前編
本編終了から約20年後の話。
――ぎゃあぎゃあと騒ぐ声が、ここまで届いてくる。
レジェスは書き物をする手を止めて、窓の外を見やった。
大所帯である王国魔術師団がにぎやかなのはいつものことだが、遠くから聞こえてくるこの喧噪からは何やら嫌な予感がした。
ぷるぷるを派遣して様子を探らせようか……と思っていると、魔術卿の部屋のドアがノックされた。
「……どうぞ」
「失礼します、レジェス様。……カティア・ケトラが喧嘩騒動を起こしました」
「……またですか」
入室してきた部下の報告に、レジェスは嫌な予感が当たったと頭を抱えた。
「それで? 騒動は収まったのですか?」
「相手の炎魔術師の女性はまだ怒り狂っていますが、カティアの方は落ち着いておりこちらに向かって……あっ」
「失礼します、レジェス様」
部下の横を通り抜けて入ってきたのは、艶やかな黒髪を持つ美少女だった。
緩くうねる髪を軽く束ねており、ぱっちりと見開かれた杏色の目はまっすぐこちらを見ている。闇魔術師の証しである黒いローブのおかげでその高身長と白い肌がいっそう際立って見え、誰もが振り返るほどの美女っぷりを余すことなく魅せていた。
……黙って本でも読んでいれば麗しい聡明な雰囲気の十七歳の娘なのに、正義感の強さと行動力の高さゆえにいつもあちこちで問題を起こしており、レジェスを悩ませてばかりの問題児であった。
「……カティア、あなたまた、他属性の魔術師と喧嘩をしたのですか」
「肯定します」
「……今度は何があったのですか」
レジェスが渋々問うと、カティアは腕を組んでつんとした顔で窓の外を見やった。
「……私が友人たちと歩いていると、性格の悪い炎属性の女性魔術師がこちらを見て、『スラム出身の物乞いが来た』と言ったのです。それを聞き、友人は泣きました。よって、私が言い返しました」
「どのように言い返したのですか」
「この子の生まれ育ちが何だろうと、関係ない。人の生まれについて声高にあげつらうあなたの発言こそが恥ずべきものだ、と言いました。そうして、喧嘩になりました」
「魔法は?」
「あっちは攻撃目的で使いましたが、こっちは防衛に努めるだけで反撃はしていません」
カティアがけろっとした様子で言うので、レジェスはため息をついた。
……何を隠そう、この喧嘩っ早い美少女はレジェスの娘だった。若い頃の妻によく似た面差しの娘をレジェスは大切に育てた……はずなのに、非常に気が強い益荒男に育ってしまった。
おそらくリューディアの正義感と自分の頑固さが合体した結果化学反応を起こし、こうなってしまったのだろうと思っている。
カティアは勉強はそこまで得意ではないが頭の回転は速いし、かっとなったときにも冷静に物事を判断する知性も持ち合わせている。
よって今回のような騒動が起きたときも、彼女は自分が不利にならないぎりぎりのラインを攻めることができるのだった。
「……事後処理は監督係たちに任せましょう。ですが、カティア。正義感が強いのはよいことですが、限度を考えなさい」
「では、罵声を浴びせられる友人を放っておくべきなのですか」
「そういうわけではありません。……友人を守ろうとする決意はよいことですが、売られた喧嘩を全て律儀に買う必要はありません。度を過ぎると、あなたの未来にも支障を来すかもしれないでしょう」
「今泣いている人を放っておいてでも守りたいものはありません。……それに」
ここまでは流暢だったカティアだが、一旦口を閉ざして拳を固めた。
「……あの人、私に向かって言ったんです。貴族崩れの母親の子は、やっぱり乱暴だと」
「……そうですか」
「……なんで冷静でいられるの!? お母様が罵倒されたのよ!?」
それまでの礼儀正しい態度をかなぐり捨てて叫んだカティアを、レジェスは静かに見つめ返した。
「相手を愚弄する文句が出なくなったから、相手の家族を貶す……敗者が取りがちな悪手です。いちいちそんな挑発に乗るものではありません」
「お母様は関係ないのに、私を怒らせるために馬鹿にしたのよ! 悔しくないの、お父様!?」
「口を慎みなさい、カティア・ケトラ」
レジェスが静かに告げると、カティアはぐっと唇を噛んでうつむいた。
十六歳のときにカティアが闇魔術師団に入るとなり、いくつか約束させたことがある。その一つが、「勤務時間中は、レジェスを父と呼ばないこと」だった。
かわいい娘だからこそ、仕事中は厳しく線引きをする。魔術卿の娘だからと、甘えさせない。
そういったものを条件に、レジェスは娘が王国魔術師団の試験を受けるのを許したのだった。
「そもそも、あなたが喧嘩を買ったのが原因でしょう。あなたがもっとうまく立ち回っていれば、あなたの母親を愚弄されることもなかった。あなたが落ち着いていれば、あらぬ愚弄の言葉を掛けられても平然としていられた。……そうではないですか」
「……」
「……それで? 母親を馬鹿にされたことに怒ったあなたは、とうとう相手の女性に手を出したと?」
「……出しませんでした。本当は、そう言うあなたの母親は若い頃に四股していた尻軽女でしょう、と言いそうになったけれど、我慢しました」
「そうですか」
「……」
「……よく耐えましたね、カティア・ケトラ」
カティアが、顔を上げた。
悔しそうな表情の娘を見て、レジェスは小さくうなずいた。
「あなたは正義感が強いあまり、問題ばかり起こします。……ですがそれは弱者を守ろうとする心があるからです。あなたは家族を罵倒することで論点をすり替えようとした相手の挑発に乗らず、『友を守るために戦った』という大義名分を貫いた。立派なことですよ」
「……うまく立ち回れなかったのに?」
「まあ、起きてしまったことは仕方がないですからね。大切なのは、問題が発生したときにどのように対処するか、ですから」
レジェスはデスクの引き出しから紙とペンを出し、さらさらと文字を綴った。
「今回の件についての始末書には、あなたが正当防衛に努めたと書いておきましょう」
「……お願いします、レジェス様」
「はぁ……あなたが入団してまだ一年も経たないのに、私は一体何枚、あなたに関する始末書を書いたことでしょうか」
レジェスは魔術卿だが闇魔術師団のトップでもあるので、部下が起こした問題などの責任は彼にある。……もっとも、魔術卿になって今日までに書いた始末書のほとんどは、娘に関するものだったが。
そして、それだけの始末書を提出されながらもカティアが元気に活動できているのは……ひとえにその才能と人望があるからなのだ。