これで私も“けっこう”と言える、ってコト!? 前編
して翌日、本命の日光だ。昨日は失敗したが、今日は計画通りに行動しよう。
まずは6時前の電車に乗るため、5時に起きて準備をする。ホテルから駅は徒歩2分ほど。それでも余裕を持って15分前に出発する。
コンビニにより、朝ごはんにブリトーを買った。私はブリトーをよく食べるのだが、好きになった理由は他でもない、雪ノ下雪乃役の早見沙織神が俺ガイルfesにてまあこの話はいいよね。割愛。気になる方は「早見沙織 ブリトー」で調べてみてください。
宇都宮駅に行き、券売機に向かう。日光線の日光行き、降りるのは日光駅という、私クラスのアホでもまちがえないわかりやすさ。
770円出してチケットを買い、電車に乗る。うつらうつら揺られていると、徐々に夜も明けてきた。着くころには空は青く、街灯がその存在感を失っていた。
日光駅からの景観
電車を出ると、刺すような冷気。もう帰りたい。だが駅を出るや、憂鬱も吹き飛んだ。
冷たい水色の空に、雪化粧をまぶした山々。大正ロマンの街並みは静けさに包まれ、時代感覚を失わせる。
日光駅は明治に開業し、今の建物は大正元年に建てられたらしい。開業当時、1890年の写真が置いてあった。人力車の車夫が駅の前で客が来るのを待ち構えている。
かつてこの場所を訪れたイザベラバードは書いている。車夫たちは痩せ細り、醜い顔つきで、服を来ていない、と。たしかバードが来たのは1878年。だが写真の中の車夫たちはきちんと服を着て、凛々しい顔立ちをしている。12年の間に栄養状態が改善され、服を着ることも覚えたのか。それとも写真用に作った光景なのか。
100年前の駅員が「ちょっと写真撮るんで、服着てくださーい。まっぱの人ははけてくださーい」とかやっていたのかと思うと微笑ましい。まあ、12年あれば景色など相当に変わるだろうし、真相はわからないが。
駅の見学はそこそこに、まずは戦場ヶ原へ向かう。「戦場ヶ原って、変わった名前だよな」「地名性だよ。ひたぎはたしか、土木関係の用語じゃないかな」「お前はなんでも知ってるな」「なんでもは知らないわよ、知ってることだけ」と脳内で音声が自動再生される。その戦場ヶ原である。
戦場ヶ原を眺めるハイキングコースまではバスが出ている。すぐそばのバス停でもいいのだが、せっかくなので東照宮の入口にある、神橋まで歩く。
いろいろなものがあった。特に多いのは湯葉。湯葉ってそんな目立つ食材だったっけ。買ってみたいが、今買ってもホテルじゃ料理できない。これはパスだな。
神橋でも写真を一枚。それからバス停の時刻表を見る。30分以上もある。神橋からの眺めは綺麗で時間を忘れさせてくれるかもしれないが、凍死してしまう可能性が高い。ここは戦略的撤退だな。
来る途中見かけたコンビニに入り、モカブレンドを飲みながら時間をつぶす。モカビーム! ところでモカブレンドってなに? 濃いめのカフェラテ?
モカブレンドについて考えている間にバスが来た。さっそく乗り込む。しばらくは平地を進み、山道に入る手前、アナウンスが流れた。
「まもなくいろは坂に入ります。カーブが多いのでご注意ください」たしかこんな感じのことを言ってたと思う。
警告出すほどの曲がり角ってなんだよ、オラわくわくすっぞ。
すぐに第一コーナー看板が立っている。“いろは坂 い 第一カーブ”とか、そんな感じ。
ははーん、なるほどね、つまりカーブのひとつひとつに“い”“ろ”“は”と名前をつけていったってことね。
予想はあたっており、カーブごとに一文字、いろは歌の順に文字が当てられていた。
いろはにほへと ちりぬるを 『色と香りは消えてしまう』
わかよたれそ つねならん 『この世にずっと残るものがあるだろうか』
ういのおくやま けふこえて 『今日という日は無の底に消えてしまう』
あさきゆめみし えひもせず 『束の間の夢に過ぎず、わずかな苦しか生じさせない』
このいろは歌もまたバードに言わせれば、東洋人にありがちな憂鬱で厭世的な美的感覚マジムリとなるやつだ。お前日本大嫌いじゃん、なんで来たんだよ。
カーブを曲がるたび、高度も上がっていく。つねならんのあたりから雪が見え始めた。ういビーム!のおくやまを今日越えたあたりからもう真っ白に積もっている。こんなん外出たら死ぬやん……。
寒いのは嫌じゃ、寒いのは嫌じゃ、と震えていると、中禅寺湖が見えてくる。かつて神々がこの湖を求めて争ったとされている場所だ。たしかに綺麗かもしれんけどただの湖じゃん。なんで戦争してまで取り合うの? わっかんないよ。わかんないわかんないわかんない! 神話ってほんとにわかんない!
徒然なるままにどうでもいいことを考えているうちに赤沼駅に到着。金を払う時になってふと気づいたのだが、帰りのバス代足りないじゃん……。
え、詰んだ。どうしよ。
どうしようもないな。考えるのやめた。バスなんてなくても自分の足で立って歩け。私には立派な足がついてるじゃないか。泣きそう。
バスを降りると、靴底が雪に沈んだ。さっきまではひたすら憂鬱だったが、いざ雪に触れると楽しくなってきた。育った場所が雪の降らない地域だったので、雪にはやはり憧れがある。
ひとすくいして握りしめる。ぜんぜん固まらない。さらさらと指の間から溢れていく。粉雪というやつか。話には聞いていたが、見るのは初めて。
こなぁーーゆきぃいい!!!!
赤沼駅から湯元駅までハイキングコースが続いている。中禅寺湖から北へ向かい、湯ノ湖まで伸びる形だ。道程は訳5km。
コースは板張りになっている。湿原を守るため、地面を直接踏まないように、ということらしい。看板に書いてあった。
コース沿いには多くの看板が立っていた。どれも景色について説明したものだ。
写真をとりながら歩いていると、事前にネットで見たような景色が現れた。
一面に広がるのは茶色い湿原植物。背景には山々。右手にある男体山は一際高く、他の山からも離れていて、たしかに力強い印象を受ける。
この男体山の神と、今の行政区分なら長野県に属する赤城山の神が、中禅寺湖を求めて戦った。そのため、この地を戦場ヶ原という。こうして地名の由来を聞くと、神原と戦場ヶ原を称した“ヴァルハラコンビ”はたしかにセンスのあるネーミングなのだろう。私もそういうかっこいい苗字がよかった。
ちょうど真ん中まで行ったところで、閃いた。ここから同じ場所に戻ればええやん、そうすればバス代ギリ足りるやん。名案すぎ。むしろ、なんで今まで気づかなかった。
湯元までの道も気になるが、たぶん冬は花も咲いていないし殺風景なので、ここまでの景色とあまり変わりないだろう、知らんけど。まあ、金がないので帰るしかないのだが。
行きと違い、帰りはさくさく進む。2回目でも景色を見るのは楽しかったので、見ることができなかった後半の道への未練もなくなる。
一時間ほどかけ、出発地点に到着。バスはちょうど出たところで、次は40分も待たなければならない。
暇なので自販機を見ていると、異彩を放つ黄色い姿が目に入った。
マックスコーヒーだ。
130円。これなら買える。
自販機でマックスコーヒーを購入。手を温め、コーヒー入り練乳をゆっくりと飲み干す。
人生は苦いから、コーヒーくらいは甘くていい。
念願が叶った。これでもう本当に未練はない。
バスに乗り込み、次の目的地へと向かった。
いろは歌の現代語訳は講談社学術文庫の「イザベラ・バードの日本紀行」から引用