06
国を挙げての魔物討伐作戦では、魔物の討伐数と討伐した種類などに応じて報奨金が与えられることになっている。これには、「今回の働き誠に大儀だった。金を与えるので今後も討伐に励むように」という意味合いがある。
この報奨金は非課税らしく、魔術師たちはどの身分であろうと喜んで受け取る。
特に下級魔術師の場合は魔術師団での給料が安めなので、小物でもいいので少しでも多く魔物を倒し、その報奨金でやりくりをすることもあるという。
そして今回、レジェスはとんでもない量の――しかもどれもこれも強大な魔物を屠った。
記録係がまとめた報奨金の額はかなりのものになったのだが、なんと彼はその報奨金全額をリューディアに贈与すると言い出したのだ。
「おかしいでしょう!?」
「どこがでしょうか?」
場所は変わって、前回も利用した客間。
部屋には自分たちと侍従、そして記録係の高齢男性官僚しかいないので、リューディアは詰め寄るがレジェスは涼しい顔でクツクツと笑っている。
「私、金には興味ないのです。ですからあなたに差し上げます」
「あなたがお金に興味がないのはいいとして、それを私がもらういわれはないでしょう」
「いわれなんて必要ですか? 私は、あなたに差し上げたいと思った。あなたがハイと言ってサインをすれば、私のもとにあっても持ち腐れになる金は全てあなたの個人財産になる。伯爵家の経営や弟君の将来のためにも、金はいくらあってもいいのではありませんか」
「それはそうだけれど、もらう理由がないのよ」
ソファから尻を浮かしかけていたリューディアが座り直して言うと、レジェスは両手の中で闇の塊をお手玉のように転がしながら笑った。
「いえ、理由ならあるにはあります。あなたに助けていただいた七年前の礼をしている、ということでよいかと」
「だめよ。……私はただ、あなたに少しの間の衣食住を提供しただけ。お父様を助けてくれたことでさえおつりが来るくらいなのに、これ以上もらうことはできないわ」
「おや、伯爵令嬢なのにおつりという言葉をご存じなのですね」
「これでも、お小遣いで買い物をしたりするからね。……それはいいとして、これでは私はもらいすぎてしまうことになるのよ」
リューディアとしてはごくまっとうなことを言っているつもりなのだが、対するレジェスは笑みを絶やさぬままお手玉をしている。
「いいえ、これでやっと貸し借りゼロになったくらいです。……ああ、もちろんまだ足りないというのであれば、私の一生を掛けてあなたにお礼をしますが……」
「いい加減にして。……私は、あなたにここまで心を砕いてもらえるような人間ではないの」
「それを決めるのはあなたではなく、私です」
それまでは人を食ったような態度だったレジェスが、急に笑うのをやめた。
彼は手の中で転がしていた闇も消して、ぎょろっとした目でリューディアを見つめてきた。
「……あなたは、分かってらっしゃらない。あなたの言葉に、存在に……どれほど私が救われたのか」
「……うちで提供したご飯が、そんなにおいしかったということ?」
「確かにそれまでの人生で一番と言えるほど美味でしたが、そういうわけではありません」
レジェスはそう言うと一息つき、「……過去の話をしましょうか」と目を伏せた。
レジェスは、ここセルミア王国の南にある開拓地域で生まれ育った。レジェス、という異国風の名前であるのは、そのためだ。
幼少期から親に虐げられて育った彼は家を飛び出し、生まれ持っていた闇魔術を駆使して生き延びてきた。
悪いことも、ひどいことも、犯罪もしてきた。
闇魔術は、とにかく嫌われていた。
だがそれを悲しむような心は育たず、自分の能力は嫌われてしかるべきなのだ、と思いながらレジェスは魔術を使っていた。
なんとか流れ着いたセルミア王国でも闇魔術師は敬遠されたが、故郷ほど露骨に嫌われてはいなかった。
特に、王国魔術師団は優秀な者であれば身分を問わず魔術師を受け入れると聞き、レジェスはとりあえずセルミア風のケトラという姓を適当に名乗って採用試験を受けた。
対人関係や性格や見た目はともかく、レジェスの魔力は非常に高かった。採用試験でもぶっちぎりの成績をたたき出した彼は十二歳にして、王国魔術師団に迎え入れられた。
「とはいえ、やはり闇魔術は嫌われる立場でした。……魔物に近い能力ですし、まあ、どう見ても気持ち悪いですからね」
そう言いながらレジェスは、どろりとした闇の塊を両手からあふれ出させた。
高齢の官僚が悲鳴を上げて飛び退いて侍従も部屋の隅に逃げる中、好奇心に駆られたリューディアは足下をどろどろと流れる闇魔術に視線を落とした。
「これ、触っても大丈夫?」
「……。……ええ、平気です。私があなたを傷つけるわけがありません」
「それじゃあ、触るわね」
腰をかがめて闇に触れてみると、思ったよりも温かかった。
(掴む……ことはできないわね。入浴剤を入れた湯船に手を入れた感じに似ているかしら?)
闇をもみもみしながらリューディアが考えていると、しばらくうつむいて黙っていたレジェスが、不意に闇を消した。どうやら話の続きに戻るようだ。
――敬遠される闇魔術師だったが、レジェスの実力は確かだった。
彼は自主的に様々な作戦に参加して、遠征部隊にも加わって――そして十六歳のときに参加したシルヴェン伯爵領での魔物討伐の後、過労で倒れた。
「でも普通、仲間がいるでしょう?」
「ええ、いました。……仲間とも思いたくないような連中がね」
目から光を失ったレジェスが笑いながら言うに、彼と一緒に行動していた魔術師たちは、雨の中倒れたレジェスをあっさり見捨てたという。
ぼんやりとする意識の中、レジェスの耳には「あいつに触ったら闇で汚れる」という声が聞こえたそうだ。
晩夏とはいえ、夜の雨は冷える。
無様に倒れたレジェスは、このままここで朽ちるのか……と半ば生きることを諦めていた。だが通りがかった村の青年たちが彼を見つけ、領主の娘が滞在する屋敷に運び込まれた。
そのときのレジェスは熱もあったし意識ももうろうとしていたので、リューディアの顔は見られなかった。
それに、彼は王城で貴族の令嬢からいじめられていた。
きっとこの少女も、自分を蹴飛ばして「汚い! 捨てて!」とか言うのだろう……と思っていた。それくらいならいっそ、死んだふりをしてやり過ごしてやろう、とも。
そう思ってびくともせず倒れ伏すレジェスに、少女は声を掛けた。
『顔を上げて。私の指示に従ってください』
『……』
『名乗りなさい。そして、あなたの王国魔術師団における所属を述べなさい』
最初は、少女の命令の意味が分からなかった。
だが少女は持っていた杖の先でとん、とレジェスの背中を叩いた。そこにあるのは、コートの背中に刺繍された王国魔術師団の紋章。
『私は伯爵家の娘として、あなたがそれを背負うに値するかどうかを確かめなければならない。名乗りなさい。そして、王国魔術師団の所属を述べなさい』
繰り返し言われて……レジェスは、はっとした。
この少女は、興味本位でレジェスの名前や所属を聞き出して――そしてもてあそぼうとしているのではない。
レジェスが王国魔術師団のコートを着ているのならば、彼女は貴族としてその身元を確かめる必要があるのだ。
もしこのコートがレジェスのものならば、彼女にはレジェスを介抱する義務がある。もし違うのなら――彼女は愚かなる盗人に罰を与えなければならない。
だからレジェスはふらつく体を起こして、自分の名と所属する部隊名、個人番号を告げた。
それを聞いた少女は、杖を下ろして頷いた。
『分かりました。では、レジェス・ケトラ様。あなたをご招待いたします』
そうして少女――十二歳のリューディアは使用人たちに指示を出して、レジェスを介抱させた。
生まれて初めてかもしれないくらいふわふわのベッドは寝心地がよくて、翌朝に出された朝食は涙が出るほどおいしかった。
リューディアは伯爵令嬢でありながら、率先してレジェスの面倒を見た。
朝になると朝食を持ってきて、それが終わると着替えも運んでくる。さすがに入浴は一人で行ったが、『この石けん、とても匂いがいいのよ』ととっておきの入浴道具まで貸してくれた。
レジェスは当然、気高いご令嬢が卑しい闇魔術師などに近づいてはならないと拒絶したが、彼女は『あなたは私が招いたお客さんよ』と言って聞かなかった。
だが、伯爵令嬢が闇魔術師の手当てをしたなんて知られたら、彼女を中傷する者が出るかもしれない。
それに……部屋を出た後の彼女がレジェスに触れた手を洗ったりするのでは、と考えるだけで胃が痛くなった。
だからレジェスは彼女に離れてほしくて、わざと彼女の前で恐ろしい闇魔術を見せた。
窓辺に来た小鳥を、闇の中に取り込んだ。リューディアは息を呑んで涙をこぼし、『お願い、殺さないであげて』と嘆願してきた。
まさかここまで小鳥一羽ごときのために涙を流すとは思っていなくてレジェスがすぐに鳥を闇から出してやると、リューディアはほっとして微笑んでいた。
どろりとした闇を床に這わせてリューディアの足首を掴んだら、杖で頭をしこたま叩かれた。
彼女曰く、『淑女の足首に触れてもいいのは旦那様だけよ』とのことだったのでレジェスも一つ勉強になったし、ちゃんと謝った。
昼食を持ってきた彼女を驚かせようと部屋の中を闇で真っ暗にしたら、驚いて昼食の載ったトレイを落とした。
しめたものだ、と笑っていたらリューディアは『ご飯を落としてしまってごめんなさい』と泣くので、レジェスの方が慌ててしまった。
……ちっとも自分の思い通りにならない、変なご令嬢だと思った。