Happy Birthday -競演-
その朝は、ルディのSOSから始まった。
「どういう意味だ?」
『どうもこうもない。四の五の言わずに帰ってこい。……帰れつってんだよ!』
驚いて、書類を床にばら撒いてしまった。シンクタンクには、事務的な雑用がどこにでも転がっている。こなしていれば居場所はあるし、小難しいことも考えずに済んだ。何日、あそこに帰っていないのか。数えるのを止めようとしたが、それだけはできなかった。
『悪かった。とにかく頼むわ』
潮時だと理解して、日用品はすべて処分する。マスターはつかまらなかったので、短い書き置きを残した。その間ずっと、頭で反芻している。ラスティがどこにも居ない、シルバーカフスも外していった。あれはメンテに携わる人間なら、位置を特定できてしまう。つまり本気で雲隠れしたってことだ。あの体でか?
「取り乱して悪かった。いまウチの人間が、総動員で可能性に当たってる。お前は一番近くで、あいつを見てきたろ。何でもいい、手がかりを見つけてくれ」
久しぶりに会う気まずさも、慌ただしさに巻かれて消えた。ルディは真剣な目をしている。テーブルにはいくつもの、資料の束が乱雑に置かれ、出入りする人間が次々足していくので、あっという間に山になった。
「俺は、何をすればいい」
ルディが硬直し、鋭い目線を投げてくる。
「寝ぼけてんのか。俺が指示できる雑用なら呼ばねえよ。あのな、四六時中、目まいはするわ、寝落ちはするわ、隠れて吐いちゃフラついて、甘いもん食ってごまかしてんだ。自分に時間が無いのは、とっくに分かってんだよ。なのにお前は行ったきり帰ってこない。あいつが何を感じて、何を思って、何をやろうとしてんのか、お前じゃなくて誰が理解してやるんだ?」
頭から氷水を浴びるより、きつかった。俺は何から逃げてたんだ? あの日、あいつを殺しかけた、そう思っていた。そんな過去の話に、何の意味がある。俺は向き合わなかった日々、あいつを殺し続けていたんだ。顔を見ると、あの日の光景が、フラッシュバックしそうで怖かった。狂った笑いを浮かべるあの男、苦しそうにあえぐ声、何一つできない自分。許しがたくて、情けなくて、その現実から逃げようとした。あいつ一人を置き去りにして、存在さえ無かったことにして。
あいつが、何を感じたか……。
ブルーグレーの瞳の海。奥には、深い悲しみを湛えている。あふれ出さないように、いつも涼しい顔をして、笑ってフタをして。想いを沈めた数だけ、瞳の色は複雑になり、同じ景色には二度と出会えない。いつまでも見ていられた、いつだって引き寄せられた。あの海を眺めているだけで、嫌なものは溶けて流れて、あたたかい波があふれていった。
何やってるんだ。俺は真っ先に、あの海へ帰るべきだったのに。
「ルディ、あいつの使った部屋を全部教えてくれ」
あいつの寝室。
ゾッとするくらい、何もない。
ここは寝るだけの場所、なるべく居たくない。
サイドテーブルも空っぽ。ゴミ箱に、写真立て。
唯一の私物、ルディも持ってた三人の写真。
皆でよく談笑した部屋の、キッチン。
戸棚には、丸いクッキー缶がいくつも入っている。
一つ、手に取って食べた。あいつに食わされた、何枚も。
甘さが喉を刺してくる。あの時は、やさしい味がした。
あまり使われていない共同洗面所。
掛かったタオルに、握りしめた跡がある。
シンクはきれいで何の形跡もない。
無かったことにしたい気持ち、痛いほど今はわかる。
自分の使っていた部屋。
なんとなく覗いてみて、驚いた。
ベッドの上で、枕をよけて、作業していた形跡がある。
外れた付箋が一枚、枕に貼りついていた。
この付箋は……ウチで使ってない……。
鍵付きの保管庫。
あいつへ鍵を貸した者がいた。
ルディとあいつは、細かいことまでチェックされない。
記録者のファイルに、例の付箋が使われている。
あんなに、興味が無かったのに……読んだのか。全部。
《イレース》能力について
人の脳や、電子機器に対して効力を発揮する
単語や、ひとまとまりの事象を、削除する能力
開発当初、二人の女性が能力を発現し、
一人が、事故に見せかけて殺害されたため
もう一人は逃亡、記録者と名乗る
《イレース》されたため、あらゆる記録に残っていない
コードネーム《シルバー》
能力者同士を掛け合わせ、子供を作る実験にて
母親《イレース》研究所員→死亡
父親《ドロー》自警団勤務
子供《ドロー》《イレース?》※未確認
なお父親には、子供が居ることは知らされていない
考察1:
《イレース》された記憶は、執着の強さによって、
意味の不鮮明な残像が、残ってしまうことがあるようだ
考察2:
《イレース》能力者に執着した人間が、残像の作用により、
その子供へ執着を移し、乱開発を行っていた可能性が高い
シェリーは資料を閉じた。かつて相方がそうしたように、ベッドの上へ腰かけ、すべて一息に読み終えて、顔を上げて考える。《イレース》能力は、研究者の記憶から消されており、相方は所持しているのか、テストされないままだ。
「ラスティは、何か電子機器を使わなかったか」
二十分ほど貸したという。テキストデータを入力し、何をどうイメージすれば消えるのか、たとえば長文の中から、ピンポイントで消せるのか、ひとまとまりの事象をどう判断するのか……確認していれば、あっという間に二十分経つ。逆に何も起きなければ、二十分は中途半端に長い。シミュレータの画面が消えたのも、《イレース》の作用だとしたら。製作者は《イレース》の存在を知らない、プログラムは適応できなくて当然だ。
あいつは、持っていることを自覚した。間違いない、それを使って何かやろうとしている。最後の仕事になるかもしれない、悔いは残したくない。だが、公にするのはためらわれる力。他人の脳を書き換える、そんなことがまかり通ってしまう世界を、あいつが望むべくもない。
ひっそりと使って、ひっそりと抱えて、存在ごと、ひっそりと消えていく……。
「ルディ……、ラスティは」
涙があふれた。あいつの消したかったものは、ルディ、あいつをボロボロにしたものだ。俺が苦しむから……あの瞳が受けとめた、全部消してやるって。
「ウォルフラム・フラッドの、記憶を消しに行った。ラスティ・アガートに関わる記憶のすべてを、執着ごとかき消すために《イレース》を使う」
*
よく寝た、今日は寝起きがいい。
シェリーの誕生日に間に合ってよかった。《イレース》は人間に試すのが難しく、鏡に映った自分へかけて、だいたいのコツはつかんだ。箱の中身を忘れたり、昨日の夕飯を忘れたり、手品っぽくて面白いんだ。他にも何か、忘れてるかもしれないけれど、まったく思い出せないから割愛。
ギリギリ間に合ったのが、通信機。研究所にいた頃は、機械いじりが暇つぶしだったけど、最近やってなかったのと、材料集めに苦戦した。実は唯一、今回の協力者はマスターことラグノール。現シンクタンク長の忙しい身は、しらばっくれるのに都合がいい。自警団で処分になった通信機、回してもらって改造できた。今ごろは情報部隊宛てに、可愛くラッピングした通信機が届いている。差出人は不明にしてやったけど、犬ケーキの絵を描いたから大丈夫。
さて、ラグノール氏の全面協力のもと、俺とあの人は、個室で二人にしてもらった。何をやるか、細かく聞かないでくれたのは、俺の先行きを知ってるからだと思う。ねえマスター、サンドイッチおいしかったよ。最後まで付き合ってくれて、本当に、ありがとう。
「誰かと思えば。今更、何の用だ」
ウォルフラム氏は、《ドロー》と《コントロール》を使い分ける厄介者なので、人に会う時は軽く拘束される。あまり意味はない、能力者同士にとっては。部屋に余計なものを置かないことの方が、有効。
「用なんてありませんよ。今までも、これからも」
今回の鍵は、《イレース》能力を悟られず、警戒させないこと。《コントロール》の作用が読めない以上は、使う気にさせないことが大事。
「強いて言うなら、シェリーには謝ってもらいたいかな」
「くだらん。父親を嵌めておいて、謝りたいの間違いだろう」
通信機が動いていれば、シェリーもこれ聞いてるからな。暴言は吐かせたくないや、できるだけ善処しよう。
「嵌められたんじゃない、ただの自滅です。双子の実験をしたのも、ひけらかしたのも貴方。シェリーは全く関係ない、なのにすぐ巻き込もうとする。そんなに寂しいですか? シェリーが離れていったのは、貴方が心を無視して、道具のように扱ってきたからだ。俺を刺した時、シェリーがどんな顔していたか、覚えてもいないでしょうね」
「私の息子をどう扱おうと、君に言われる筋合いはない。ずいぶん調子に乗っているな、白ネズミ。そろそろお迎えも近いんじゃないか?」
やるか……。手加減なしで、今日は行かせてもらうよ。
『否定はしないから、これを期に忘れてください。ラスティ・アガートという人間が、貴方の前にいたことを。どんな研究をし、何を手に入れて、どう使おうとしていたか。すべて綺麗さっぱり、記憶から消してくれていい』
淀んだ灰色の瞳。手を入れて、中をつかんで、その記憶を握りつぶすイメージ。すごく気持ちが悪い、こんな能力、二度と使いたくない。
『貴方の半生がこれで消える。可愛げのない銀髪の子供も、粉々に砕けたガラスの破片も、泣き叫ぶ声、うめく声、引っかかれた傷、蹴とばされた痛み、暗闇で見つめ返す目……何ひとつ、貴方の中には残さない。生体データって何? 血液なんて興味ない。ルビーカフスは存在自体、貴方が知るべきじゃない。銀髪の白ネズミなど、貴方の人生には居なかった。ウォルフラム・フラッド、真っ白に塗りつぶされた時間を抱えて、虚しさに溺れながら、寂しさに切り刻まれながら、誰もが遠くて手の届かない世界で、生きてみてよ。そうすれば分かる、誰かの痛みも、そこに居てくれたやさしさも、自分が何を踏みにじって、これまで生きてきたのかも』
……うまくいった、と思う。消された人間は、ひどく眠くなって、寝ている間に脳が処理を終える。《イレース》は、言葉を丸めているけど、実態はほとんど洗脳だった。無かったことにはならない、上から空白で塗りつぶす。思い出せない、という事実が歴然と残ってしまう。訓練次第では、空白に色をつけ、頭の中身を書き換えられるだろう。
記録者は正しい。こんな能力は命がけでも、この世から消し去るべきだった。
「ラスティ! やっとつかまえた……」
ドアを開くのと、声を出すのが同時だよ、シェリー。そんなに慌てなくたって、俺は逃げたりしないのに。だってお前に会うための、一世一代のアトラクションだ。飛んできたくなったろ? 俺は指をくわえて待てない、育ちの悪いチビッコなんだ。
「早かったね、相棒。さては近くで待機してたか。情報部隊も侮れないな」
足がもつれた。《イレース》能力者が雲隠れしたくなるの、使ってみりゃ分かるんだよな。消耗が《ドロー》の比じゃない、他人に指図されてたら、あっという間に枯渇する。倒れかかった俺を、何も言わずに、隣で支えてくれる相棒。お陰でだいぶ、俺は転ばなくなったよ。
「早いけど……待ちくたびれた。見捨てられたかなって、ちょっとだけ考えた」
いかんいかん。姿を見たら油断して、隠しておきたい本音まで漏れてしまった。
「悪い。遅くなった。……お前の隣、まだ空いてるか?」
「うん、ずっと空いてる。そうだ、ちょっと待って」
思ったより早く来られて、大事な仕上げがまだだった。ポケットからとっときのリボンを取り出し、眠りこけてるあの人の頭へ、いい感じに乗せてやる。
「親父さん、可愛くしといたぜ。Happy Birthday, シェリー」
「誕生日なんて、教えてなかったろ……」
相棒の泣き笑いは、なかなかレアだ。俺ってこう見えて、機械いじりとハッキングが得意なの。きっと普通に生まれたら、自警団には入らなかった。シェリーにも出会わなかった。だから俺は、普通がよかったと思っていない。いまこの瞬間が、最高。
「いいだろ通信機、みんなで使って。ルディに読ませてばっかじゃ、気の毒だ」
「わかった。わかったから」
あと、何だっけ……言っておくこと。頭が回らないな……力も入らないし、さっきからすげー眠いんだよ……でもせっかく、シェリーに会えたし。
「ケーキ食べよう、ケーキ……」
「わかったから、もういいから、ちゃんと休め」
そう? じゃあ……甘えようかな。
力を抜いたら心地よくなった。いつのまにか横になってて、シェリーが髪をすいてて、安心する。目を開けたら、顔もくっきり見えた。声が聴きたいな……。
「シェリー」
「うん?」
短いよ。でもこの、優しくて雑な返事が、一番グッとくる。
「会えてよかった」
きれいな雫が降ってくる。手を伸ばしたら、あたたかくて、幸せで、何もかも溶けてしまいそうだ。こら、そんなに泣くなって。俺までつられちゃうだろ。
「……ありがとな、相棒」
生まれ変わっても。俺はシェリーの隣がいいな。
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あと少し、お付き合いください。
ここまでありがとうございました。