7 異能神聖派 交錯する三つの黄金の瞳
立ち入り禁止の地下街入口に辛うじて落ちた刹那、薄暗さを感じた。照明が薄いのだ。トラックが地面をバウンドし、轟音を立てながら入口を塞いぐ――その間際、閃光が視界を白く支配し、雷鳴が心臓にまで響くほど轟いた。「ああ、やっと来てくれた」と事件の終息を確信したのも束の間のことで、桜太郎は弾丸のように飛び掛かって来る破片や瓦礫からアリスを強く抱きかかえて守り、階段を転げ落ちて行く。そこまで長い距離を落ち続けることはなかった。T字に通路が岐れており、桜太郎は背中が突き当りの壁に激突したことによって、やっと転落が終わったことに気が付いた。
からん、ころん、と瓦礫が階段を下って来る。全身の痛みに堪らず呻き声が洩れた。
「片桐か……? ありがたいな……」
何から何まで優しい異能力者だ。捜査補佐官としてスカウトしたいくらいだ。
腕の中で何かが身じろぐ感触がして、桜太郎は痛みも忘れて慌ててアリスの無事を確認した。最大限庇ったとはいえ、小さい身体に転落のと衝突の衝撃は響いただろう。
「アリス! 大丈夫、か――」
桜太郎は言葉を途切れさせた後に、そのまま言葉を失った。
――蜂蜜のような黄金色のものが、桜太郎の驚愕に見開かれた黄金の目を反射している。それは瞬きをした。目だ。けれども、縁取る睫毛はなく、向きも縦だ。その目は、たった一つ。アリスの涙に濡れたアメジスト色の両目の上、額の中心にあった。
第三の目だ。桜太郎を見ている。まっすぐに。澄んで、光っている。
(人間じゃ、ない)
桜太郎は、アリスが人間ではないことを把握した。
――だからといって、桜太郎がそれ以上を何かを驚くということもなかった。亜人種は、少数人種に認定されている。日本で最も多いのは獣人で、ケモミミアイドルやモデルなど、自分の特徴の魅力を最大限駆使したメディア関連の所業で花開き、多くの人気を経ている。
亜人種は編入してきた人種で、その経緯を説明すれば、今から約五百年ほど前、一六〇〇年代に【百鬼孔】と呼ばれる空間の穴が世界各地に発生し、異世界来生物が出現した。獣人、夢魔、人魚やエルフのみならず、百鬼孔の獣たちまでもがこの世界の食物連鎖や生態系に組み込まれていった。きっとアリスの先祖も、そうやって世界を渡ってやって来たのだろう。そして悲しくも当然、この世界の在来種たちとの苛烈な激戦や差別なども繰り返されたものだが、現代では共存共生の輪を繋いでいる。先祖たちの歩み寄りと、理解の積み重ねによる親交の賜物だ。しかし、未だに差別や争いが完全に撤廃されていないというところが残念でもある。
ちなみに、百鬼孔は四十年前に封印され、空に赤い微光を放つ亀裂となって活動を停止し、現在では百鬼孔遺留博物館の、その最上階の大目玉として展示されている。
「だ、大丈夫……」
アリスは気丈に振る舞おうと頑張っているが、目に堪える涙が心情を吐露していた。怖くないはずがないのだ。こんな子供が、大人だって恐ろしいと逃げ出す戦場に置いてけぼりにされて、一人孤独に恐怖感に耐えて救いを願って待っていたのだから。
桜太郎は子供向けに言葉遣いを選んだ。
「きっともう、二人の喧嘩は終わったから安心してくれ。俺の頼れる友だちが来てくれたんだ、もう大丈夫。おじちゃんと一緒に親御さんを――ああ、こういう時にサイコメトリーが使えたらなあ……」
人生で何千回目かの無いものねだりである。
唐突に嘆き項垂れた桜太郎に、アリスはビックリして体を跳ねさせた。「あ、ごめんごめん」と桜太郎は謝罪した。顔を上げてアリスと向き合うと、驚きで涙も引っ込んだようだから、結果的にはよかったのかもしれない。
「や、やっぱりおじちゃん、異能力者じゃないの?」
「うん。おじちゃん、非能力者」
「お目目の色、アリスのおでことお揃いなのに?」
異能力者は力が強力なほどに、外見に異色が表れる。特に顕著なのは虹彩の色だ。赤、青、緑やオレンジ、金色など。黒目や茶色が全体を占める日本の中では物珍しい色彩だ。海外は多種多様な虹彩の色で鮮やかなものだから見分けが付き難く、そのせいで非能力者が異能力者だと疑われて差別されることも多いらしい。
桜太郎も、目の色で辛い幼少期を送ってきた過去を持つ。非能力者であるにも関わらず黄金の両目を持って生まれ、そのせいでもたらされた悲劇は家庭崩壊だった。根っからの異能嫌敵派である父が離婚を強行し、妻と息子を捨てて出て行った。その後、母は再婚したものの……その先も幸福な日々ではなかった。
「そう。おじちゃんの目も金色なのにな。いやあ、せっかくなら欲しかったなあ、異能」
アリスはきょとんと三つの目を丸くして、首を傾けた。
「おじちゃん、異能狩りの人なのに、異能が欲しいの?」
「異能狩り……」
今度は桜太郎が目を丸くすることとなった。異能狩りという名称は、異武の捜査官を嫌う異能力者による呼び名のことだ。異無日本内戦が敗戦に決し、その後報復のように異武の捜査体制が悪辣になった時代があった。不当な逮捕、理不尽な制圧を繰り返し、その行いは現局長が就任するまで続けられていた。
異武の内部でも異能力者への嫌悪感や敵愾心が爆増し、捜査補佐官が見限って退職する事態にまで陥ったのだ。悪政時代の桜太郎は異能力者の善悪を分別し、何の罪もない異能力者と大事な仲間である捜査補佐官たちを擁護し続けた。その成果により、ベテランと称賛しても過言ではない捜査官年数を誇る三十九歳の現在において、最下層の三等捜査官として落ちぶれることに
なったのだが。
現局長が就任し、悪政改善されてもなお、捜査補佐官が圧倒的に少ないのは、この時代が尾を引いているからだ。
桜太郎としても、異能力者としても最悪な時代だった。異武の捜査官が異能狩りと詰られても仕方がないのはわかっているのだが……こんな幼い女児が無垢に口にすると、心へのショックがなかなかに大きい。
純真無垢な差別用語に、苦笑と「捜査官って呼んで欲しいなあ」と訂正を返す。
「まあ、そうだな。欲しいし、異能が好きでな」
「好きなの? 怖くないの?」
「怖い、うーん。時と場合によっては怖いし、憎くもなる。使い道によるよな。さっき喧嘩してた怖い顔の男の異能は、人を無差別に傷付けることを目的とした悪い使い方だから嫌いだし、白いパーカーを着た兄ちゃんの方は、みんなを助けるためってことを目的にした使い方だから好きだな。おじちゃんと一緒に階段から落っこちちゃっただろ? あれ、白いパーカーの兄ちゃんが押したんだけど、そうしてくれなかったら俺もアリスもトラックに潰されて死んじゃってたかもしれない。だから、階段から落ちて痛いし怖い思いもしたけど、あの兄ちゃんと兄ちゃんの異能は大好き」
「……」
アリスは黙り込んでいた。不安な表情で、桜太郎を見つめている。桜太郎は説明が難しかっただろうか、と首を傾げる。
「おじちゃん、あの男の人の異能が嫌い?」
アリスが気にかかったのはそのことらしい。もうすでに伝えた本心なので、桜太郎も釈明することなく首肯する。すると、アリスはどんよりと落ち込んだ。
「ほ、ほら、アリス。言っただろ? 使い道なんだよ。あの男が異能を良いことに使ってたら、好きになってたよ」
「……おじちゃんは、もしも異能力者になれたら、力を何に使いたいの?」
「え?」
アリスの声色の真剣さに困惑したものの、真面目に問いかけているようだから桜太郎も逡巡した。ルドベキアの紋章、異武の文字、そして小銃を背負う理由を。
「そりゃ、悪いことした人を捕まえるためとか、無辜の国民を助けるためだな。捜査官になったのも、それが本質だし……」
脳裏で踊り狂う、青とオレンジ。巨大な炎。嗤う炎の魔人。
桜太郎の中に鎮座する、一番大きな本心は――
「どうしても、捕まえたい異能力者がいるのが、一番大きいな」
「その人は、何をしたの?」
「たくさんの人を殺したんだよ」
見境を付けた殺戮だった。敵と味方、好きと嫌いを分けて、炎の魔人は不要な方を何の躊躇いもなく焼き払った。
「その人は、どうして殺したの?」
そう問いかけられて、そのあまりにもの難題さに桜太郎は微苦笑しながら呻いた。
「争ってたから、かもしれないな」
「……そっか」
アリスが本当に納得したのかはわからないが、そう言って頷いたので、桜太郎もそれ以上、炎の魔人についての話題を続けることはなかった。
地上の震動は止み、戦闘の轟音も聞こえない。制圧が完了したのだろう。桜太郎は階段を見上げた。トラックの車体が完全に出入口を封鎖してしまっている。このまま地上に戻るのは不可能だ。左右どちらかの通路を選んで、地上に戻る昇降設備を探さなければいけない。
桜太郎は立ち上がって背伸びをした。小銃を外して階段側の壁に立てて置き、ジャケットを脱いで上下に振るい、砂埃を落とす。立てた小銃の上から引っ掛けて、緩んだスーツ姿になった。すると、ズボンのポケットを引っ張る感触があって、見下ろすとアリスがポケットを掴んでいた。
「ねえ、おじちゃん」
「ん?」
視界を合わせるようにしゃがみ込む。アリスは声が小さいので、立ったままでは聞きにくいのだ。
「アリスが、異能をあげるね」
「えぇ?」
突然の提案に当惑するのは当然のことだろう。異能を与える――とは、いったい? アリスは桜太郎の当惑した様子に気付かないのか、無視しているのか、額にかかる毛先の黒いグレープ色の前髪を払い退かし、あの黄金色の第三の目を露出させた。
「アリスの《《目》》を見て」
そう言って、アメジスト色の両目を閉じるので、桜太郎はわけもわからぬまま、言われるがままに、開かれたままの黄金の第三の目を見下ろした。見つめ合う。アリスの提案に何か引っかかりを感じるものの、その正体も靄がかっていて気の座りが悪い。
自分の両目よりも、明るい金色だ。初めに抱いたような、蜂蜜のような黄金。待てよ、蜂蜜って黄金色と形容してもいいのだろうか? 黄金色は黄金色で、蜂蜜色は蜂蜜色なのでは? 考えるほどにわからなくなってきたので、桜太郎は色への関心を放棄して、アリスの第三の目に集中する。
黒い瞳孔が猫のように拡大し、囲う虹彩がぼんやりと光を放った。視認した瞬間、体の中で火から湧き上がったばかりの煙か、生温い水が広がっていくような不可解な感覚に見舞われて、桜太郎は一気に緊張した。
《《自分に異能を行使されている!》》
そう気付いた時には、不可解な感覚は霧散するように消失していた。瞳孔は縮小し、虹彩の発光も絶えた。身体を見下ろし、掌を確認するも、異常はない。だが、確実に被力(異能を体に受けること)した感覚だった。
「ちょっ、アリスッ、俺に何しちゃった!?」
怒鳴ったわけではなかったが、驚愕に力んだ問いかけは、アリスのことを少し怯えさせたようだった。だが桜太郎も怯えていた。わけもわからない異能をかけられているのだ。アンチ・サイ鉛鉱を所持していない自分では、対処法はない。
アリスが悪意を持っての行いではないのは、わかっている。だが、不明は不安を煽るのだ。
「だ、大丈夫だよ、おじちゃん。アリスは、おじちゃんの欲しい力をあげたくて。えっと、つまりね、あ、あのね――」
アリスが言葉を喉の奥で躓かせながらも懸命に事の説明をしようと口を開いた時、アリスの背後に突如人影が出現したのに気付いた。曲がり角を曲がって来たわけではない区、何もない空間からパッと現れたのだ。瞬間移動の異能力者の出現に、アリスも気付いて振り返る。異能力者同士は相手の気配――プレッシャーと呼ばれるそれで、自分より上の存在か、それとも弱い存在かを感じ取ることができるらしい。
思い出した知識に、桜太郎はなるほど、と納得した。アリスに自分が異能力者ではないことを話した時に驚いていたのは、黄金の目という強力な異能力者に現れる異色の特徴をしているにも関わらず、まったくプレッシャーを感じなかったからだったのだ。桜太郎に対する、異能力者の友人たちが言う罵倒の一つに「外見詐欺」というものがあるのだが、そうそう、これが由来だったな、と思い出した。
人影は心許無く光る照明の中を接近してくる。
黒いローブを着ているのはわかった。フードを被って、襟や袖口、裾に目を模した刺繍が並んでいる。フードの中には影が満ちていて、その人物の顔の造形は視えない。体格はローブが覆い隠しているので不明だが、男だと認識した。
「アリス様、お迎えに上がりました」
男の声だった。猫なで声の、媚びを売る声。
「こちらの御方は?」
男の意識が桜太郎の方を向いた。わずかに顔が挙げられて、桜太郎は不気味にとぐろを巻く影の中で暗く光る赤い瞳を見た。