09
「け、懸念……懸念……。……あ、ああ、そうです! もしあなたが私の子を孕んだ場合!」
「あらやだ、そんなデリケートな話をここでするの……?」
「ぐっ……だ、大事な話なのです! というのも、魔術の素質は高確率で遺伝します」
それは、リューディアも聞いたことがあった。
子どもが生まれたとき、多くの場合は親の素質を受け継ぐ。
だからリューディアとレジェスの子が生まれたとして、その子は――確率としては、大体四割がレジェスの闇属性、四割がリューディアの隠れ属性、そして二割弱程度の確率でそれ以外の守護属性を持つことになる。
リューディアが知っている知識を述べると、レジェスはにやりと笑った。
「ええ。……想像してみなさい。あなたが命を懸けて産んだ子は私にそっくりで、しかも闇魔術師としての才能も持っているとしたら……」
(私が子どもを産んで、その子がレジェスに似ていたら……)
リューディアはレジェスに言われるがまま、自分に子が生まれたときのことを想像して……ほう、とため息をついた。
「素敵ね」
「どこがですか!? 忌み嫌われる闇属性ですよ!」
「その力は忌むべきではない、あなたが生まれたことを祝福する守護属性なのだ、と私たちが教えましょう。お父様のような素敵な闇魔術師になりましょう、と教え、その子が周りの心ない言葉よりも自分を信じられるように育てましょう」
「……。……私のこの容姿が……遺伝するかもしれませんよ……」
「あら、いいことじゃない。誰が見てもあなたの子だと分かるでしょう。それにあなたのふわふわの髪、触り心地がよさそうだし。あと私は自分の細目がちょっと気になっていたから、あなたみたいなぱっちりとした子を産めたら嬉しいわ。それに、どうしても子どもが必要というわけでもないし、あなたが望まないのならずっと二人で暮らすのもいいわね」
放つ懸念事項全てをリューディアが丁寧に打ち返すものだから、とうとうレジェスは黙ってしまった。
まだ「ええと」とか「他には」と呟いているが、リューディアに言い返せるだけの十分な材料が尽きたようだ。
壁際で侍従と官僚が「頑張れ」と目線でエールを送る中、リューディアはうつむくレジェスの顔を覗き込み、そっと尋ねた。
「さっき答えをはぐらかされたから、もう一度聞かせて」
「デュッ!?」
「あなたは私のこと、好き? 結婚してもいいと思うくらいには……好き?」
先ほどから奇声を上げっぱなしのレジェスは、リューディアの杏色の目に見つめられて、硬直した。
それまでは赤かった頬からさあっと血の気が引き、彼の本来の肌の色を超えて白くなっていき――
彼は、すっと立ち上がった。
そしてゆったりとした足取りでドアの方に向かって自然とドアを開けて――部屋を、出てしまった。
「……あら?」
「……逃げられましたか」
ぱたん、とドアが閉まり、高齢官僚が首をかしげた。
「いやはや、まさかこのような大事な場面で堂々と逃亡するとは……」
「どうしましょうか、伯爵令嬢。あいつを追いましょうか?」
のんびりする官僚とは対照的に侍従が急いた様子で尋ねてきたので、リューディアは苦笑して首を横に振った。
「ありがとう、でもいいわ。……私、フられてしまったみたいね」
(……確かに、ちょっと無理を言いすぎたわね)
リューディアにとってもレジェスにとっても悪くない話で、後はレジェスの同意さえもらえれば丸く収まったのだが――彼を困らせてしまった。
「……」
「……」
男たちは、しょぼんとするリューディアをしばし見つめ――そして顔を見合わせ、同時にため息をついたのだった。
レジェスに逃げられてから、リューディアは少々――否、かなり落ち込んでいた。
(小説で読んだときには分からなかったけれど、フられるというのはとても心にくるものなのね……)
小説には「身を引き裂かれそうな」とか「夜も眠れないほどのショック」とか「失恋したときのことを思い出すだけで涙がこぼれる」とあった。
だが幸いリューディアは食欲は普通にあったし、夜も少し眠りに落ちるまで時間が掛かるが不眠というわけでもなかった。
家族には、「レジェスから報奨金の贈与を提案されている」とだけ教えている。両親としても、いくらリューディアに恩があるとはいえそこまでしてもらうのは……と思っているようだった。
外出する気にはなれないので、自室にこもって本を読む日が続いていた。今日部屋のテーブルに置いているのは、先日メイドが取り寄せてくれたばかりの小説。
ぺらり、と何気なくめくったページはちょうど恋愛シーンで、駆け落ち寸前の恋人たちが「あなたがいてくれれば、私は他には何もいらない」「一緒ならどこにでも行く」と情熱的に抱き合っていた。
(他には何もいらない……とまではならないわね)
リューディアとて家族や領民が大切だから、彼らを裏切るようなことはできない。
だが、レジェスと一緒ならいろいろな場所に行きたいと思うし……彼が本当に短命だとしても、彼が人生を謳歌できるようにしたい。その隣で、一緒に笑ったり悩んだりしながら彼と並んで歩いて行きたい……と思っていた。
いろいろなことを鑑みても、レジェスとの結婚は悪くないと思ったのだが……相手からすると、好きかどうかの答えをするのも嫌になって逃げるくらいだったようだ。
リューディアとしては、レジェスと一緒にいるのはわりと心地よかったし、生涯の伴侶とする事を想像しても何一つ問題事項が浮かばなかった。
それに彼が闇魔術師として生きる様やちょっとした気遣い、そして――リューディアに優しくしようと努める姿は、たいへん好印象だった。激しい恋に落ちた、というわけではないが、穏やかで温かな気持ちになれる。
(でも……レジェスに無理は言えないし、ここまで嫌がられるのなら仕方ないわね。ちょっと落ち着いたらまた、パーティーに行こうかしら……)
そんなことを考えながら小説のページを爪の先でぱらぱらめくっていると、部屋のドアがノックされた。
「お嬢様、失礼します」
「お入りなさい」
本を閉じてリューディアがドアの方を向くと、しずしずと入室してきたメイド頭がお辞儀をした。
「お嬢様に、お客様です」
「……今日は来客予定はなかったはずだけれど……急のご用事かしら。どちら様?」
立ち上がりながら言ったリューディアは、その後のメイド頭の言葉に息を呑んだ。
「魔術師団のレジェス・ケトラ様が、どうしてもお嬢様にお会いしたいと仰せです」
侍従「つよい」
官僚「つよい」