Shooting Star -邂逅-
冷たい檻の中しか 世界を知らない
他人に命を握られて 痛みはなかったことにされ続け
真っ白に 記憶を塗りつぶして
灰になるまで 五感を焼き尽くして
ささくれた床へ爪を立て 今日まで生き永らえたのは
この檻を噛み切るためだ、モルモットにも牙はある
銀髪の歩く先々で、人の波がきれいに割れた。シェリーは足を止めて見守る。いくら卒業間近とはいえ、あの悪目立ちに巻き込まれるのはごめんだった。行き着いたのは、よりにもよって昼休みのカフェテリア。廊下まであふれ返った学生たちも、ひときわ目立つ客寄せパンダにざわめきながら、道をあけるのに忙しかった。
なるほど、どこへ行っても人目を引く身だ。たかが古巣のヒヨッ子どもの視線など、そよ風も同然ってわけか。
腹を決め、シェリーは重いガラス扉を押しのける。いよいよ賑やかな喧噪を二つに割って、道はまっすぐ、銀髪の席まで伸びていた。
「あんたに聞きたいことがある」
ぽってりした厚地のコーヒーカップを両手で包み、彼はあどけない表情でこちらを見上げる。遠目ではわからなかった瞳の色に、意識が吸い寄せられた。奥に繊細な模様をたたえている、明るいブルーグレーの、底の見えない静かな海……。
「いいよ。表へ出ようか、相棒」
やけに相手の声が響いていた。誘われて首を向けた寒空のテラスは、閉じたパラソルも、積まれたイスも、人の立ち入りを露骨に拒んでいる。おまけに広くない、彼は自分の置かれた立場を、これでもかと利用する気だ。
色あせたウッドデッキに、乾いた足音が乱れて重なった。手の内を見透かされている。初対面のシェリーに詰め寄られ、眉一つ動かさないばかりか、率先して人払いまでやってのけた。どこまで食い下がろうかと、勇んで吹っかけてはみたものの、秒で毒気を抜かれてしまって立つ瀬がない。
そんな彼は目の前で、鉄製のガーデンチェアを相手に、なぜか四苦八苦していた。
「片手で持てる重さじゃないだろ、俺がやるよ」
「ふふ、懐かしい空気だな。この席、座ってると必ず誰か来た。放っといていいのに、待ち合わせじゃないんだからさ」
ひどく嬉しそうな声なのに、久しく訪れていない口ぶりが気になる。卒業生のエリートコースを歩む建前から、彼は分かりやすいマスコットとして、事あるごとに駆り出される身だが……。
「なに、どうしたの?」
「いや。あんた猫舌だろ」
ずっとコーヒーを見下ろしたままだ、取るに足らない観察結果で、お茶を濁したつもりだった。彼は大きく目を見開き、瞳の青をいっそう深くする。
「シェリーには、初めて会った気がしないな。それで新人くんが聞きたいのは、なぜ俺と組まされるか、であってる?」
なだらかに笑みを消し、いまは真顔でシェリーを見つめてくる。ヒリついた空気が心地よかった。進んだら引き返せない入口の、暗い甘さが匂い立つ。そこは自分のよく知る領域で、かつての日常だった。
「何か事情を知っているんだな」
「まあ憶測だけど。目的は監視かな、俺の体はいじられ過ぎて、取り返しがつかなくなってる。派手なパフォーマンスで世間を煙に巻くのも、本来なら存在自体がギリギリの、トップシークレットだからだ。……そう、君の親父さんの案件」
にわかに納得する。被験体という立場のシェリーたちは、研究所で《能力》が開発されるとここへ送られ、自制のスキルを徹底して叩き込まれた。厳しい条件をクリアし、卒業が決まった者の進路は、上位組織である《シンクタンク》の決定に委ねられる。
いまのシンクタンクで、長を務める男は実父だが、関係はテラスの椅子より冷え切っていた。
「そんな顔するなよ。飼い主の手を噛むには、むしろ絶好のポジションだろ。トップの隠しごとなんだから、君が握ってしまえばいい。うまく立ち回れば、同じ土俵へ引っ張り出せる」
待て、前提がおかしい。自分を餌にしろと聞こえるが、あんたの居場所はどうなる。あの男は、邪魔なものなど簡単に切り捨てた。困るのは、被験体のリスクを負った、あんたの方じゃないのか。
「メンテナンスは、どうなってる」
「もちろん必要だけど、大丈夫。誰かの一存じゃ、危なくてどうこうできない。特にこっちの赤い方ね、せっかくだから話しておこうか」
さらりと銀髪を掻き、露わになった耳のカフスを爪で弾いた。二つ並んでいる、上は赤い鉱石で覆われたルビーカフス、下にシェリーと同じ、金属製のシルバーカフス。被験体へ課せられた制御装置は、犬の首輪と揶揄されることも多かった。
彼の話を要約すると、ルビーカフスは『息の根を止める装置』。装着した者の呼吸器へ働きかけ、文字通りの効果で暴走を防ぐという、笑うしかないシロモノだった。
「シルバーカフスは、計測値を振り切ったら意識が遮断される。俺も同じの、一応つけてるけど、負けてカフスの方が吹っ飛ぶ。だからこいつはデータ収集用なんだ、ルビーカフスのメンテが必須になる。普通に考えて、シルバーカフスで制御された人間じゃ、俺を抑えきれないから」
思えばルビーカフスの詳細は、巧妙に伏せられていた。カフスの説明がなされる際、最初に突きつけられる事実は二つ。能力を手放した時に外せる、ただしシルバーカフスに限る。つまり例外のカフスを持つ者は……。見渡せば赤いカフスは彼一人、不気味さと好奇の目とがせめぎ合う中、わざわざ本人へ近づき、あれこれ問いただそうなんて気は、シェリー自身にも起こらなかった。
「どうしてそこまで……力を掘り下げる羽目になった?」
うっかりではあり得ない、能力の開発には根気がいる。体への負荷を分散するため、シェリーですら片手できかない数、あそこへ通って施術を受けた。親の血を継ぐ二世であり、力はすでに発現済み、こうなると一も二もなく、研究所へ送られるのが現行のルールであった。
幼年期の開発データはかなり希少で、研究者の誰もが、よだれを垂らして欲しがる。ろくな同意も取れない時期から、なかなかの無茶をされたと理解するのは、ここへ放り出された後だった。
「んー、俺は知らない。歳はシェリーと同じだから、だいたい想像つくんじゃない? このカフスをぶん取ったお陰で、だいぶ自由が利くようになった。外の世界は面白い、こうやってシェリーにも会えたし」
いちいち無邪気に笑うのは、本当に楽しいからだ。連中の顔色なぞ意にも介さない、そうやって生き延びなければならなかった。何があっても動じない精神力は、すべての能力者に求められる。が、彼は腹のくくり方が違った、ストッパーとして差し出したのは、己の命。
「あんたのこと、誤解してた。俺はてっきり客寄せパンダと、曲芸でもやらされるかと」
「何それ、すごい面白そう」
銀髪がくつろいで喉を鳴らした。なぜかホッとしている自分がいる……不安、だったのか。あの男がどこまで絡んでいて、抗う手段はあるのか、何も見えなかった。理不尽に使い捨てられる生き方は、今度こそ絶対に避けたい。耳をくすぐる笑い声が、心の底を照らしていく。
「突っかかって悪かった。時間は大丈夫なのか」
「次の通報まではね。一人でなんて、俺だって何もできないよ。でもほら、ちゃんと生きてる。繋いでくれた人がいたんだ。また話そう、シェリー」
手首の受信機らしきものが点灯し、彼は残りのコーヒーを飲み干した。
*
入団式は五分とかからず終わってしまい、拍子抜けする。建前だらけのスクールを卒業できた実感が湧き、シェリーにはいっそ小気味よかった。宿舎棟の入口で支給品を受け取り、わずかの着替えや日用品の荷解きも終えると、昼前にやることが尽きる。
せめて風でも入れようと、カーテンをひと息に滑らせれば、図ったように気の抜けたノックが、開きっぱなしのドアを鳴らした。
「《自警団》へようこそ、シェリー。暇なら少し付き合わない?」
忘れもしないブルーグレーの、淡い海。連れてこられたカフェテリアは閑散として、案内図の間取りより広く感じた。柔らかい照明や白いインテリア、観葉植物の佇まいまで、どこか大人びているのも新鮮に映る。
「久しぶりだね、マスター。今日は二人分お願い」
コーヒーを待つ間、彼は木目調のカウンターへ身を乗り出し、ひっきりなしに話を振り続けた。
「ねえ、それは何?」
「クラブサンドだ。非番か」
「……まあ、しばらくは」
「たまには休め。あとで持っていく」
カウンターへ置かれたコーヒーが、あたたかな湯気を吐く。一つをシェリーに手渡すと、彼は陽ざしの明るいテーブルへ席を移した。
「あの人、滅多に居なくてさ。普段はあそこの自販機で買う」
「だろうな。こんなに人が居ないんじゃ、仕事にならない」
口に含んだコーヒーの、抜ける香りに衝撃を受ける。これで愛想の一つもあれば、さぞかし人気の店が持てるだろう。にしても……何か、引っかかるな。
大皿に整然と盛られたサンドイッチが、視界をさえぎった。
「わ、うまそう」
「チキンとサーモン、半々にしてある。此処へ来るとは意外だった、申請は君が出したのか」
やはり相手はシェリーを知っていた、どこの関係者だ。スクールでは見覚えがない、ならば研究所か。シンクタンクの人間は、セキュリティが固く、こんな場所にはまず現れない。
「研究所には飽き飽きしました。失礼ですが貴方は?」
「こことあそこの、橋渡しをやっている、とでも言っておこう」
終始にこりともせず、マスターはさっさと会話をたたんで消えた。嬉々としてサンドイッチをほおばる、相方の姿でふっと緊張が緩む。
「何だろうな。妙に牽制された気がする」
「されたんだろ、ここじゃシェリーの方が目立つ。でもあの人、腕は確かだから。じゃあ食べたら気晴らしに行こう」
リズミカルに階段を降りていく、背中で銀色の髪も弾んだ。あの返答の仕方だと、なけなしの休みを削っている。早めに切り上げよう、でないと和んでしまって、タイミングが迷子になりそうだった。
昼にしては薄暗く、倉庫とも趣が違う。所狭しと並んでいたのは、年代物のゲームマシン。どれも改造の跡があった。
「これ……もしかして、改造シミュレーターか」
「よく知ってるな。普通のシミュレートルームもあるけど、俺のおすすめは断然こっち」
手慣れた動作で通電させ、彼はコインを一枚せがんでくる。外の通貨とは違う専用コインが、支給品にあったのを携帯していた。出先から帰った足では、持っていないのも分かるが……人のポケットの音を聞いて、あてにするな。
流れてくる敵機を撃ち落とす、ごく明快なシューティングゲームが始まった。
「ここのゲームは操作盤がない。俺たちの持ってる能力を、画面の中で直に使うイメージだ。例えば俺の場合は、物を動かす《ドロー》の能力だから」
道理で、彼が手をかざしている画面下に、強すぎてゲームにならない機体がある。
「本当はこうやって動かして、弾をよけたり、敵を撃ったりしたいんだけど」
残念ながら、降り注ぐはずの弾幕も敵機も、接近できずに消し飛んでいた。強すぎるってのは、こういう意味か……。能力は極論で言うと、意志の力だ。自機を守るゲーム、と彼が認識した以上、それに反する力はルールごと、上書きされてしまう。これ、プログラムは無事なのか?
案の定、ノイズの走り始めたゲーム機は、極彩色のモザイクを画面いっぱい咲かせて、固まった。
「おいコラ。またお前か、クラッシャー」
言われた彼の姿はない。不吉な電子音が鳴り響く中、言うべき言葉は一つも浮かばず、あきらめてシェリーは黙った。
「新入りだな。コインの譲渡は禁止されてる。まあ厳しくはないが、あいつは別だ。なにしろ向こう半年の支給停止を食らってる」
あの野郎、俺を身代わりに残しやがった。咎めてきた男の制服は、デザインも色味も微妙に違っている。型落ちの制服を、作業着代わりにしそうな人間は……どう考えても改造の主だ、厄介な相手につかまった。
ところが、いくら待っても説教は始まらず、男は筐体いじりに忙しい。
「あの」
「ん、何か用か」
「いえ。直るんですか」
「直らねえよ、こんなもん。ハコは使えるから新しいゲームを入れる。気にすんな、俺の仕事は本来、ああいう奴のためにある。ぶっ壊すのがコイツで済んだら安いだろ。そうだ小僧、これ持ってけ」
コインを三枚、握らされた。支給停止はお偉いさんの指示だろうに、男は意にも介さず、遊ばせたがっている。……似てるな、誰かさんに。
カフェテリアへ戻ってみると、シューティングを吹っ飛ばした我らがスターは、冷めたコーヒーの横ですやすや寝息を立てていた。
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不慣れですが、よろしくお願いします。
作品は完結していて、順次投稿する予定です。