


アーリはぬかるみに腰を落とし、老木にもたれかかっていた。

どうやってここまで辿り着いたのか、よく覚えていない。


(俺は死ぬのか……)


完膚なきまでの、敗北。

逃走。それ以外の選択肢を完全に奪われた。


「ち、畜生ぉ……畜生ぉ……」


目が開かない、口から血が溢れる。

意識が遠のく。


その時――


「団長!誰かが倒れてる!」

「ほんとだ!」


どこか聞き覚えのある声が耳朶に響く。


「あっ!コイツ!」

「僕らを襲ってきた奴だ!」


ガキっぽい声。


「団長、これは一体……」

「思わぬ展開だね……」


男女の声。


「とりあえず、彼を運ぼう。何か情報を――」


その言葉を耳に残し、アーリは意識を失った。


再び、因縁は交錯しようとしていた。


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