05
ため息をつきたい気持ちを堪え、リューディアはお辞儀をした。
「大変嬉しいお申し出ばかりですが、わたくしも結婚についてはもう少し家族と一緒に考えたくて……」
「あら、そう? でも、わたくしは……あなたがあの闇魔術師と懇意にしていると聞いていてよ」
「……どちらさまのことで?」
胸の奥がぞわっとしつつあくまでも穏やかに問うと、ビルギッタはふふんと胸を張って一歩詰め寄ってきた。
「名前は忘れたけれど……あのおぞましい見目の、醜男よ。生意気にもお父様に物申して、余計なことばかりしてきた根暗で陰気な闇魔術師」
「……さあ、どなたでしょうか。私は、そのような方とは面識がございません」
「えっ?」
きょとんとするビルギッタに微笑みかけ、リューディアはパチン、と扇を閉ざした。
「私が懇意にしている闇魔術師でしたら、お一人だけ。彼のことを簡単にご説明申し上げますと――少々変わり者ですが誠意があり、ご自分の職務に真摯にあたられる殿方です」
「……ふ、ふふふ。やだ、あなたもしかして、あの化け物に弱みでも握られたの? だから、そんな擁護するようなことを言うの?」
調子を取り戻したらしいビルギッタは上品に笑うと、持っていたシンプルな扇を持ち替えて自分の手の中でもてあそびながら言う。
「そうでもなければ、あんな醜悪な見目の男を殿方だなんて言わないわよね? ……ああ、分かったわ。あなた、伯爵の件を盾に脅されたのね? さては、父君の弁護の代償として体を差し出したとか?」
「……そのようなこと、事実無根です。あの方は、そのような真似は決してしません」
あんまりな妄想っぷりに、リューディアの鉄壁の笑顔が崩れそうになった。
だがリューディアの動揺をいいように理解したらしいビルギッタは、それまでの小馬鹿にするような笑顔から一転、そっと上品に目元を拭った。
「……いいえ、分かっているわ。あなたは愛する父君のために、自分の身を犠牲にしたのね。おかわいそうなことだわ」
「ですから、そんなことは――」
「遠慮なさらなくても結構よ。でも、あんな平民魔術師ごときに伯爵令嬢たるあなたが屈する必要はないわ。わたくしにお任せなさい。あんな根暗くらい簡単に嵌めて貶めてやるし、あなたのことももらってくれる貴公子も見繕ってあげるわよ? ちょうど、わたくしが昔遊んでいた貴公子が数人いて――」
「……ビルギッタ!」
いきなり、男性の怒声が割って入ってきた。
ぎょっとするビルギッタと同じ気持ちでそちらを見ると、廊下を駆けてくる怒り心頭といった様子の国王が。彼はまだ、パーティー会場で貴族たちと歓談していたはずだ。
「おまえ……! 謹慎の身でありながら部屋を出た挙げ句、なんというふしだらなことを!」
父親の怒声に、ビルギッタは動揺を隠せない様子で扇を取り落として「え?」と呟いた。
「えっ、え……? な、何のことですか、お父様……?」
「しらを切るつもりか!」
娘のもとまで大股で詰め寄った国王は、一喝した。
「……おまえがこの廊下でリューディア嬢に話した内容は全て、会場まで響いていたのだぞ!」
「…………え?」
ビルギッタとリューディアの声が、重なった。
廊下で親子げんかが繰り広げられそうになったためリューディアは屋敷に帰り、続報を待つことにした。
その後、分かったのだが――ビルギッタがわざわざ部屋を抜け出してでもリューディアに寄ってきたのは、リューディアに何らかの恩を売ることでシルヴェン伯爵に濡れ衣を着せた件を帳消しにしようと企んだからだったという。
だがリューディアとビルギッタの会話の途中からの内容が、パーティー会場に大音量で響き渡ったらしく、王女の暴言や破廉恥発言が皆の知るところになってしまったそうだ。
もちろんそんな大声量でビルギッタが喋ったわけではないし、廊下と会場の間はそれなりに距離がある。普通なら、廊下で立ち話をしている内容が大音量で漏れるわけがない。
ではどういうことかというと、子細を伝えに来た官僚曰く「誰かの魔術がうっかり発動してしまったのかと思われます」とのことだった。調査も進んでいるが、うっかりの犯人は相当な魔術の使い手だったようで、ほとんど痕跡が残っていないそうだ。
国王は娘への温情を一切捨てて、王国西部の開拓都市に送ることにした。
さすがに王女に肉体労働はさせられないが、国民たちが汗水垂らして働く場所で生活させることで根性をたたき直させるつもりらしい。
リューディアとしても、自分だけでなくレジェスへの侮辱発言もあったため、これでこそこそと裏で動くような真似はやめて猛省してもらいたいと思っている。
ちなみに、国王の取りなしもありリューディア本人が王女の発言に毅然と言い返したこともあり、リューディアやレジェスへのあらぬ噂が広まることは阻止できた。
リューディアはこのことを伝えようと魔術師団にいるレジェスのもとに手紙を書いたのだが、彼は「そんなことがあったのですね。まあ、丸く収まったのならそれでいいです」とさして関心がなさそうな返事をくれるだけだった。
(レジェスも気にしていないようだし、私たちにも大きな被害はないし……これでよかった、ということね)
なお、リューディアは知らないことだが。
西方送りが決まった後もギャアギャア騒いでいたビルギッタだが、出発の日が近づくにつれてだんだん無口になり、何かに怯えるような眼差しをするようになった。彼女は自分の侍女に、「部屋の隅に黒っぽいもやもやしたものが見える」「誰かの声が聞こえる」と訴えていたとか。
西方に旅立ってからは、王女が幻覚や幻聴に悩まされることはなくなったそうだ。
だが少しでも王都に戻ろうとすると、自分の足下の影がうぞうぞとうごめいたり誰かが湿っぽく笑う声が聞こえたりするようになったため、彼女はついに砂埃にまみれた開拓地で一生過ごすことになったのだった。
伯爵家が平穏を取り戻して、約半月経った。
リューディアはまめにパーティーなどに顔を出して、アスラクは半年後の騎士団入団に向けて特訓している。
彼は次期当主なので騎士を目指しているわけではないが、セルミア王国では貴族の子息は健康面で問題がなければ最低二年は騎士団で特訓することが推奨されていた。
あくまでも推奨なので入団しなくても罰されたりはしないが、その場合「嫌なことから逃げた卑怯なお坊ちゃん」の烙印を押されかねないので、大抵の者は文句を言わず入団していた。
両親も、揃って社交界に顔を出していた。ここ半年はやつれてしまった母だが、愛する夫と再会できてからは一気に元気になり、父の仕事が休みの日は二人でデートに行ったりしている。
(私も結婚するなら、お父様やお母様みたいな夫婦になりたいわ……)
爵位などはなくていいから、何かあればその都度相談ができて、日常のたわいない話もできる人がいい。
性格は、優しい人がいい。リューディアがちょっとしたミスをしても、笑い飛ばしてくれるようなおおらかな人もいいかもしれない。
お互いを支え合えて、二人でいればずっと強くなれる……そんな夫婦になりたいと、こっそりと思っていた。
とはいえ極端な話、リューディアは嫁いで家を出てしまえばそれでいいし、両親も「敵対する家でなければどんな相手でもいい」と言ってくれる。
両親としては、たとえ由緒正しい名家でも今後アスラクにとって不利になるような家の者と結婚するよりは、裕福で誠実な商人の息子と結婚する方がしがらみがなくていいとさえ思っているらしい。金なら、いくらあっても困ることはない。
そういうことで、母と一緒にお見合い書を見たりあちこちのホームパーティーに参加したりしていたリューディアだが、ある日、またしても王城から呼び出しを食らったのだった。
前回の呼び出しは家族の再会という目的もあったので母や弟も呼ばれたが、今回名指しされたのはリューディアだけだった。
(お父様はお城にいらっしゃるから、何かあればすぐに来てくださるそうだけれど……)
今回もリューディアを呼び出したのは国王だったが、そこには「レジェス・ケトラの件で用事がある」のような旨が記されていた。
だが、今回は呼び出される理由がさっぱり思いつかない。
(「お礼」のことなら、お父様の身の潔白という点で話は終わったはず。まだ、何かあったかしら……?)
疑問に思うリューディアが通されたのは、前回と同じ国王の執務室だった。そしてそこには、多くの騎士や侍従たちに埋もれるようにして立つくしゃくしゃ黒髪の姿もあった。
相変わらず不健康そうな見た目のレジェスは、リューディアと視線が合うと目礼をしただけだった。体格のいい騎士たちに囲まれているので、彼の表情もうまく見えない。
「座ってくれ、シルヴェン伯爵令嬢」
しばらくぶりに見えた国王に言われて、リューディアは緊張しながらソファに腰を下ろした。
というのも――入室したときから気になっていたのだが、このソファの前のローテーブルに、一枚の書類があったのだ。
今は裏返しにされているので字は見えないが、あまりいい予感はしない。
「……度々呼び出して、足労を掛ける」
「いえ、陛下のお呼びとあらばすぐに馳せ参じます。……今回は、いかなるご用件でしょうか?」
リューディアが尋ねると――国王は、言った。
「レジェス・ケトラが前回の魔物討伐における報奨金全額を、そなたに贈与すると申し出ているのだ」と。