8 異能神聖派 赤い瞳の信者
「アラン!」
アリスが男の名を呼んだ。外国人か? 日本人にもアランという音に感じを当てた名前があるので、どちらかはわからない。桜太郎は目を凝らした
薄っすらとだが、男の顔立ちが確認できる。逆三角形の輪郭で、顎は尖っている。目は離れていて赤く発光し、鼻は細く小さく、唇が薄い。爬虫類のような顔で、日本人にも外国人にも見える。ハーフか何かだろう。
「アラン、あのね、おじちゃんがアリスを助けてくれたの! すごかったんだよ。喧嘩があってね、怖くて隠れてたら、おじちゃんが……」
「アリス様。お一人でのお散歩は危険なので、信徒を伴わなければなりませんとお伝えいたしましたでしょう」
アリスを遮る言葉は丁寧な口調と優しい声音だったが、その中に相手を萎縮させるような凄みが込められているのがわかった。余程心配したのか、それとも、思い通りの行動をしなかったアリスを咎めているのか、今の段階では決めかねる。だが、桜太郎は男の中から滲み出る悪質な気配を感じていた。長年の経験と勘が警告する――「バレてはいけない」。
アリスとアランの服装は類似しており、名前を呼び合っていることから関係者同士なのは瞭然だ。恭しい口調に、様という敬称だけを抜粋するならば、どこぞのお嬢様か、とにかく位の高い身分なのは把握できる。だが、「信徒」という言葉が異様だった。
桜太郎の中に、一つの仮説が立った。
(異能神聖派の宗教団体か?)
異能神聖派。異能力者を神、異能を神の力だとして神聖視する一派のことだ。それは主に宗教団体を形成して活動しており、教祖が異能力者であったり非能力者だったりと異なるが、やることは強姦、殺人、薬物などの禄でもない、神聖さの欠片もない信仰と願望成就を建前にした悪逆非道な犯罪ばかり。
(ジャケットと小銃を外しててよかったな)
アランからは見えない位置に、自分の身分を証明する物品が二つ揃っている。インカムは髪に隠れていてあ相手からは見えないはずだ。
もしもこの男が異能神聖派宗教団体の一員で、しかも過激派であれば――桜太郎はこの場所で屍になるだろう。スーツの中のショルダーホルスターに拳銃が隠れ入っているので丸腰ではないが、アランは赤い目の異能力者だ。つまり、強力な異能に恵まれた人物である。そんな強者相手に、たかが非能力者がたった一人で敵うとも思っていない。
「ごめんなさい……」
アリスは肩を落とした。
「本当に心配したのですよ。真上では何やら異能力者同士が戦って、しかも異能狩りまで集まっている。アリス様に何かあったら、我々一同がどんなに悲しむか……それで、もう一度お尋ねいたします。この御方は?」
アランはアリスに向けて薄れていた桜太郎への関心を抱き直し、再度桜太郎に向ける意識を濃くさせた。赤い目は明らかに警戒している。
アリスが桜太郎の身分を暴露しないことを切望しながら口を開く。
「ええと、俺はたまたま地上の二人の喧嘩に巻き込まれちまって……逃げ回ってる時にアリスが車の陰に蹲ってるのに気付いて、一緒に避難しようとしてたんだが……」
ちら、と階段の出入口を塞ぐ大型トラックを見上げると、アランの目も釣られるようにそちらへと誘われた。
「ここに逃げ込もうとした時、異武の馬鹿捜査官が、ガラの悪い方を撃っちまってよぉ。このトラックぶん投げなれてさ。白いパーカーの子が助けてくれなきゃ、俺もアリスも無事じゃすまなかったぜ」
ほとんどが事実だ。アリスの様子を一瞥すると、やはり嘘に反応して目を彷徨わせていたが、桜太郎と視線がかち合うと、賢いことに意図を察してか何度も頷いた。
「そうなんだよ! 言ったでしょ? おじちゃんが、アリスを助けてくれたの! 階段から落っこちる時もね、アリスが怪我しないように守ってくれてたんだよ!」
大袈裟にならない程度に、桜太郎も首肯した。アランは二人の供述に相違が無いことを吟味したのち、「そうですか」と納得した。
「我らが大切な方に、大変親切にしていただいて、本当にありがとうございます! 何とお礼したらよいのやら……!」
アランは剣呑な眼差しを緩ませ、友好的に声を弾ませた。夜が朝に反転したかのような露骨にもほどがある変わりように、桜太郎は少し面食らった。
「……おや?」
ずい、と桜太郎に顔を近付けたアランは、黄金の目をじっと見つめた。
「何と縁起の良い。アリス様と同じ、黄金の瞳をしていらっしゃるとは! しかし、異能を感じない。もしや貴方は、非能力者なのですか?」
「え、ああ、そうだけど」
「何と!」
アランはハッと息を呑んだ。そして、目を憐憫の形に変えると、その中に涙をうるうると湧きあがらせた。どこに泣く要素があったというのか。理解不能な反応に、桜太郎は困惑するしかない。
「何と、哀れな……」
勝手に哀れみをかけられて、さらに困惑が募る。だが同時に、脳裏に蘇るものがあった。
――可哀想な桜太郎。おまえが、本当に異能力者ならよかったのに。
若い男の声だ。子供でも大人でもない、高くも低くもある声。
想起は長くは続かなかった。アランの声が、重ねて思い出しかけていた男の顔を掻き消したからだ。
「つらいことを訊いてしまって、申し訳ありません。異能の神は、貴方を天上の揺り籠の園で見つけ損なってしまわれた。ああ、こんな世界では、力無き事は命を蝕みます。その黄金の瞳のことで、非能力者からさぞ排斥されてきたことでしょう」
「……」
熱の籠った、演劇のような喋り方で、桜太郎のイマイチな反応を物ともせずにアランは言い続けた。
「そうだ! 貴方を、我が異能神聖派宗教団体【天授宗】の儀式にご招待いたします!」
「――天授宗?」
初めて聞く団体だ。異武は東都京の異能神聖派宗教団体は網羅していると自負していたが、まだ情報捜査部さえも存在を掴んでいないほどに最近結成した新興宗教団体なのだろうか。しかし新旧がどうであれ、何かしらの陰謀や事件を秘めていることに変わりはないだろう。
「ああ、そういえば、まだ自己紹介をしておりませんでしたね。私はアラン。異能神聖派宗教団体【天授宗】の教祖を務めさせていただいております」
恭しくお辞儀をしてみせるアランに、桜太郎は目を見開いた。
(こいつ、教祖だったのか)
桜太郎は微笑んだ。この男から最大限に情報を獲得し、異武に持ち帰って情報捜査部に共有しなくては。
「へえ、天授宗っていう宗教団体があるのか。初めて聞く。教義は何なんだ?」
「テンジュの女神信仰です」
「テンジュの女神?」
「はい。天空の天に、授けると書いて天授。我々天授宗の名親でもあります」
天授――由来となった異能がわからない。ただ単純に、異能を天上の神から授かりし力として崇めたための名かもしれない。
一旦、天授の由来が何なのかはさておき、桜太郎は一つ疑問を問いかけることにした。
「アンタも異能力者、だよな? さっき瞬間移動でここに来たみたいだし、目も赤いし。異能力者が異能力者を崇めてんのか?」
無邪気を振る舞った、興味津々な口調でそう問えば、アランは笑みを深くした。魚が餌に喰いついて満足しているようだ。
「私は、生まれながらの異能力者ではありません。二ヵ月ほど前に、我が主神から異能を授かった後天性異能力者なのです」
「!」
ここでもまた、後天性異能力者の登場だ。しかし、この男は今、何と言った――?
「ちょっと待ってくれ。異能を授かった? どういうことだ。そんなことができるのか?」
アランは至極当然のように頷いた。
「はい。我が主神は異能を司る御方。すべての異能を駆使し、そして他者に異能を授けることができます。ねえ? アリス様」
「……うん」
アリスの方は自身がなさそうな様子だったが、それでも肯定した。アリスの植物を咲かせる異能も、その天授宗の主神とやらに与えられた力なのだろうか?
(人間も、亜人も関係なく異能を与えることができるだと?)
正義のために異能が欲しいとアリスにこぼした桜太郎の心に湧き上がってきたのは、急激に全身から発汗させるほどの興奮と歓喜――ではなく、恐怖と緊張だった。
(あり得ない話だ――あり得てはいけない話だ!)
否定と拒絶。これは、異武の捜査官としてのみならず、非能力者という立場としても最悪の状況を想像させるものだ。
(――第二次異無日本内戦の形が変わる!)