後編
「いい加減、落ち着いた行動が取れるようにしてください。私もずっと、ここにいるわけではないのですから」
「……退職を検討されているのですか」
カティアが固い声で問うので、レジェスは「そうですね」と返した。
「私も、もう四十歳を過ぎました。いつぽっくり逝ってもおかしくない年齢ですし、そろそろ引退して後進に譲ろうかとも考えています」
「……」
「といういうことなので、次に闇魔術師団のトップになる者のためにも、問題を起こすのはほどほどにしなさい」
「……ぽっくり逝くなんて、言わないでください」
絞り出すようなカティアの言葉に、レジェスは顔を上げた。
黒髪の娘は拳を固め、潤む瞳でこちらを見ていた。
「私、まだあなたから闇魔術について教わりきっていないんです。もくもくだってすぐに消えてしまうし、ぷるぷるはなんか中に芯があるみたいで硬いし」
「あなたは飲み込みが早いので、基本は全て分かっています。後は練習を繰り返すのみなので、私が教えることはもうないでしょう」
「……」
「それに、あなたは強い。魔力もさることながら、芯の強さが魅力となっています。……あなたならきっと、闇魔術師団をより明るい方向へ導けるでしょう」
「……違う。全部、あなたが始めたことじゃないですか」
カティアは、かぶりを振った。
ずっと、薄暗いところをさまよっていた闇魔術師団。
それが、レジェスが魔術卿になった十数年前から変わっていった。
カティアは、父親がどんな奮闘をしてきたのか知っている。
知っているからこそ……父親が灯してくれた火を絶やすまいと、彼女にできる形で戦っているのだ。
「私は、あなたが地ならしをしてくれた道を歩いているだけです」
「私がならした地面に、あなたは花の種を蒔いている。それは、あなたにしかできないことです」
レジェスはそこでちらっと時計を見てから、カティアに視線を戻して小さく笑った。
「……去年、入団のときに言っていましたね。いずれ、自分がセルミア王国史上二人目の闇魔術師の魔術卿になるのだと。……それは応援しますが、あなたがもう少し成長すると私では勝てなくなるでしょうから、私に決闘を申し込むのはやめてくださいね」
「……実はあなたを倒して魔術卿になるつもりだったのですが、健康で若い私が腰痛持ちのおじさんに喧嘩を売るのは不公平だと分かったので諦めています」
「……」
「……ですから、長生きしてくださいね。私があなたの意志を継ぐところを、ちゃんと見ていてください」
胸に手を当てたカティアが宣言したので、レジェスは笑みを浮かべた。
「……ええ、もちろんです。期待していますよ、私のかわいい娘」
「ちょっ、親子として接してはいけないって決めたのはお父様でしょう!」
「おや、どうやらもう勤務時間は終わっていたようですね。ならば問題ないかと」
「この人は……」
カティアはむっとしつつも、口元は笑みをかたどっている。
「……お父様とこうして話すのって、すごく久しぶりな気がする」
「あなたは十代になった頃から、すさまじい反抗期になりましたからね」
幼児の頃はお父様大好き娘だったカティアも、十歳を越えた頃からレジェスに反発するようになった。
……どうして私は、闇属性なの。
お兄様と同じ、光属性がよかった。それかいっそのこと、弟のように魔力を持たずに生まれたかった。
そんなことを言う娘に注意するのは専ら母親の方で、レジェスは娘の怒りを静かに受け止めた。それでも、自分はカティアのことを愛している、と言葉で、態度で、伝えてきた。
一時は荒れたカティアも十代半ばくらいになると物事の道理が分かってきたため落ち着き、自分のやりたいこと、やるべきことを見つけた。
そうして今では問題児ではあるものの、友人に恵まれ上司に可愛がられ後輩に慕われる女性に成長した。
それが、レジェスはたまらなく嬉しかった。
レジェスが懐かしむような眼差しになったからか、カティアはすっと視線をそらした。
「……今度の休みは久しぶりに、家に帰る予定よ」
「それはいいことですね。リューディアたちも楽しみにしているでしょう」
「……いつかお父様みたいに瞬間移動できるようになったら、もっとまめに帰るようにするわ」
「あれは調節を間違えると胴体と頭部が分断されかねないので、やるならもっと魔術の腕前が上達してからにしなさい」
「分かってるわよ」
ふふっと笑い、カティアは黒髪をなびかせてレジェスに背を向けた。
……しゃんと伸ばされたその背中はいつの間にかずっと大きくなっており、レジェスはまぶしそうに目を細めたのだった。
このやりとりの翌年、レジェス・ケトラは魔術卿の職を退いた。
彼は在職する十数年間で何十回も決闘を申し込まれたが一度たりとも負けることなく、無敗のままで自主的にセルミア王国魔術師団トップの座から降りることを決めたのだった。
引退して妻と共に田舎で暮らす父を見送ったカティアはめきめきと才能を伸ばし、二十三歳のときに現職の魔術卿との決闘に勝利してセルミア王国史上二人目の闇魔術師の魔術卿に就任した。
その頃のレジェスはもうベッドから起き上がることも難しくなるくらい体を弱らせていたが、魔術卿の証しであるブローチを手に実家に帰ってきた娘をしっかりと抱きしめた。
それから間もなく父が亡くなり、カティアは闇魔術師の魔術卿としての己の任務を遂行した。その在職期間は二十年に及び、父と同じく無敗の最強魔術師として名を馳せた。
皆に惜しまれながらも早期退職を決めた理由について尋ねられたカティアは、魔術卿の部屋の窓から階下を見下ろし、言った。
「私たちは、やるべきことを全て果たしたのよ」と。
彼女の視線の先には、炎や氷や風など、様々な属性の魔術師と楽しそうにおしゃべりをする、黒いローブの魔術師たちの姿があった。
皆様のおかげで、闇ワカメの原作小説を2巻できっちり完結させることができ、またコミカライズもしていただけることになりました。
ありがとうございました。
闇ワカメの物語で書きたかったものは、これで全て書ききったと思っています。
ここまで読んでくださった皆様に、心からの感謝を。