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雷鳴の武神  作者: ジュリ
第二部 契約者の詩
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第94話 源正詠唱

 宿の二階、その窓枠に神崎三郎の姿があった。

彼はそこから身を乗り出した、躊躇いなく飛び降りる。


そして、彼が着地した瞬間――空気が歪み大地が揺らぐような感覚を猟犬は覚えた。


(な、何なんだ……!)


この感覚は錯覚である。

目の前に立つ男の全身から放たれる魔力、そして刃のように研ぎ澄まされた闘気。


猟犬は影の存在として、数多の修羅場を潜り抜けてきた。

その本能が、明確な警鐘を鳴らしていた。


対して三郎が降りてきたと同時に、彼の背後から軽妙な声がする。


「じゃ、あと頼むわ」


メヌだ。三郎の隣に立つと、軽く手を挙げる。

三郎もそれに応じる。

乾いた音、短いハイタッチ。


「されば、ここからは俺が引き取ろう」


「はーい」


メヌは素直に数歩下がり、崩れた壁に背を預ける。

腕を組み、楽しげに事の成り行きを見守る構えだ。


その間、猟犬の視線は三郎に釘付けになっていた。


猛禽類の様な猛々しさを感じさせる顔立ちに、鎧を纏ったような筋骨隆々とした肉体。


そして、立ち昇る異様な魔力と闘気。


三郎は、ゆっくりと猟犬に向き直った。


「彼我の差を察したようだな。勝ち筋は見えるか?」


声は明朗。嘲りも威圧もない。


猟犬は何も答えられない。血文字の護符を握るその手はわずかに震えていた。 


猟犬を見据えたまま、三郎は続けた。


「しからば、渾身を撃ってこい。そなたの全身全霊の一手だ」


その言葉に、猟犬の眉がピクリと動く。

罠か。時間稼ぎか。慢心か。

猟犬は動かない。

歴戦の術師として、無駄な博打を打つ気はなかった。


その沈黙を見て、三郎は口端を上げる。


「案ずるな。早う(まじな)いを唱えよ。隙をついて殺したりはせん」


あまりにも自然な口調。

あまりにも真っ直ぐな視線。


それが、何よりも不気味だった。


(このまま逃げ仰られるとも思えん……!それならば!)


呪術師としての矜持と、自身の術の可能性を信じる心が、その選択を後押しした。


護符を掲げ、低く、粘ついた声で呪文を紡ぎ始めた。

血で描かれた文字が、妖しく光を放つ。

土地の霊力が引き寄せられ、一本の“矢”の形を成していく。


必中。契約によって保証された殺意。


血文字の護符が燃えるように崩れ、圧縮された霊力が一本の矢となって宙に浮かび上がった。

土地と契約し、代償によって保証された必中の呪。


――そして、猟犬が呪文を唱え始めたのと同時に、三郎も静かに息を整えた。


「少々やり過ぎかもしれんが……」


神崎三郎は常に、自身と同等以上の実力を持つ相手との戦いを想定している。

その場合、無尽蔵の魔力を活かした絶え間ない簡略詠唱の魔術の連射こそが、最も効率的で隙のない戦法だ。


源正詠唱は隙が大きすぎる。


しかし――その力は一撃で戦況を決定づける。


――通常の魔術に法術を上乗せする簡略詠唱は絶大な威力を生む。

しかし、その正の形である"源正詠唱の魔術"は簡略化のそれを遥かに凌駕する。


三郎は剣を抜き放った。

その切先は、呪術を完成させた猟犬へと真っ直ぐに向けられる。


「理は鋭く、戦場を貫く。天地は轟きを拒まず、雷は穿つ。

我は導き、我は振るう。雷は戟となり、我が前に集え」


源正詠唱によって魔術に付与される理は、もはや現世の法則に属さない。

世界が許容する範疇を逸脱した力。


それは――

紛う事なき神の力だった。


「――雷闘虎戟(らいとうこげき)


閃光が世界を包み、雷音が轟き渡った。


白虎が、走った。


雷で形作られた神獣の輪郭は、地を蹴り、天を裂き、万物を喰らい去る。


呪いの矢は触れた瞬間に霧散し、猟犬の存在そのものが、雷光の中に溶けて消えた。


爆音。

衝撃。

地平が歪む。


街を背にしていなかったことだけが、ノーシアにとっての幸運だった。


雷が消えた後そこにあったのは、削り取られた大地と、焦げ跡だけ。

その光景は遥か地平線の彼方まで続いていた。


「どうであった?」


三郎は太刀を一振りし、雷の残滓を払った。

振り返った彼の表情は、いつも通りの明るいものだった。


残忍で、凶暴な性格のメヌでさえ、眼前の光景に言葉を失っていた。

宿の二階からこれを目にしていたバルバードとエリカに至っては、恐怖がその面に滲んでいる。


しかし、ジャックだけは違った。


「ははははは!やっぱり最高だよ、お前!」


満面の笑みを浮かべながら、三郎にそう返した。


三郎の催した、暇潰しの為の余興。

天地に轟いたその雷音は、否応にも、新たなる波乱を呼び起こす事となる。


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