Sleeping Beauty -足音-
ひなびた遊園地の一帯を、鮮やかな夕陽が照らしている。白いペンキで塗られたテーブルやイスも、一色に染まって背景へ溶けていた。向かいでは相方がコーヒーを飲んでいて、隣のソーダの中では、雲みたいなアイスが浮いている。くっつけたイスに横たわって、膝枕をしてもらうリズは、髪を撫でられてうっとりと目を細めた。
「寒くない?」
「うん、お布団みたいに気持ちいい」
今日は予定を詰め込んでいる。昼前に自警団のカフェテリアで、マスターの手を借りて焼き菓子を焼いた。サンドイッチの昼食を済ませると、人の少ないこの遊園地へ移動し、リズの興味の赴くままに遊び倒した。回るコーヒーカップがいたくお気に入りで、シェリーと三度も乗っている。ちなみに、相方は一度でギブアップした。
「夕飯は、なに食べようか」
「サンドイッチ!」
「昼も食べたのに?」
「昼も夜も、サンドイッチ!」
笑い声を上げている。はしゃいだ興奮がまだ残っていて、何から何まで嬉しくてたまらない様子だ。こんなに一日中、人の笑い声と過ごした記憶が自分になく、異世界に迷い込んだ気分は、いまも続いている。
「チェリーが嫌そうな顔してるよ」
「何も言ってないだろ。俺を引き合いに出すな」
ソーダに沈んだチェリーが、ついに自分の仇名になってしまった。リズが言いまちがえたのが、二人してツボに入ったらしい。どうでもいいから放っておく。
「チェリーとシルバーは、リズとラピスみたい。ラピスが居ると安心するの、大好き! 早く会いたいなぁ……」
「そうだね。たぶん、もうすぐ会える」
「よかったぁ」
安心した顔で、リズが目を閉じた。相方は黙っている。手だけは動かして、散らせなくなった動揺を持て余し、視線が宙をさまよった。
「シルバー、寒い?」
目を閉じたまま、リズが問いかける。髪を撫でる指先が、少しふるえていた。
「大丈夫だよ。リズがあったかい」
空いた片手で、相方は自分の胸をつかんでいる。カフスによるものか、そうでないのか。シェリーには知るべくもない。
「シルバー……」
「うん?」
「……おやすみ……」
少女の体から力が抜けた。心地よい、柔らかな笑みを残して。
「おやすみ……。ありがとう、リズ」
髪を撫でる手が止まる。胸をつかんだ手に、いっそう力が入る。呼吸は乱れていなかった。どの道、シェリーにできることはない。ただ静かに、見守っている以外には。
「シェリー、巻き込んで悪かった」
しっかりした声だ。彼女は軽やかに、旅立ったのだろう。
「あまり関わらない方が、きっとラクだった」
相方は目を合わせない。彼女の話を装って、お前は誰の話をしている? 卑怯だ、これじゃ返事ができない。こんな大事な話、どさくさに紛れて言い逃げするのか。
「その話はあとだ、彼女の迎えを呼ぼう。……言っとくが逃さないからな」
疲れきった表情を消せないまま、相方は薄く笑った。
*
かすかに煙草のにおいがした。
いつ眠ったか覚えていない。天井の照明が落ちている。代わりに、薄赤いスタンドライトが灯り、窓際のデスクでルディが残務処理をしていた。あの人は本来、こんなところに居る人じゃない。早く家業へ戻れと、親父さんにドヤされてるのを何度か聞いた。
窓が開いている。ひやりとした大気が流れ込む。低空飛行中だ、もう深夜か。突っ伏していたテーブルを離れようとして、何かが、音を立てて転がり落ちた。
「いつから平時に目まいがする?」
作業を続けたまま、声だけかけてくる。そうだ、三人で談笑していて、ルディに勘づかれた。ただでさえ読まれるのに、三人で居ると、つい気が緩みすぎてしまう。
「追いかけっこが響いた。あれから力は使っていない」
ルディが作業を止めて立ち上がった。しまった、これじゃ力を使わないのに、元に戻らないって言ってる。まずいな、ルディを本気にさせたら、丸裸にされるぞ。
ペンライトの光が、目の前でチカチカと揺れた。酔いそうだ。
「引いたな。頻度はどのくらいだ」
「そんなに多くない。時々……何回かは、覚えてないけど」
「毎日、覚えてられない程度には、起こるんだな」
ほらな、こうやってはがされていく。どうしろって言うんだよ……。考えたって仕方ない、どんどん笑えなくなる。俺はあいつの隣で、もう少し、笑ってる元気が欲しい……。
「悪かった。片割れを送ったばかりだったな」
子供をあやす手つきで、ルディに髪を撫でられる。それがどんなに安心するか、知っているから、俺もそうやってリズを送った。ちゃんと送れたけど、本当は逃げ出したいくらい、最後まで怖かった。シェリーが居なかったら、逃げていたかもしれない。
「どうしてそんなに、シェリーへ隠したがる」
「……いつも俺より辛そうにする。俺が傷つけてる。俺が居なければ、シェリーは苦しまなかったと思うと、吐きそうになる」
「珍しく素直だな」
ルディがキッチンの明かりをつけて、戸棚を開け閉めして、明かりはつけたまま戻ってくる。やさしい光がテーブルへ差して、そこに大きな丸いクッキー缶が置かれて、フタがあけられて。
「子供かよ」
面白がって口に入れてくるのを、拒めない自分もいて。
「子供だな」
悔しいけど、おいしいものはしょうがない。甘さが体に染みていって、苦しいものが流れていって、息がラクになって。
ありがとう。まだ笑えるわ、俺。
「ルディって過保護だな」
「否定しないが、全部は食うなよ」
「そんなに要らないよ」
甘いものは好きだ、でもちょっとでいい。たくさんだと、あふれて溺れて、流されてしまいそうで、それはそれで怖かった。
「何から何まで怖がる奴だな。そうは見えないところが、まあ難儀っちゃ難儀だ」
わしゃわしゃと髪を掻き回される。これをやる時のルディは、あったかくて、くつろいでいて、少し意地悪なんだけど、すごく生身を感じた。
「ルディは怖くないよ」
「この野郎。殺し文句を不意打ちするな」
シャンプーですかというくらい、両手でかき回されて前が見えない。ふふ、ルディ照れてやんの。犬のケーキを買うシェリーといい、みんな最近、妙に可愛いよね。
「二人とも起きてたんだな」
シェリーの声だ、冷蔵庫を開け閉めしている。どうしよう、一緒に食べるかな。誘おうかな……でも甘いの、得意じゃなさそうだし。
「シェリー、一緒に食おうってさ」
ルディがニヤニヤしている。仕返しのつもりらしい、子供か。
「へえ、クッキーなんて久しぶりだ」
ひょいっとつまんで、サクサクと軽い音を立てて、おいしそうに食べている。意外といけるんだ。眺めていたら、ひょいっと口に入れられてしまった。
「入れたくなる顔してたから、つい」
シェリーは真顔で、たぶん本気で言ってる。ルディが隣で腹抱えてる。
「すごい頭だな、どうしたんだ」
「ルディに可愛がられた」
「そっか。元気そうでよかった」
穏やかな顔つきで、俺の絡まった髪をほどき始めた。……寝落ち、不自然だったよな。リズを見てるシェリーなら、まあ察するよな。駄目だ、クッキー食べよう。目が合ったので、先にシェリーの口へ持っていくと、ぽかんとしながら食べてくれる。
「入れたくなる顔してた」
「それが言いたかっただけだろ」
ルディ。このままクッキー、全部食べ尽くしたい。
*
ラスティが寝室へ引っ込んだあと、あいつの相棒を酒に誘った。面白い経歴の持ち主だ、若くしてゴリゴリに開発され、あいつの規格外の《ドロー》も打ち消す凄腕のエリート。スクールを首席で卒業後、希望通りに自警団入りするものの、あっさり捨ててあいつの隣へ収まった。父親はシンクタンクを牛耳る元研究員、母親は離婚し、本人はスクール入学前から一人暮らし。とっつきにくいが何事も卒なくこなし、スクールにも自警団にも、彼を悪く言う人間は皆無。あの協調という言葉を知らんラスティが、彼の前では借りてきた猫になる。……いや、それは言い過ぎだった。
「ウイスキーが行けるのか。なかなかの玄人だな」
「飲み慣れてるだけだ、いろいろ買うの面倒だったから」
食にこだわりがなく、気分で選ぶ性格か。甘いのが苦手というわり、ラスティに何枚もクッキーを食わされ、まんざらでもない様子だった。
『話したいことがあった。相方は自分の話をしたがらない。過去にも興味がない。記録者の話を、ずっとできないでいる』
心の声は素直で、表裏がほとんどない。代わりに寡黙なのだ、でないと周囲と摩擦が起こる。冷静そうに見えて、意外に熱血漢でもある。ラスティとは真逆だ、あいつは直感が鋭いので突っ走って見えるが、中身はゾッとするほど冷めている。獲物を狩るためなら自分自身も餌にする、死なない程度に。
記録者が顔を出したのは、ラスティの逃亡劇がきっかけだった。あれの動画が非公式で出回り、あいつと浅からぬ因縁もあった夫妻は、レインの可愛がった後輩が追われる姿に、ひどく胸を痛めた。自分たちの持つ情報が役立つなら、と面会を申し出てきたのは、実はあちらの方である。
「あいつは過去が怖い。逃げたくて、前へ前へと突っ走る。だが過去と未来は繋がってる、どうあがいても逃げ切れん」
「レインの両親が、命がけで教えてくれたんだ。少なくとも《イレース》については、知るべきだという気がする。ただ……」
『重すぎる。母親が亡くなる原因で、子供のあいつが取り残される原因で、際限なく開発される原因で。いまは唯一、所持している人間が、隠れて暮らさなきゃならない。そんな危ないもの、知ってどうする、という気もする。双子のことで疲れきってた、あいつ自身の体のこともある。今は休ませてやりたい』
「タイミングだな。焦らなくていいんじゃないか、荷物が減るまで持っててやればいい」
「あの日、ルディはあいつを置いてった。理由がいまはよく分かる」
中身が熱いな、氷で覆った炎だ。うっかり触れたらあっという間に燃え広がる。そういやあいつはうっかりだった、化けの皮をすっかり燃やされ、猫なのか。だいぶ分かってきた、余計なものはこいつが燃やしてくれる、だからあいつは束の間、自由になれる。
「お前さんが連れ回されてる理由は、未だよく分からん。自分で動きたいタイプだろ、人の手綱を握るより」
「手綱を握られてるのは俺だよ。あいつが居ないと俺は走れない、走る動機を探せない。すぐに迷子になるし、すべてが面倒くさくなる。何だろうな……目の前で、あんなキラキラした目で突っ走られたら、腐ってるの、バカバカしくなるっていうか」
だいぶ酔いが回ってきたな。ストレートで早すぎるだろ、ペース。昔はあいつとレイン、三人で酌み交わしたんだがな。今のあいつは酔うもの全般、ダメなんだ。こればっかりはな……。
「ルディの話も聞きたい。どうして《リード》を使ってるんだ、日常で使う奴には初めて会った。かえって面倒だろ」
さすが生え抜きのエリートは、よくご存じで。便利なのは読まれる側だけ、読む方はなかなか骨が折れる。整理のされない情報の海に、頭からダイビングするわけだ。ずぶ濡れはマシな方、下手すりゃ溺れて足がつかなくなる。
「家業の関係もあってな。興味本位で使ってみたんだが、今じゃ手放せん。誰かさんに都合よく、こき使われる毎日だ。最近じゃ、頭の中へ話しかけてくる。横着しすぎだろ? んなことやってっから、いつまで経ってもヘタクソなんだ」
シェリーが笑ってる、心当たりが山ほどあるようだ。たまにしか笑わないが、笑うとえもいわれぬ魅力があった。例えるなら、苦くて熱いコーヒーに垂らした、甘くて冷えた生クリーム。いかにもあいつが好きそうだ、猫舌だからな。
「ルディには感謝してる。俺はルディに拾われなかったら、あらゆる意味で路頭に迷ってた。今だって、話し相手が居なければ、たぶん腐ってる。俺は油断するとすぐ腐る、腐った輩の息子だからな」
深い話に入った、言葉が流れなくなる。自虐するエリートか、こいつもなかなか厄介だ。危うい者同士、分かり合える部分はあるだろうが、掛け違えるとこじれるぞ。どこまでクビ突っ込むか、俺も早めに線引きしとかないとな。
シェリーは、ウォルフラム・フラッドをとことん追い込むだろう。でなきゃ死んでも死に切れん、ぐらいの気迫は感じる。シンクタンク嫌いの親父が、手を叩いて喜んでいた。ただし一方で、あそこに喧嘩は売るなと、口酸っぱく言われてもいる。脅威の種類はいろいろあって、強い、怖い、狡い、煩い、それぞれにあしらい方があるが、ヤバい、のカテゴリだけは関わったら終わりだそうだ。敵味方お構いなしに、利潤の追求も無視して、毒を振りまかれる。……あくまでビジネスの話だ、親父の哲学など、ここでは知ったこっちゃない。
「ところで、ルディの家業って何だ?」
「秘密だ。身バレすると資金提供を切られる」
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