5 異能と非能 新世代の歩み
斎藤は涎を撒き散らしながら奇声を上げ、がむしゃらに標識を飛び回した。アスファルトを跳ね、自動車のフロントガラスを砕き、木の幹を抉る。もはや片桐に狙いを定めず、狂乱のままに手当たり次第に周囲のものを破壊し尽くそうとしている。
一本の標識が桜太郎たちを目掛けて支離滅裂な動きで急接近してくる。ヒュッと肝が凍てついた瞬間、標識は突如として意識を取り戻したかのように鋭角に進行方向を変更すると上空へ急上昇していく。明らかに別の力が作用した動きに、桜太郎は片桐へと振り向いた。
「――いい加減にしろッ!」
距離が縮まったことによって、片桐の声が聞こえてきた。忙しなく目を動かし周囲の状況を確認しながら、縦横無尽に暴れ回る危険物の攻撃を妨害している。風で受け流し、制御を乗っ取って送り返し――片桐は斎藤へただ応戦してるように見えて、実際は斎藤の異能による周囲への被害を緩和させているようだった。斎藤が操る数々の凶器は、暴風の渦の中のみで活動している。
片桐晴斗は味方だ、と桜太郎は確信した。となると、これ以上の風域の拡大は望ましくない。理想をすべて棄却し、片桐への加勢方法を思案する。一番手っ取り早いのは、斎藤和也の銃殺だ。薬物摂取による錯乱状態。無差別異能加害。やむを得ない、正当な方法ではある。
(でも、異武《俺ら》は異能力者に嫌われてるからなあ。状況上しかないことだったとしても、撃ったら報復されかねない)
杞憂はそのことだ。実際、異武の捜査官が襲撃される事例は何度も発生している。異能力者との戦闘に発展した事件で、致し方なく相手を銃撃し負傷または死亡させてしまったという事例でも、非能力者に同胞を害されたとして異能力者たちが報復を行うのだ。
けれども逆もまた然り。異武の捜査官のみならず、一般人の非能力者が異能の被害に遭った場合、その仇討ちという名目で非戦闘系異能力者が襲撃される。それに激怒した異能力者側が報復措置をとり――と、いたちごっこが続く。
互いに、やられたからには加害せずにはいられないのだ。
「お前みたいな異能力者のせいで、非能力者との仲がこじれ続けんだよ! せっかく、少しずつ関係性が改善されてってんのに……っ! 何で邪魔するんだ!」
「……」
片桐の目に涙が浮かんでいるのが見えた。悔しさと怒りで、声も震えている。
数多ある凶悪異能事件の中でも異彩を放つ異無日本内戦は、日本国内で最もたる異無間の軋轢の象徴だ。終戦から二十二年目の経過が迫る現在においても、この内戦が原因の争い事は頻発している。しかし二十年以上も経てば、当時誕生しておらず内戦を経験していない者や、幼過ぎて覚えていない者も現れる。片桐晴斗は、前者に当てはまる年代だ。そして、そういった異無日本内戦を知らぬ若者たちの中で、ある派閥を形成している若者たちの存在が台頭を始めた。異無間の関係を改善構築しようと血道を上げている、新思想異無先駆派――別名、和合派とも呼ばれる者たちだ。
異能力者と非能力者にはそれぞれ専用学校があり、異無日本内戦の学習内容には相違があるらしい。それもどうやら、個人的かつ自陣優遇・憐憫的な思想に塗れたプロパガンダに汚染されている。戦後とはそういうものだ。異無日本内戦は、四半世紀も経っていない、まだ新しい戦争の歴史で、実体験者も多く存命している。彼らの体験談には感情が込められて迫力があり、説得力にも申し分ない。そして大人たちの恨みに触発されてしまう子供も少なくはないのが悲しい現状だ。
しかし、そんな中で異端とも呼べる若者たちが次々と現れている。それが、新思想異無先駆世代(和合派)だ。幼少期はプロパガンダに洗脳され、大人の意のままに相手を恨み嫌悪するものの、学校や公共機関での交流を経て、植え付けられていた先入観との乖離・齟齬に気付き思想を改め、傷付け合うより助け合う関係性を望み、声を上げて活動を行うのだ。
馬鹿馬鹿しいと嘲る声は多い。無駄なことだ。無辜の被害者を哀れだと思わないのか。歴史の無念を晴らすべきだ、と。
だが、桜太郎は和合派に賛同している。異能犯罪や事件を対処する武装捜査官として、脳裏に焼き付くほどの衝撃的な数々の凄惨な現場を見て、被害者遺族の怒りと悲しみを受け、都市と人を焼き殺す炎を想起しても、それでも桜太郎は完全に異能力者を嫌悪することができずにいる。
桜太郎はインカムの中心に指を当てた。インカム内のバーチャルアシスタントに命令を出す。
「織田静佐情報特等捜査官へ発信」
バーチャルアシスタントは一秒後にコールを開始した。静佐はすぐに応答した。
口を開いた瞬間、桜太郎は躊躇った。これから静佐に持ち掛ける要請は、片腕で抱き上げているアリスに聞かせてはいけない言葉だ。アリスはまだ幼くて、きっと意味を理解できないだろうが、それでも躊躇いが喉を詰まらせる。しかし現状を鑑みて、桜太郎は決心した。
「斎藤和也の射殺許可を出してくれ。」
『……ふむ。僕は可能であれば捕縛しろと指示を出したからな。無理にとは言わんが、やはり無理そうか』
「ありゃ無理だ。クスリでラリってる」
『! ……BMか?』
BMはビースト・マインドの略称だ。
「精神の狂暴化に異能の暴走状態と類似点はあるが、違うかもしれない。片桐晴斗が奴の無差別攻撃に対処してくれている。最終到達予知地点であるガラスの竜巻も、風の異能力者である片桐じゃなくて、斎藤の仕業かかもしれない」
『確かに、斎藤の異能は物体を操る異能。風の異能と断定するには逸ったようだな。――謝罪は始末書で受け取る』
桜太郎の耳に音声では届かなかったが、静佐に長谷川が謝罪したらしい。静佐の不愛想な返事に、桜太郎は苦笑した。異能不明である斎藤と、異能が判明している片桐とでは、どうしても判明している方に思考が注目するし、その結果予想の偏りが出てしまう。異能による物体の動きも要因の一つだろう。竜巻など、最もらしい風異能攻撃の形態だ。斎藤の異能が炎や水など、明確な違いが目に見える異能だったならば、こんな間違いもなかったはずだ。
少しだけ、長谷川が哀れに思えた。静佐は、異武で一番のドライで厳格な人柄だ。情報捜査部の捜査官たちは一番近い位置で日々を過ごすので、そんな人柄の中にも仕事への真面目さ精確さと、現場で戦う武装捜査官や補佐官たちへの真摯な姿勢を見ているので人気を誇るが、武装捜査部の中では恐れられている。そんな敬慕する上司から叱責された挙句にすげない対応のコンボを決められてしまったその心情は、きっと自他的にも痛々しく見えることだろう。
『しかし、そうか……わかった。許可を出そう』
「頼んだ」
『お前が撃つのか?』
静佐の問いかけに、アリスの旋毛を見下ろした桜太郎は否定した。
「子供を抱えてる。この子を安全な場所まで送り届けるよ。他の捜査官たちに指令を出してくれ」
銃声が風を伝播して響き渡った。静佐が射殺許可を出す直前のことだ。武装捜査官の誰かが応戦か威嚇射撃かの要因で発砲したのだ。戦場を確認すると、斎藤の右肩から赤いシミが滲んで広がっていた。片桐が撃たれたわけではなかったことにひとまず安堵するも、すぐに緊張に切り替わった。
(まずいな)
と、心の中で独り言ちる。発砲するのは良い。だが、射殺許可を出す前だった。桜太郎以外の武装捜査官は、射殺許可が下りたことを知らない。つまりは、わざと《《斎藤を殺し損ねた》》。これが問題なのだ。
「ぐぎ、げああぁあぁああぁぁああぁッ!!」
涎を撒き散らしながら不気味な絶叫を上げて、片桐は倒れ込んだ。じたばたと路上を藻掻く。その後ろに、小銃を構えた牧野誠太の姿が見えた。なるほど、撃ったのは牧野だったか。
「牧野が斎藤を撃った。斎藤の右肩に被弾。意識あり」
『了解。現場出動中の全捜査官に告ぐ。安全な場所に避難しろ』
返答することもなく、瞬時に周囲を見渡し、安全圏を探す。そして見つけたのは、百メートルほど先にある地下街入口だった。立ち入り禁止の赤いホログラム規制が張られているが、その奥には避難の妨げになる障害物は置いていないようだ。桜太郎はアリスを抱えたまま走り出した。
「片桐晴斗!!」
「!?」
突如として名を呼ばれ、片桐は弾かれるように振り返った。その表情は驚愕している。当然だ。異能力者にとって、武装捜査官が自分のことを認知していることほど、背筋を凍らせることはないだろう。
「逃げろ!」
と、忠告した刹那。斎藤が一気に異能を放出した。それは不可視の硬い圧力となって、周囲の物を押し飛ばした。斎藤から一番近い距離に立つ片桐は軽々と吹っ飛ばされ、街路樹の樹冠の中に姿を消した。標識は建築物の壁に深く突き刺さり、人を巻き添えにしなかっただけでも幸運だったといえる。だが、桜太郎とアリスに、車両の襲来という不運が迫る。しかもそれは、大型トラックだった。
――地下街入口の階段まで差し掛かっている。あと三歩踏み出せば……否、間に合わない。階段を全速力で駆け下りたとて、大型トラックのスピードには敵わない。スローモーションに見えるくせに、理想と現実は激しく乖離している。身体が硬直し、自分の呼吸が止まっていることに桜太郎は気付かなかった。ただ、目前に死が迫るのを見ているだけ。
アリスは縋るように桜太郎を抱きしめている。
( せめて、この子だけ で、も )
願った時、とん、と押す力があった。それに実体は無く、指先で押されるような、軽く爪弾かれるような衝撃だった。
風だ。
桜太郎の体は、立ち入り禁止の赤いホログラム規制を透過藤は涎を撒き散らしながら奇声を上げ、がむしゃらに標識を飛び回した。アスファルトを跳ね、自動車のフロントガラスを砕き、木の幹を抉る。もはや片桐に狙いを定めず、狂乱のままに手当たり次第に周囲のものを破壊し尽くそうとしている。
一本の標識が桜太郎たちを目掛けて支離滅裂な動きで急接近してくる。ヒュッと肝が凍てついた瞬間、標識は突如として意識を取り戻したかのように鋭角に進行方向を変更すると上空へ急上昇していく。明らかに別の力が作用した動きに、桜太郎は片桐へと振り向いた。
「――いい加減にしろッ!」
距離が縮まったことによって、片桐の声が聞こえてきた。忙しなく目を動かし周囲の状況を確認しながら、縦横無尽に暴れ回る危険物の攻撃を妨害している。風で受け流し、制御を乗っ取って送り返し――片桐は斎藤へただ応戦してるように見えて、実際は斎藤の異能による周囲への被害を緩和させているようだった。斎藤が操る数々の凶器は、暴風の渦の中のみで活動している。
片桐晴斗は味方だ、と桜太郎は確信した。となると、これ以上の風域の拡大は望ましくない。理想をすべて棄却し、片桐への加勢方法を思案する。一番手っ取り早いのは、斎藤和也の銃殺だ。薬物摂取による錯乱状態。無差別異能加害。やむを得ない、正当な方法ではある。
(でも、異武《俺ら》は異能力者に嫌われてるからなあ。状況上しかないことだったとしても、撃ったら報復されかねない)
杞憂はそのことだ。実際、異武の捜査官が襲撃される事例は何度も発生している。異能力者との戦闘に発展した事件で、致し方なく相手を銃撃し負傷または死亡させてしまったという事例でも、非能力者に同胞を害されたとして異能力者たちが報復を行うのだ。
けれども逆もまた然り。異武の捜査官のみならず、一般人の非能力者が異能の被害に遭った場合、その仇討ちという名目で非戦闘系異能力者が襲撃される。それに激怒した異能力者側が報復措置をとり――と、いたちごっこが続く。
互いに、やられたからには加害せずにはいられないのだ。
「お前みたいな異能力者のせいで、非能力者との仲がこじれ続けんだよ! せっかく、少しずつ関係性が改善されてってんのに……っ! 何で邪魔するんだ!」
「……」
片桐の目に涙が浮かんでいるのが見えた。悔しさと怒りで、声も震えている。
数多ある凶悪異能事件の中でも異彩を放つ異無日本内戦は、日本国内で最もたる異無間の軋轢の象徴だ。終戦から二十二年目の経過が迫る現在においても、この内戦が原因の争い事は頻発している。しかし二十年以上も経てば、当時誕生しておらず内戦を経験していない者や、幼過ぎて覚えていない者も現れる。片桐晴斗は、前者に当てはまる年代だ。そして、そういった異無日本内戦を知らぬ若者たちの中で、ある派閥を形成している若者たちの存在が台頭を始めた。異無間の関係を改善構築しようと血道を上げている、新思想異無先駆派――別名、和合派とも呼ばれる者たちだ。
異能力者と非能力者にはそれぞれ専用学校があり、異無日本内戦の学習内容には相違があるらしい。それもどうやら、個人的かつ自陣優遇・憐憫的な思想に塗れたプロパガンダに汚染されている。戦後とはそういうものだ。異無日本内戦は、四半世紀も経っていない、まだ新しい戦争の歴史で、実体験者も多く存命している。彼らの体験談には感情が込められて迫力があり、説得力にも申し分ない。そして大人たちの恨みに触発されてしまう子供も少なくはないのが悲しい現状だ。
しかし、そんな中で異端とも呼べる若者たちが次々と現れている。それが、新思想異無先駆世代(和合派)だ。幼少期はプロパガンダに洗脳され、大人の意のままに相手を恨み嫌悪するものの、学校や公共機関での交流を経て、植え付けられていた先入観との乖離・齟齬に気付き思想を改め、傷付け合うより助け合う関係性を望み、声を上げて活動を行うのだ。
馬鹿馬鹿しいと嘲る声は多い。無駄なことだ。無辜の被害者を哀れだと思わないのか。歴史の無念を晴らすべきだ、と。
だが、桜太郎は和合派に賛同している。異能犯罪や事件を対処する武装捜査官として、脳裏に焼き付くほどの衝撃的な数々の凄惨な現場を見て、被害者遺族の怒りと悲しみを受け、都市と人を焼き殺す炎を想起しても、それでも桜太郎は完全に異能力者を嫌悪することができずにいる。
桜太郎はインカムの中心に指を当てた。インカム内のバーチャルアシスタントに命令を出す。
「織田静佐情報特等捜査官へ発信」
バーチャルアシスタントは一秒後にコールを開始した。静佐はすぐに応答した。
口を開いた瞬間、桜太郎は躊躇った。これから静佐に持ち掛ける要請は、片腕で抱き上げているアリスに聞かせてはいけない言葉だ。アリスはまだ幼くて、きっと意味を理解できないだろうが、それでも躊躇いが喉を詰まらせる。しかし現状を鑑みて、桜太郎は決心した。
「斎藤和也の射殺許可を出してくれ」