長年の夢を叶えた王
「明日、ついに私達は夫婦になる。」
嬉しそうに言いながら微笑んだのはこの城の主。そしてつい最近戴冠式を終えたばかりの若き王だ。
彼と対面して座っているのは彼の婚約者だ。聡明で気品のある麗しい令嬢だ。
城内にある格式高い内装や家具が並べられている個室で彼と婚約者は2人っきりでお茶会をしていた。机の上に並べられているお茶や菓子は婚約者が好みのものばかり。
「婚礼衣装を着た君を見るのがとても楽しみだ。」
彼は楽しげにそう言って自分のティーカップに口をつける。
婚約者は愛想笑いを浮かべたまま彼の話に当たり障りのない返事をする。
「どうしたの? 何か不安な事でもあるのかな。あの子ならちゃんと出席するよ。」
あの子。
彼がそう言った瞬間婚約者は憎しみのあまりテーブルの下で手を強く握る。しかし表情には彼への憎しみと怒りの感情を出さない。
「そうだ。せっかくだからあの子の衣装を一緒に選んでくれないかい? 君が選んだものならきっと喜んで着てくれるよ。」
微笑みを絶やさず喋り続ける彼。
そんな彼に対して婚約者は内心憎しみの感情が煮えたぎっていたが、それを悟らせないよう表情を取り繕い続ける。
それが意味の無い事だと知らずに。
「あの子の体調なら心配ないよ。私が選んだ優秀な者達がつきっきりで世話をしてくれるから。」
例え、愛しい人が囚われても婚約者は憎たらしい彼を玉座から引き摺り下ろす事をまだ諦めてはいない。
そんな事を考えている婚約者の目を見て彼は嬉しそうに微笑んだ。
◆◇◆◇◆
婚約者との交流を終えた後、彼は別の部屋へ訪れた。
「やぁ。体調はどう?」
豪華なベッドの上で重傷を負った状態で横たわっているのは彼の弟だ。
「医師に相談したら明日の結婚式、短時間であれば君も出席できるって。良かったね。」
嬉しそうに微笑む彼に向かって彼の弟は殺意のこもった目で睨みつける。
そんな弟の目線を気にするそぶりを見せず彼は喋り続ける。
「やっぱり彼女の晴れ姿は君に見せたかったからね。そのために今彼女には君の衣装を選んでもらっているところだよ。まぁその傷じゃあ着替えさせるのも脱ぐのも傷に障るだろうから上着を羽織るくらいだけど、しょうがないよね。私の方から事前に知らせておくから心配はいらないよ。」
楽しげに話す彼に対して彼の弟は殺意を消さない。体を動かせるのであれば今すぐにでも彼を殺しに行きそうなほどだ。
それに気づいていながら彼は微笑みを崩さない。
「あぁ! あまり動かない方がいい。傷が痛むだろ。」
それどころか殺意を向けてくる彼の弟を労るほどだ。
「だから言ったじゃないか。あれは無謀だって。確かに君は優秀だよ。だけどそれだけじゃあ戦いには勝ち続けられない。」
ベッドの横にある椅子に座った彼は1人で喋り続ける。
「君は敵を作りすぎた。一刻も早く私を王太子の座から引き摺り下ろそうと焦り、事を急いだ。忠告してくれる者達の言葉に耳を貸さなかった。そのせいで味方であったあの人に君は裏切られた。」
微笑む彼からの言葉に弟は動揺する。何せ彼が言っている事は事実だからだ。
彼の言う通り、彼の弟は優秀であった。そして常に焦っていた。いくら彼の弟が優秀であろうと王太子の座は先に産まれた彼のものだ。だから弟はその座から彼を降ろし代わりにその座に座ろうと考えた。そのために彼の弟は彼が王になる前に王太子になるべく功績を上げる事に躍起になっていた。
その結果、焦っていた彼の弟からの無茶な命令や横暴な態度に嫌気が差し不信感を抱いた配下の者達は彼の弟を裏切り殺そうとした。
「あの時は本当に驚いたよ。発見が遅れていたら君は死んでいたんだ。今度は周りの人達の事を気遣ってあげなよ。」
瀕死の弟を救ったのは彼だ。
弟の配下達が弟を裏切ろうとしている事にいち早く気がついた彼はなぶり殺されそうになっていた弟を救い出し、治療をさせた。
裏切った配下達は弟を殺そうとした罪に相応しい処罰を与えた。
現在、彼の弟がベッドから起き上がれないのは元配下達からの攻撃によって負った怪我のせいだ。適切で迅速な処置のおかげで彼の弟は一命を取り留めたが、傷が深すぎたため重い後遺症が残った。彼の弟は誰かの助けがなければ生きていけなくなった。
それでも彼の弟は諦めていなかった。
往生際が悪い事に彼を王の座から引き摺り下ろす事をまだ諦めていなかった。
「…あぁ。やっぱり君達は似たもの同士だ。」
弟からの殺意と敵意の感情が入り混じった目を向けられてもなお、彼は嬉しそうに微笑んでいた。
「君と彼女は昔からそうだ。自分が優秀である事を自覚し、その才覚を伸ばすための努力を惜しまなかった。」
彼が何を言いたいのか彼の弟はまだ分からなかった。
「でも他の人達を見下していたから敵がすっごく多かった。君もだけど彼女も危なかったんだよ。自称友達が彼女に毒をもろうとした時は肝が冷えたよ。」
1人で喋り続ける彼を止めようとしたが、怪我のせいで弟の口は上手く動かない。
「愛する君達を守るために私は頑張ったんだ。君の時は間に合わなかったけど、まぁこれはこれでいいか。おかげで君達を縛り付ける事ができる。」
彼の弟はここでようやく異質さに気がついた。微笑みながら話す彼の言葉を聞き続けていくうちに恐怖の感情が心の奥底に芽生えていく。
「だって君達は自分達2人だけの世界に入り浸っていて周りの人達の反応に全く気がついていなかったからね。」
彼が次の言葉を話す前に、彼の表情が変わった。
笑顔だ。
が、今まで浮かべていた微笑みとはまるで違う。
「あぁ、本当に良かったよ。」
今までの優しそうな微笑みが仮面だとすれば
「やっと君達を手に入れられそうだ。」
今、彼が浮かべている歪んだ笑みが素顔だ。
口元を歪め、熱のこもった目線を彼の弟に向ける。どこか蠱惑な印象を感じさせるその笑顔に彼の弟は怪我のせいで声が上手く出なかったが短い悲鳴を上げた。
「長かった。本当に長かった。可愛い可愛い弟から無視されるのは本当に辛かった。君は目を離すとすぐ私から離れて、本当に困った子だ。王になろうとし、あの子と結ばれるために必死に努力する君の健気な姿は愛おしかったが、私から離れようとしたのは許せなかった。」
そう言って彼は立ち上がり一気に顔を近づける。愛憎が入り混じった目で至近距離で見つめてくる彼に怯えた弟はすぐに逃げようとしたが、怪我のせいで体が動かせない。
「私はね、仲良くしようとしたんだ。愛している。本当に愛しているんだ。でも君は幼い頃から私を嫌っていた。私の事が不気味だから嫌いと言って私を避けた。それでも私は君の事を愛していた。勉強をしている時も鍛錬をしている時も彼女とこっそり会って楽しそうに話す姿も全て愛しているんだ。」
今まで誰にも見せてこなかった彼の本性を間近で見せられている彼の弟はすっかり怯えており、殺意が消え失せていた。
彼の弟は兄である彼の事を幼い頃から嫌っていた。
いつもにこにこ笑っていて大人達の機嫌をとる姿に媚を売っていると思い嫌悪していた。王になるならば優秀な成績を収め堂々とした姿を見せればいいのにと常日頃から思っていた。自分が王になった方がいいと考えていた。彼よりも自身の方が優れていると信じて疑っていなかった。
だけど彼がこんな本性を隠し持っていた事には全く気がついていなかった。
「愛してるよ。君も、彼女も。」
彼の弟はようやく理解できた。
彼からは逃げられない。
◆◇◆◇◆
「素晴らしい式だった。」
きっちりとした礼服からゆったりとした部屋着に着替えた彼は幸せそうに微笑んで寝室に置かれている椅子に座る。
「私と君が多くの人達に祝福される事がこんなに幸福な気持ちになれるなんて思わなかった。予想以上だよ。君は今どんな気持ち?」
婚約者。いや、彼の妻となった彼女は当たり障りのない答えを言った。
「そういうの、もういいから。本当の事言ってくれる?」
だけど彼からそう言われた時、彼女は一瞬表情を歪める。が、すぐにいつもの愛想笑いに表情を取り繕いとぼける。
「いいんだよ。もう隠さなくて。私の事、殺したいんだろ。」
しかし彼はもう騙されているふりをやめてしまったため何の躊躇いもなく彼女の本心を代わりに告げる。
「幼い頃から知っているんだよ。君が本当に愛しているのが弟だって事も。君が私の事を周りに媚び諂う奴だと嫌悪してる事も。私を殺した後は弟と再婚してこの国を統治する気だった事も。全部知ってるよ。」
動揺する彼女を置いてきぼりにし、今まで隠してきた反動のせいか彼は喋り続ける。
彼に全てばれてしまっている事を知った彼女は動揺を隠せないが、それでもなんとか巻き返そうと口を開こうとした。
「あ、そうそう。君達の協力者達なんだけどさ。」
そんな彼女に対して畳み掛けるように彼は数人の名前を口にする。
「この名前、心当たりあるよね。」
彼女は思わず目線を下に向ける。彼が告げた者達の名前は全て彼女と彼の弟の味方だ。全員、彼女と彼の弟の心強い味方であり、彼に対して強い敵対心を持っている。今まで秘密裏に彼を陥れようとする為に様々な工作に協力してきてくれた。
が、その協力者達全員の存在も彼は気がついていた。
「今までは見逃してきたけど、今後さらに忙しくなるからね。全員遠方に異動してもらうよ。遠いからなかなか会えなくなるけど、仕方がない。でも急な話で流石に可哀想だからせめて君の美しい花嫁姿を見せてあげたんだ。」
今まで見逃されてきた味方が全員、遠方へと追いやられた。
その事実を聞かされた彼女は緊張と恐怖で体をわずかに震わせる。
が、彼女はまだ諦めてはいない。彼を失脚させる事をまだ諦めてはいない。必ず彼を王の座から引き摺り下ろし、愛する彼の弟に空いた玉座を座らせる。その野望はまだ消えていない。
その願いが永久に叶わない事を彼女はまだ知らない。
彼の弟の心がすっかり折れてしまっている事を彼女はまだ知らない。
彼に対抗する手段が全て潰されてしまっている事を彼女はまだ知らない。
「さて。そろそろお喋りはこのくらいにして。やっと夫婦になれたんだ。夫婦らしい事をしようじゃないか。」
彼の本当の笑顔を彼女はまだ知らない。
笑顔の下にある彼のドロドロの愛憎の感情を彼女はまだ知らない。
「愛してるよ。」
彼が彼女と彼の弟に向ける愛の大きさを彼女はまだ知らない。