2 異能と非能 後天性異能力者
「無理矢理変わらなくてもいいんじゃないか?」
桜太郎が苦笑しながら諫めると、相手は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
『お前こそ、現場で等級の話題を出し文句を垂れる大馬鹿者の言葉を大人しく聞こうとしなくてもいいだろう。インカムの内容は管制室にも届くんだ、無理矢理聞かされる僕の身にもなれ』
「気にするなよ、命懸けの現場に頼りない奴が来られても迷惑なのはわかってる。三等なんて、最下等級の下っ端だぞ」
『ならばさっさと等級を上げろ。若輩者に調子に乗らせるな』
「でも、等級あがると任務が難関で自由に動けなくなるし……別に、今のままでも」
『貴様がそんな風だから! ――まあいい。あとで僕が直々に指導してやる。部署が違っても、僕は特等の捜査官だ。少しは態度を改めるだろう』
「いやあ、なんかすまねえな、織田静佐 特捜査官殿。あとのことは任せるとして、俺この現場について何も聞いてないんだ。教えてくれ」
本来、異能力者と非能力者の間で発生した喧嘩により、非能力者側が右腕の骨折という大怪我を負うという予知が起こるはずだった。桜太郎はその喧嘩の仲裁、もしくは未発生収束という結果に収めるべくどちらかを誘導するために現場に出動したものの、現場には誰もおらず、何もせずとも未発生収束という結果になった。事件不発の未発生という良い意味で肩透かしを食らった任務から局へと戻った瞬間、ランクの高い異能犯罪が予知され、すでに対処に向かった武装捜査官たちの助っ人をしろと、小銃を渡され追い立てられるように出動させられたので、異能力者のランクや予知された被害規模などの情報を一切受け取っていない。
桜太郎の同期であり、捜査官養成学生時代からの親友である織田静佐は、一発の鋭い舌打ちのあと携帯端末に異能力者の情報を送信した。画面に映っているのは、まだ十代後半ほどの少年の顔写真と異能力者情報だ。睨み合う二人と写真を見比べると、白いパーカーを来ている方が写真の少年だった。渦巻く風の音で聞こえないが、二人は何やら激しく言い争っているように見える。
片桐晴斗。風の異能力者でランクD――平均的なランクの異能力者だ。しかし、平均的という字面だけでの印象で、大したことないというイメージに囚われてはいけない。平均値であっても、異能を持たない非能力者にとっては脅威であることに変わりない。
「平均ランクで車を一、二ぃ、三、四台も浮かせるんだもん。やっぱり異能って怖えなあ。使いようによってはカッコいいのに」
長年武装捜査官として異能力者との戦闘経験を積んでいるが、異能に対する恐怖心を克服するわけではない。そもそも、克服して良いものではない。例え異能ランクが最低値のFであっても、一つの小石を心臓や脳などに瞬間移動させることなど造作もない。異能の使いようによっては、容易く人を殺せるのだ。
余裕と慢心、その他諸々の自信を総じた自信過剰は、生死の天秤をいとも簡単に死に下げる不要の代物だ。自分に自信を持つことは大事だが、時と場合による。不適切な状況下で自信過剰に甘んじていると、だいたい復帰不可能な程の重傷を負い日常生活にまで支障きたす程に陥るか、さらに悪ければ死ぬ。二年から三年目の捜査官として慣れた頃が一番死者数が多いのだ。
画面をスクロールし、もう一人の情報に目を滑らせると、桜太郎は「ん?」と眉間に皴を寄せざるを得ない困惑に見舞われた。
「相手の男は非能力者なのか?」
斎藤和也。かつて傷害事件で服役していた非能力者。目が回るほどの騒々しい柄物の服を着て、冬なのに胸元を空けて金のネックレスを見せびらかしている。
「見る限り、念動力か重力操作っぽいけど。……まさか、最近増えてる成年期後天性異能力者か?」
『そのようだ。でなくては、非能力者が異能を使えるわけがない』
「そうだな」
後天性異能力者。その名の通り、後天的に異能を発現させた異能力者の呼称だ。異能力者とは通常、五歳までに異能を発現させる。この七歳までという期間中に異能を発現させた者が先天的な異能力者とし、八歳以降から後天性と分類される。後天性異能力者は幼年から成年まで年中に亘って発現が確認され、国家登録異能力者登録の義務がなされるが、これを拒否し未登録可異能力者として異能を隠し持つ者もいる。
「最近多いな。後天的に異能を発現させる事例自体が年に二十件もいかないくらいに少ないのに。特に、成人してからの発覚が多すぎる」
『普通は僕たちに見つからないようにひっそりと力を隠すことが多いが……あの男は自分の異能にずいぶんと自信があるらしい。零、わかっていると思うが、異能力者登録を行わずに異能を行使することは重罪だ。可能であれば捕えろ』
ということは、射殺許可は下りないということだ。桜太郎としても極力、惹起者死亡として終わらせたくはない。しかし……
「捕えろっつったってよお……」
桜太郎は小突き合い程度に始まった浮遊物のぶつけ合いを眺めつつ、声を渋らせた。風の異能と正体不明の異能が自動車を操って激突させあっている。天高く響き、建物の壁に叩きつけられる轟音に、桜太郎は「うわぁ……」と軽い絶望を覚えた。
自動車をぶつけ合うものの、これでまだ小突き合い程度。非能力者では到底軽々しく行えない、異能力者の強大さを改めて思い知らされてしまう。武器を所持しており、行使権限を解放されているとはいえ、突入するのは危険度が高すぎる。
助っ人が必要だ。この二人の異能力者たちをねじ伏せられるほどの力量を誇る、さらに上のレベルの異能力者の。
「流石に戦闘が始まってる以上、誰か捜査補佐官を派遣してもらいたいんだけど。異能力者には異能力者をぶつけた方がいい。今なら誰の手が空いてる?」
『そう言うと思って、すでに尾崎を向かわせている。だが、別件に駆り出していたから到着に少し時間がかかる』
「了解。……架蓮かあ、一気に過剰戦力になっちまうな」
異武三大部署という代表的な主要部署がある。
桜太郎や高木、牧野が所属する、銃火器や警棒などの武器を用いて異能犯罪者に対応する武装捜査部。
静佐が所属する、情報収集に特化した者たちで構成された異武の頭脳たる情報捜査部。
そして、異能力者で構成された、非能力者ばかりの情報・武装捜査官の補佐、援護、かつて世界中で出現していたダンジョンの遺留物――モンスターの討伐を担う捜査補佐部だ。
組織での異能力者の人数が少ないため、非能力者の捜査官たちが主体となり、異能力者たちがそのサポートを行うという体制で任務が行われる。その中でも特に尾崎架蓮という女性は、捜査補佐部の中でも強力な異能ランクを誇る鳥獣化【犬】と雷電の異能力者の女性である。そのランクは世界屈指レベルのS級。大抵の異能力者は瞬殺である。
そんな彼女が来てくれるならば心強いし安心感が莫大なのだが、だからといって架蓮の力に甘んじて任務を怠けるつもりはない。現場に出動した以上、最大限の責務を全うしなければならない。
と意気込んでみるものの……
「命懸けの喧嘩の仲裁、怖すぎだよなあ」
溜め息には悲壮感が込められていた。武器は小銃だけ、武装捜査官でありながらも武装していないという、武装捜査官としてあるまじき姿。一応、支給されているダンジョンモンスターの鎧毛――通常の衣類と変わらない伸縮性、柔軟性を持ちながら、外部からの衝撃を受けると瞬間的に鎧のように身体を防御する特殊素材――で製造されたジャケットを着用しているが、それでも突入は自殺行為だ。様々なダメージを軽減させるといっても、軽自動車に叩き潰されてしまえば蠅のように死んでしまう。遠距離からの狙撃という手も考えたが、異能は銃弾に勝る。
唯一、非能力者が異能力者に勝機を得る【アンチ・サイ鉛鉱】と呼ばれる、異能に触れれば無効化できる特殊な鉛鉱がある。世界各国の対異能機関で流通されているのだが、レアメタルよりも希少性が高く高額なために、国際指名手配犯並みの凶悪異能犯罪者が相手ではないと使用できない。それゆえ装填許可も下りないし、独断で使用したら始末書という代物だ。
つまり、ただの平均ランク異能力者の喧嘩という予知情報により、武装捜査官全員が通常の弾丸しか所持できていない。制圧しようにも、赤子の手をひねるように反撃される未来しか見えない。
無謀を考えるだけ無駄だ。桜太郎は思考を切り替えた。とりあえず、現状を維持に留めるか、可能であれば停戦にまで持ち込みたいものだが……後者は確実に不可能だ。周囲に気を遣えないほどに激情し合っている。等級の昇格に興味はないので武功を急いで果敢に立ち向かうより、逃げ遅れた民間人の避難誘導が最優先だ。何より、架蓮が現場に合流し、異能力者二人と戦闘になれば被害の拡大は免れない。架蓮は気の強い美貌の印象にそぐう内面を持つ、つまりは苛烈なので、すぐに頭の血管を切れさせてしまう。
架蓮を戦闘に専念させるためにも、負傷者を増加させないためにも、早急な避難完了が必要なのだ。
タイムリミットは架蓮の到着。桜太郎は周囲を見渡した。