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深海のフレア  作者: kanata
6/10

Think Thank -元凶-

 二度と近づかない、そう誓った場所にシェリーは立っている。

 整然と並んだ研究棟の隅も隅、伸び放題の雑草を放置した場所にある、そっけない物置小屋。ドアノブに鍵さえついていない。こんなところに突っ込めるのは、工事の時に使用する立入禁止の看板くらいだ。洒落がきいている、ここは「誰も用がない」という心理的な壁でふさいだ、立入禁止地帯だった。研究所の敷地内なので、外部の侵入からも守られる。

「こんにちは、お久しぶりです」

 通行人を見かけたら、とにかく声をかけた。疑われると先へ進めなくなる。

「あれ、えーと……?」

「ウォルフラムの息子です、いまはシンクタンクの」

「えっ、ああ、ああ! それは失礼、お疲れさま」

 そそくさと行ってしまう。たとえ初めましてでも、お偉いさんの息子と名乗られたら、いちいち混ぜっ返す奴はいない。殊に研究所はそういう所だった。

 物置の裏口へ回る。ここから入ると、中ではなく地下に潜れる。目立たない場所に、きっちりカードキーのパネルも設置されていた。目には目を、トップシークレットに対抗するには、選ばれしインテリたちのパスカードを拝借すればいい。

 どこへ行っても扉が開き、履歴も残らない最強カード。それがシンクタンク職員に与えられる、身分証であった。

『マスター。身分証を貸してください、一時間』

『……過ぎると紛失扱いだからな。五分前には戻せ』

 ルディに連絡をつけてもらい、受け取りは自警団のカフェテリアにした。あれだけラスティへ深く関わり、出世もしていないのは不自然極まりない。ウォルフラムへの警戒心も、まるで身近に居るかのごとく強かった。

 にしても、すんなり借りられたのは驚く。紛失騒ぎになれば、間違いなく懲戒解雇ものだ。おそらくは失脚を狙って賭けに出た、そのくらいしたたかでなければ、あのポジションを守りきるのは難しい。

 底冷えする青白い光が、センサーの働きで次々に点灯する。この光が大嫌いだった。相方に出会うまでは、青という色も大嫌いだった。ここを使ってウォルフラムは、人に見られたくないデータを取る。機密的な意味でも、モラル的な意味でもだ。

「ルディ、ハッキングできそうか」

『サーバーへ手を出すと、シンクタンクの連中に睨まれる。物理的に拾えるものを頂戴しろ。どこを使った形跡があるか、何に使うものが置かれているか、誰が使ったか。テキストデータも丸ごと、全部写して持って帰れ。あとで、いくらでも解析してやる』

「了解」

 ルディが居るのは心強い。知識だけじゃなく、自分が冷静さを保つ意味でも。きっと読まれていて、うだうだ考えず写真だけ撮ればいい、と励まされた。ラスティとつきあいの長い彼は、自分がここを苦手とする心情も汲めるのだ。理性ではどうにもならない、発作的な恐怖にも似た、言い知れぬ焦りを感じる。

 この場所が現役だと、わかっただけでも収穫はあった。相方のメンテナンス情報は、セキュリティが固すぎて閲覧できない。本人が居ないので、施術場所の特定すら難しかった。誰かの口を割らせるしかない。そのためには、新鮮な餌が要る。

 引き出しのこの辺りは、あの男が嗜好品を入れる場所だ。見覚えのある懐中時計、ガラス細工の万年筆、海を模したペーパーウエイト、滅多に吸わない葉巻、……瞳の写真。

 思わず拾い上げてしまった。どうせ配置が変わったらバレる、これはもう戻さなくていい。

 机上のトレイには、興味関心を失くしたものが、下から積まれていく。古い経歴書のコピー。納品書や書きかけの伝票、スクール退学者の記録……臨時職員リスト、生体データの分析表。日付は……あの猶予の三日。ご丁寧にコードネーム表記って、馬鹿じゃないか。これが目立たなかったのは大昔の話だ。

「ルディ、あと五分で出られる。できれば、火でも放って帰りたい」

『それは最後の仕上げにしておけ。とっとと帰ってこい、誰かさんがお待ちだ』

 遠く、女の子の笑い声と、相方の話し声が混じって判別できる。そうか、無事だったか……。わざわざ聞かせてくるあたり、気の回し方がルディっぽい。

「わかった。土産に甘いものでも買ってく」

 青い光が苦にならなくなった。現金だな、景色は何一つ変わらないのに、いまは深海の底へ下りてきた気がして、ちょっと楽しい。

 何を買ったらあの子は喜ぶだろう。迷うのも、意外に楽しい。


*


 茶色のクリームがふわふわ乗った犬のケーキ。シェリーが買うところを想像したら、そっちの方が可愛くてお茶を吹いた。リズは大興奮でケーキを食べ、すっかり満足して部屋で寝ている。このところ就寝時間が早くなった。直前まで元気いっぱいで、急に電池が切れてしまう。心当たりは……あった。

「結局、ドクターはどこ行ったんだ」

「さあ。辞めたんじゃない?」

 代わりの人間も来ないし、リズと一緒に帰ってきた。とっくに宴は終わっていて、あれは雇用契約が残っていただけ。片割れを手放したのは、自分の手に負えないと判断したから。生体データは常に監視していて、体調の変化くらいは数値でわかる。あとはマニュアルに従ってたが、指示もなく放置され困ってた……こんなとこだろうな。

 シェリーがいぶかしげな顔をする。面白いので、種明かしはしない予定だ。

「それで、何を確かめに行ったんだ」

「いまルディが持ってくる」

 本当にタイミングよく、ルディが現れる。目が合うと、別にそこまで読んでない、みたいな顔をした。ルディは読むだけでなく、読ませるのが非常にうまい。このスキルはどうやって磨くんだろう、俺も欲しい。

「お前らなあ……。こんなヤバい情報、二日三日でしれっと集めんなよ」

「褒められてるよ、シェリー」

「そうなのか。分かりにくいな」

 うわ。三人って空気だ、久しぶり……。ちょっと動揺してるな、俺。早く話を進めた方がよさそうだ。シェリーの撮ってきた写真を紙でもらう。ここはマシンの数が少ないし、基本アナログでデータは共有する。情報部隊なのに、と茶化すと、いつもルディが拗ねる。

「これ、血液バッグの納品書? いきなり出たね」

「ドクターの報告書が全部、って歴代のか? こんなの、どうやって……」

 うん。辞める寸前の奴に、パスワード教えてもらった。

「こらラスティ、ちゃんと話してやれ」

 ルディがバカ受けしている。普通に笑ってるルディを見るの、いつぶりだろう。俺の救護担当だし、笑えない仕事させてるよな。シェリーが来てくれてよかった。わだかまってたものが、すっきり抜けた気がする。風が通ったみたいな感じだ。

「それでお前さんら、このあとは?」

「俺はウォルフラムを直接、揺さぶってくる」

 シェリーは怒っている。俺の知りたいことは、だいたい分かったけど、シェリーの気持ちには引っ込みがつかないよな。いいよ、付き合うぜ、相棒。

「一緒に行こう。俺が居るとフリーパスだ」

「シンクタンクにか?」

「うん。定期メンテ、あそこでやってる」

「それ早く言えよ……」

 ごめん、それは失念してた。でも探りに行ったって、門前払いだよ。証拠を押さえた状態で、堂々と会いに行くから意義がある。ありがとうシェリー。あの報告書だと、そもそも誰が指示したか、書かれてないんだよ。

「どうした? ラスティ」

 わからない、急に……動悸が……。

 声が、出せない。

 呼吸がおかしい、こんな時にルビーカフスか。

 待て。待てって……収まらない、気取られたくない。シェリーこっちを見ないでくれ。駄目だ……ルディ、読んで。ルディ、大丈夫って……早く。

「シェリー」

 多分……あの子だ、ラピスの。

「心配ない、じきに治まる。双子の片割れの影響だ」

 悪い……適当なこと、言わせた……。

 机に伏せると、息は苦しくても安心する。不自然な自分の呼吸を聞いている。こんなもの、やり過ごす以外にない。横を向いてみよう。心なしか、ラクだ……。

 頭を空っぽにしていた。呼吸が、だいぶ落ち着いている。レインだけじゃなく、ラピスにも押し戻されたな。……そうだよな、リズが不安がる。一緒にケーキ、食べられなくて残念だった。子供扱いするなって? いいだろ、子供なんだから。

 お別れだな……。ラピス。



「二人揃って仲良しごっこか。こっちは忙しい、手短にしろ」

 応接ではなく、ウォルフラムの個室に通された。こちらへ目もくれず、書類をパラパラと雑な動作でめくっている。無造作に投げ出したあとは、すぐに別の資料を取り出して、これは集中できていない時の落ち着きのなさだ。

 二人と言った。興味の対象として、俺とラスティは同格に見られている。

「何を企んでいる。どうして俺たちを組ませた。あの茶番は何だ、頭がおかしいのか? こいつのメンテナンス中、何をしていた。双子の一人が昨日、亡くなったのは聞いたか。殺したのはあんただ、あんな無茶苦茶なことをして、よくその椅子に座っていられる」

「長いな」

 腹が立ちすぎて言葉もない。ここに刃物があったら、とっくに刺している。俺が《ドロー》でなくてよかったな、今ごろ机ごとひっくり返ってる。

「シェリー、俺もいい?」

 ふわりと肩に手が触れて、理性が戻った。怒りをぶちまけに来たんじゃない。俺には、守らなきゃいけないものがある。

 相方の怒り方は静かだ、激高する俺とは真逆である。

「話が違います。俺だけじゃ足りないですか」

 ピタリとあの男が止まった。相方のこういう時の鋭さは、群を抜いている。普段は言葉足らずなのに、いまは心臓を一撃で打ち抜いた。

 嗜好品の中に混じった、瞳の写真。寒気がして誰にも見せられなかった。

「君は小賢しいな、子供の頃から扱いづらかった。暴れるし、喚くし、物は壊すし、後始末が大変だ。そろそろ恩を返してもらっても、バチは当たらないはずだが?」

 殴りたくなるのを必死でこらえた。そうやって全部を相手にひっかぶせ、この男は自分を正当化する。相手を打ちのめして、弱らせて操ろうとする。母親は病院へ入ったきりだ、回復できないところまで、打ちのめされてしまった。

「データの採取には協力しています。先日も三日ほど、カフスをつけてネズミみたいに走り回った。瀕死のデータが取れましたよね? 代わりに、俺の体に何かする時は、教える約束だ。守ってもらわないと困る」

 相方はデスクの上に、納品書の写しをさらりと放った。

「ネズミが二匹か。コソ泥の証拠だ、キーを与えた人間は厳しく追求しよう」

「説明してください。でないともう、協力できません」

 相方は、話をそらされても取り合わない。ひたと見据えて、微動だにしなかった。あの一方的なウォルフラムが、真っ向から視線を受けとめている。言われたことに対して、考える仕草を見せている。いつも周りには、おびえて従う人間しか居なかった。

「結構なご身分だ。その血液バッグの使い道を話せば、満足か?」

「シェリー」

 急にバトンが渡されて、たじろいだ。相方は道を慣らしてくれたのだ、自分が冷静さを失っている間に、手持ちのカードを切ってまで。

 シェリーは納品書の上に、報告書の分厚い束を重ねた。

「この報告書の指示者が貴方だと、まずは認めてください。話はそれからだ」

「そんなもの、何の証拠にもならん」

 全員、首を切られているものな。舐めるなよ。相方がもう一枚、束の上にリストを積み上げた。

「臨時職員のリストです。自警団に確保された子たちが、顔を覚えているので照合できます。仲がいいので、呼べばすぐにでも飛んでくる」

「世間に公表されるか、俺たちの取引に応じるか。好きな方を選べ」

「なるほど、仲良く脅しに来たか」

 積み重なった証拠を一瞥し、ウォルフラムがようやく椅子から立ち上がった。

「多少は扱いやすくなるかと、息子をつけたが、逆に感化されたな。これはこう見えて、昔から荒ぶる輩をきれいに手なづける。育ちの悪さが勝ったようだ、あんな獣じみた暮らしでは無理もない。隅にうずくまって暗い目をして、すぐに噛みつく可愛げのない子供だったよ。当時から何も変わらんな」

 黙れよ。いい加減にしてくれ、あんたがそれを言うのか? 仕向けたのは誰なんだよ、弄んだのはあんたらだろ。手なづけるって意味分かんねえよ、頭がおかしくなりそうだ。

「シェリー、俺は平気だ」

 相方の表情はやさしくて、余計に苦しくなった。己の父の残酷さが、より鮮明に浮き彫りになる。……隣に居ると伝えただけで、涙が止まらなくなるんだ。あんなボロボロに弱ってて、声もあげずに泣こうとする。誰がこんな風にした? こいつがいったい、何したっていうんだよ。ただ生まれて、懸命に生きてきただけだ、何の権利があって踏みにじる。答えろよ、お前は何様なんだよ……?

「あなたは昔と違いますね。もっと純粋に、研究へ没頭している印象でした。今のあなたは、足りないものにイラついて埋めたがっている。俺たちでは、きっと埋まらないですよ。また連絡します、待つ気はないので決めて下さい。シェリー、行こう」

 迷子よろしく、相方に手を引かれて、いつの間にか見覚えのない、カフェテリアの席にいた。床が絨毯で、フカフカと不安定だ。冷たい光沢のテーブルも好きになれない。相方の運んできた紙コップのコーヒーだけは、自警団のものと同じで、気が緩んだ。

「マスターの心配は要らない。貸したからには策を講じる、そういう人だ」

 俺の心配もするな。斬りつけられたお前が、どうして自分より俺を気にする。違う、八つ当たりだ……期待なんてしなかった、それでも失望は、どんどん色濃く塗り替えられる。お前の斬りつけられる姿が、耐え難かったのは、確かに俺だ。

「悪い。これでもかと足を引っ張った」

「そんなことないよ。乗ってくればいいね、公表は巻き添えを食う人間が増える。もみ消しも図るだろうしさ」

 なあラスティ、痛い時は痛いって言えよ。喉元まで出かかった言葉を、どうにか押しとどめた。ルビーカフスに縛られる現実を、思い知った矢先でそれはない。俺の理性はどこへ行ったんだ、今日は感情に振り回されっぱなしで、行き先を見失っている。

「……ごめんな、シェリー。痛いよな」

 切ない海の色。泣いているのは自分だと、ようやく気がついた。


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